3話:Rainy Days
「おっはようございまーす!!」
朝だ。今日も今日とて温かな雨が降るアルビオは宿屋の一室、シーツにくるまって惰眠を貪っていたマリーは突如として陽気な大声の襲来を受けた。
不快気に目を開ければ、音を立てて開かれた扉の向こうに元気溌剌を絵に描いたような暖色の少女がいた。
額の腫れはもう既に治っていて、ついでに態度を変える気もないようだ。
「リセ、うるさい」
「そんなこと言わずに遊びに行きましょうよってひゃあああああ!?」
髪を掻き上げ、もぞりと起き上がった全裸のマリーを見て、リセは悲鳴をあげながら慌ててドアを閉めた。
「な、なんで裸なんですか!?」
「なんでって、寝てたからだけど」
「え、いやいや……え、あれー?」
哲学的な命題に考え込むリセを他所に、マリーは枕元から拳銃を回収して起き上がった。
どうにも目が覚めてしまい、寝直す気にもなれず、椅子に掛けてあったパイロットスーツをもぞもぞと着こむ。
旅暮らしでも損なわれることのない均整のとれたプロポーションの上、豊かに張り出した胸がスーツに収納されていく。
「……おおきい」
微かに怨嗟の籠った声がマリーの耳に届く。
もはや文化的な隔たりすら感じられる胸部バラストのサイズ差はリセを打ちのめした。
視線を落とせば、臍から踝までばっちり見える平坦な体が映る。非常に哲学的だった。
「年もそう違わないのに、この差は一体……」
「気合」
「ほんとにそうなんですか!? 本気にしますよ!?」
「好きになさい」
スーツのハードポイントを留めたマリーは手櫛で赤毛を整えると、後ろの高い位置で束ねて結い上げる。
その頃には頭も大分はっきりしてきて、ようやくマリー・マツァグは平常運行と相成った。
「ふう、おはよう、リセ」
「おはようございます、マリーさん。朝食どうします? この部屋にもキッチンありますよね? よかったら何か作り……」
気を取り直して、ひょいっとキッチンを覗き込んだリセはその体勢のまま固まった。
自分の部屋と同じ作りならばそこにはキッチンがある筈なのだが、あるのは凄惨な事故現場に類似した名状しがたい空間だけだった。
発生源の定かでない、妙に甘い匂いがするのが逆に不安を増大させる。
「……あの、どうしてキッチンが爆発跡みたいな状態になっているのでしょうか?」
「不幸な事故。後で修理代を払う」
「後処理の問題じゃなくてどうしてこうなったかが問題じゃないですか?」
「…………聞きたい?」
じろり、とマリーが視線を向ける。
リセはそこに触れてはならぬ闇を感じとって、即座に踵を返した。
「え、遠慮しておきまーす……先に一階で待ってますね」
扉の向こうに消えていく元気娘を見送って、マリーは小さく溜め息を吐いた。
少女は今日も自分に付き纏うか振り回す気でいるらしい。勝手な話だ。
……勝手な話ではあるが、別段不利益をこうむる訳ではないし、不快でもないことが、マリーにとって問題といえば問題だった。
飛空艇騒動が終わればキャラバンは都市を離れる。リセとも別れることになるだろう。
この広い星で旅人同士が再会できる確率は、限りなく零に近い。
混雑する時間帯を過ぎた食堂にはまばらな客が好き勝手寛いでいた。
中にはブランチ代わりに酒を嗜んでいる者すらいる。アルビオは水資源が豊富で、他都市に比べ比較的酒類が安いのだ。
そんな客たちの中に上司の顔を見つけて、マリーは控え目に挨拶を返した。
「おはよう、マリー」
「おはようございます、隊長。みんなは?」
「めいめい遊びに出かけている。キャラバンは飛空艇見物にもう暫く逗留するつもりのようだ」
「そんなすぐ成果がでるとは思えませんが……」
尤もなマリーの言に、隊長と呼ばれた壮年の男は肩を竦めた。
