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メタンダイバー  作者: 山彦八里
最終章:方舟
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7話:BREAKER

 方舟“アトラ=ハーシス”の艦橋は今や全ての計器が起動し、それらの放つ光と作動音が重なり合って往時の賑やかさを思い起こさせる。

 だが、艦橋にいるのは一人と一体だけ。すなわち、レグナムと空間ディスプレイにアバターを投影するセシルだけだった。


「……そうか。ヴィオラとアリスは墜ちたか」


 中枢ユニットを乗っ取ったセシルからの報告を受けて、レグナムは艦長席に座ったまま微かに身じろぎした。

 それが恐怖によるものか、期待によるものかはセシルには判断できなかった。

 ただ驚きがないことだけは彼女にもわかった。父は心のどこかでこうなることを覚悟していたのだろう、と。


『ふたりの生体反応はこちらで捕捉しています。回収艇をだしますか?』

「いま回収するのは危険だろうね。隙をみせれば食いつかれる」


 目を細めて正面のメインモニターを見据えながらレグナムは言う。

 そこには急速に接近してくるレコードブレイカー重装型の灰色の尖影が表示されている。

 迷いのない高速の機動は明らかに目的の定められたものだ。


「気付かれたかな」

『おそらくは。真っ直ぐこちらに向かっています。射程圏まであと54秒』

「……ステルス状態を解除、迎撃準備」

『了解しました。――アトラ=ハーシス、戦闘行動に入ります」


 セシルは方舟を覆う能動迷彩装置(アクティブクロース)を解除する。

 数百年の時を越えて、周囲空間を投影していた偽りのベールが剥がされる。

 現れたのは、耐熱塗装が剥げて地の銀色を晒す、直方体に近い形状をした飛空艇(アウトリガー)だった。

 全長3000m、メタンダイバーはおろか記録に残っているあらゆる飛空艇と比して尚、数十倍の大きさを有する巨体。

 アーク級アウトリガー“アトラ=ハーシス”。

 それは“最初の人々”を木星へと運んだ、巨大な、あまりにも巨大な人工物だった。


『起動完了。システムオールグリーン』

「全砲門開け」

『了解。対空迎撃レーザー“ヘッジホッグ”起動、迎撃行動を開始します』


 レグナムの指示に従い、方舟の外装ハッチが開き、700門の対空砲を展開する。

 出し惜しみはない。ただ一機のメタンダイバーを落とすために、方舟はその全力を注ぎこむ。


『――発射』



 ◇



「な――」


 その瞬間、トマスには突然姿を現わした方舟が爆発したように見えた。

 そう感じたのも当然のことだった。それほどの光条がトマスただひとりに向けて放たれたのだ。

 モニターが自動的に光量を絞って尚、虚空を埋め尽くすように殺到する光の雨。

 瞬間的に加速したレコードブレイカー重装型はほぼ直角に軌道を曲げて辛うじて死の光芒を回避した。

 死の予感にパイロットスーツの下で全身の細胞がざわつくのを感じる。

 第一波を避けられた半分は偶然であり、もう半分は迎撃に備えて最後の予備重力子機関による超過駆動を待機していたからだ。

 でなければ、気付く間もなく撃墜されていただろう。


 息つく間もなく第二波が放たれる。

 光の驟雨が宇宙空間を埋めつくす。

 方舟の全方位に搭載された対空砲は目玉のようなレンズ状で、射角の制限が著しく少なく、曲射も可能だ。

 そのため、方舟の底部方面へと即座に移動したトマスに対しても、少なくない数の対空砲が追随する。


(ソラが狭い……!!)


