13話:Diver meets “DELPHI”
転がり込むようにして深夜の病院の扉を抜けたトマスは受付前のベンチに座っているマリーをみつけて大きく安堵の息を吐いた。
見る限り、いくらかは負傷しているが、どれも軽傷で、治療も終わっているようだ。
「マリー!!」
その一瞬は他者の迷惑も省みず、トマスは大声で妻の名前を呼び、強く抱きしめた。
腕の中に収まった確かな存在に、合わせた頬に感じる暖かな感触に、ようやくトマスは落ち着きを取り戻した。
「出戻りとは災難だったな。キャラバンのメンバーは大丈夫だったのか?」
「うん……」
「マリー? どうした?」
キャラバンが襲われて明るい表情をするのもおかしな話だが、しかし、顔面を蒼白にしたマリーの思い詰めた表情は何か危険な事態を想像させた。
「来て」
マリーは思い詰めた表情のまま、トマスの手をとって病院を出た。
人工照明の落とされたナイアスの街中をマリーはずんずんと進んでいく。
病院のあった中心区画を抜け、上層、中層、自宅を素通りし、辿り着いたのは下層区の『シー・ガリラヤ』だった。
シモンの所にもマリー達のキャラバンが病院に運ばれた旨は連絡がいっていたのだろう。
深夜にもかかわらず、店には明りが灯り、シモンは起きていた。
「シモンさん」
「マリー、無事だったか」
「はい。それで、突然ですみませんが使い捨ての映像機材をひとつ売ってください。デコーダーを繋げるタイプを」
「……安いのしかないぞ」
マリーの突然の申し出にシモンは怪訝な顔をしたが、暫くガラクタの山を漁って古い型式の手持ち機器を発掘してきた。
「いきなりどうしたんだ? 事情を説明してくれ」
「自律機械からデータを抜いてきた」
「はあ!?」
トマスは驚き、何とも言えない表情でマリーを見返した。
たしかに自律機械も機械である以上、内部にはデータを記録する部位がある。デコーダーの形式が合えばデータを抜き出すことも出来るだろう。
それが可能なことは戦時中に都市連合軍が調べたことで証明されている。何故――あるいは“何”によって――機械が人類に反旗を翻すようになったのか不明なため、原因究明は当然に行われていた。
しかし、すべての自律機械の中にはバグと思しきデータしか記録されていなかった。それもまた軍が証明した事実だった。
当然連合軍に所属していたマリーもそのことは知っている。であれば、今回の行動は不可解と言えるものだろう。
「キャラバンは自律機械の巡回ルートを避けて旅していた。襲われるのは有り得ない」
「奴らの警戒網にかかったんじゃないのか?」
「かもしれない。だけど、あまりに不自然だったの」
「だからって貴重な上級デコーダーをなあ……」
現在、どの都市でも自律機械を解析できる形式のデコーダーは生産されていない、と言われている。
人類に残された機械の内、当該デコーダーを使用する必要があるのは都市の環境設備かMDだけだ。各都市の管理局もライフラインである環境設備をクラッキングされる危険を無駄に増やしはしない。
マリーが使ったのは戦前に生産された貴重品だ。出すところに出せば信じられない値段がつく――ついたであろう。
自律機械のクラッキングに使ったデコーダーは二度と使い物にならない。デコーダーも、それを繋いだ機器も“汚染”されてしまうからだ。
「そこまでして、お前、何がしたかった……いや、何を見つけたんだ?」
「見て」
マリーは躊躇なくデコーダーを映像機器に繋いだ。
デコーダーから電源を供給されたディスプレイに光が灯り、デコーダーが解読した無秩序な文字列がずらずらと流れていき――最後に1枚の画像データを映し出した。
「――ッ!?」
瞬間、トマスは息を呑んだ。
そこに映っていたのは透き通るような青い髪と金色の瞳をもつ幼い少女だった。
「デルフィ、なのか? ちっと幼い気がするが」
「そこまではわからない。デザインチャイルドなら外見はいくらでも似せられる。
けど、この都市の近くで、巡回ルートを外れたイレギュラーな自律機械のデータ群にこの画像があったことだけは確か」
