1話:NEET meets Girl
――第327都市型ビオトープ『ナイアス』
午後2時、窓ガラスを震わせる強烈な振動でトマス・マツァグは目が覚めた。
地面に杭を打ち込むのを何倍にも拡大したような大音量が、40歳になってやや遠くなった耳にもはっきりと聞こえたのだ。
「……うるせえな、何時だと思ってんだ?」
粗末なベッドの上でトマスはうめくようにひとりごちた。
今の“落下音”は珍しく都市に近い位置だ。ひょっとしたら誰か下敷きになったかもしれない、と思考は予測する。
だからどうした、と感情は切って捨てた。
この星では今や、人間の生死は死体か否か――すなわち、原子変換機に放りこめるかどうかの違いでしかない。
ともあれ、結局、目が冴えてしまったトマスはベッドから億劫そうに起き上がった。
本人としては起きたくなかった。
活動するにはエネルギーがいる。エネルギーを得るには食事をしなければならない。そんな無駄なことはしたくなかった。
なぜならば――
「金がねえ」
唯、その一言に尽きる。
トマス・マツァグ、40歳。
無精ひげと薄くなってきた茶髪がトレードマークの彼は定期収入のない、いわゆるニートであった。
「ああ、クソ。一昨日で電気止められたんだった」
これじゃあ早晩空気も止められるな、とトマスは自動点灯の筈の部屋の明りが点かないのを見上げ、面倒くさそうに呟いた。
ひとまずまだ止められていない水道で顔を洗い、ついでに空腹を誤魔化す。
“管理局”によって完全管理されたこの都市型にニートを養う物質的余裕はない。
木星においては水も空気も原子変換機によって作り出す物なのだ。
働いていない、すなわち、金のない者には呼吸する権利すら与えられていない。
したがって、どこにも雇われていない、求職活動さえしていないトマスのような落伍者であっても日銭を稼がなければ生きていけないのだ。
トマスは普段着代わりのパイロットスーツを着こみ、気圧を確認し、腰裏のウェポンラックに自衛兼自決用の拳銃を差し込むと、自動開閉機構の停止した玄関の扉をこじ開けて外へと這い出した。
途端、微かにオゾン臭のする清潔な空気とともに、無数の人が行き交う雑踏が視界に飛び込んできた。
トマスと同じようにパイロットスーツを着こんでいる男、両側頭部から三角形のアンテナを生やした女、明らかに規格のあっていないパーツを継ぎ接ぎしたサイボーグ等々。
雑多にして混沌。
金属水素の層から1500キロ上空に浮遊固定された人工地殻の上に建つ都市型ビオトープではありふれた光景だ。
トマスも道の端をだらだらと歩きながら、そのうねりの中へと紛れていった。
トマスとて生まれた時からニートであった訳ではない。
夫婦合わせて中層地区に一軒家を都合できる程度には稼いでいた時期もあった。あったのだ。
都市型ビオトープは中央部の原子変換機を中心に同心円状に都市を拡げている。
必要物資の多くを原子変換機に頼り、月の生産量が固定化されている都市では富んだ所で高が知れている。
が、ニートこそ稀ではあるが、一都市に30万人も人口がいれば労働量にも格差が生まれるのは必然である。
そこでいつからか、中心区画に近い方から上層、中層、下層地区と呼ばれ、住み分けがなされるようになった。これは殆どの都市型ビオトープで共通している同一規格といっていい。
主な違いは治安だ。都市警備隊としてもまずもって都市の生命線である原子変換機を守らねば話にならない。そのおこぼれにどれだけ与れるかの違いなのだ。
そして、中層地区といえば、通信の届かない都市間を繋ぐ“キャラバン”の長や都市警備隊等のそれなりの稼ぎがなければ住めない地区だ。
長くなったが、つまり、トマスにも金と地位があった時期があったのだ。今はないが。
彼は40歳と壮年の域にあるが、ニート歴はまだ3年という新人といっていい部類だ。