「まあ、キャラバンなんてやってる奴は大半が浪漫に首まで浸かった奴らばかりだからな。仕方ないだろう」
「飢えてますね」
「お前の旦那ほどじゃないさ」
「……隊長」
「おっと、こいつは失言だったな。忘れてくれ」
からからと笑って流す隊長に手を振って別れると、マリーは先程から手を振ってアピールに余念がないリセのテーブルについた。
放っておくのはさすがに営業妨害だろう。というか、既にマリーの分の朝食も頼んでいるようだ。
「……浪漫、か。否定できないわね」
マツァグ姓の来歴を知っている者は軍出身者に限られる。隊長の存在は、マリーがこのキャラバンに所属することを決めた理由の一端でもある。
MDに乗ることを鬻いで、軍出身であることがバレないと思うほどマリーはおめでたくはなかった。
彼女のMD操縦技術は戦中ならばよくて二流の評価だが、戦後のMD乗りの中では各都市の上位層に食い込むレベルだ。戦争によって多くのMD乗りが死んだことで、常識であった定石やノウハウが断絶しているのだ。
だが、一人なら悪目立ちしても、二人いればそういうものだと受け入れられやすくなる。隊長にとってもマリーの所属は渡りに船だっただろう。
そうまでしてマリーがキャラバンに所属したのは、やはり浪漫の為だった。
「私、アルビオ来たの初めてなんです。昨日まで管理局に缶詰でしたし、ここらで観光とかしたいな――って、マリーさん聞いてます?」
「……私は何度も来てるから」
「そこは案内してあげるわって言う所じゃないんですか!? あと写真のメタンダイバーについて教えてください」
「うん、そうだったわね」
ブロック状の野菜の浮かぶスープをスプーンで掻き混ぜながら、マリーは気のない返事を返した。
話す気はある。というか、話さなければリセは諦めないだろう。放っておけばキャラバンを追ってきかねない勢いだ。
だが、果たしてどう伝えれば信じて貰えるのか。
四大衛星に特攻する為に誰かが秘かに作り上げたメタンダイバーだ……などと正直に話した所で、目の前の少女は「誤魔化さないでください!!」と言うだろう。マリーが逆の立場ならそう言う。場合によっては鉛弾もおまけするかもしれない。
「それじゃあ、買い物にでも行きましょうか」
ひとまず、誤魔化すことにした。
◇
都市上層の繁華街は整然とした活気に満ちている。
道端に出ている露店も下層と比べるとどことなく大人しく、清潔な印象を受ける。
それでも、気をつけて歩かないと肩がぶつかってしまう程度には人が溢れているあたり、今日も人入りは盛況のようだ。
「下層と全然違いますね!! こっちの方は来たことなかったです」
物珍しいのか、リセは少しでも遠くまで見通そうとぴょんぴょんと跳ねている。
原子変換機にほど近いこの辺りは治安も比較的良い。おのぼりさん丸出しのリセがほっつき歩いてもそうそうトラブルには遭わないだろう。
なんだかんだでリセに気を使って上層区まで足を伸ばしているあたり、マリーの甲斐性は筋金入りだ。
「マリーさん、早く行きましょう!!」
「はいはい」
腕を引かれるままにマリーは人ごみに合流していく。
アルビオの露店は他都市のそれとは異なり、どれも屋根がしっかりと整備されている。理由は言わずもがな、定期的に降る雨の為だ。
中にはMDの装甲らしきものを引っぺがして屋根にしている店もあるがご愛嬌だろう。
リセは早速目についた露店で飲み物を買っている。らしいと言えばらしいが、見事な即断ぶりだ。
そのまま、少女は渡されたカップを思いっきり傾けて、思いっきり噎せた。
咳き込む少女の周囲で、人々がそっと距離を取って、通りにぽっかりと空白地帯ができる。
「苦ッ!? な、なんですかこれ!?」
「……お酒じゃないの?」
「お酒!! これがアルコール……私、はじめてってああ!?」
