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メタンダイバー  作者: 山彦八里
第二章:銀海のフィルム
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1話:Her Name is LICEC?

 木星の空はただひたすらに暗い。

 闇、闇、闇。故に、空を見上げるのは嫌いだった。

 見渡す限りに広がる黒い曇り空がまるで巨大な蓋のようにみえて、胸を締め付けるのだ。


 だから、その光景(シーン)は目に焼き付いている。


 曇を切り裂くように一直線に飛ぶ銀の光。

 その美しさに目を奪われた。ひたすらに心を奪われた。

 気付けばカメラのシャッターを切っていた。

 だが、光速の数%に届くその速度が映る筈もなく、写真に残ったのは雲を吹き散らした銀の軌跡ばかり。

 それでも閉塞感は薄れていた。胸の内の曇り空を晴らす太陽があった。


 だから、いつかあの光に追いつきたいと願ったのだ。





 ▼メタンダイバー/第二章:銀海のフィルム




 見渡す限りの銀の海がある。

 合間に気休めのような浮き島を散らばせて、海は地平線の彼方まで続いている。

 外海とも呼ばれる粘性の強い液体金属で構成された海は、遥かな昔に木星本来の金属水素層から1500km上空に築かれたこの人工地殻の殆どを占める要素だ。

 極小機械群を含むその海は呑みこんだ全てをゆるやかに分解し、木星全体を覆っている。

 確固たる大地を持たないこの星で立って生きていけるのはこの海があるからだ。

 地球(アース)から木星(ジュピター)にやって来た“最初の人々”が遺した最大の遺産だろう。


 その海を行くMD、メタンダイバーの一団がある。

 都市から都市へと旅する商隊、“キャラバン”と呼ばれるMD乗りだ。

 数は20機。重量(ツァハ)級の背部ペイロードに巨大なコンテナをマウントした15機と、護衛と思しき武装した5機。

 無骨な前面装甲と全体的にずんぐりとした体形が特徴的なツァハ級だが、元は輸送用機械だったこともあり、ある意味で原点に回帰しているといえよう。

 一方で、護衛はそれぞれに派手な塗装を施されており、彼らが都市を出てから機体を換えていないことを詳らかにしている。

 その中でも特に目を引くのは、目にも鮮やかなフレイムパターンに塗装されたツァハ級だろう。


『調子はどうだ、マリー?』

「全機能正常、エア残り7割」


 そのフレイムパターンのツァハ級を操るマリー・マツァグは護衛部隊長の通信にそっけなく答えて口を閉じた。

 敵性機械が潜む危険性は元より、極小機械群による分解の効果もあって“船”は海を往くのに適さない。

 反重力によって海面数センチ上を滞空する全長3メートル弱のMDは外海を渡るほぼ唯一の移動手段だ。

 そして、MDに搭乗しての旅は退屈との戦いでもある。

 旅の中でMD乗りに与えられるのは、ひたすら代わり映えのしない銀景色と、機体上部の吸気ファンから水素を取り込む甲高い音、そして共に行く同僚からの通信だけだ。

 元来口下手のマリーとしては、最後のひとつを同僚に提供できないことを申し訳なく思うこともある。


『この調子なら補給なしでアルビオに着くな』

『おお、水が豊富で酒がうまいとこだったな!!』

『女もいいだろう。あそこは都市型の中でも薄着の奴が多いからな』

『マリーもたまにはパイスー以外の格好もしたらどうだ? いい古着屋を紹介するぜ』

「旦那以外に肌を見せる気はない」


 にべなく切って捨てた一言に通信機の向こうで苦笑の気配がした。


『へーへー。お熱いことで』

「当然」

『こんなに想われてる旦那サマがうらやましいな。オレもこんな奥さんが欲しいぜ』

『そう思うならテメエは浮気癖を治せ。マリーを見習え』

『言ったなこの野郎!! そういうお前だって――』


 3年も同じキャラバンに所属していれば言葉の外で伝わることもある。

 当初こそ護衛の中で紅一点のマリーを扱いかねる空気もあったが、今となっては口下手な部分すら話の種になっている。

 友というには近く、家族というには少しだけ遠い距離感はマリーにもほろ苦く、懐かしいものがある。

 機械と人が全面戦争を繰り広げた10年前、何も知らなかった14歳の頃の思い出だった。


 声量を増していく通信とは裏腹にキャラバンは粛々と外海を進んでいく。

 キャラバンの行程は綿密な計画の上で実行に移される。

 都市の外では食料は補給できず、オアシスを中継しなければ水や酸素(エア)も得られず、おまけにルートによっては自律機械の群れに遭遇する危険もあるからだ。

 以前は不意の襲撃を受けてナイアスに取って返したマリー達だが、その傷も癒え、一月遅れたマリーも合流したことで、こうして一人として欠けることなく旅を再開することができた。


