2話:Ghost Ship
――第115都市型ビオトープ『アルビオ』
しとしとと温かい雨が都市を覆う反重力の膜から降り注ぐ。
規則的に庇を叩く雨音を聞きながらマリーは宿の一階で食後のコーヒーを楽しんでいた。
視線を通りに向ければ、細雨に逐われた旅行者が慌てて露店で傘を買っているのがみえる。
提示された額は明らかにぼったくりだが、“雨”を初めて浴びるらしい旅行者は気付く様子もない。
マリーも初めてこの都市を訪れた時は同じような反応をした覚えがある。この都市の洗礼のようなものだ。
木星開拓初期に創設されたアルビオは都市に併設された特殊な製水機関から大量の水を供給することで他の都市とは異なる循環系を形成している。
定期的に降る人工雨はその最たるものだろう。
ビオトープを包む反重力フィールドに巻き上げられた大量の水は大気中の不純物を洗い落し、人肌ほどのぬるい熱を以て都市の温度を保っている。体感で他の都市よりも5,6度は暖かい。
おかげでアルビオ住民の服はどれもこれも耐水性の薄着で、マリーとしては見ているだけでも色々と心配になる。
若気の至りで一着だけ購入したのがあるが、今のところ使用する機会は訪れていない。
そもそもMD乗りの観点から見ても、現在生産されているパイロットスーツは耐水性に難がある。
マリーのように軍時代に入手した宇宙用対Gスーツ(旦那とお揃いの色違い)を使い倒しているならともかく、長時間MDに搭乗する為にスーツの消耗が激しいキャラバンの間ではアルビオは商業路から外されがちだ。
そこに目を付けて利益をあげているのがマリー達のキャラバンだ。
持ち込んだ品々は希少なために輸送の手間を考えても十分な利益がでるし、アルビオ産の服飾も他の都市では物珍しさから捌きやすい。
実際に来て見れば、これはこれで悪くないと言うのがマリーの感想だった。
「――で酷いんですよ!! 尋問室に連れて行かれたと思ったら人を嘘発見器にかけたり精神鑑定したり、もう息が詰まるかと思いましたよ。一週間も延々質問責めされてようやく信じてくれたんですよ!? 疑り深いったらないです……聞いてます、マリーさん!?」
甲高い声に引かれて、つと視線をテーブルの対面に戻す。
自然と非難がましくまぶたを半分おろした目になるが、対面のリセは気付く様子もなく、鼻息も荒く遅い昼食を平らげつつ不満を垂れ流している。
喋る口と食べる口が別なのではないかと思うほど途切れなく続く言葉には、呆れが一周して感心さえする。
「そう、大変だったのね」
「ほんとですよ。失礼しちゃいます!!」
断りもなく対面に座られたマリーは席を立つタイミングを逸したまま、聞くとはなしにこの一週間繰り返された愚痴を聞いている状態だ。
初日こそはそれなりに真面目に聞いていたが、さすがに七日も続くと食傷気味だった。
一週間前、アルビオに到着したマリー達はひとまず管理局にリセを連れて行き、“飛空艇”について丸投げした。
もしも飛空艇が実在しているのなら間違いなく戦後最大の発見だ。明らかにいちキャラバンの手に余る。
都市の生命線たる原子変換機を支配する管理局は、その延長として都市の行政や都市周辺の外海の安全管理も請け負っている。目と鼻の先に飛空艇があるとなれば都市に住むMD乗りの動員権だって行使するだろう。
それもこれも、マリーの目の前の少女の言動が真実ならば、だが。
どうやらアルビオの管理局は妄言と伝説に片足ずつ突っ込んでいる少女の発見を真に受けたらしい。既にキャラバンは情報の流出を防ぐため足止めを食らっている。
とはいえ、そうでなくとも自主的にアルビオに残っただろう。ひとつの都市の中枢が信じたことで飛空艇が実在する信憑性はいや増している。
だが、騒動の渦中にある筈のリセは昼食を終え、暢気に不織布を取り出してカメラのレンズを磨いている。
ここで「実は嘘でした」などと言われるとキャラバン諸共都市を追い出されかねないのだが、気負いのない少女の様子はまるで飛空艇の実在を信じて疑っていないようにみえる。
「気に入ってるの、そのカメラ?」
「え、これですか? そうですね、一品モノですし」
「状態もよさそうね」
「はい!! そりゃあもう!!」
