14話:Take Off
『バックアップメモリーを解凍します』
“機械的”な音声が地下格納庫に響く。
応じるように、白亜の機体の周囲に鎮座するコンピュータがひとつずつ起動していく。
未だ“汚染”されていないことをみるに、それらのコンピュータは都市の――現在は遺跡と化しているが――基幹システムに直結しているのだろう。
トマスは視界の端でマリーがコンソールに飛び付くのを見て取った。
周囲に危険がないとみるや情報収集を開始するのはキャラバンで鍛えられた知恵だろう。
だが、今、男はそんなことは気にならなかった。
意識の全てが白亜の機体に向いている。
曲面を多用された優美な装甲に、地球にいるという『鳥』のそれを模したのであろう巨大な双翼。
脚部にホバーブーストが搭載されていないのをみるに、駆動の全てを重力子機関によって賄っているのだろう。
武装の類は持っていないが、おそらくは格闘兵器を内蔵している。重力子を解放した高速戦闘において、火器の類は自機の速度よりも遅いため使い物にならないのだ。
MDとしては異質で、優美とすら言えるその姿は作業機械由来の通常のそれとは一線を画している。
「……」
先程からうまく呼吸ができない。動悸が止まらない。何かが音を立てて崩れていく幻聴が耳を苛む。
この機体は明らかに通常のMDとはまったく別のコンセプトで造られている。トマスにはそれがわかってしまった。
当然だ。この星で最もそれを理解している――理解していると思っていたのだ。
間違いない。この機体は“空”を飛ぶ為のモノだ。
「――“デルフィ”」
白亜の機体を見上げて少女が呟く。
いつもとニュアンスの違うその言葉にトマスはようやく得心がいった。
この機体こそが“デルフィ”なのだ。今まで自分達が接してきた少女はその部品に過ぎないのだ。
少女は自分の名前を覚えていた訳ではなかった。
操縦技術と同様に“MDに関すること”だけを覚えていたのだ。
「お前……」
許容量を超えた情報にずきりと男の脳髄が痛む。脳裡に戦場の記憶がフラッシュバックする。
空が奪われたあの日、墜落する自分、空を切り裂く一筋の流星、降り注ぐ残骸、降り立つ白亜の影。
わかっていた。心のどこかでわかっていた。
機体は違えど、デルフィの操縦するMDの動きは記憶に焼き付いたコレとどこか似通っていた。ここ暫く見ていなかった悪夢を思い出すほどに。
わかっていた。覚悟していた。なのに――
「お前だったのか、デルフィ!!」
ならば、何故、今、自分は家族に銃を向けているのか。
最早、トマスは何もわからなかった。わかりたくなかった。
ただ、自分の夢を無価値に貶めた存在への憎悪だけがその躯を駆動させていた。
「――ッ」
自分に向けられた銃口に振り向いた少女は数瞬驚き、次いで、泣きそうな表情を浮かべた。
トマスが初めて見る表情だった。男と共に居る時、少女は表情を変えぬまま笑ったり、困ったりしていた。
こんな表情を浮かべたことは一度としてなかった。
(なんで、こんな時になって……)
「いつからだ?」
心と言葉が乖離する。
銃を握る手から力が抜けそうになるのを必死に押し留める。
自分でも意地になっているのはわかっていた。だが、それでも、これだけは譲れなかった。
「いつからこの機体は開発されていた? 10年や20年じゃねえだろう。
お前は、俺達が必死になって飛ぼうとしてるのを地下で嘲笑っていたのか!?」
「……」
「答えろ!! 頼むから……違うと言ってくれ、デルフィ!!」
無残な慟哭だった。夢の残骸に縋って泣きそうになりながら銃を突きつける男の姿はいっそ惨めなほどだ。
だが、それはまさしく魂の叫びだった。男の心からの願いだった。
自分達の行いは、仲間達の奮闘は、己の夢は無駄ではなかったと。
ただ一言「違う」と言って欲しかった。頷くだけでもいい。荒唐無稽な嘘でもよかった。
だが――
「……やって、“デルフィ”」
だが、返ってきたのは無慈悲にも思える言葉だった。
当然だ。少女が男に嘘を吐いたことなどなかったのだ。
突如として大音量の警告音が鼓膜を震わせる。
白亜の機体――“デルフィ”のアイセンサーに金色の光が灯る。
同時に、トマスとマリーの体がふわりと浮かんだ。
「重力操作……遠隔操縦!?」
入口へと弾き飛ばされていく二人を見て、少女は悲しそうな表情をしたまま背を向けた。
「待て、デルフィ!!」
トマスが呼んでも少女が振り返ることはない。
そうして、二人の間を隔てるように音を立てて巨大な扉が閉まった。
◇
その後、どうやってナイアスまで帰ったのかは覚えていない。
気付けばトマスは自宅にいて、自室のベッドに腰かけていた。
(あれから何日経ったんだ?)