その前は7年ほど主夫兼ヒモをやっていた。尤も、3年前に妻に出ていかれてからはその言い訳も効かなくなったのだが。
「クソ。気分悪くなってきた。やっぱ帰ろうかな……」
ニートが頭にまで回ったのか、電気も食料もない我が家にトマスの帰巣本能は向きかけている。
吐き捨てる言葉に応える者はいない。見るからに金を持ってなさげなトマスに声をかける者は追剥すらいないのだ。
驚くべきことに、そこかしこにたむろする荒くれ者とて某かの方法で呼吸を許されるだけの金は稼いでいる。
たとえそれが死体製造業であっても、原子変換機に投げ込めば金になるのだ。
「おう、リック。これ貰ってくな。ツケといてくれ」
「帰れ、無一文」
「ここで帰ったらおっ死んじまうぜ、俺はよ」
「死ねよ、駄目人間。……チッ、5Bだ。きっちりツケとくからな」
行きがけの駄賃に通りに面した雑貨屋から緑色の果物を窃取する。
味と見た目は悪いが、カロリーと栄養価に優れる貧乏人の味方だ。銃弾5発分の値段にも文句は言えない。
雑貨屋の店主であるリックの接客態度には文句を言うべきかもしれないが。
執拗に釣銭を誤魔化す店主の脳天に未だに風穴があいていないのは、この都市の七不思議だとトマスは秘かに考えていた。
そうして、口の中に広がる何とも言えないもっさりとした味を堪能しながら、トマスはようやく目的地に辿り着いた。
30分で着く道のりに都合1時間はかけているが、無駄なあがきだった。
◇
トマスの目的地、メタンダイバーを管理するドック屋『シー・ガリラヤ』は下層地区にある。
大気中の水素が限りなく薄いビオトープ内ではMDの運用効率はガタ落ちする。
その為、MD関連の施設はどうしても都市外に近い場所で管理しなければならず、MDの修理および管理を受け持つドック屋も必然的に都市外縁部に店を構えることになる。
翻って、下層地区にあるからといってドック屋が貧乏であるとは限らないのだが――店の隣に山と積まれたジャンク品を見るに、常識は現実にマウントポジションを取られているようだ。
「相変わらずごちゃごちゃしてんな……」
7年間鍛えた主夫の虫が疼くが、清掃意欲を我慢してトマスは『シー・ガリラヤ』の店内に入った。
恐ろしいことに、店内は外よりもさらに大量のジャンク品に溢れていた。
おそらくはきちんと分類分けをしようとした努力がガラクタの山々から微かに窺われるが、世の中結果がすべてである。
トマスはゴミ溜めを適当に蹴り除けながら奥の作業場へと勝手に入っていった。
「おーい、生きてるか、ジジイ?」
「勝手に殺すな、クソガキ」
返事は意外と近くから返って来た。
ジャンクの山々の間に沈みかけた作業机から老人がのそりと立ち上がった。
見た目は60代後半から70代前半といったところだろう。
僅かに残った白髪が埃混じりの店内に空気に揺れ、鋭い視線を放つ右の黒瞳とガラス玉のような左の義眼がトマスを見据える。
老人の名をシモンという。この店の店主である。
「トマス、MD乗りならもちっと頻繁に顔出せ」
「あー、説教はいいから。機体の整備はどうなってる?」
首に提げた十字架のネックレスを弄りながらシモンは溜め息をついた。
「前の出撃から二週間経ってるんだぞ。とっくの昔に終わっとる」
「そいつは重畳。俺は生きていけるだけ稼げればいいんだ。MDを仕事にする気はないね」
40歳にもなって大人げない言を弄するトマスにシモンは呆れたような視線を向けていたが、暫くして先よりもさらに深々と溜め息をついた。
言葉でどうこう言われるよりもよっぽど堪える仕草だった。
「今日もひとりで出るのか?」
「……近郊の自律機械をいくつか狩ってくるだけだ。ケツ持ちなんていらねえよ」
「お前には後進を育てるという気概は無いのか」
「“凍れる時計”に何言ってんだよ。凍った時計は動かねえ。
第一、俺とデートしたいなんて酔狂な奴がいるかって――」
