4話:Meets Again
がらんとした人気のないドックに微かな駆動音が響く。
四方の壁は遠く、常は様々に塗装、改造されたMDが整然と並ぶこのドックも今は二機――フレイムパターンのツァハ級と解凍したてのリノス級だけがぽつんと取り残されている。
おまけに待機状態の控え目な駆動音に反比例する外から響くうなりのような歓声が余計に物悲しさを助長する。
祭りに出遅れたような寂寥感に表情のない筈のMDの頭部に影が差しているような気さえしてくる。
今、アルビオ外縁部に運び込まれた“飛空艇”を一目見ようと、または押しかける住民たちの整理と警備に、あるいは飛空艇を襲いに来るであろう敵性機械を迎撃する為に都市中のMD乗り達はこぞって出撃している。
『マリーさんは行かなくていいんですか?』
ふと計器のチェックをしていたマリーにもう一機の残ったMDから通信が届く。
リセの声だ。そこに非難するような色はなく、ただ疑問に思ったことを口にしただけといった風だ。
あるいは暇だったから声をかけただけかもしれない。換装に時間のかかったマリーと同じく、アルビオに来る前に機体を大破させた彼女は新品の機体を慣らしているのだ。
「頭数は足りている。私は念のため待機する」
『わざわざ“圏内装備”をつけてですか?』
「……」
痛いところをついてくる。マリーは返答に困って眉根を寄せた。
マリー機は追加コンデンサを外したペイロードに都市内でMDを動かす為の水素タンクを搭載している。
都市外での活動を基本とするMDは機体に酸素を積み、吸気ファンから大気中の水素を取り込み、両者を混合させることで脚部ブーストを稼働させる。外海には酸素がない為にそれに合わせた構造をしているのだ。
だが、都市内ではその内外が逆転する為に専用の換装が必要となる。そして、無許可の圏内装備への換装はみつかれば都市追放もあり得る重大な違反だ。
『見つかったら大目玉ですよ? 私も手伝いますから通常装備に戻しませんか?』
「……」
リセの心配も尤もだ。
ドック屋にはかなりの袖の下を融通したが、それもどれだけ有効か疑問だ。
そこまでして何に備えているのか言われると……実の所、マリー自身も明確には言葉にできなかった。
ただ、そうするべきだと囁く本能に従っただけだ。
『まさか、飛空艇を壊す気なんですか!?』
だが、その沈黙をリセは勘違いしたらしい。
焦った声に、通信機に噛り付かんばかりに身を乗り出している様がありありと想像できる。
マリーは舌に呆れの感情を載せて口を開き、
「何でそんなことしないといけないの。私はむしろ――」
『――だって、マリーさん、空を飛ぶものは怖いんでしょう?』
今度こそ、凍りついた。
「…………そんなことは、ないわ」
ようやく絞り出した声は自分でも下手な演技だとわかるそれだ。
いつ気付いたのか。リセは本当に痛いところをついてくる。カメラのようによく見ている。
あるいは、自分はそんなにわかりやすいのか。少し、凹んだ。
“空を飛びたい”、子供のような夫の夢を蘇らせる為に、マリーと義父のシモンは全力を傾けてきた。
そこに一切の手抜きはなかったと断言できる。
だからこそ、数ヶ月前、空へ逃げ出した“デルフィ”に追いつくことができたのだ。彼はもう一度飛べたのだ。
“レコードブレイカー”、空を愚直なまでに真っ直ぐ泳ぎきったフレイムパターンのMDはマリー達の誇りだ。
――だが、そこに恐怖がある。
もしも、夢が完全に叶ったとき、果たして彼は帰ってくるのか?
