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メタンダイバー  作者: 山彦八里
最終章:方舟
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Epilogue:Methan Diver

 ――第327都市型ビオトープ『ナイアス』


 午後2時、シモンはいつものように遅い昼食を栄養チューブで摂りながらぼんやりと曇天の空を眺めていた。

 ここ数日、質量弾(コフィン)が落ちてこないと住民たちが噂しているのを耳にした。

 長く続くようなメタンダイバーの補給にも差し障りが出るだろう。

 シモンの経営するドック屋『シー・ガリラヤ』はトマスとデルフィ以外の客があまりいないこともあって、しばらくは大丈夫だが、時間の問題だろう。

 ともあれ、シモンの悩みはそことは別の場所にあった。


「あやつはうまくやれたのか……」


 手慰みに首から提げた十字架型のネックレスを握り締める。

 大気圏を無事に突破したところまではシモンも観測できたが、その後は杳として知れない。

 通信が届く距離でもなし、シモンにできるのは息子たちの無事を祈ることだけだった。


 と、そのとき、男は微かな耳鳴りを知覚した。

 懐かしい感覚だった。戦前に幾度か経験した大質量物が降下する際に起こるものだ。


 まさか、という思いに駆られて、シモンは慌てて外に出た。

 周囲の住民たちもなにかを感じたのか揃って空を見上げている。


 そして、次の瞬間、空を覆っていた雲が真っ二つに割れた。


 永遠の曇天に隠されていた空が露わになる。

 悲鳴のような歓声がそこかしこで上がった。

 都市中が湧き立つ中、シモンも数十年ぶりの空に目を見開いていた。

 トマスにその席を譲る前、継ぎ接ぎのメタンダイバーで空を目指していた頃の懐かしい記憶が想起される。

 生きて再びあの空を見ることができるとは思っていなかった。

 だが、驚愕はそこで終わりではなかった。

 澄んだ空から、途方もなく巨大な飛空艇(アウトリガー)が降下を開始してきたのだ。


「あれは、まさか――」


 予感にシモンの全身を巡る血がかっと温度をあげた。

 老いた心臓が若返ったかのように痛いほどの鼓動を鳴らす。

 そして、シモンの予感を裏付けるように、方舟“アトラ=ハーシス”から一機のメタンダイバーが飛び出した。


「お、おお……!!」


 声をあげる。知らず、シモンの目に涙が滲んだ。

 どれだけ遠くであってもこの男が見間違える筈がない。

 自由に空を翔けるフレイムパターンのメタンダイバー“レコードブレイカー”。

 それはトマス・マツァグの勝利を意味していた。敗北したならばあの機体が無事な筈はない。そういう機体なのだ。

 ナイアスの周囲をぐるりと一周するレコードブレイカーの姿を、住民たちはぽかんと口を開けたまま見送る。

 次いで、限界高度を超えて飛ぶその姿に、質量弾が落ちてこない事実に先に倍する歓声をあげた。


 空を見上げて怯える日々が終わったのだ。


 そうして、しばし空を遊泳した後に、レコードブレイカーはゆっくりとシモンの前に着陸した。

 周囲のざわめきを無視して、シモンはコックピットから降りてくる男の姿をじっと見ていた。


「シモン」

「……トマス」


 果たして、男の目の前には息子の姿があった。

 そうと予想していても、実際に無事な姿を見たことに安堵の気持ちが湧きあがった。

 シモンはなんと声をかけるべきか迷った。

 よくやったと肩を叩くべきか、無事でよかったと抱きしめるべきなのか。

 様々な想いが溢れて言葉にならなかった。男は不器用だった。

 だが、そうして生まれた沈黙は、トマスの忍び笑いが打ち破った。


「何を呆けてるんだよ、シモン・マツァグ。さっさと乗れよ」

「な……」


 立てた親指でくいっと空の方舟を指す息子に、シモンは絶句した。

 それはまったく予想だにしない言葉だった。