感覚が薄い。意識に靄がかかっているようだ。
指先が震える。罪悪感が胸を苛む。何故、自分はデルフィに銃を向けてしまったのか。
先に撃たない。背中を撃たない。家族を裏切らない。そう嘯いたのは己ではなかったのか。
(撃つつもりは……いや、どうだろうな。追い出されなきゃ撃っていたかもしれないな、俺は)
憎々しげに自嘲する。
結局自分は何も変わっていなかった。変われなかった。
“空”を飛びたい。ただそれだけを希求するヒトデナシだった。
そして、心は折れたままだった。
10年前、残骸の中で見上げたあの白亜の機体を家族だと認めることができなかった。
ひどいエゴだとトマス自身思った。
突き詰めれば、トマスは自分が空を飛びたかったのだ。
他の誰かではない。自分自身の手で飛びたかったのだ。
夢を託してくれた仲間達に顔向けできない醜態だ。40歳になった自分の体はもう昔のように超音速の世界にいられないというのに。
いつかは自分も、誰かに夢を託す日がくるというのに――。
「……あなた」
照明もつけずに俯いていたトマスの耳に、妻の声が届いた。
顔を上げれば、廊下からの逆光の中にマリーの姿がぼんやりと浮かんでいた。
微かに漂う鉄錆の匂いはどこか懐かしい。おそらくシー・ガリラヤに行っていたのだろう。
「中央遺跡で大きな振動があったって。たぶん、あの子が飛ぶのだと思う」
「……」
沈黙するトマスに、マリーは溜め息を吐いて、男の前に膝をついた。
幼子にするように真っ直ぐに目線を合わせる。
「“デルフィ”のあった場所から抜いてきた記録を調べた。
追い出されてしまって、あまり多くは調べられなかったけど」
「……そいつは悪かったな」
自分が機体に目を奪われている内にそんなことしていたのか。
若干の呆れと共にトマスは力なく苦笑しようとして、マリーの澄んだ目に宿った悼むような色に表情を凍らせた。
その色は、男に仲間の死を告げた時と同じ色だ。
「四大衛星破壊計画。デルフィはその計画の実行装置。あの子は、あの機体ごと衛星に特攻する、その為の存在」
「……そんなことのために」
そんなことのために、死にに逝く為に、あいつは空を飛ぶのか。
虚しさがトマスの心に溢れた。凍った時計は未だ熱を持たない。
それでも、マリーは祈るように言葉を続けた。
「あの子が10年前、何で私たちを助けたのかはわからない。記録によれば、そのせいで計画は失敗に終わったのに……」
「……何?」
トマスの表情が変わった。
「おまえ、今、何て」
「特殊MD“デルフィ”はパイロットの独断行動により任務に失敗。以後、記憶封印と再教育を施された状態で冷凍睡眠に処す、とある。彼女は私達を――たぶんあなたを助けたの」
「……嘘だ」
嘘ではないだろう。言葉とは裏腹にトマスの思考は冷静に結論した。
あの白亜の機体が降り立つ直前、自分は幽霊MDに襲われていたのだ。
意識はそこで途切れているが、あの機体が対処していなければ自分は今、生きていないだろう。
「だ、だが、今更そんなこと言われても――」
「あなたは何であの時、デルフィを拒絶したの?」
「…………なんだっていいだろう」
「彼女があなたよりも上手く“空”を飛んでいたから?」
「ッ!! だったら何だ!? アイツは10年前にあげ損ねた祝砲を今度こそ打ち上げるんだ。それでいいじゃねえか!!」
激昂してトマスは叫んだ。子供のダダでもあり、夢破れた男の悲鳴でもあった。
なにより、トマスはデルフィを拒絶した。少女もまた振り向かなかった。2人の家族ごっこはもう終わったのだ。
「それに、今から中央遺跡に行っても見送りだって間にあわねえ。急いでも3日はかかる」
「それでも……」
マリーはそっと腕を伸ばした。
「それでも、立って、トマス。今のデルフィにはきっとあなたが必要。あの子をこのまま行かせていいの?」
「お前は……それでいいのかよ」
最悪の言い草だった。
言い訳を擦りつけているのがトマスもわかっている。
本当はあの機体の前に立ちたくないだけだ。恐いのだ。
確信がある。あの機体が空を飛ぶ姿を見上げれば、今度こそ自分は立ち上がれなくなる。
「――いいわけないでしょう!!」
瞬間、トマスは右の頬を思いっきり叩かれた。
暗い部屋に甲高い炸裂音が響く。
加減のない一撃に首が捩じきれるかと思うほどの威力だった。
そのままマリーは胸倉を掴んでトマスを無理矢理に立ち上がらせた。
妻は泣いていた。子供のように両目からぼろぼろと涙を流して泣いていた。3年前に出ていく時にも泣かなかったというのに。
「好きなの、一緒にいたい、私だけを見て欲しい、誰かにとられるなんて、絶対に嫌!!