「つまり、マジで機械共はデルフィを狙っているってことか」
驚きはあった。しかし、同時にトマスの中には納得もあった。
デルフィが狩りの度に機械に執拗に狙われていたのは偶然ではなかったのだ。
「で、どうするんだ? アイツを都市の外に放りだすのか?」
「そうは言ってない。仮にそうする必要があるなら相談なんてしない。私がやる」
「……お前は俺に甘過ぎるよ、マリー」
呟き、トマスは両手で前髪を掻き上げた。
機械は合理性に支配された存在だ。論理によって成立し、合理に従って行動する。
デルフィを狙っているのならば、そうするだけの理由がある。
ここで彼女を恨むのは筋違いだ。それはわざわざ人間にも見えるように自律機械にこの画像を残した“何か”の狙い通りの行動だ。
重要なのはそれがデルフィである理由だ。彼女に秘蔵の大型機械を差し向けるだけの理由を突き止めねばならない。
「アイツ自身が覚えてないってんなら元いた所を調べるしかないな」
かつての自分の姿を思い出す。集中し、視界に映るものを純化していく。
トマスは思う。あるいは――ジェイクが狂ったのもそのせいだったのかもしれない、と。
血のように赤い敵対色に輝くサイボーグの視覚素子を思い出す。
体の殆どを機械化したあの男のどこかがデルフィを殺せと嗾けたのか。
(――俺の仲間を機械が狂わせたのか)
それは断じて許せる話ではなかった。
ハラワタの煮えくりかえる話であり、必ず落とし前を付けさせなければならない話だ。
「中央遺跡に行く。デルフィはそこで見つかった。そうだな、ジジイ?」
「……ああ。マップも渡そう」
トマスに応えるシモンの声には力がなかった。
仕方のないことだろう。デルフィを発見し、ナイアスに連れてきたのはシモンなのだ。
だからこそ、トマスは言わねばならなかった。誰かが言わねばならないことを、自分が。
「変に罪悪感持つんじゃねえぞ。アンタのやったことは何も間違っちゃいない」
「現にクラーケンの襲撃で被害が出ているのだぞ?」
「それがどうした」
トマスは鼻息荒くシモンの胸元を叩いた。老人の胸元で十字架型のネックレスが鈍く輝く。
「そいつはデルフィのせいなのか? デルフィを連れてきたアンタのせいなのか? 違うだろうが。
んなこと言うなら一番悪いのは最初に機械を作った誰かになるぞ。阿呆ぬかすな」
「詭弁だ。そんな言葉では被害を被った者たちは納得せんぞ」
「だからってデルフィを捨てられるか。あいつは――あんなナリでも、家族なんだ。
俺達は先に撃たない。背中を撃たない。家族を裏切らない。そうじゃなかったのか、シモン?」
「――――」
トマスの言葉に、シモンは僅かに瞠目し、次いで皺の目立ってきた口元に苦笑を刻んだ。
「……わかった。お前の好きにするといい」
「最初からそのつもりだ。で、仮にあいつが戦前から眠っていたのなら、それ相応の設備がある筈だ。わかるか?」
「詳しくはわからん。中央遺跡はこの星の最大都市だった場所の残骸だ。あまりにも広すぎる。ひとまずワシがあの子を見つけた場所を中心に候補を出しておこう」
「頼む。マリーは――」
「私も行く。どうせキャラバンは暫く動けない」
振り返ったトマスとの距離をぐっと詰めて、マリーは力強く宣言した。
おそらくそうなるだろうと予想していたトマスは小さく頷いた。
男の妻は不器用で、大雑把で、口も達者ではないが、家族を想う気持ちは本物なのだ。
「デルフィはどうするの?」
「連れていくしかない。俺達がいない間に大型が攻めて来たら――倒すことは出来るかもしれないが、きっと誰かがデルフィに勘づく。あいつは目立つからな」
「そうね。迎えに行ってくる。あなたはMDの準備を」
「了解」
そうして、慌ただしくも三人は出発の準備を整えていった。
◇
3日後、トマスはマリー、デルフィと共に『中央遺跡』に到着した。
通常のキャラバンが20日をかける距離をこの短時間で踏破したのだ。驚嘆すべき速度だろう。
元より、デルフィを連れての外海は高頻度での襲撃を受ける。それがわかっていたトマスは敢えての強行軍を選択した。