『だいたいお前は行く先々でコナかけやがって!! 次に寄ったとき気まずいだろうが!!』

『そんな軽い気持ちじゃねえよ。俺は俺なりに真実の愛を探していてだな――』

「ん、待って」


 通信を聞き流しながら、ふとマリーは視界の端で見慣れない物を捉えた。

 それは各坐した中量(リノス)級のMDだった。

 相対距離は遠い。砲撃を主とする為にセンサー系を強化してあるマリー機だからこそ捉えられた機影だった。

 アイセンサーを拡大すれば、リノス級からは未だ火花が上がっている。破壊されてから間もないのだろう。


「発見、リノス級大破、まだ火花がみえる。誘爆する様子はない」

『索敵……センサーに敵影なし。機械地虫ワームか? だが、ここはもう都市に近いぞ』

『どうします、隊長?』

『キャラバンを止める。全機警戒態勢!! マリーとあと一機、確認してこい』

『ヤー!!』

「了解」


 キャラバンが止まると同時、マリーは機体を操作して陣列から飛び出した。

 フレイムパターンが海面に反射し、ツァハ級の重く伸びのあるホバーブーストが一直線に波紋を描く。

 外海で各坐したMDに遭遇することは稀だ。

 木星は広く、そもそも外海で他のMD乗りに会うこと自体が少ない。その上、機体の重力子機関が停止すればMDはなす術なく銀海に沈む。

 そして、MDが撃破される主な理由は二つ。他のMD乗りに撃破されたか、敵性機械に撃破されたかだ。


 今回、前者である可能性は低い。

 MD乗りには『撃破したMDは即座に沈めなければならない』という鉄則があるからだ。

 俗に幽霊MDと呼ばれる敵性機械に変わるのを防ぐための処置だが、これを怠るような不心得者が生きていられるほどこの星は甘くない。

 故に、後者。そして、敵性機械同士で争うことは殆どない。“彼ら”は何かひとつの意思に統一されたかのように揃って人間を襲うことに執着しているからだ。


(エアの漏洩具合からして3分は経っている。手遅れかもしれない)