宇宙に出て、木星の重力を振り切って、どこまでも遠くに行ってしまうのではないか。
その恐怖はこの10年、一度として離れずつきまとうマリーの本心だった。
「……それでも」
それでも、とマリーは想う。
この恐怖も本心だ。それは間違いない。だが、それだけでは決してない。
「それでも、私は覚えているの」
促成教育を受けて部隊に配属された時、はじめて会ったあの人の顔を覚えている。
味方の頭上を守る為に必死に飛び続けるその姿を。
ふとした時に空を見上げる痛切な横顔を。
両親が死に、何もかもに絶望していた自分を溶かしてくれた“熱”を覚えている。
「宇宙を飛ぶことがあの人の夢だから、私はそれを応援する。
あの人のことを愛しているから。だから、この想いに嘘は、吐けない」
胸を衝く痛みを振り切って、マリーははっきりと告げた。
『……貴女は“いい女”ですね、マリーさん』
僅かな沈黙の後に呟かれた言葉は真摯で、どこか憧れを伴っていた。
らしくない真剣な声に、マリーは口元に小さく笑みを浮かべた。
「生意気」
『ええ!? 今のいい所でしたよね? 不器用な友達の背中を押したシーンですよね!?』
「うん……ありがとう、リセ」
後半は吐息に溶かして、マリーは機体を戦闘状態に移行させた。
いつの間にか、外から聞こえていた歓声は消えている。
代わりに響くのは腹の底を震わせる重低音。
センサー、レーダーに異変はない。当然だ。あの飛空艇はそういう機体なのだから。
「悪い予感が当たった。出撃する」
『!? 私も行きます。その、責任感じますし』
「フォローはするけど、ここからは自己責任。死なないように」
『了解です!!』
ハッチが開き切るのを待つことすらもどかしく、二機は開いた隙間を潜り抜けるように通りへと飛び出した。
◇
劈くような鋼鉄の咆哮が都市を震わせる。
曇天の空で無数に交差する火線は儚く美しく、しかし、その下に無数の大破したMDを重ねていた。
アルビオは今や戦場の体を成していた。
管理局も最大限の警戒を敷いていた。
件の飛空艇は警戒に警戒の上でアルビオの外縁部に運び込まれ、管理局付きの部隊が不測の事態に備えた。
『他都市からの応援はまだか!? 俺達だけじゃ止められないぞ!!』
『いいから攻撃しろ!! これ以上の侵攻を止めるんだ!!』
そして、その全てを“飛空艇”は打ち砕いた。
漏れ聞こえる通信は阿鼻叫喚だ。
「……なに、あれ?」
だが、それもむべなるかな。
マリーはコックピット越しに見上げるソレに思わず声を失った。
空に巨大な水球が浮いていた。
直径は目算で50メートル近い。おそらく裡に飛空艇を呑んでいるのだろう。肝心の飛空艇は見えないが、他にこんなことができる存在がない。
(アルビオの製水機関を取り込んだ? リセに見つかったのはわざとだったの?)
メインモニタに拡大した水球を映す。
混じりけない水で構成されたそれはしかし、殆ど光を通さない黒々とした塊と化している。
あれは装甲だ。マリーは気付いた。
圏内装備に換える暇もなく駆り出されたMD達が一斉に銃弾を撃ち込むが、水球に触れた瞬間に勢いを失って排出されている。
おそらくは大量の水を高重力によって圧縮しているのだろう。
だが、ただ装甲を纏うだけなら水である必要はなかった筈だ。ならば――
『危ない、マリーさん!!』
警告と共に横合いから飛び出したリセ機がマリー機を突き飛ばす。
直後、一瞬前までいた場所を一直線に何かが走り抜けた。
水だ。極限まで圧縮した水を刃のようにして撃ち出しているのだ。
“ウォーターカッター”、戦前に存在した工作機械に似たような機構があったことをマリーは思い出した。
だが、これは工作機械とは規模も威力もケタ違いだ。
空中から無造作に撃ち出される水刃は周辺の建物を熱したバターのように容易く切り刻む。
街並みが斜めに崩れ落ちる。ずずんと地面の揺れがコックピットまで届く。
相手の狙いは明確だ。一射目で障害物を切り落とし、二射目で敵を排除する。
(……来る!!)
