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メタンダイバー  作者: 山彦八里
第一章:遭遇編
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3話:Imitative Oasis

 液体金属の銀海上をコンテナを背負った軽量(エアル)級MDが滑走していく。

 やや前傾姿勢で膝関節を軽く撓めて固定した巡航形態は機体にかかる負荷が最も少ない姿勢だ。

 しかし、元より規格外の大容量コンテナを満杯にした上、人間を2人――体重を考えれば1人と半分程度だが――載せているエアル級は積載量オーバーに微かに機体を軋ませている。

 擬似神経回路を通してその震えを感じながらトマスは心中で呻いた。

 大気中に多量に含まれる水素を取り込む上部ファンの甲高い鳴き声以外に音のないコックピットは、膝上の珍客のせいでいつも以上に狭苦しく感じる。


(き、気まずい……)


 気密性、保温性の高いパイロットスーツ越しでは肌の感触や体温は伝わってこない。

 しかし、機体の震動に合わせて揺れる小さな頭や細い肩を見ていると何とはなしに罪悪感が湧いてくるような気がしてくる。

 ロリコンなどというのは風評被害だ。トマスはそう信じている。

 たしかにどちらかと言えば年下が好みではあるし、実際に妻は年下で、それまでに付き合った女性も年下が多かったが、それだけだ。

 我が身に罪なし。男はうむと頷いた。妻に出ていかれたことはひとまず棚に上げておくことにした。


 と、その時、トマスの視線を感じたのかデルフィが背を反らすようにして見上げてきた。

 顔は人形のように無表情なままだが、くりくりとした金の瞳には訝るような色がみえる。

 なにかまずかっただろうかとトマスはカフェイン錠剤を噛み潰したような表情で口を開いた。


「く、臭かったりしないよな?」

「特に異臭は感知していない」

「そいつはよかった」


 水道がまだ止められていなかったことをトマスは秘かに神の子(アースマン)に感謝した。

 同時にまず気にするのが匂いな辺りに期せずして自分の年齢を痛感した。


「……酸素(エア)が足りないから異臭がする?」

「異臭はないなら気にしないでくれ。あと、二人乗りでもエアはまだもつ。オアシスで補給する予定だしな」

「オアシス?」

「それも知らんのか。まあ、都市近郊の狩りで使うことはあんまないが……」


 説明するよりも実際に見た方が早いだろうと、詳しく聞きたそうにしているデルフィの視線を無視し、トマスは機体を繰って予定進路を進んでいった。



 木星に暮らす人類にとって地面とは人工地殻プレートであり、大気とは水素やヘリウム、メタンであり、海とは液体金属の銀色である。

 大気組成を含むそれらの多くが先人たちが築いてきた人工物であり、十年前の戦争でその製造技術や維持、補修技術は失われている。

 つまり、海抜0メートル――木星には確固とした地殻がないため、便宜上、金属水素層の表面をそう呼称している――から1500キロ上空に築かれたこの人工の大地がどのような原理で浮いているかを現人類は知らない。

 翻って、ある日突然、人工地殻が沈み、抗うことすらできず全てが滅び去ることも考えられる。

 現在は多くの人が今日を生きるのに精一杯でそんな“いつか”のことまで悩んではいられないが、木星の人工大地は今や文明の薄氷に等しいものと言える。


 しかし、遺失技術の大結晶たる人工地殻プレートにも大きな問題があった。

 すなわち、それだけでは人類が生きられないという点である。

 木星には食べ物も、飲み水も、呼吸可能濃度の酸素さえもない。

 各地に点在する原子変換機(アトムコンバータ)と大気防護フィルターの中だけがその名の通りの生息圏(ビオトープ)なのである。


 浮遊大地を築くほどの技術を保有していた先人達も、地球の約11倍の大きさを持つこの星すべてを生息圏に変えることはできず、ビオトープは飛び地のように建設されるに留まっていた。

 それでも今を生きる人々にとってビオトープは欠くことのできない生命線である。

 各地に点在するビオトープで人々は水、食料、そして人とMD双方にとっての酸素(ねんりょう)を補給して初めてこの星で生きることができるのだ。



「――――」


 フィルターを抜けた先に広がる光景に、デルフィは衝撃を受けたかのように大きく目を見開いた。

 滔々と湧き出る透明な水で満たされた湖と、その周り囲むように青々と茂った木々。

 オアシスはその名の通り、液体金属の包まれた世界の中で数少ない、湖を持ち、樹が生えている場所である。

 木星では異質なほどに自然豊かな――実際は、湖も樹も人工物ではあるのだが――光景だろう。どこかに環境制御機関がある筈だがそれも見当たらない。この場所をデザインした『最初の人々』の美意識は称賛されるべきだろう。

