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メタンダイバー  作者: 山彦八里
嫁襲来編
9/37

8話:Dies Irae

 どこをどう通ったか覚えていないが、気付けばトマスは自宅へと戻っていた。

 自宅は己を守る城だ。安心がある。ただし、遠からず戦場になる場所でもあるが。


「……まずい」


 都市型ビオトープは常に快適な気温・湿度が保たれている筈なのに男は冷や汗が止まらなかった。

 黙って後をついて来たデルフィが不思議そうに見上げているが、応えてやる余裕はない。


 考える。――まずい。まずいとしか言えない。

 客観的に見れば――あくまで客観的にだ。トマスの主観的には疚しい所などない――愛想が尽きて出ていって、ふと戻って来てみれば、夫が(見た目)幼女と同棲しているのだ。

 結論、今度こそ殺されかねない。


(一旦デルフィをジジイの所に戻すか……?)


 否、そんなことは無意味だとトマスは断じた。

 己の持つ主夫力の全てを駆使しても自宅内のデルフィの生活痕を消すのに2日はかかる。根本的な解決になっていない。

 なにより、デルフィを個人的な都合であのスクラップ置き場に戻すのも憚れる。ようやく健康で文化的な生活を享受できるようになってきたのだ。


「……いや、もう愛想尽かされてんだ。今更、なにを畏れることがあるんだ」


 多少の落ち着きが戻って来たトマスは止まらない汗を拭ってひとりごちた。

 はっきりと言えばいいのだ。シモンに面倒を頼まれた、と。

 実際、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 キャラバンの護衛である以上、(マリー)が滞在するのは数日といった所だろう。

 彼女にとってはおよそ3年ぶりの我が家であるが、ホームステイの客がいる程度は勘弁して貰おう。


「よし、この方向でいこう。これならいける。大丈夫だ。あいつもきっとわかってくれ――」


 そのとき、玄関から甲高いブザーが鳴り響いた。

 トマスにとっての死刑執行の喇叭が鳴り響いた。


(――まずい)