「そこのリノス級のパイロット、まだ生きてる!?」


 マリーは微かに焦りの滲んだ声を通信機に投げ込んだ。

 MDという鎧に守られていなければ、人はこの銀海で5分と活動できない。

 メタンと水素で構成された木星の大気組成は人間が生存できるようにはできていないのだ。


『……いき、が』

「!! 頑張りなさい。今、助ける」


 果たして、応えは得られた。

 カバーを追走する僚機に任せてマリーはホバーブーストを全開にした。

 マリーとて普通ならば顔も知らない他人が死のうと知ったことではない――自分たちの目の届かない所で死ぬならば、だが。

 キャラバンは信用商売だ。他のMD乗りを見捨てたなどという悪評が立てば商売あがったりだ。場合によっては都市への入城を拒否されるおそれもある。


 なにより、聞こえた声はまだ子供のものだった。



 ◇



「ん……」

「起きた?」


 微かに声が聞こえた気がして少女はゆっくりと目を開けた。

 ぼやけた視界一杯に逆さまの女性の顔が映る。

 真紅のパイロットスーツの胸元を押し上げる豊かな膨らみと、頬をくすぐる燃えるような赤毛が鮮烈な印象を残す。

 数瞬して、膝枕されていることに気付いた少女は慌てて起き上がった。


「あわわ、ご、ご迷惑をおかけしました!!」

「……思ったより元気そうね」


 尻を払って立ち上がったマリーはぺこぺこと頭を下げる少女をそれとなく観察した。

 声から予想した通り、14歳前後と思われる、ショートカットにした暖色の髪に碧眼の映える見目の良い少女だ。

 身長はマリーと同程度だが、起伏の少ないスレンダーな体は蕾を思わせる。

 首から提げたポラロイドカメラが物珍しいが、白を基調としたパイロットスーツの耐衝撃ジェルはまだ透明で、まだ新米なのではないかとマリーは思考の中であたりをつけた。


「悪いけど、貴女の機体は沈めたわ」

「……いえ、あの損傷具合では遅かれ早かれ沈んでいたでしょう。お手数をおかけしました」


 再び頭を下げた少女の受け答えにマリーは微かに眉を上げた。

 見た目の年齢以上に分別がついている。無鉄砲な子供かとも思ったが、あるいはデザインチャイルドの類かもしれない。


「貴女、名前と所属都市は?」


 頭を下げる機械と化していた動きをピタリと止めて、少女はマリーに向き直った。


「リセと申します。所属都市は第887です。この度は危ない所を助けていただきありがとうございました」

「……そう。私はマリー。キャラバンの護衛をしているわ」


 その一言で少女は事情を察した。

 周りを見れば、此処がオアシス型ビオトープであることがわかり、手持無沙汰の隊員達のなまぬるい視線がそれとなく向いていることにも気付いた。


「……もしかして、予定外の停泊ですか?」

「さすがにね。貴女、怪しいし」

「面目ありません」


 直球で投げた言葉にリセと名乗った少女は困ったように笑った。

 キャラバンの旅程は概して、機体に充填したエアが半分を過ぎる前に次の生息圏(ビオトープ)に着くように計画されている。

 今回ならば目的の都市までの間に保険として2、3のオアシス型を経由できるようルートを組んでおり、不意の事態にも対応できるようにしている。

 キャラバンとしても少女をそのまま都市に連れていくのは避けたかった。

 ソロのMD乗りというのは極めて少ない。仲間がいなければ外海でMDが大破した際にリカバリーする手段がないからだ。

 そして、MDというのは壊れることに定評のある機械だ。


「887って殆ど木星の裏側よね? こんな所まで何しに来たの?」

「あ、それはですね……」


 さして迷う風もなく少女は腰のポーチから一枚の写真を取り出した。


「私、このメタンダイバーを追いかけてるんです!!」


 写真に映っていたのは、雲を貫いて飛ぶ一筋の銀光だった。

 かなりの高速だったらしく映っているのは軌跡のみ。余人はそれをみても質量弾が降って来たのだと思うだけだろう。


「――――」


 だが、マリーは秘かに息を呑んでいた。

 天に昇る銀光に、その速度に心当たりがあった。


(“デルフィ”、なの?)


 パイロットと同じ名を付けられた、四大衛星に特攻することを宿命づけられた銀色のMD。

 写真と脳裡に思い浮かべた姿が瞬時に結びつく。

 その一瞬の動揺に正面にいたリセは過たず気付き、勢い込んで身を乗り出した。


「なにか知ってむぎゅ!?」

「事情を聴くのが先。貴女は何に襲われたの?」


 片手で顔を押し留められたリセは「後で教えてくださいね」と念押しして、名残惜しそうに身を引いた。

 次いで、ポーチから二枚目の写真を取り出した。

 そこには縮尺が狂ったような巨大な流線形の物体が映っていた。

 コックピットのカメラに映った映像をさらに写真に撮ったらしく、画像は荒いが、タイプ:クラーケンに代表される大型機械の生物的なフォルムとは一線を画していることはわかる。

 なにより、その物体は海上に浮遊(・ ・)していた。

 敵性機械が潜む危険性は元より、極小機械群による分解の効果もあって“船”は銀海を往くのに適さない。

 反重力によって海面数センチ上を滞空する全長3メートル弱のMDは銀海を渡るほぼ唯一の移動手段だ。


 だが、ここに例外が存在する。

 最古は“最初の人々”が乗って来たとされる方舟、そして木星開拓初期に少数ながら生産されたとされる幻の存在――


「――“飛空艇”(アウトリガー)に襲われたんです、私」


「…………正気?」

「ホントですって!! ほら、写真にも残っているじゃないですか!?」

「ん……」


 突きつけられた写真を二度見して、マリーは頭痛を堪えるように額を押さえた。

 この少女がどうにかして偽造した可能性もないではないが、そうする理由が思い浮かばない。


 なにより、これが本当に飛空艇なら、この機会を見逃すわけにはいかない。

 夫の、トマス・マツァグの夢を応援するとずっと前に決めているのだ。

 よしんばこの飛空艇が暴走していて宇宙(ソラ)を飛べずとも、原形を留めている機体から得られる技術、知識は計り知れない。


「ちなみにこの船、レーダーにもセンサーにも反応しませんでした」


 結局、最後の一言がマリーに決意を固めさせた。

 通信機を取り出し、もしものときの為にMDに乗って待機していた隊長に繋ぐ。


「隊長」

『会話は此方でも拾っている。これは俺達の手に余る。都市に報告すべきだろう』

「肯定します。それと、ブツは“能動迷彩制御”(アクティブクロース)を装備している可能性があります」

『それはどういう装備だ?』

「センサー、レーダーの無効化に加え、外見を(・ ・ ・)偽装する(・ ・ ・ ・)特殊光学迷彩です。敵性機械に攻撃されないことを目的として研究されていた……と聞いたことがあります」

『どこで聞いたかは問わないぞ』

「恐縮です」


 10年前の戦争の責任を都市連合軍に求める者は少なくない。

 過去は見て見ぬふりをするのが互いにとって最上だ。

 通信を終えて、マリーは状況について行けずぽかんとしているリセに向き直った。


「貴女を直近の都市“アルビオ”に連行する。

 ……発見の報奨金くらいは貰えると思うから、おとなしく付いて来て」


 少女には首を縦に振る以外の選択肢はなかった。

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