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メタンダイバー  作者: 山彦八里
第二章:銀海のフィルム
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5話:Her Name is“CECIL”

 “三番目(セシル)”――四番目(デルフィ)の姉を名乗る少女を前にトマス達は数瞬、沈黙した。

 デルフィとマリーは驚愕故に、そして、トマスは嫌な予感が当たったが故に。


「……そうか。やっぱりお前らは四人いたのか」


 噛み締めるように男は言葉を零した。

 疑問があった。ひどく単純な疑問だ。

 木星を巡る衛星は“4つ”。しかし、デルフィが特攻しても壊せるのは1つだけだろう。

 ならば、あと3つの衛星はどうする。デルフィ程のパイロットとMDを生み出した者が何の手も打っていないのか。


 ――否、同じ存在があと3人いるべきではないのか。


 その予感は正しかった。

 三番目の“CECIL”、四番目の“DELPHI”。なんとも機械的な命名だ。上にあと二人いるとわかる。


「機人戦争で吹っ飛んじまったのかとも思ったんだがな」

「? 当然、安全圏に避難していましたよ。そこの妹は誤作動を起こしたようですが」

「あん? 待て、その言い草じゃあ戦争を引き起こしたのは――」


 その先はできれば聞きたくなかった。

 聞けば恨んでしまう。あの戦争で喪われた命を思い出してしまう。


「“私達”ですが、それがなにか?」


 だが、顔色一つ変えず、セシルは当然のことのように言い放った。

 瞬間、トマスの中で何か決定的な一線が切れた。


「デルフィッ!!」

『はい!!』


 名を呼ばれた少女は即座にその意図を汲み取って機体を動かした。

 都市内とは思えない軽快な機動のリノス級がトマス達を追い越して“姉”に手を伸ばす。

 これ以上掻きまわされる前に身柄を確保する。

 躊躇のない妹の反応に、セシルは嘲るような笑みを浮かべた。


「貴女はこちら側の存在ですよ、愚妹」

『わたしの家族はトマスたちだけ』

「……残念。想定以上に情緒が発達していますね。ですが――」


 迫る巨腕を気にも留めず、セシルは軽やかに指を鳴らした。


「――来なさい、“セシル”」

『ッ!?』


 直後、反射的に跳んだデルフィ機に追いすがるように水刃が放たれた。

 強引な介入で彼我の距離が離される。


「“デルフィ”の姉妹機か!!」

「肯定します。尤も、汎用MDのブラッシュアップたる“デルフィ”と“セシル”とでは設計思想からして異なりますが」


 ゆらりと少女の背後の景色が揺らめいた。

 そこに何かがいる。視覚情報を偽装しようとも、目と鼻の先にある巨大な物体の醸し出すある種の圧力は誤魔化せない。

 そして、陽炎の如き存在の中心にぽっかりと穴が空いた。

 虚空に浮かぶその穴はコックピットだ。機体の内側たるそこだけが正常に視界に映る為に、却って強い違和感を覚える。

 人間は外界の知覚の多くを視覚に頼っている。光学迷彩だと理解していたマリーですら僅かに反応が遅れた。

 咄嗟に伸ばした手が空を切る。セシルは景色に溶け込むようにして、己が本体に乗り込んだ。


『ふたりとも、さがって』


 体勢を立て直したデルフィは機体を繰り、再度の突貫を駆ける。

 ここで逃せば次はない。相手は一定高度に滞空することができる。対して、都市内部で機動力を落とした通常のMDでは上空への攻撃手段はない。

 故に、ここで落とす。

 その意思のままにデルフィ機は踏み込み、跳躍、左腕のブーストパイルを射出した。


『……鈍りましたね、デルフィ(わたし)