「だから、宇宙(ソラ)だよ。宇宙へ行くんだ!!」

「な、はあ!?」

「まずは試験飛行だけどな。伝説の方舟の再来だ。あいつの重力制御ならアンタの身体でも大丈夫だろう」

「お、おまえ、突然帰って来たかと思えばなにを……」


 尻ごみするシモンを見て、トマスはにやりと笑って大げさに首を傾げてみせた。


「怖気づいてんのか?」

「!! そんなわけがなかろう!! 夢が、わしらの夢が目の前にあるんだぞ!!」

「ああ、そうだ!! だから来いよ、父さん。これから忙しくなる。ボケてる時間はないぞ!!」

「誰がボケだ!! ええい、計器を運び込むから手伝え馬鹿息子!!」

「その調子だ、頑固親父」


 溌剌とした表情でドック屋に駆けこんでいくシモンを、同じ表情をしたトマスが追いかける。

 そのうちに事情をようやく呑み込んだ住民たちも追いかけてきて、ドック屋『シー・ガリラヤ』は開店以来最大の混乱に見舞われた。



 ◇



 トマスは大混乱を抜けて、ひとまずシモンを連れて方舟の艦橋に戻ってきた。

 混雑の中で散々に引っ張られた髪を撫でつける。これ以上減るのは勘弁だった。

 シモンはと言えば、艦橋に入ってくるなり歓声をあげて手近なコンソールに齧りついてしまった。ああなっては数日は反応がないだろう。


「相変わらずね」

『尻を蹴らないといけないところは親子そっくりかと』

「仲良いな、お前ら」


 副官席に座るマリーと空間ディスプレイに浮かぶセシルを交互に見て、トマスは思わず半目になった。

 機体の修理やら方舟の機能点検やらのために方舟内で数日を過ごしたが、マリーとセシルのタッグは強力だった。

 今までなあなあでマリーに頼んでいた部分をセシルが容赦なく指摘してくるのだ。

 飴と鞭、あるいは嫁と姑か。仲が悪いより万倍良いが、二人がかりでうまいこと調教されている感があった。


「まあいいか。シモンがあの調子ならしばらく暇だろう。ちょっと出てくる」

「そうね。いってらっしゃい」

「おう」


 マリーは片手を挙げて艦橋を後にするトマスを見送る。

 じっとその背中をみつめる彼女に、セシルが無表情なまま声をかけた。


『あなたたちが悲しむ必要はないのですよ、マリー』

「……別にそういうわけではないわ。ただ、忘れないようにしてるだけ」


 淡く苦笑し、束ねた赤髪の先を弄るマリーの姿にセシルはなんとも言えず沈黙した。

 方舟の全てを司るセシルは夜、トマスとマリーがふたりきりで話しているのを知っていた。

 プライバシーを慮って会話の内容までは記録していないが、亡くなった人たちのことを話しているのだろうとは予想がついた。

 その中には少女の父や姉も含まれているのだろうとも。


「本当に気にしないで。私たちはこういうやり方でやってきたのだから。

 それより、貴女こそこれでよかったの、リセ? ずっとあの人たちに付き合ってたのでしょう?」

『お父さまの夢はトマスが継ぎ、わたしはそれを手助けする。それが最後の命令ですから。……それに』


 セシルはちらりとマリーの胸元に提げられたカメラに目をやった。

 あと一枚だけ撮れるカメラ。セシルがマリーに託した夢の欠片だ。


『写真を撮ってもらうと約束しました。わたしが協力しなければ地球には行けませんよ?』


 真剣な表情で告げるセシルをじっと見つめて、マリーは「そう」と小さく呟き、納得したように頷いた。


「わかったわ。これからよろしくね、セシル」

『やっと名前を呼んでくれましたね、マリー』


 そうして、ようやくセシルは笑みを見せた。

 いつかアルビオでリセと名乗っていた少女が見せたのと同じ明るい笑顔に、マリーもつられるように口元を緩めた。





『そういえば、マリー。貴女、しばらくMDに乗るのは控えてください』

「ん、どうして?」

『船をスキャンした時に気付いたのですが……』


 そこでセシルはコホンとわざとらしく咳払いして間を継いだ。

 こういうときにどう言えばいいのかは、方舟に残る記録が――彼女が受け継いだ欠けた歯車たちが教えてくれた。