――でも、ここで立たなかったら、あなたの時計は本当に凍ってしまう」
「おまえ……」
「やっと動けたんでしょう……?」
10年前、空を喪って止まってしまった男の時間。凍ってしまった男の時計。
融かしたのはひとりの少女だった。自分ではなかった。それが胸を衝くほどに、堪らなく寂しい。
それでも、マリーは迷わなかった。
時計は動こうとしている。その針を動かすのは今しかない。ネジを巻いてやらなければならない。
言わねばならなかった。誰かが言わねばならないことを、自分が。
夫婦なのだから。共に生きていこうと誓ったのだから。
「――だから立って、私の大好きな人」
◇
トマスはシー・ガリラヤの前に立っていた。
心にはまだ迷いがある。今からでは間に合わないだろうという冷たい予想がある。
それでも、動かずに後悔する訳にはいかなかった。たとえ、今度こそ立ち上がれなくなったとしても。
右頬の痕が、そこに残る火傷するかと思うほど籠められた熱が、トマスを駆動させる。
店内の作業机。10年間変わらず、シモンはガラクタの山に囲まれて、その場所に居た。
いつも何してるんだ、と疑問が掠めるが、今は訊く時間も惜しいとトマスはそれを思考の端に追いやった。
「どれでもいい。MDをひとつ寄越してくれ」
「ふむ、ちっとはマシな顔つきになったな。……いつか、こういう日が来るのではないかと思っていた」
「シモン?」
振り向いた老人は深々と溜め息を吐いた。何かを諦めたような溜め息だ。
一方で、その目にはギラギラとした光が宿っていた。義眼すら生きていると思わせるほどの光。
期待と欲望、そして僅かな哀切で構成された光だ。
「お前は空から逃げられない。いつかまた飛び立つ。そんな気がしていた」
「……当然だ。捨てようと思って捨てられるほど、俺達の夢は安くはない」
「お前に背負わせてしまったと後悔した時もあった」
「それはそれだ。きっかけは何だっていい。結果として俺は夢を抱いた。アンタと同じ夢だが、正真正銘、俺の夢だ。それだけは譲れねえ」
「――――」
シモンは十字架型のネックレスを握り締めて数秒、祈るように目を閉じた。
「ならば、もう何も言わん。ついてこい」
そうして、老人はドックの奥にトマスを案内した。
男も開けたことのないもうひとつの扉の前に導き、壁のスイッチを入れた。
静かに巨大な扉が開いていく。
「――――」
その中に在った“メタンダイバー”を見て、トマスは目を瞠った。
ソレは無骨で、あまりにもアンバランスな機体だった。
見た目はフレイムパターンに塗装された鋭角的な三角錘。人型であることを完全に放棄した異形。
加えて、機体後部に接続された3基の重力子機関と2基のイオンブースターが異彩を放っている。
先端に接続されたエアル級が小さく見える程に巨大なその推進機関の集合体は、誰が見てもその用途がはっきりとわかるだろう。
すなわち、空を飛ぶ為。あの曇天を超えてもう一度、宇宙に上がる為。唯、それだけを願った機体。
――試作宙間飛行用MD“レコードブレイカー”
かつて、トマスが搭乗し、共に空を目指した愛機だった。
10年前、最後の戦闘で完全に大破した筈の愛機だった。
「……すげえ」
トマスは心に思い浮かぶままに感嘆の声をあげた。二度と目にすることはないと思っていた再会に涙が滲む。
復活させたのが誰かなど考えるまでもない。誰よりもこの機体の構造を把握している男だったのだ。
だが、たった一人でこの機体を直すのにどれだけの時間と労力をかけたのかは想像もつかない。
おそらくはナイアスに来てからの10年、そのほぼ全てをかけたのだろう。
レコードブレイカーは非常に特殊なMDだ。
その用途はただひとつ『木星大気圏を突破すること』。
その為に理論上、大気圏内において秒速60km――時速21万6000kmを叩きだす性能を有している。イオンブースターが最大限に発揮される宇宙空間においてはさらなる瞬間加速も可能だ。