そのとき、トマスは言いようもない嫌な予感を感じて口を閉じた。
シモンとするいつもの軽口の筈だった。なのに、目の前の老人は何故こうも笑顔なのだろうか。
「それがいるんだな、これが。――来なさい、デルフィ!!」
シモンの軍隊仕込みのよく通る声が店の奥まで響き渡る。
次いで、たったったっと小刻みなテンポの足音がジャンクの山の中から聞こえてきた。
そうしてひょっこりと現れたのは12歳ほどの外見をした少女だった。
青く透き通った髪を左右で括り、不純物を極限まで排した幼くも整った可憐な美貌。
表情の抜け落ちたような顔と金色の瞳はどこか機械的ですらあったが、不気味さよりも無機物的な美しさが際立っている。
昔話に聞く、『天使』とはあるいはこんな顔をしているのかもしれないとトマスは密かに思った。
ともあれ、ひとまず通過儀礼だとばかりに鼻で笑って見せる。
トマスも初めてMDに乗った10歳の頃、大人たちにそうされて奮起したのだ。
「ガキじゃねえか」
「見た目の年齢なんぞに何の意味がある」
「ん? あー、デザインチャイルドか」
そういった目的向けに遺伝子を調整された子どもは見た目が成長しない。
他にも尻尾だのアンテナ耳だのを足された変異生物もどきはこの都市にもごまんといる。
「遺伝子を調節された痕跡はあったが、それ以上は調べられなかった」
「そうかい。つーかどこで拾ったんだよ、こいつ?」
「パーツ探しに中央遺跡に潜ったときにな」
「また無茶してるなジジイ。まあ、見た目は置くとして、テクはどうなんだ?」
トマスとしてはなんとか難癖を付けて同行を拒否したい所であったが、早くも戦局は敗色濃厚であった。
そも彼に交渉の手管を仕込んだのはシモンなのだ。当然、勝てる算段をつけてから事に臨んでいる。
「リノス級はそれなり。他も何とか、といったところだ。巷では早くも二つ名がついておるぞ」
「へえ、なんて?」
「“粉砕姫”だ。ロリコンに定評のあるお前なら大丈夫だろう。暫く面倒を見てやれ」
それで話は終わりとばかりにシモンは踵を返して作業机に戻っていった。
「誰がロリコンだ!! てか面倒みるって、俺にはマリーが」
「愛想尽かされて出ていかれたんだろう? 少しは甲斐性を学べ」
「ぐ……」
なんだかんだで上官にして人生の師には逆らえない。本能に刻まれた習性だ。
トマスは諦めと共にもう一度デルフィを見遣った。
外見上は見紛うことなき子どもだ。オーダーメイドらしき白を基調としたパイロットスーツはトマスの胸元ほどしかない背にきっちりと合わさっている。
加えて、よほど高純度の耐衝撃ジェルを使用しているのか、胸部アーマーの下、装甲の薄い腹部は臍が僅かに透けて見える。
耐衝撃ジェルは性能の良いものほど不純物が少なく透明に近い色になる。
デルフィの小さく慎ましやかな臍がみえるのは、それだけスーツの性能が高いことの証明でもある。
「……ロリコンじゃないんだ、本当だ」
「ロリコン?」
デルフィは金の瞳でトマスを見上げながら小首を傾げた。
最悪の第一声であった。思わずトマスは膝から崩れ落ちそうになった。
「違う。俺の事はトマスでいい。とりあえず、一度だけ付き合ってやる、デルフィ。狩りの時間だ」
「了解」
表情や胸元と同じ平坦な声に何か文句を言うべきかとトマスは迷ったが、暫くしてそんなことをする意味がないことに気付き、結局、何も言わずにMDドックへと足早に向かっていった。
その後を小さな足音がついて来る。
「……」
シモンの顔を立てて一度だけ付き合ってやるだけ。
そう思ってはみても、少しだけ過去の記憶を思い出したトマスであった。
◇
シー・ガリラヤの第一MDドックは外見の雑然さに反して最大5機を収納できる中規模のドックだ。一部に今は亡き都市連合軍の機器を流用していることもあり、評判はそれなりに良いという。
とはいえ、他のドック屋を使ったことのないトマスにとっては狭苦しいという印象しかない。