 心中で呻き、トマスは最後の予備重力子機関をパージし、即座に機体を横に飛ばす。

 視界のほぼ全てを閃光が覆い尽している。操縦は殆ど勘でしているような状態だ。

 直後、すぐ傍で衝撃。パージした部品がレーザーに撃ち抜かれて爆散した。余波を避けるために機首を巡らせて離脱する。

 さらに追いかけてくる光条を弾くように機体を振って回避する。

 弾幕の隙間に機体をねじ込み、殺到する光条を速度で躱し、方舟の逆側に高速で突っ走る。


「チィッ!!」


 トマスは思わず舌打ちした。

 ここまで来て攻めあぐねるなど冗談にもならない。

 だが、適当に機体をぶつけるだけでは方舟を止めることはできない。互いのサイズ差、出力差は数万倍ではきかないのだ。


(これがレグナムの執念ってとこか。最後まで厄介なヤローだ)


 称賛と、それを上回る忌々しさをトマスは感じた。

 必死で飛ぶこちらの速度を、相手の迎撃の速度が僅かに上回っている。

 距離を詰め、機体をぶつける他に攻撃方法のないレコードブレイカーにとっては苦しい展開だ。


(チャンスは一度だけ。それで決めるしかない)


 ただ一度のチャンスに、確実な一撃を、致命の箇所に叩き込まねばならない。

 その機を窺うためにも、今は耐えなければならない。

 ゆえに、トマスは一手仕損じれば撃墜される死の舞踏を踊り続ける。



 ◇



「セシル、砲撃を照射モードに。弾では彼に当たりそうにない」

『了解。“ヘッジホッグ”照射モード』


 必死に砲撃を回避するトマス機をモニター越しに眺めながらレグナムが指示を出し、セシルが淡々と応じる。

 瞬きするように対空砲がモードを切り替え、降り注ぐ光の雨が光の線に変わる。

 宇宙を区切るように無数の光線が交差して、トマスの行く手を阻む。

 レコードブレイカーは方舟を中心に縦横に回旋を重ねて辛くも対空網を回避するが、上下左右から迫る照射レーザーに徐々に彼の飛行空間は狭まっていく。

 このままでは、直撃は時間の問題だろう。


(この程度なのですか、トマス・マツァグ?)


 700門の砲台を完全な制御下に置き、執拗に追撃を重ねながらセシルは電子の海で問う。

 方舟と一体化した彼女の予測能力は14秒後にトマスを捉えることを知覚する。


(マリーの信じた男がこの程度で諦めるのですか? あなたの夢はここで終わるのですか?)


 言葉の代わりにセシルは本気の照射砲撃を放つ。

 空を飛ぶ者はいつか墜ちるのが定めだ。

 アリスも、ヴィオラも墜ちた。マリーは自機を喪失し、デルフィも行動不能。

 あとはトマス・マツァグただひとり。

 ゆえに、手を抜くことはしない。ここで墜ちるならば方舟に至る資格すらないのだ、と。



 ◇



 方舟からの迎撃が変わったことにトマスは気付いた。

 宇宙空間を散り散りに区切るようなレーザーの照射。

 こちらを追いまわすように放たれていた光条は、こちらを閉じ込めるための光の檻になった。


「……けるな」


 その攻撃は空を飛ぶことの否定だ。

 永遠の曇天に包まれたあの星――木星でずっと受けていた攻撃と同じだ。

 否応なく思い出す。

 10年前のあの日、機械と人の戦争が終わった“魔の一日”(カラミティ・デイ)