 刹那、宙を無数の水刃が駆け巡った。

 音速超過で飛ぶ杭の先端がコマ切れに刻まれるのをデルフィは辛うじて知覚した。

 おそらくは“デルフィ”に搭載されていたウイングブレードと同様の兵装だ。

 だが、ブレード部分に重力子を付与していた“デルフィ”とは異なり、ほぼ単分子クラスまで圧縮した水刃は殆ど視覚では捉えきれない。

 先程までとは段違いの精度で迫る水刃は、空中で回避に身をよじるデルフィ機を的確に追い詰める。

 当然だ。機械を狂わせる“何か”からの汚染を回避する為、彼女達の機体の制御システムの殆どはその脳髄に刻まれている。

 パイロットの有無は、人間に例えれば脳味噌の有無に等しい。


 そして、瞬間的に放たれた不可視の斬撃は百を数えた。


『ふむ、反応の途絶した重力子機関が二基。あの状況でよくぞこの精度の砲撃を。

 良い腕ですね、マリー。さすがは10年前の戦争を生き抜いた兵士です』


 どこか他人事のようにセシルは呟き、その目の前に四肢を断ち切られたデルフィ機が音を立てて墜落した。

 辛うじてコックピットへの攻撃は回避しているが、これ以上動くことは叶わないだろう。

 だが、時間は稼いだ。

 突然再起動した飛空艇を追いかけてアルビオの部隊が迫ってきているのを“セシル”のセンサーが捉えた。


『時間切れですね、マリー。もう少し貴女のデータが欲しかったのですけど』

「悪趣味」

『貴方の男の趣味ほどではないかと』

「見る目がない」

『そっくりそのままお返ししますよ、マリー。トマス・マツァグは本質的には他者を必要としない。宇宙(ソラ)で生きるには必要な資質ですが、地上ではどうでしょう』

「だから、見る目がないと言っている」



「――そんなことずっと前から知っている」



 陽炎のように揺らめく“セシル”を睨むように見上げ、マリーは敢然と言い放った。


『……貴女はもったいないほど“いい女”ですね、マリー』

「リセ……」


 ほんの少し前にドックで聞いたのと同じ台詞が今はひどく空しく響く。

 マリーは悔しげに唇を噛んだ。


「全部嘘だったの? あの写真も、飛空艇も」

『いいえ。貴女の気を惹く為の小道具ではありましたが、どちらも嘘ではありません』


 銀の軌跡を映した一枚目、飛空艇の影を捉えた二枚目の写真。

 そのどちらもが本物だとセシルは言う。


『一枚目は“お姉さま”の機体です。私は真実、彼女に憧れ、彼女を支える為に生きている』

「……デルフィのではなかったね」

『肯定します。そして、二枚目は……能動迷彩装置(アクティブクロース)、解除』


 少女の指示に従って、飛空艇が光学迷彩を解除する。

 光を捻じ曲げる燐光のベールがゆらめく。偽りが剥がされ、現れたのは全長30メートル近い流線形の銀装甲。

 昔話に聞く“魚”を思わせる姿。

 ただ大きさが規格外だ。敢えて言うならば、擬似飛空艇(アウトリガー)級メタンダイバー。

 最大級のMDにして、最小級の飛空艇。それが“セシル”だった。


『これが私です、マリー。他人にこの姿を見せるのは初めてですよ』

「自分のMDを……こんな芝居までして、何がしたかったの?」

『貴女を知りたかったからです』


 マリーの疑問にも、セシルは一切迷わずに答えた。

 その答えはマリーを一層困惑させた。


「どういうこと?」

『トマス・マツァグは“私達”を除けば最も空に近い場所にいる。

 そんな空を飛ぶ夢に寄り添う人を、同じ役目を任じた私に何が必要なのかを知りたかったのです』

「……そう。収穫はあった?」

『はい、その点は感謝しています。お礼と言ってはなんですが、この場は見逃して差し上げます』


 僅かに笑みの音を残して、“セシル”は高度を上げる。

 “デルフィ”と同じく水素燃料エンジンを使用しない、完全重力駆動のMDは音もなく空を泳ぐ。