『もうひとりの体ではないのです。大事にしてください、です』

「!!」



 ◇



 同じ頃、デルフィは甲板に座って飽きもせず空を見上げていた。

 方舟は生息圏(ビオトープ)と同じように周囲空間を重力制御で覆っているため、生身でも外に出られる。

 ついでに雲も大胆に吹き払ってしまうので視界は良好、景観は最高だった。

 頭上にはどこまでも続く澄んだ青空。

 どれだけ高空にいても質量弾が落ちてくることもない。


 ――空は自由になったのだ。


「気持ちいいね、“デルフィ”」


 隣で膝をついた半身を見上げて少女はひとりごちた。

 修理を終えた“デルフィ”の白亜の装甲が太陽の光を反射して輝く。

 燦々と照りつける陽光は体の中心からぽかぽかと暖まるような感じがする。新発見だった。


 そのとき、甲板越しに聞き慣れた靴音を感じて、デルフィはぱっと振り返った。


「トマス」

「よお。こんなところでどうした? いや、なにしてるんだ?」

「ひなたぼっこ。セシルが教えてくれた」

「アイツも妙なこと知ってるな……よっこらせっと」


 ぼやきながら、トマスはデルフィの隣に腰かけた。

 そのまま何をするでもなく空を見上げていたが、そのうち首が辛くなったのかごろんと大の字に寝転んでしまった。

 デルフィも真似して男の隣に寝転がる。

 視界いっぱいに飛び込んできた青空が目にしみるようだった。


「ねえ、トマスはどれが地球かわかる?」

「ちょっと待て。太陽があっちだから……あれだな」


 トマスが指さしたのは辛うじて見える小さな星だった。

 デルフィはちょこんと小首を傾げた。


「小さい。あんなに小さい星では、人が住めない?」

「さて、どうかな。行ってみればわかるだろう」


 トマスは韜晦するように笑って、もう一度空を見上げた。

 空を飛ぶ夢は叶った。

 だが、次の夢ができた。“地球”に行くという夢だ。

 託された夢だが、正真正銘トマス自身の夢だ。


「っと、そういや約束を一個果たしてなかったな」

「?」

「待ってろ」


 むくりと起き上がったトマスは走って艦内に戻っていく。

 どことなく残念そうな顔をしていたデルフィは、しばらくしてトマスがレコードブレイカーに乗って戻ってきたのを見て表情を戻した。


『何をしているのですか、トマス・マツァグ』


 呆れたようなセシルの声が通信機から響く。

 構わず、トマスは外部スピーカーに声を載せた。


「約束だよ、“約束”!! なあ、デルフィ!!」

「!!」


 ――この空を今度こそ自由に、一緒に飛ぶ約束。


 それは中央遺跡(セントラル)の地下ドックで確かに交わした約束だった。


「すぐいく。今いく」

「転ぶなよ」


 ぱっと立ちあがったデルフィはそのままの勢いで“デルフィ”に乗り込んだ。

 手早く計器を作動させる。状態は良好。いつでも飛びたてる。


「――いくよ、“デルフィ(わたし)”」


 声に、滑らかに起き上がった白亜のMDは陽光を浴びるように翼を広げた。


『折角だから競争でもするか?』

「負けない」

『言ったな、デルフィ。じゃあ木星一周だ。本気で行くからな』

「うん!!」



 そうして、二機は並んでメタンの空に落下(ダイブ)した。




 彼らの夢の途上には、未だ多くの困難が待ち受けている。

 だが、彼らが諦めることはない。

 いつか、彼らは星の向こうにだって届くだろう。


 空は広く、自由で、目指す場所は確かにあるのだから。


 雲の向こう、無限に広がる空の先に、青い星が瞬いていた。






 ――メタンダイバー、完


 

あとがきは活動報告にて

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― 新着の感想 ―
[一言] イッキ読みしてしまいました。 いい感じにSFしていたので読みやすかったです!
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