マリーは興味深げに再び口を付けようとするリセの手からカップを抜き取った。
中身はまだ半分以上残っているが、さすがにまずいだろう。
「初めてでそれ以上飲んだら倒れるわ」
「そうなんですか?」
「経験則だけど」
言って、マリーはカップに残ったアルコールを飲み干した。
こくりこくりと喉が艶めかしく波打つ。
ほう、と一息ついて空になったカップを道端のゴミ箱に放りこむ。
「ご、豪快ですね」
「慣れれば大丈夫。たまに大丈夫じゃない人もいるけど」
「それも経験則ですか?」
「そんな所。……そういえば、貴女、傘は持ってないの?」
「へ?」
リセが首を傾げた直後、にわかにぽつぽつと温かな水滴が落ちて来た。
マリーは周囲を行きかう人々と同様、如才なく用意していた水玉模様の傘を開いた。
「わきゃゃああああ!?」
「その悲鳴はどうなの……」
そうしている間にも雨は少しずつ勢いを増していき、状況についていけていない少女に降り注いでいく。
「ちょ、ちょっといれてください!!」
「……まあ、いいけど」
マリーは傘をずらしてスペースを開け、慌てて避難してきたリセを迎えいれた。
「もっと詰めてきなさい。スーツとかカメラとか駄目になるわよ?」
「は、はい……」
リセはちらりと自分とマリーの胸部を見比べて打ちひしがれると、首から下げたカメラがむなしく揺れる身をいそいそとマリーの傍に寄せた。
「写真は大丈夫? 濡れてない?」
「はい。カメラもポーチも防水気密性なので。マリーさんの写真もばっちり残してますよ」
「そう。次悪用したら燃やすわ」
「ひどい!? 貴重なフィルムの貴重な一枚なんですよ!?」
「貴女の物なのだから使い方は自由だけど、私の銃も使い方は自由よね」
「はい……」
相合傘の下、二人は連れだって歩く。
写真。一枚目の写真。その単語がマリーの脳裡で踊っていた。
話すなら今だろう。顔を見てはどうにも話しにくい。
「ねえ、リセ。一枚目の写真に映っていたメタンダイバーのことだけど」
「は、はい!!」
「その機体はおそらく――」
そのとき、マリーの言を遮るように通信が入った。
リセに断りを入れて、マリーは通信機を耳に当てた。
『マリー、今どこにいる?』
「隊長? こちらは上層区の繁華街です。リセも一緒にいます」
『それは好都合だ。二人ともドックに戻ってこい』
「……何かあったんですか?」
尋ねながらも、マリーは薄々その理由に察しがついていた。
『管理局付きの奴らが飛空艇を持って帰って来た』
「――」
『既に第二種警戒態勢が発令されている。都市にいるMD乗りは乗機に搭乗して待機だ。復唱』
「……第二種警戒態勢、都市にいるMD乗りは乗機に搭乗して待機」
『よろしい。難癖つけられるのも困るからリセの機体も此方で用意しておく。希望はあるか?』
マリーは一度通信機から耳を離し、不安気な表情のリセに事情を説明した。
「それで、リセ、貴女、MDはどれに乗れる?」
「ツァハかリノスなら。エアルも乗れますが、できれば遠慮したいです」
「……だそうです」
『よし、ならリノス級を一機解凍しておく』
「30分で戻ります」
『急げよ。さして時間は経たずに大騒ぎになるぞ』
「了解」
まさか本当に見つかるとは。通信機を切って急ぎ足で来た道を戻るマリーは心中でひとりごちた。
だが、幸運でもある。飛空艇の解析が進めば夫の夢の助けになるだろう。
あるいはアルビオに皆を連れてくるのもいいかもしれない。トマスやシモンは今では数少ない飛行機械の専門家だ。管理局も下には扱わないだろう。
空の夢にまた一歩近づける。それは間違いない。
――だが、この胸騒ぎは何だ。
「……」
止まぬ雨の下、唇を噛むマリーの横顔を、リセはじっと見つめていた。