自分が褒められたかのようにリセははにかんでカメラを撫でる。
プリンター付きの無骨なカメラは発掘品だろう。フィルム共々生産しているビオトープはもうない。
戦前の主流はホログラム表示のデジタル式であり、フィルム式はただでさえ少数派だった上に、生き残りをかけて機能の複雑化が進んでいたらしい。
リセの持つようなシンプルなタイプは、戦時に於いてデジタル式だと“汚染”の危険のある前線で使用する為にデチューンして生産されたものだろう。
尤も、どちらにしても“魔の一日”で生産設備は軒並み吹き飛ばされたのだが。
不幸中の幸いなのは、リセのカメラは現像する設備を必要としないその場で印刷されるタイプであることだ。生産設備同様、フィルムを現像する設備も根こそぎ吹き飛んでいる。
「マリーさんにはないんですか? 自分の宝物!みたいなのって?」
「旦那」
「惚気られた!? というか、マリーさん結婚してたんですか!?」
「今年で10年目」
「え? …………え?」
表情も変えずに断言したマリー(24)を半信半疑で見つめていたリセだが、どうやら本気だとわかったらしく大げさに感嘆の息を吐いた。
この娘はいちいち仕草がオーバーだ。
「はぁ、勇気のある旦那さんですね」
「……」
「い、いえ、他意はないでふむぎゅ」
手を伸ばして何故か怯えているリセの頬をつねる。宿で銃をぶっ放さない程度の良識はマリーにもあった。
「は、はなふぃてふださい~」
指先に感じる真白く瑞々しい肌の手触りはナイアスに置いてきたもう一人の家族を思い出させる。
しばし堪能してから手を離すと、リセは恥ずかしげに赤くなった頬を押さえた。
そろそろ本題に入るかとマリーは頭を切り替えた。
「それで、貴女はなんで私に付き纏ってるの?」
「え? ……あ、忘れてた!!」
リセはポーチから銀光を捉えた写真を取り出してテーブルに叩きつけた。
傘を差さずに宿まで来たのか、衝撃で渇きかけの暖色の髪から雫がひとつ散る。
藪蛇だったとマリーは秘かに眉を顰めた。
「後で教えてくださいって言いましたよね!!」
「私は承ってないわ」
「そんな!?」
この世の終わりのような顔をする少女から視線を外し、思考を回転させる。なんとかしてこの場を切り抜けなければならない。
これは迂闊な反応をしてしまった自分のミスだ。かといって、もう一人の家族とその半身――“デルフィ”のことを素直に話す気はない。
あまりにも厄ネタに過ぎるし、そもそも信じて貰えるとも思えないからだ。
「教えてください。憧れなんです!!」
「……」
それでも、必死に言い募るリセに心は迷う。
憧れているという言に嘘はないのだろう。少女の碧眼に宿る光は空を見上げる夫のそれを同じ輝きだ。
惚れた弱味かもしれない。マリーはその輝きにめっぽう弱い。
迷いはいつしか軽い苛立ちに変わり、マリーは無意識に煙香のパッケージを取り出し、そのまま硬直した。
「……」
モクを手にしたまま更に悩む。
リセは黙って待っていたが、堪え切れなくなったのか、おもむろにカメラのシャッターを切った。
かしゃりとレンズが瞬きし、フィルムを巻き取る音がしてカメラの下部から写真が吐き出される。
「フィルムもその一つだけじゃないの?」
「そうなんですけど、マリーさんがかっこよくて、つい」
「……」
毒気を抜かれたようにマリーは小さく息を吐いた。
写真を撮られるのも10年ぶりだ。余計な詮索を避ける為に軍時代の記録の多くは処分したが、部隊の皆で撮った写真だけは今も家に残っている。そこにはまだ子供だった頃の自分がいる。
今、掌大の写真に映った赤毛の女は10年前とは違う。
この10年、色々なことがあった。
特にキャラバンとして都市を出てからの3年は――寂しくはあったが――今も降り続く雨のように、多くの発見があった。
(私は変われたよね、あなた)
うん、と己の中で一つ区切りをつけ、マリーは手の中にあったモクのパックを対面に投げ渡す。
リセは「おわっ!?」と色気に欠ける声と共に何度かお手玉してどうにかキャッチした。
「それ、まだ半分残っているから、定価で売ってきなさい。それができたら、写真のMDについて教えてあげる」