 にわかに膨れ上がる緊張に、ごくりと唾を飲み込む。

 この家を訪れる者などそう多くはいない。シモンかリック、あとはネルくらいだ。

 トマスもマリーもあまり人間関係が多彩な方ではないのだ。

 居留守を使うかトマスはしばし迷った。

 だが、その時には既に、無慈悲なる天使が――おそらくは挙動不審なトマスを気遣って――とことこと気負いのない態度で玄関へと向かって行った。


「待て、デルフィ!!」


 制止の声は絶望的に手遅れだった。

 背伸びしたデルフィの手が開閉スイッチに触れ、音もなく最後の扉を開いた。


「――――」


 すらりと伸びた手足に胸元を押し上げる膨らみを真紅のパイロットスーツに包み、肩にザックを背負った軽装。

 背中で揺れる燃えるような赤毛のポニーテール。澄んだ瞳には僅かに驚いたような色。

 成熟した雰囲気の中に、それでもまだしっかりとした若さが息づいている美貌。

 見紛う筈がない。そこにいたのは、3年ぶりにみた嫁の、マリー・マツァグだった。


「……」

「……」

「…………その、マリーさん、彼女はシモンに言われて預かっている子でして、その――」


 それ以上言葉を弄する時間はトマスには与えられなかった。

 マリーは無言で腰裏から拳銃を抜きだし、スライドを引いて初弾を装填。

 そのまま流れるような手つきで夫の額を狙って照準し、引き金を引いた。



 ◇



「……それで、何か言うことはないの?」

「デルフィに関しては誓って何もやましいことはない。シモンに確認とればいい」

「それだけ?」

「……」


 かちりとカップを置く音がいやに響く。

 リビングで向かい合って座る夫婦の間には気まずい雰囲気が流れていた。

 トマスは額の赤い腫れを撫でながら思わず溜め息を吐いた。

 キャラバンの護衛は威嚇のために一発目は軟質弾を込めているという話を思い出したのは撃たれた後だった。

 あの瞬間、トマスはたしかに死を覚悟した。


「……」


 男の背後ではデルフィが珍しく困った風に、沈黙する二人の顔を交互に見上げている。

 少女に罪はない。ただそう、絶望的に間が悪かったのだ。


「デルフィ」


 トマスの声に少女はびくりと肩を震わせた。

 叱られるのを待つような様子はさすがに可哀相だった。


「リックのとこに、あー、この前の雑貨屋に行ってマリーの分の食料を買ってきてほしい。買うものは全部メモに書いてある。財布も持っていけ」

「任務、了解した」


 ぶんぶんと頷いて、デルフィはメモと財布を引っ掴んだ。

 そのまま飛び出しかねない少女の肩をトマスはがしりと掴んで止めて、腰裏から引き抜いた銃を押し付けた。


「これも持って行け。リックが何か言って暗がりに連れ込もうとしたら撃っていいぞ」

「……判断が難しい。あの店はそもそも薄暗い」

「あー、とりあえず変に近付いて来る奴がいたら撃て。あとは適宜その場の判断で」

「……了解」


 手を離すと、デルフィは矢も盾もたまらないとばかりに勢いよく飛び出していった。

 彼女にしては珍しく空気の読める行動だろう。あるいは、命の危機を感じたのかもしれない。


「大丈夫なの?」


 マリーはデルフィの出て行った扉を横目で見ながら、静かに口を開いた。

 銃口は既に下ろされているが、視線は依然、トマスを射抜いている。

 男は肩を竦めた。ようやく調子が戻ってきた気分だった。


「俺はあいつのパパンじゃねえ。あんなナリでも、この星ではひとりで生きてかないといかん。都市の中くらいテメエでなんとかしろってんだ」

「……」

「それにどうやらアイツは機械やら何やらに狙われている。ジェイクに撃たれた」

「……ジェイクは、死んだの?」

「俺が殺した」

「そう……」


 マリーは小さくそれだけを呟いて瞑目した。

 このご時世、裏切ったり裏切られたりは日常茶飯事だ。

 それでも10年来の仲間に裏切られることは稀だろう。MD乗りの多くは短命なのだ。


「いい人だったのだけれど。でも、野垂れ死ぬくらいなら、あなたに――」

「よせ」

「……ごめんなさい」


 マリーは短く謝り、しかし、視線は相変わらずトマスをじっと見つめていた。

 その奥にある感情を察することができず、夫は無駄にたじろいだ。


「な、なんだよ。やけにつっかかるじゃねえか」


 今度はマリーが溜め息を吐いた。

 深々と放たれたそれは、どこか諦めの色を伴っていた。


「強がりな夫を持つと、とても大変」

「いや、俺は……」

「リックの店なら、往復で1時間はかかる。それで、あなたは、どうするの?」



 ◇



 リビングにはどこか気だるい雰囲気が漂っていた。

 汗を拭い、背中あわせに着衣を正す二人はひとつの水差しを回し飲みするようにしてようやく一息ついた。