そして、視認すら困難な速度で当の二射目が宙を駆けた。
マリーは咄嗟に機体前面に反重力フィールドを集中させた。
メインカメラの映像が歪み、周囲の建物の破片が浮き上がる程の偏向重力を盾に構える。
次いで、衝撃。重量級のマリー機が僅かに後ずさる。
だが、損傷はない。
高重力によって圧縮され、撃ち出される水刃は速度こそ脅威だが、その質量自体はごく軽く、ベクトルに干渉して逸らすことは難しくない。
「生きてる、リセ!?」
尤も、それが可能なのは重力制御に優れたツァハ級だからであり、中量級のリセ機には不可能な挙動だ。
『だ、大丈夫です!!』
「……生きてる」
『なんでちょっと悔しそうなんですかあ!?』
見れば、リセ機の足元には無数の格子状の亀裂が走っている。
あの一瞬でこちらを庇いつつ安全地帯を見切り、飛び込んだのだ。
圏内装備なしでその動きは並の腕ではない。少なく見積もっても戦中の最前線で戦えるレベルの操縦技術だ。
つまりは、マリーと同等か、それ以上。
「貴女、軍にいたことはないわよね? どこで操作技術を身に付けたの?」
『父が戦前の自動学習装置を持ってたんです』
成程、自分と同じ工程を経たのか。なら、できるか。
思考の中でリセの技量を上方修正したマリーは即座に作戦を変更した。
「10秒でいい。引きつけて」
『無茶言いますね!! で、でも、なんとかしてみます』
「お願い」
『了解です!!』
返事と同時にリセ機が飛び出し、即時射撃位置に保持したアサルトライフルを乱射する。
相手の反応は不明だが、時間がない。マリーもすぐに行動を開始した。
彼女が稼ぐ貴重な10秒の間にマリーは準備を終えねばならない。
現在地から宙空の飛空艇までの距離はおよそ700メートル。
自機の装備は手持ちのライフルと右肩の重力砲。バックパックの高重力機関砲4門。
このうち、ハイドラは追加コンデンサがなく出力が足らず、ライフルでは威力が足らない。
故に、狙うべきは砲撃。だが、ただの砲撃ではあの水の装甲を貫けない。
しかし、この程度の危機は10年前の戦争で何度も経験したことだ。
3秒経過。マリーは目的の物――中破したMDを発見した。
即座に擬似神経回路を通じて機体に指示を出す。
機体がつんのめるように足を止め、反重力フィールドを限界まで停止。
接地と同時に姿勢安定ピックを撃ちこみ反転、足場を固定。
右肩に背負うようにしてマウントされている砲塔を展開。
「セーフティ解除。重力子、カウント5で急速充填」
5秒経過。飛空艇から放たれた無数の水刃をリセは辛くも回避している。
周囲に無事なMDは他にない。飛空艇の攻撃がリセに集中する。長くはもたない。
マリーは足元の火花をあげるMDから重力子機関を抉り出す。
まだ辛うじて機能している重力子機関に接触回線を通じて超過駆動を指示。
直後、機関を中心にぎちぎちと音を立てて重力子が収束する。
7秒経過。連続する水刃の斬撃にリセ機が右脚部を切り飛ばされた。
同時に、マリーは飛空艇の狙いが此方に向いたのを感知した。
機械に対して殺気も何もあったものではない。が、センサーやレーダーに反応がなくともマリーはそれがわかった。
そして理解する。僅かに時間が足らない。このままでは相討ちだと。
それでもここまできたら撃つしかない。
『くっ、この……こっち向けえええええええ!!』
リセが吼え、その場でアサルトライフルを乱射するが、飛空挺は見向きもしない。
マリー機に集中する重力子の収束の方が危険だと判断したのだろう。
その判断は正しい。これは機人戦争時にいくつもの大型機械を葬って来た方法なのだ。
8秒経過。マリーは飛空艇を包む水球が震えるのを見た。攻撃の予兆だ。
恐怖を噛み殺し、視線を砲撃に集中させる。
右肩の砲塔が充填を完了する。チャンスは一回。その一回で相手の重力子機関を破壊する。
9秒経過。マリーは手に持つ自壊寸前の機関を砲塔にセットし即席の砲弾にした。
狙うは敵機の中心部。
“死体砲”などと揶揄されるこれは、自壊と同時に暴走した機関が周囲を捩じ切る現象を直に撃ちこむ。
さしもの飛空艇も直撃すればタダでは済まないだろう。
マリーの脳裡にかつて共に狙撃を担当した同僚の教えが再生される。
重要なのはイメージ。機体を通じて観測される環境データを五感で再現すること。
感じる筈のない風を感じ、重力すらも肌で知覚する。
そして、その全てに固執せず、ただ撃ち抜くことに集中する。
10秒経過。飛空艇から水刃が放たれる。
同時にマリーはトリガーを押し込み、
刹那、一筋の炎が宙を切り裂き、迫る水刃を蹴り飛ばした。
「――――」
忘我の域でマリーは見た。
それは一機のメタンダイバーだった。
ただでさえ薄い装甲を更に削り、代わりとばかりに胸元にフレイムパターンを施したエアル級。