 無論、オアシス型ビオトープにおいてこれらの“自然”は管理された設備である。

 ごく緩やかに流れている湖は地中の造水槽から絶えず生み出され、人工樹がその一部を吸い上げて酸素を作り出すことでビオトープ内の大気組成を維持しているのだ。


 オアシスとは、遺跡型、都市型、そして、オアシス型に分類されるビオトープの一種であり、酸素と清浄な水を確保する為に作られた中継施設である。

 オアシス型は人工地殻上に点在しており、三種のビオトープの中で最も数が多いと言われている。

 尤も、遺跡型は廃棄都市の別称であり、都市型は十年前の“魔の一日”(カラミティ・デイ)に降り注いだ質量弾によってその数を大きく減らしているから、という理由もあるのだが。

 ともあれ、オアシス型ビオトープは決して珍しいものではなく、MD乗りならば1年も狩りをしていればほぼ必ず利用することになる施設だ。


 だが、デルフィの感動に心震わせるような表情は、彼女が初めてこの光景を目にしたのだと如実に語っている。

 事実、トマスも少年のみぎりに初めて都市を出てオアシスを見た時はデルフィと似たような反応をしたものだ。


(ジジイは遺跡で拾ったって言ってたが、コールドスリープでもされてたのかね、コイツ?)


 乗機を待機状態にして、酸素(ねんりょう)を補給しつつトマスは心中でひとりごちた。

 この星では往々にして人間は見た目通りの年齢ではない。遺伝子に手を加えられた者は特に外見と内面が乖離する傾向が強い。外見年齢よりずっと上であることも、逆にずっと下であることもあり得る。

 つまり、12歳程度の外見をしている者が、6歳やそこらの可能性もあるのだ。いわんや、それがカプセルの外に一歩も出たことのない者ならば、果たしてそれは年齢を重ねたと言えるのか。


(記憶がないってのはマジかもしれねえな、こりゃあ)


 記憶を喪失したのではなく、はじめから記憶するべき思い出(メモリー)が無い。

 もしも、デルフィがそうだとしたら、自分はどうするべきなのか。

 放心したように湖を見つめている少女の小さな背中に何と言葉をかけるべきかトマスにはわからなかった。


「湖が珍しいか?」


 迷い、考え、結局、40歳の頭から出たのはそんなありきたりな言葉だった。


「みずうみ――湖?」

「そうだ、これが湖だ。造水槽がきちんと機能してるから、そのまま飲めるし、泳いだって問題ない」

「泳いでいいの?」

「あん? んなの冗談に決まって――」


 反射的に言い返そうとしたトマスはじっと見つめてくるデルフィの真っ直ぐな視線の圧に負けて思わず口ごもった。

 この10年、妻とシモンの会話くらいにしかまともに使われていなかった脳の言語野が必死に言い訳を絞り出す。


「俺達は任務……じゃなくて狩りの途中だ。都市に帰るまでが狩りだってありがたい言葉もあってだな」

「――――」

「……………エアの補給が終わるまでならいいぞ」

「了解」


 どことなく寂しげな視線に耐えきれず、トマスは早々に負けを認めた。

 先程よりも少しだけ高い声で応答を返し、デルフィは少しだけ弾んだ歩幅で湖へ向かって行った。

 どことなく楽しげな少女の背中を眺めながら、ふとトマスは嫌な予感に駆られた。


(あいつ初めてオアシス見たってのに泳げるのか?)