 人類から空が奪われ、かわりに降り注ぐ質量弾(コフィン)が空を支配した。



 方舟に近付くほどに対空包囲網は狭まり、回避は困難になっていく。

 高熱が機体表面を焦がし、避けきれなかった光線に装甲や安定翼が切り刻まれる。

 相手の攻撃は詰めの段階に入った。トマスがどれだけ速く機体を飛ばそうと、物理的に隙間がなければこれ以上距離を縮めることはできない。

 機体が悲鳴をあげる。限界を超えた駆動に機体の追従性が追いつかない。

 そうして、光の檻に囚われたトマスは満足に飛ぶこともできず、殺到するレーザーに機体を切り裂かれる。


 直撃、爆発、粉塵が八方に広がり――



「――ふざけるなッ!!」



 咆哮と共に、粉塵を突き破って“炎”が飛び出した。


 目にも鮮やかな真紅のフレイムパターン。

 全ての外装をパージして、素体となったレコードブレイカーがその姿を露わにする。

 黒天のソラに真紅の軌跡を曳いて、トマスのメタンダイバーが宇宙を翔ける。



 10年前のあの日、トマスの心も一度は折れた。

 仲間を喪って、愛機も墜ちて、そして空から舞い降りる“デルフィ”に出会って、その心は折れたのだ。


 戦争が終わり、混乱の中、自分たちを知る者のいない都市に流れ着いた。

 全てを忘れようとした。結婚し、家を買った。

 それでも時計は止まったままだった。

 他の生き方を選ぶことはできなかった。

 メタンダイバーを降りることはできなかった。



 ――夢を諦めることは、できなかったのだ。



 だから今、トマス・マツァグはここにいる。

 誰よりも速く、

 誰よりも高く、

 誰よりも先へ、ソラを飛ぶのだ。



 装甲という重荷を捨てて、殺到するレーザーをものともせずにレコードブレイカーは翔ける。

 機体のアイカメラの捉える星々が瞬く間に移り変わる。

 幾度となく旋回してもはや上下左右の区別もつかない。

 だが、そんなことは足を止める理由にはならない。

 追いすがる光線を避ける、避ける、避ける。

 速度に速度を、加速に加速を重ねてひたすらに飛翔する。

 無理な加速に機体が不穏な揺れを発する。

 消しきれない慣性がろっ骨を軋ませ、呼吸に血の匂いが混じる。

 構わず、さらに加速する。


「こちとらテメエがばかすか落とした質量弾避けながら飛んでたんだッ!!

 今更そんなちゃちな対空砲(ザッパー)持ち出された程度でなあ――」


 迸る熱のままにトマスは気炎をあげる。

 単純な理屈だ。

 対空砲が射角を変えるより、装甲を捨てたレコードブレイカーの方が速い。

 ただそれだけの理屈で、トマスは700条の光線を振りきった。


「――――諦められるかあああああああッ!!」



 ◇



 “セシル”から脱出したマリーはみた。

 眩い光の檻を振り捨てて、自由になったレコードブレイカーをみた。

 もはや彼を阻むものはなにもない。

 にわかに視界が滲む。その理由は誰よりもマリー自身がわかっていた。

 トマス・マツァグは空を取り戻したのだ。


「あなた――」



 どうにか機体を再起動させたデルフィはみた。

 宇宙の天底部から、天上の方舟へ、一直線に駆け上がる真紅の軌跡をみた。

 ここからでは追いつくことはできない。

 だから、天を見上げた少女は想いのまま、祈るように両手を組む。


「いって、トマス――いっけえええええ!!」



 ◇



 声が、聞こえた。

 亜光速の世界に、聞こえる筈のない声が聞こえた。

 その声に背を押されるようにトマスはさらに加速する。


 さながら燃え盛る流星の如く、レコードブレイカーは宇宙を翔ける。

 虚空を埋め尽くしていた対空レーザーはもはやかすりもしない。

 真っ直ぐ、ひたすら真っ直ぐに天上へと駆け上がる。


 その瞬間、トマスは己を忘れた。

 極限の集中の果てに己という人間を忘れた。


 意識よりも早く、自身と一体化した機体が反応する。

 心臓が重力子機関となり、体を駆動させる。

 皮膚は装甲となり、慣性の風を感じる。

 手足はブースターとなり、その身を前へと進ませる。

 研ぎ澄まされた集中力が5秒先の未来を捉える。


 機体を通じて広がる認識が、無限の宇宙を知覚する。

 無音の世界、彼方から届く星の光。

 その中へ、剥き出しとなったトマスは飛翔(ダイブ)する。


「――重力子、全解放」


 そして、レコードブレイカーが最後の超過駆動を開始する。

 加速の衝撃が不可視の波紋となって宇宙空間を伝播する。

 限界を超えた最大加速に時間すらも凍りつく。

 “凍れる時計”(フリーズクロック)の名の下に、トマスは今、速度そのものとなる。

 1000分の1秒間に叩き出された速度は秒速24万km。

 光速の80%、何もかもを遥かに置き去りにした超高速度の特攻が、方舟の中心を貫いた。



 

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