「え、半分しかないんですよね? 定価じゃ誰も買ってくれないですよ!?」
「だから、工夫しなさい」
「うぐ、わ、わかりました。でも、これ売ってもいいんですか。貴重品ですよね?」
「……うん、私にはもう必要ないものだから」
リセは怪訝そうにマリーを見つめていたが、外の雨が止んだのを機に、懸念を振り切って飛び出して行った。ちゃっかり自分の勘定は払っているあたりに如才なさを感じる。
跳ねるようにして雑踏の消えていく背中を眺めながら、マリーは二杯目のコーヒーを頼んだ。
視界の端に、郷に入って耐水性の薄着を着たむくつけき同僚達が雨上がりの繁華街に繰り出していくのが見える。
見なかったことにして、静寂を味わうようにカップに唇を触れさせる。
この宿のコーヒーは、どこか苦かった。
数分後、リセは満面の笑みで戻って来た。
そうして、意外そうな顔をするマリーに対し、薄い胸をこれでもかと張って先ほど撮った写真を自慢げに突きつけた。
「マリーさんの吸いかけだと言ったら定価の二倍で売れました!!」
「――――」
マリーは無言で腰裏から拳銃を抜きだし、スライドを引いて軟質弾を装填。
そのまま流れるような手つきでリセの額を狙って照準し、引き金を引いた。
「ぎにゃあ!?」と間抜けな悲鳴が都市に響いた。
◇
銀の海に張りつめた空気が訪れる。
アルビオから派遣された、機動性を重視し軽量級で8機からなる捜索隊は呆然と“それ”を見上げていた。
“それ”は外海に浮かぶ島と島の間に潜むようにして在った。
周囲の銀景色に溶け込むように外観を光学的に迷彩し、液体金属の海面から数センチ上に滞空していた。
“飛空艇”、宇宙を飛ぶ船、喪われた超技術の結晶。
飛空艇は、意図してそうしているのかは不明だが、他の都市へのあらゆるルートからも外れた場所で、“能動迷彩制御”によって視覚のみならずセンサーやレーダー探知も透過していた。
そこにあると言われなければ決して見つけられなかっただろう。
『マジであったぞ、おい……』
故に、ひとりの隊員が漏らしたその一言に捜索隊の総意が表れていた。
アルビオからリセの報告した発見地点まで3日、補給を挟みつつ付近を捜索すること2日。
ようやく見つけたという安堵と「見つけてしまった」という言い知れぬ感情が隊員たちの脳裡に渦巻いていた。
彼らとて頭からリセの報告を信じていた訳ではない。
むしろ、何かしらの大型機械を見間違えた可能性が高いとみていた。とはいえ、そうであったとしても、都市近郊に未発見の敵性機械がいることに変わりはない。アルビオの管理局は翌日には捜索隊を派遣する手はずを整えていた。
『おい、ひとっ走り通信可能域まで行ってこい。管理局に報告するんだ』
『りょ、了解!!』
『残った者は調査にかかれ。細心の注意を払って行動しろ』
通信を介して共有されるざわめきを整理しつつ、捜索隊はさらに接近を試みた。
未だ飛空艇からは何の反応もなく、それが逆に不気味だった。
『……攻撃してこないな。発見者はMDぶっ壊されたって言ってたよな』
『何か条件があるのかもしれん』
捜索隊は最大限に警戒しつつ、散開し各々で飛空艇の様子を観察する。
想像していたのよりもずっと小さい、と誰もが思った。
景色に滲んでいて細部はあやふやだが、細身のシルエットで、全長は30メートル弱といったところ。MDを5機も積めば満杯になってしまう大きさだ。大型機械の中では最小クラスと言ってもいい。
おそらく“最初の人々”を連れてきたという方舟のような移民船ではない。むしろ迷彩装備など積んでいるあたり、戦闘用である可能性が高いだろう。
『……本隊到着後、攻撃を警戒しつつ能動迷彩制御を含む全武装を閉鎖。できる限り状態を保ったままアルビオに運び込むぞ』
『了解。久々の大仕事ですね』
『まったくだ』
誰にともなく捜索隊は空を見上げる。
コックピット越しに見える木星の空はいつもの分厚い曇天。
この星では宇宙はおろか、星空を見たことある者さえあまりに少ない。
故にこそ、星空を泳ぐ飛空艇は彼らにとっておとぎ話から飛び出してきた幻の如き存在だった。
『こいつは、時代が変わるぞ……!!』
場に極度の緊張と興奮が満ちる中、飛空艇はただ沈黙を保っていた。




