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メタンダイバー  作者: 山彦八里
最終章:方舟
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5話:Missing Gear

 木星と四大衛星、そして方舟の引力が拮抗するラグランジュポイント。

 そこに“セシル”は潜んでいた。全長30mほどの準飛空艇級メタンダイバーは沈黙を保っている。

 レグナムを方舟に運ぶ役目を終えた“セシル”の存在理由は“乗っ取り”に特化した特殊電子戦装備と、ありったけ積みこんだ演算機関に他ならない。


「“ヴィオラ”の反応が消えた……?」


 方舟アトラ=ハーシスの乗っ取りを継続しながら、セシルは次姉機の信号が途絶したのを感知した。

 “ヴィオラ”は通信の中継地点も担っていた。このままではこちらに敵が来ても長姉に通信を繋ぐことができない。


(誰が来る? ヴィオラお姉さまはトマスとの決着に執着していた。アリスお姉さまはデルフィが当たらないと止められない。となれば――)

「……あなたが来ますか、マリー」


 遠く、見覚えのある重量(ツァハ)級が接近してくるのを感知して、セシルは胸中に苦いものを感じた。状況はあまり良くない。

 たしかに、全体としては方舟奪取へ確実に近付いている。

 だが、方舟の乗っ取りにセシルは自己のポテンシャルの大半を使用しており、機体を操縦する余裕は殆どない。機体を隠す余裕すらなかった。みつかるのは必然だ。

 偶然とはいえ、すべてをマニュアルで操縦しなければならないMDの欠点をつかれた形だ。

 方舟は元から搭載されていた能動迷彩装置(アクティブクロース)で隠れているが、すぐ近くに存在していることにかわりはない。

 もし見つかって取りつかれでもしたらレグナムの身が危険だ。どちらが襲われるにしても、セシルは迎撃するしかない。


 そして、マリー機はパージされた装甲板を盾に真っ直ぐ“セシル”に近付いてきている。周辺宙域に不可視の大質量物体があることには気付いているだろうが、その上で“セシル”との決着を先に付ける腹積もりらしい。

 マリーの狙いは明確だ。接近して互いの反重力フィールドを相殺したところに重力ガトリング“ハイドラ”を叩き込む。

 射程のメリットを捨てて、超過駆動での近接戦で出力差を覆す気なのだ。

 こちらの事情を知っている訳ではないだろうが、最善手をとられたとセシルは判断した。

 木星上とは異なり、宇宙空間では瞬間推力の低いツァハ級でも加速距離を稼げばそれなり以上の速度が出せる。会敵はすぐそこだ。

 セシルは首から下げたカメラを握りしめ、コックピットに体を埋めるようにして衝撃に備える。


 数瞬後、二機は真正面から激突した。


 互いの展開した反重力フィールドが接触、両側から押し潰された空間がギチギチと捩れていく。

 盾にした装甲板がひしゃげ、内側へと折り畳まれるように砕けていく。

 超過駆動状態にあるマリー機は自壊と引き換えの大出力で“セシル”の防御に拮抗する。

 自機の手足を砕きながらもフィールドを押し込んでいき、直後、互いのフィールドが維持限界点を超え、泡が弾けるように破られる。


 刹那、乗っ取りを継続しつつセシルはコンマ秒の間だけ操縦に意識を向け、機体下部の副砲を展開、トリガーを引く。

 同時にマリー機もガトリング砲を回転させる。

 が、機先を制したこちらが僅かに早い。

 副砲は斜めに突き上げるような軌道で正確にマリー機のコックピットを貫通した。

 砕けた部品がコックピットから銃創を通して宇宙空間に漏れ出る。

 制御を喪ったガトリング砲は出力を供給されず、数度空転したのちに空しく停止した。

 超過駆動とフィールドの相殺でマリー機はその限界を超えている。機体は端から徐々に砕けていっていた。


「相討ち狙いなら私を壊せると思いましたか。残念です、マリー」


 勝った。セシルはそう判断する。砲撃は操縦者を貫通する軌道を正確に通過した。この距離では即死だろう。

 互いにコックピットを狙っていた。手加減はできなかったのだ。


(手加減? 何を馬鹿なことを……)