だが、その速度は最早、人間が認識して操縦できる速度を超えている――超えているのだが、宇宙に出る為には自律機械に“汚染”されない最低限度のシステム――つまりは殆ど通常MDの操縦と変わらない――で、大気圏外では秒速3万kmで降って来る質量弾を回避せねばならない。
レコードブレイカーはそれができるようにできている、人間側の速度さえ足りていれば、だが。
この機体に乗る最大の適性を示し、この機体に乗る為だけの訓練を受けてきたトマスですら、最大速度では5秒先を予測して飛ばさなければならないじゃじゃ馬だ。
しかも、限界まで加速力と質量弾を避ける機動性を追求した結果、内蔵武装すら一つも搭載されていない。弾速よりも自機の速度の方が速いため、当然に火器を装備することも不可能。
この機体に許された攻撃方法はただひとつしかないのだ。
「どうだ、なかなかのものだろう? ウチの店の売り上げの殆どをくれてやった」
「シモン……」
「気に病むなよ、トマス。ワシは夢に生きているだけだ。感謝するのなら、マリーにしなさい」
そうだ。トマスは我に返り、気付いた。
ある程度は元のレコードブレイカーの残骸を利用したにしても、機体修復に使うパーツの中にはナイアスで手に入らないものも数多くあった筈だ。
なら、シモンが中央遺跡に潜っていたのは、マリーがキャラバンの護衛になって都市を巡っていたのは――
『いつか、あなたが笑って生きられるようになったら、それでいい』
瞬間、稲妻に打たれたようにトマスの心が震えた。
マリーの言葉は決して慰めではなかったのだ。
自分はこんなにも愛されていたのか。
その事実に、遂にトマスの目から涙が零れた。
それだけの想いと行為を秘めて尚、マリーはデルフィを追いかけろと言ったのだ。それがトマスの為になると信じて。
機体のフレイムパターンの塗装にそっと触れる。
その模様は、軍の採用試験において他の機体とケタ違いの差をつけてテスターの地位を獲得した記念に皆で悪乗りして採用したものだ。
記録官が時計を止めるどころか動かすことすら忘れる程の速度を叩きだし、“凍れる時計”の二つ名を得ることになったあの日の記憶だ。
ここにくるまでに失ったものも多い。随分と時間もかかった。
それでも、一番大事なことはちゃんと思い出せた。
「設定は10年前のお前に合わせたままだ。細かい調整は実地でやることになるが――いけるな?」
「いつものことじゃねえか」
「それもそうだったな。やれやれ、ワシも老いたな」
満足げに笑みを浮かべるシモンに、トマスはかける言葉を迷った。
シモンは70歳、トマスは40歳だ。10年前とは違う。トマスの身体能力も低下している。
デルフィを追いかければどうなるかわからない。万が一が起きる可能性は低くない。
あるいは、これが最後かもしれない。
だから、言える内に言っておかなければならない。トマスにしか言えないことを、今。
「ありがとう――父さん」
「一世一代の見せ場だ。存分に飛ばせ。お前はワシの誇りだ」
息子の言葉に、同じ黒色の瞳を濡らしてシモン・マツァグは笑いかけ、ハッチを開けた。
◇
「神経接続開始、システム起動、全機能クールからホットへ」
狭苦しいコックピットの中でトマスはひとつひとつ計器を起こしていく。
何度となく繰り返した手順は10年を経ても体が覚えている。
思わず苦笑する。
足を止めて、回り道して、それでも自分はこの場所に帰ってきたのだ。
飛べば、墜ちる。
いかに重力を捻じ曲げようとも、空を飛ぶ者はいつかは地に墜ちるのが定めだ。
だが、それでもトマス・マツァグは飛ぶのだ。
妻の望みの為に、父の祈りの為に、家族の命の為に。
なによりも、己の夢の為に。
「三連重力子機関、正常起動、重力子展開率30%」
意志を込めてハッチの向こうを見上げる。
空が見える。
永遠の曇天に覆われた空。
いつかあの向こうに行くのだと願った、夢の叶う場所。
「エア正常、全機能正常起動を確認、イオンブースター点火」
今なら届くと確信した。
「――待ってろよ、デルフィ」
次の瞬間、重力方向を捻じ曲げたレコードブレイカーはメタンの空へと『落下』した。
そうして、男は10年ぶりに“空”へと舞い戻った。