 マリーの真紅のスーツに、一滴、滴が落ちて跳ねて散った。

 とんとんと己の腰を叩いたトマスは相変わらずじっと見つめてくる嫁の視線から逃れるようにふいとそっぽを向いたまま、口を開いた。


「別に慰めて欲しかった訳じゃねえぞ」

「……ムード」

「何か言ったか?」

「いい。気にしないで」


 噛み合わない会話をよそにマリーはザックの中を探って掌大のケースを取り出すと、軽く振って煙香(モク)を1本取り出した。

 フィルターを噛むようにして咥えるのはトマスの癖がうつったものだが、手慣れた手つきで火を着けるようになったのはいつからだろうか。トマスは思い出せなかった。

 ともあれ、男はひょいと首を伸ばしてケースから一本を咥え取った。


「火、くれないか?」


 男の言葉に、女は黙って煙草の先を向けて、そっと合わせた。

 ジュ、と焦げる音がして2本分の煙が立ち昇る。

 狂ったように空調ファンが唸りを上げ、汚染されていく大気を浄化しようと奮闘する。

 煙香は遠くの都市でしか生産されていない。

 このナイアスでなら、1本で3日は暮らせるだけの値が付く贅沢品だ。

 トマスは味わうように息を吸い、天井に向けて長く細い煙を吐き出した。


「老けた?」

「おま……今それ言うのかよ」


 どこからともなく灰皿を取り出して灰を落としている妻に、トマスはなんとも言えない視線を向けた。

 この星では、時間の経過を誤魔化す技術の殆どは戦争中に喪われている。

 現行技術では、全身をサイボーグ化したとしても脳髄の寿命が150年以内に訪れる。

 尤も、そのサイボーグ化の技術も、ジェイクを見る限り無視できない危険性があるように思えるが。


「でも、少し安心した。今の私でもまだ欲情できるのね」

「お前らは何で揃いも揃って俺をロリコン扱いしたがるんだ……」


 煙と共に思わず口をついて出た言葉に、マリーが目を細め、手の中の煙香を灰皿に押し付けた。


「私は24歳になるわ」

「俺はもう40歳だよ」

「今年で結婚10年目ね」

「……」


 沈黙がトマスにはとにかく痛かった。

 若気の至り――それでも当時のトマスは30歳だったのだが――を思うと、トマスは反射的に叫びだしそうになった。

 結婚したことを後悔する気は微塵もないが、それでもふぬけた自分に付き合わせていなかったら(マリー)には別の道があったのではないかと思うと、やるせない気持ちになった。

 そんなことを口に出して言えば、今度こそ脳天を撃ち抜かれるだろうが。


「何か、言うことある?」

「またそれか。もう俺は空っぽ……いや、あー」


 ここ数年で薄くなった茶頭を掻いて、トマスは声の調子を計るように意味のない言葉を繰り返し紡いだ。

 どうにも気恥ずかしさが先立つが、言っておかなければならないことがあったのだ。


「おかえり、マリー」

「ただいま、トマス」


 そうして、ようやくマリーは笑みを見せた。

 妻は、初めて会った時はまだ10代前半の子どもだった。

 今では随分と変わってしまったが、その純朴な笑顔だけはあの日のままだった。




「でも、それとこれとは別」

「ですよね」


 帰宅したばかりで事情のわからぬ様子のデルフィをマリーは有無を言わさず椅子に座らせた。

 少女ははじめてのおつかいは成功したらしい。おつりもぴったりと合っている。

 不安げに投げかけられる視線はマリーへの警戒心故だろう。


「とりあえず、初めから説明するが、いいか?」


 トマスは手早く食事の準備を終えて席についた。

 10年前から変わらず食事の準備はトマスだ。マリーを台所に入れる勇気は男にはない。


(命は投げ捨てるものではないと神の子(アースマン)も言ってたしな。あ、いや、投げるのは石だったか?)


 ボケが進行してるのかと泣きたくなってくるが、ともあれ、マリーが話し合いのテーブルについてくれたのはありがたかった。大きな進歩だ。


 その後、ここ数日の話を順々にしていく間に、各々の手元にあった食事はいつの間にか胃に収まっていた。

 どことなく満足げなデルフィと、そこはかとなく敗北感を漂わせているマリーの表情が印象的だった。


 トマスが食後のコーヒーを出すと、口元を拭ったマリーが表情を引き締めてデルフィに向き直った。

 身長の大きく違うデルフィを見下さずに真っ直ぐに見つめる視線に、トマスは感心したように息を吐いた。

 都市と都市の間を巡るキャラバンの護衛をして多くの者に出会ったのだろう。その中にはデルフィと同年代の外見の者もいたのかもしれない。


 誰もが対等であり、誰もが生きようとしている。

 それを忘れた者からこの星では死んでいくのだ。


「貴女は中央遺跡でみつかった。記憶喪失らしいけど、それ以外の記憶はないの?