「ちょい待――」


 トマスが声をかけるよりも一瞬早く、デルフィは湖の中に飛び込んでいった。

 中腰で手を伸ばした中途半端な体勢のまま、トマスは10秒固まっていた。

 10秒後、デルフィが浮いてこないことに気付き、慌ててパイロットスーツを脱ぎ捨てて湖面に飛び込んだ。


 全身を叩く水の感触を抜けて、視界一杯に病的に澄んだ湖の中が広がる。

 目に見える生き物はいない。トマスは“魚”を見たことがなかった。2匹で5000人分の食糧になるというからにはとても大きな生物なのだろうということは想像がつくのだが、それだけだ。

 微かに歪む視界を凝らすと、数メートル先に白いパイロットスーツが鈍く反射するのを見つけた。

 水を掻きわけるようにして辿り着き、困惑したように水中を掻くデルフィの腰を掴んで有無を言わさず浮上した。


 ざばりと水面に顔を出すと、視界にフィルター越しの曇天が、息を吸えば肺に清浄な空気が戻ってきた。

 多少水を飲んだらしく咳き込むデルフィをひとまず陸に水揚げする。

 そうして数分して落ち着きを取り戻した少女を見て、トマスはようやく肩の力を抜いた。


「泳げないなら泳げないって先に言えよ……」

「デルフィは泳げる。ただ、水中で息ができないとは思わなかった」

「はあ?」


 どういう意味か尋ねようとして、ふとトマスは重要なことに気付いた。

 しとどに濡れたデルフィはパイロットスーツを纏ったままだったのだ。


「おい、スーツは大丈夫なのか? 浸水してないな?」

「問題ない」

「……ふむ、そうか」


 大抵のパイロットスーツは液体金属の浸水は防げても水の浸水を防ぐほどの目の細かさはない。ビオトープの外、外海での気密性を想定したパイロットスーツに、ビオトープ内にしかない水の浸水を防ぐ機能を持たせる必要性はないからだ。

 一方で、水やあらゆる物質の浸水、浸透を防ぐ必要のあるパイロットスーツもある。


 宇宙用のパイロットスーツだ。


「……」


 トマスの脳裡でかつて諦めた夢の残骸が頭をもたげた。

 こみあげる吐き気を唾ごと強引に飲み下し、トマスは自分のスーツを着込んだ。


「不調?」

「大丈夫だ。気にするな」


 デルフィは無表情なまま小首を傾げる。声音にはどことなく気遣う音がある。

 こんな子供にまで心配される自分は今、どんな顔色なのだろうか。

 この場に鏡があればトマスは腰裏の拳銃を引き抜いていただろう。



「――相変わらずだな、隊長」



 刹那、背後から掛けられた声にトマスは驚きと共に振り返った。


 そこにいたのは浅黒い肌とドレッド状に結いあげた髪、そして、目下を隠すミラーシェードが特徴的な男だった。

 名をジェイク。かつてトマスが軍に所属していた頃の部下だった。


「そうおっかない顔するなよ、隊長。感動の再会じゃねえか」

「あ、ああ、3年ぶりくらいか?」


 トマスの声には隠しきれない困惑が含まれていた。

 各地に点在するオアシス型ビオトープで他人に会うことは殆どない。この星はそれほどまでに広いのだ。

 加えて、都市にかなり近い上に主要なキャラバンのルートから外れたこのオアシスに立ち寄る物好きなどさらに限られる。

 亡霊に会う確率の方がまだしも高いだろう。


「本当にジェイクか? 足はついてるな?」

「おいおい、勝手に殺すなよ。生きてる部下と死んでる部下の顔の区別もつかなくなったのか?」


 大げさに肩を竦めるジェイクの姿はトマスの記憶にあるそれと変わりない。

 当然だろう。ジェイクは体の大半を機械に置換したサイボーグなのだ。

 注視すれば、関節部のパーティションラインがスーツに浮かんでいるのが見て取れる。


「……いや、こんな所で会うとは思ってなかっただけだ。感動の再会にしちゃあ風情のない場所だからな」

「それもそうだな。……で、そっちのちっこいのは?」


 ジェイクの視線がトマスの影に隠れたデルフィに向く。

 ミラーシェードに隠れた無機質な視覚素子が濡れそぼった少女を捉える。


「こいつはデルフィ。あー、一緒に狩りに出たんだが機体をクラッシュさせちまってな」

「……それなら丁度いい。向こうに“コフィン”が落ちてたぜ」


 さりげなく視線に割り込んだトマスにジェイクは何か言いたげな様子だったが、口をついて出た言葉はトマス達にとってまさに渡りに船だった。


「ほう、そいつはありがたい話だ。“神の子”(アースマン)のご加護もたまには仕事するらしい」

「地球の神様よりもまず勤勉な部下を労えよ、隊長」

「それもそうだな。ありがとよ、ジェイク」


 トマスが笑みと共に突き出した拳にジェイクもまた拳を合わせる。

 金属骨格の音は骨を伝わってひと際強く響いた。



 ◇



 トマスらがメタンダイバー、あるいはMDと呼ぶ二足歩行型機械は全体の構造としては単純にできている。

 全長3メートル弱の機体を構成するのは反重力を発生させるメインの重力子機関、機体を駆動させる水素燃料エンジンとホバーブースト、それらを繋ぐ擬似神経回路、各種装甲、内蔵武器、以上である。