奥にもうひとつ扉があるが、まさか向こうもジャンクで満杯ではないかと思うと、とてもではないが開く気になれなかった。
シモンの辞書に整理整頓という文字はないのだ。
ともあれ、トマスは倉庫の隅で二週間ほったらかしにされて少し埃かぶっている愛機に慣れた手つきで乗り込んだ。
軽量級――主に偵察、かく乱を目的に開発されたと思しきMDである。
骨格標本じみた外見に違わず軽いその機体は加速性能に優れ、数十秒程度なら低空飛行も――トマスにとっては“跳ねる”程度のものだが――可能とする脚部可動式ホバーブーストが特徴で、とにかく伸び足がある。
代わりに、防御性能と攻撃性能が大きく犠牲になっているため人気はない。
トマスはこの浮遊し、稀に空を跳ぶ鋭角的な棺桶に中量級用のショットガンを無理矢理に装備させて運用していた。
そうまでしてエアル級に乗るのはいい年こいてスピード狂のサガと、ソロのMD乗りとして戦場離脱能力を重視している為である。
「神経接続開始、システム起動、全機能クールからホットへ」
メインエンジンに火を入れつつ、トマスは外部カメラを表示させて行きずりの仲間となったデルフィの様子を確認した。
デルフィはどうみても解凍したてのリノス級に乗り込んでいる。
迷いのない動作は熟練――というよりもインプットされた命令をこなす機械を連想させた。
尤も、「機械のような」というのはこの星では最大限の侮辱に当たるため、流石のトマスも面と向かっては言わないが。
デルフィの搭乗するリノス級は中量の名の通り、白兵戦を主として汎用性に優れるMDである。
右にアサルトライフル、左に巨大な杭を具えた両腕は降着時は地面につきそうなほど長い。全体的に堅牢な構造になっているのと併せて元が作業用機械であった名残だという。
「……うし、エンジン正常起動、重力子展開率5%」
メインエンジンが安定起動に入り、トマスの体にかかる重力が緩和される。
反重力フィールドが装甲の3センチ上に展開し、機体がふわりと浮きあがって爪先が地面から離れる。
メタンダイバーの動力は機体の大まかな操作と防御機構を反重力エンジン、ホバー駆動を水素燃料エンジンで行うハイブリッド式である。
大気中の水素が薄い都市内では主に反重力エンジンの重力制御によって移動することになる。
「重力偏向開始。――デルフィ、そっちはどうだ?」
『全機能オールグリーン、即時出撃可能』
「上出来だ、キティ」
『仔猫? デルフィは仔猫では……ない?』
「猫なんて地球の童話にしか出てこんだろうが。ってか、なんで疑問形なんだよ」
『デルフィにはシモンに拾われる前の記憶がない』
「今さらっと重いこと言われた気がするぞ」
これもしかしてシモンに嵌められたか、と思いつつもトマスはひとまず目前の狩りに集中することにした。
今、何を聞いたとしても、全ては生きて帰ってこれなければ無駄なのだ。
狭苦しいコックピットの中で深呼吸を繰り返す。
機体に不備はない。スーツの耐衝撃ジェルはかなり濁っているが、まだ機能を維持している範囲内だ。
緊急用のエアも最大値まで積み込まれている。シモンの整備に抜かりはない。
(大丈夫、俺はもう飛ばない。だから、もう墜ちない)
そう自分に言い聞かせて、反重力の波に乗るようにして、前面シャッターの開けられたドックから機体を人工照明の下に曝け出す。
シートに押し付けられるような圧力、内臓を浮かせる反重力、機体上部の吸気ファンから水素を取り込む甲高い音。
10年前から何も変わっていない全てが嫌だった。
なにより、この棺桶の中でこそ一番落ち着く自分が嫌だった。
こんなものに乗ることを仕事にしていた昔の自分の気が知れない。
「……行くぞ、デルフィ」
『了解』
こみ上げる不快感を呑みこみ、トマスは機体を発進させた。
キカプロコン二次通過より 絵/猫乃よもぎ 様