その動きを、その姿を見間違う筈がない。
故にマリーはその名を呼んだ。
「――トマス!!」
『やれ、マリー!!』
直後、限界まで圧縮した重力弾が暴走する機関を巻き込んで放たれた。
瞬間的に光すらも呑みこんだ一撃が宙に一筋の黒い線を引き、音を超えて飛空艇に到達し激突。
砲弾は力任せに反重力の壁を貫き、水球をねじ切り、そして、内向きの爆発が起こった。
黒い閃光が弾ける。
ようやく追いついた発射音が爆発音と混ざって不協和音をがなり立てる。
数瞬して、辺り一帯に弾き飛ばされた水球の水が雨となって降り注ぎ、何かが地面に墜落した轟音が響き渡った。
飛空艇は墜ちた。
「……」
一瞬のうちに立て続けにいくつものことが起こって、マリーはしばし思考停止していた。
『あー、マリー、お仲間は大丈夫だったか?』
「ッ!! リセ!!」
他の都市から救援に――文字通り飛んで来たのであろうトマスと会うのは数か月ぶりだ。
だが、再会を喜ぶ前にすることがある。
マリーはコックピットから飛び出し、横倒しになったリセ機に駆け寄った。
「返事をして、リセ!!」
「……こっちです、マリーさん」
あまりにマリーが必死だったからか、リセは近くの残骸から若干気まずげに出てきた。
見たところ怪我はない。マリーはほっと胸を撫で下ろした。
「……よかった」
「えへへ、マリーさんに心配してもらえるとは思いませんでした」
「囮にしたのだから、これくらいは当然」
「それでも、嬉しいです」
「うん……」
いまだに降り続ける雨にずぶ濡れになりながら、二人は笑いあった。
「……そうだ。旦那を紹介する」
マリーは振り向く。幻ではない。確かにそこにトマスはいた。
数ヶ月前とはまるで別人だ。黒瞳には爛々と光が宿り、体全体から生気が溢れている。
顔には濃い疲労が残っているが、それが何の為かを考えると、少しだけ自惚れてもいいのかもしれないと思えた。
「トマス、こっちはリセ。一週間ほど前に拾ったの」
「……」
「トマス?」
トマス・マツァグは応えない。
男の表情は険しい。まるで敵に向けるようなそれで少女を睨んでいる。
「あの、私が何か……?」
動揺するリセに対し、トマスは厳しい視線を向けたまま隣のマリーに問いかけた。
「マリー、こいつは何だ? 俺達の元同僚か?」
「……いいえ、軍に所属したことはないと聞いている」
「じゃあ、こいつのパイロットスーツは何だ?」
「スーツ? ……ッ!!」
マリーははっと振り返った。
雨に濡れ、困惑した表情のリセを確と見る。
少女のスーツは雨を弾き、浸水する様子はない。
現在生産されているスーツにそんな機能はない、筈だ。
「宇宙作業用対Gスーツ、完全オーダーメイドの逸品だ。地上にはもう生産しているビオトープはない。答えろ、どこでそれを造った?」
「……」
「答えろ!!」
表情を消して沈黙するリセに対し、トマスはついに銃を抜き放ち、頭部に照準を合わせた。
「――デルフィ、見えるな? こいつに見覚えはあるか?」
『わからない。けど……』
通信機の向こうから聞こえる懐かしい声に、マリーもトマスが何を疑っているのかようやく理解した。
小さく呻く。自分は何故気付かなかったのか。
リセの白を基調としたパイロットスーツはデルフィのそれとよく似ていた。
両者ともに戦前の存在。外見年齢を裏切った過去の遺物。
この広大な惑星でそんな存在に立て続けに出会う。そんな偶然が有り得るのか。
「――まさか、こんな事で露見するとは。空を飛ぶことについては優秀ですね」
その答えは少女の口から齎された。
トマスは躊躇なく撃った。
嫌な予感がした。“空を飛ぶ”、何故それを知っているのか訊く時間すら惜しんだ。
だが、リセは――リセと名乗った誰かはステップひとつで軽々と銃弾を避けてみせた。
「ですが、生身では凡人ですね、トマス・マツァグ。情報通りです」
「余計な御世話だ。それより、テメエは、何だ?」
問いに少女は答えず、ただパチンと指を鳴らした。
「――バックアップメモリーを解凍、能動迷彩制御、解除」
機体に預けていた記憶を回収し、少女は端的に指示を告げる。
応じて、その身に纏っていた迷彩が解ける。
暖色の髪は色素が抜けるように薄まり、碧眼はアイセンサーが切り替わるように金色に変わる。
顕れたのは、青く透き通った短髪に金瞳、起伏のない体をパイロットスーツに包んだ中性的な肉体。
デルフィよりいくらか大人びた、しかし、よく似た容姿。
『あなたは……デルフィ?』
「お初にお目にかかります、不出来な私、四番目の私」
本来の姿に戻った少女は“機械的”な笑みと共に恭しく一礼する。
――私は三番目、三番目のCECIL。
――あなたの姉にあたります。
その胸元でむなしく揺れる無骨なカメラだけが、彼女が一瞬前までリセであったことを証明していた。