 たとえば、“デルフィ”、その名前はシモンさんがつけたの?」

「……あ」

あなた(・ ・ ・)、もしかして訊いてなかったの?」

「スマン」


 己の怠慢に頭を抱えているニートを他所に、デルフィは対面に座るマリーをみつめて小首を傾げた。


「デルフィは“デルフィ”の名前……だと思う」

「少なくとも名前は覚えていたのね。他に何か覚えていることはある?」

「……水の中にいた」

「水……培養カプセルのこと?」

「あー、たぶん自動学習装置だろう」


 顔を上げたトマスが口をはさんだ。

 告げられた装置の名に、マリーの眉が微かに跳ねた。

 自動学習装置は戦前から戦争末期まで、人間に技能を仕込む為に使われた培養カプセルの一種だ。

 コールドスリープ装置も兼ねており、肉体を停止させたまま仮想領域に投射した脳髄に技能を書き込む装置だ。

 戦争末期では、主に都市連合軍でMD操縦技術を覚えさせるために使われていた。おかげでその多くが基地ごとマスドライバー射撃で粉微塵にされた為、残っているとすれば廃棄された都市、つまりは遺跡だけだろう。


「デルフィは文字は読めなかったが、初めから計算はできてた。MDの操縦もな。MDを動かすのに文字は必要ないが、多少の計算はできんと困るだろう」


 さっきの買い物もそうだ。もしも勘定をリックに任せていたのなら、あの守銭奴は必ずおつりを誤魔化す。そうなってないということはデルフィが正確に計算できたからだ。

 逆に、戦争初期に破棄された中央遺跡の培養カプセルにいたのなら、文字はおそらく戦前のものだ。現在とは規格が違う。

 機械の補助の無くなった今では、少ない文字数で情報量の多い、つまりは文脈を読んで解釈する必要があって“機械的”な処理には向かない文字が使われている。交流の薄い都市間ではニュアンスや崩し方にも違いがある。

 その為にトラブルも起きるが、機械に対する強い忌避感が――あるいは、それでも多くの機械装置がなければ生きられないことへの反発が――どの都市でも戦前の文字は必要以上に排斥されている。

 デルフィのアンバランスな習熟度は古い規格の学習装置のせいだろう。


 一方で、計算については戦前から変わっていない。

 トマスが知る限りでは、遥かな昔、彼らの祖先の祖先が地球にいた時から変わっていないとされている。

 変えようがないとも言える。計算だけは機械も人も同じものを使っているのだ。


「状況は分かった」

「わかってくれたか、マリー!! そうだ、俺に疚しい所はないぞ」

「大丈夫。そこは信頼してる。期待はしてないけど」

「どういうことだよ、おい」


 情けない表情の夫を無視し、マリーは両手をそっとデルフィの頬に添えた。

 顔の向きを固定された金の瞳には動揺は見られない。

 ただ、まっすぐに見返される。


「デルフィ、今まで通り部屋は貸す。私はトマスの部屋で寝るから。けど、旦那(これ)はあげない」

「おい、ガキ相手に張り合うなよ」

「あなたは黙ってて」


 ぴしゃりと言い放たれた言葉にトマスは潰れたトマトのように項垂れた。

 一方のデルフィは頷こうとして両頬が押さえられていることを思い出して、首肯の代わりにまばたきで応えた。

 きれいに揃った長い睫毛が金の瞳を濡らす。


「人のものはとってはダメ」

「そう。欲しいならちゃんと言って」

「――?」


 柔らかな声音とは裏腹に、真剣な想いの籠った言葉にデルフィはしばし反応に迷った。

 先に相好を崩したのはマリーだった。


「今はわからなくていいから」

「はい」


 少女の頬から手を離し、マリーは小さく微笑んでその青く澄んだ髪を梳くように撫でた。

 気持ちよさげに目を細めるデルフィは見た目相応の子供に思えた。

 トマスもまた2人の(表面上は)仲睦じい様子にほっと安堵の息を吐いた。

 危機は去ったのだ。



「ところで、俺はどこで寝るんだよ」

「何のために部屋毎に防音のある家を買ったと思ってるの?」



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