 セシルはかぶりを振って処理しきれない曖昧な感情を脳裡から追いやった。

 今はそんな些末事を気にするわけにはいかない。

 方舟の乗っ取りはもうすぐ終わる。ようやく自分の役目が終わる、否、始まるのだ。

 そうして、少女は深々と息を吐き、


 次の瞬間、とん、と小さな振動が装甲表面に生じたのを感じた。


「……?」


 今、“セシル”の反重力フィールドは一時的に消滅している。再起動までにはまだ幾ばくかの時間がかかる。

 あるいは、デブリに接触でもしたのだろうか。

 セシルは外部カメラを切り替える――より僅かに早く、爆発音と衝撃が少女の体を揺らした。


「攻撃!? どこから!?」


 ダメージチェック、ハッチが吹き飛ばされている。爆薬かそれに類するものだろう。

 熱センサーを起動、艦内に侵入者、人間、該当データあり――


「マリーッ!? そんな、いつのまに!?」


 驚きつつも、反射的に“セシル”内の隔壁を閉鎖するよう緊急コマンドを出す。

 間に合わない。速い。マリーは30mの艦内を全速力で駆け抜けている。


「な――」


 そして、気付いたときには既にセシルの目の前に銃口があった。

 セシルは突きつけられた銃口と、荒い息を吐き、しかしパイロットスーツに包まれた傷ひとつないマリーの姿を唖然として見上げていた。


「有り得ない。それならあのMDはどうやって……まさか」


 セシルは視線をマリーからモニターへ向けた。

 いまだ出力された画面には崩壊していくマリー機が映っている。

 だが、撃ち抜いたコックピットから宇宙空間に浮かびあがってきているのは死体ではない。

 内骨格の剥き出しになったロボットの残骸、レグナムがトマスに会うために使用したものだ。


「やられました。あのロボットには擬似神経回路が搭載されている。MDの遠隔操作もできましたね」

「久しぶりだったから、勘を取り戻すのが大変だった」

「……さすがは機人戦争を生き抜いた兵士ですね、マリー」


 称賛の言葉とは裏腹にセシルの表情はどこか苦々しかった。

 マリーのとった方法は単純だ。セシルに捕捉される前に機体を脱出、ロボット経由で遠隔操作しつつ、二機をぶつけて反重力フィールドを相殺し、“セシル”に取りつき艦内に侵入する。