 その様をトマスは苦々しげに見上げた。


「逃げるのか」

『セシルが逃がして差し上げるのですよ、トマス・マツァグ』


 “セシル”の前面の空間が揺らぐ。

 機体の周囲に展開している重力子の収束。一種の重力レンズとなったそこにセシルは圧縮した水弾を撃ち込んだ。

 次の瞬間、落下方向を捻じ曲げられた水弾は宙に雲のような軌跡を残して射出、都市を包む反重力フィールドをぶち抜いた。

 トマスは咄嗟にマリーを押し倒し、その耳を塞いだ。

 直後、強烈な耳鳴りと吐き気がトマスを襲った。フィールドに開いた穴から割れた風船のように内外の大気が混ざり、急激に酸素濃度が低下しているのだ。

 伏したままのトマス達を尻目に、“セシル”は悠々と艦首を巡らせ、都市の外へと舵を取る。


『それではごきげんよう』

「……テメエを、造った奴に、会わせろ。一発殴らねえと、気が済まねえ」

『遠からず父の方から接触があるでしょう』

「話がわかるじゃねえか。涙が出るぜ」

『命乞いの準備を推奨しますよ、トマス・マツァグ』

「ハッ!! 吠え面かかせてやる」

『お伝えしておきます。――では』


 “セシル”が徐々に速度を増していく。

 都市の誰よりも高い場所に至った彼女に追いつけるものはもういない。


「――リセ」


 その刹那、機械の視界を超えて、マリーはこの一週間共にいた少女と目が合った、気がした。


『さよなら、マリー』

「さよなら、リセ」


 “セシル”が速度をあげる。

 数秒と経たず都市を脱出したその姿は、再び起動した光学迷彩によってメタンの空に溶けていった。



 ◇



 不可視の状態のまま“セシル”は木星の空を飛んでいく。

 光学迷彩以外のジャミングは切っているが、それでも彼女を探知できるものは地上には存在しない。

 限りなく自由な空の旅だ。ただし、高度1kmを超えないなら、だが。

 能動迷彩装置(アクティブクロース)はその気になれば視覚、音波、赤外線その他ほぼあらゆる探知からその身を隠すことができる。

 が、一定高度以上で重力の歪み(・ ・ ・ ・ ・)を感知すると問答無用で質量弾(コフィン)を撃ち込んでくる四大衛星相手には効果がない。その辺りが軍での開発を打ち切られた原因だろう。


「……」


 狭いコックピットの中でセシルは無言で手の中の写真を弄んでいた。

 写真の中で、どことなく冷たい印象を受ける赤毛の女性が睨んでいる気がした。


『――セシル』


 ふと通信が届く。女性の声、長距離通信を喪った木星では有り得ない筈の帯域での通信だ。

 途端、それまで玲瓏な雰囲気を保っていた少女の顔が喜色に彩られた。


「お姉さま、いつこちらに?」

『貴女を迎えに来たの。そろそろだと思ったから』

「妙に鋭いのは相変わらずですね」


 苦笑の色を滲ませるセシル。“姉”はそこに僅かに沈んだ雰囲気を見て取ったが、深く追及はしなかった。

 ただ一言、


『……答えはでた?』


 危険を冒してまで他者との接触をとった妹の成果を尋ねた。


「はい。やはり私はお姉さまを独りにはできません。きっとマリー・マツァグも私と同じ立場になれば同じ選択肢を選ぶでしょう。

 ――私は、間違っていなかった」

『その為に何を犠牲にするのか、理解している?』

「はい」


 セシルの返事はそれだけで事足りた。一片の迷いもなかった。

 通信機の向こう側に、僅かに沈黙が下りた。

 暫くして、感情を殺した声が通信機を通して耳に届いた。


『わかったわ。なら、セシル――私達の夢の為に、死になさい』

「――はい、“ALICE”お姉さま。三番目(わたし)の命を一番目(わたし)に捧げます」


 その宣告にも、やはり少女は迷わなかった。

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