 よって、MDの手足にあたる部分を動かす機構――人間でいう所の筋肉にあたるものは存在しない。

 では、どのようにして手足を動かしているかと言うと、機体を覆う反重力フィールドを擬似神経を通じて、各部位を引っ張る――すなわち『物の落ちる方向』を局所的に捻じ曲げて動かしているのである。

 原理としては操り人形のように糸で引っ張っているのに近い。

 尤も、関節部のように複数方向の重力によって引っ張られる部位は消耗が激しい為、結果としてMDの寿命をひどく短くしているのだが。

 長くて半年、それが1機のMDに乗り続けられる時間である。


「デルフィは“コフィン”を見たことがあるか?」

「肯定」

「解凍の仕方もわかるな?」

「肯定」

「上出来だ、仔猫(キティ)

「……」


 膝上に載せたデルフィの応答にトマスは満足げに頷いた。どことなく不満げな膝上からの視線は無視する。

 さて、およそ半年以内に限界の訪れるMDだが、この木星の人工地殻上では乗り換える機体には事欠かない。

 その理由が今、彼らの目の前に鎮座する巨大な鈍色の直方体である。


 質量弾(コフィン)と呼ばれるそれは木星の周囲を巡る四大衛星からマスドライバーで撃ち(・ ・)込まれる(・ ・ ・ ・)超高速の質量弾であり、内部にMDを格納した補給物資だ。


 重力軽減技術を用いて液体金属の海にプカプカと浮かぶコフィンは殺風景なこの星では数少ないアクセントになっている。

 スーツにエアを充填してハッチを飛び出したデルフィは、トマス機の伸ばした右腕部を伝ってコフィンに辿り着くと、手早くロックを解除して内部に滑り込んだ。


 暫くして、空気の抜けるような音と共にコフィンが崩れ、内部から新品同様の中量(リノス)級MDが現れた。


「リノス級か。運がいいな」

『エア正常、全機能オールグリーン』


 淡々としたデルフィの声に、そうかとだけ返してトマスは軽く伸びをした。

 二人乗りをする必要がなくなって清々とした気分だった。狭い狭いと感じていたコックピットも随分と広く感じられる。

 決して、膝上に乗ったデルフィの感触が惜しかったりはしない。

 こう見えてトマスは愛妻家を自称しているのだ。妻には出ていかれたが。


「じゃあ、帰るか、デルフィ」

『了解、帰還する』

『おいおい、オレは無視かよ、隊長』

「ガキと張り合うなよ、ジェイク」


 通信に割り込んできた元部下に軽口を返してトマスは帰路へと機体を向けた。

 モニターの端、自機の左側にジェイクの乗った重量(ツァハ)級が映っている。

 トマスの乗るエアル級よりも一回り大きな体躯に、厚みのある前面装甲と肩に背負われた折り畳み式の砲塔が印象的な機体だ。

 部隊の中でも遠距離砲撃――その精度を考えれば狙撃と言い換えてもいいだろう――に優れたジェイクは好んでツァハ級に乗っていた。


 液体金属の銀海上を驚くほど静かに進むその姿に、トマスはようやくかつての部下に再会したことを実感した。

 ジェイクもきっと同じように思っているだろう。MD乗りはMDに乗っている時にこそ、その本質が顕れるのだ。


(こういう偶然の再会も悪くないもんだな)


 たまには外に出てみるものだな、とトマスはらしくない感想を抱いた。


 2時間後、3人は幽霊MDの襲撃を受けた。

 そして、デルフィは再び機体をクラッシュさせた。

 その段になって漸く、トマスはようやくデルフィの“粉砕姫”(クラッシャー)の二つ名の意味を理解し、先の感想を取り消したのだった。




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