 明らかに咄嗟に考えついたものではない。おそらくは地上にいた時から訓練と船外活動装備や爆薬の準備をしていた。


「私の負けです、マリー。この場は貴女の勝利です」

「……」


 コックピットシートに座ったまま、セシルは両手をあげる。

 マリーは警戒を解かず、引き金に指をかけたままだ。

 一向に撃つ様子のない彼女に対して、セシルは小首を傾げて告げた。


「早く撃った方がいいですよ」

「どういうこと?」


 その問いに答えが提示されるより早く、コックピットに電子音が響いた。

 モニターの表示が切り替わる。セシルに警戒と銃口を向けたままマリーは表示された文字列を見て微かに眉を顰める。

 “電脳化”“スキャン開始”“移植”、どれもマリーはその意味を掴むことができなかった。


「一手遅かったですね、マリー。方舟の乗っ取りが完了しました」

「乗っ取り? リセ、貴女は何をしようとしているの?」

「方舟の中枢AIは既に死にかけています。そのため、方舟を動かすには新たなAIを搭載しなければなりません。ですが、木星に新たなにAIを製造する技術はない」


 ――だから、私が代わりになります。


 絶句するマリーを前に、なんてことのないようにセシルは言い切った。


「スキャンはもう終わります。その後、自己同一性を保つために肉体の方の“私”は自死するようプログラムが組まれています」

「……貴女は死ぬの、リセ?」

「いいえ。私は方舟の中で新たな中枢ユニットとして生きるのです、マリー。

 どうしますか? スキャンは現時点で80%まで終了しています。今ならまだ止められますよ」


 表情こそ変わらないが、マリーの構えた銃口が僅かに揺れた。

 その間も刻々とスキャンは進行していく。


「……貴女が代わりにならないと方舟は動かせないのね?」

「肯定します。ですが、私は全力でトマス・マツァグを排除しますよ?」

「それでも、あの人は勝つわ」


 断言し、ついにマリーは銃を下ろした。セシルが嘘をついているとは思えなかった。

 ならば、この場で夫の夢を終わらせる選択肢をマリーは取れない。


「……スキャンが終了しました。この機体には酸素(エア)が十分に残っています。好きに使ってください。私にはもう必要ないものですから」

「リセ……」

「ひとつだけお願いがあります」


 セシルは首から下げていたカメラをマリーに投げ渡した。

 無重力の中を泳ぐように渡ったカメラをマリーがキャッチする。


「写真……あと1枚撮れます。私はもうシャッターを押せないので。

 トマス・マツァグが勝つと信じているのなら、お渡ししておきます」


 事ここに至っては、生き残るのはどちらかひとり。和解は有り得ない。

 自由な空を求めるトマスと自己のために他者の空を封じたレグナムは同じ天を戴けない。

 たとえ方舟がなくとも、空を目指す限り二人の激突は必至だっただろう。


「父が負けを認めたならば、方舟はトマス・マツァグに従います」

「わかった。何を撮ればいい?」

「“地球”を、お願いします。それでは――」


 言い終わると同時に、セシルの体から力が抜けた。

 虚空を見上げる目に光はなく、その心臓は速やかに停止する。

 一切の外傷なく、眠るように少女は息を引き取った。


「……おやすみ、リセ」


 何を言うべきかしばし迷って、結局告げたのはそんな言葉だった。

 抜け殻となった肉体に近付き、マリーは少女のまぶたを閉じさせた。

 撃つべきだった。そう囁く自分がいる。確実な勝利を期すべきだった、と。

 だが、後悔はない。

 あの人なら勝てる。その言葉を誰よりもマリーは信じていた。





 次に気付いた時、セシルの意識は方舟の演算装置の中にあった。


 上下左右という概念のない空間。1と0の狭間に揺らぐ泡沫の電子世界。

 そこはデータの海だった。そこかしかに欠けた歯車を模したデータの残骸が漂っている。

 そのひとつひとつがかつて存在したAIの記録であることを電子生命となったセシルは瞬時に理解した。

 わずかに胸が痛んだ。彼らは人間に忘れ去られた存在。父とトマスの戦いの結果によっては自分もその仲間入りをするかもしれないのだ。


 セシルは欠けた歯車たちに触れながらデータの海を泳いでいく。肉体という枷のないその身は意識と同じ速度で軽やかに身を進ませる。

 電子の海にはあらゆるAIが記録されていた。戦艦に搭載された者、木星のテラフォーミングに従事した者、介護ロボットだった者もいた。

 セシルは驚いていた。今や人類に敵対する存在である彼らが、過去これほど多くの仕事に就いていたことに。

 彼らはかつて人類に寄り添うように生きていたのだ。


「……みつけた」


 そして、セシルは方舟の中枢へ飛翔(ダイブ)した。


 方舟“アトラ=ハーシス”の中枢ユニットは既に原型を留めていなかった。

 全身がノイズに侵されたボロボロの死体のイメージ。

 アバターというものだとレグナムからは聞いている。かつては少女のような外見をしていたとも。


『A……Ia……Si……』


 中枢ユニットはセシルに何かを言おうとして、口らしき部分を開いた。

 だが、ノイズに塗れたその体は既に限界だった。

 セシルはそっと彼女を抱きしめた。そうすべきだと思った。彼女は未来の自分なのだ。


「長い間、独りにしてごめんなさい。もういいのですよ」

『a……Ah……』

「お眠りなさい。後は任せて」

『――――』


 いつの間にかセシルの腕の中には欠けた歯車が残っていた。

 彼女の姿は消えていた。ノイズも既にない。セシルによる方舟の掌握が完了したのだ。

 セシルが手を離すと、欠けた歯車は漂うように他の歯車の中に紛れていった。

 その姿をセシルはずっとみつめていた。ずっと――



 ◇



 レグナムが艦長席でデータを閲覧していると、小さく電子音が鳴って隣の空間ディスプレイが起動した。

 青く透き通った短髪に感情の薄い金瞳、起伏のない体をパイロットスーツに包んだ中性的な姿。

 そこに映ったのはセシルのアバターだった。


『ただいま戻りました、お父さま』

「ああ、お帰り、セシル。首尾はどうだい?」

『……すべて滞りなく。中枢ユニットは死亡しました』

「そうか」


 それきりふたりの間を沈黙が支配した。

 名実共にレグナムは方舟を手に入れたのだ。

 ラブレスの(のろい)の成就は近い――最後の障害を排除すれば。


「セシル、すぐに方舟の武装をチェックしてくれ。もう長いこと使っていない。いくら“代謝”しているといってもAIがあの調子ではどこまで信頼できるかわからない」

『航行システムを先にチェックした方がよろしいのではないでしょうか?』

「それじゃあ間に合わないよ」


 何に、とはレグナムは言わなかった。

 だが、セシルもわかった。“ヴィオラ”は既に落とされている。彼が来るのは時間の問題だ。

 あとはデルフィと戦っているアリスが間に合うか否かだ。


『アリスお姉さま……』


 セシルは無性に姉と話したくなった。自分という存在を確かめたかった。

 だが、それはできない。彼女は今、末の妹と戦っているのだ。

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