いくら自律機械がデルフィを襲おうとしても、彼らもどこからともなく湧いてくる訳ではない。巡回ルートを外れて接敵するまでには多少のタイムラグがある。それを速度で振り切ったのだ。
「二人とももう少しだ。遺跡内に入っちまえば防衛装置が自律機械を追い返してくれる」
『わかってる。大丈夫』
『…………了解』
(シモンを連れてこなかったのは正解だったな)
MDの長時間運用の訓練を受けていたトマスは兎も角、気力体力ともに十分あったマリーとデルフィでさえ疲労の色が濃い。老体のシモンでは脱落していただろう。
計画上、オアシスも酸素の補給に合わせ、休息は最低限に抑える必要があった。睡眠すら一人が寝ている間は他二機で曳航して無理矢理摂ったほどだ。
だが、こうでもしなければ大型機械に襲われる危険があった。常にタイプ:クラーケンの時のように上手くいくとは限らない以上、それは絶対に避けねばならない危険だ。
「しかし、これはまたでっけえ遺跡だな……」
トマスは中央遺跡の前で数秒、機体のカメラ越しにその威容を見上げて感嘆した。
僅かに向こう側を歪ませる大気防護フィルターの中に、まるで無数の柱を突き立てたかのように錆びた高層建築物が乱立しているのが見える。
一般的な大気防護フィルターは卵を横に半分に切ったような半楕円形をしているが、この遺跡は鍋蓋のような形をしている。高さは通常の都市型と同程度だが横幅が途轍もなく広いのだ。
通常の都市型で30万人を優に収容できると言われているが、ここは一体どれほどの人口を内に呑んでいたのか、トマスには想像もつかなかった。
(廃棄されてからン10年だったか。崩落の心配はまだないだろうが、大気の汚染状態は心配だな)
トマスは緊張しつつも、ゆっくりとMDを進ませて大気防護フィルターを抜けて中央遺跡に踏み込んだ。その後をデルフィ、マリーと続いていく。
「……撃たれなかったな」
『防衛装置が“正気”を保っているというのは本当みたいね』
フィルターを抜ける際にトマスとマリーは感嘆と共に呟いた。
二人の驚きも尤もだろう。彼らを追っていた自律機械は先に防衛装置の砲撃によって吹き飛ばされているのだ。
木星上の各都市の防衛装置は自動判断システムを外され、全て手動で運用されている。人間の乗っているMDと汚染された――いわゆる“幽霊MD”をシステムが区別できないからだ。
その違いだけでも此処の防衛装置が各都市のそれとは比較にならないほど高度なものであることがわかる。
加えて言えば、何発ものマスドライバー射撃を喰らっても尚、この元都市がフィルターを含む原型を留め、防衛装置が稼働し続けていることも、トマスの常識を土台から打ち崩す程の飛び抜けた技術力を証明している。
質量弾が直撃すれば大型機械はおろか都市でさえも消し飛ぶのが普通なのだ。
――逆に言えば、それほどの技術と施設があって尚、都市を廃棄しなければならないほどに四大衛星からのマスドライバー射撃は攻勢を極めていたとも言える。
“魔の一日”の前日までに撃ち込まれた質量弾のおよそ7割が此処に撃ち込まれたものだったのだ。
幸いなことに、遺跡内の大気は呼吸可能な酸素濃度と清浄さを有していた。
トマス達の乗ったMDは元都市の元メインストリートの数センチ上を反重力の波に乗るようにゆっくりと滑走していく。
どうにももどかしい速度だが、水素濃度の薄いフィルター内では水素燃料エンジンの稼働効率は大きく低下する以上、機体を壊さずに出せる速度はこれが限界だった。
「当たり前だが寂れてるな……」
コックピットでぼやいた言葉は誰ともすれ違うことのない罅割れた路面に霧散していく。
トマスは木星最大とも言われるこの遺跡に入るのは初めてだが、実のところ、感動は短時間で薄れていた。
あと10年若ければ、ナイアスではMD2機分の道がここでは8機分、霞むほど先まで引かれていることに驚いたかもしれない。
幾度とすれ違う大気防護フィルターぎりぎりの高さの高層建築物に戦前の雰囲気を感じたかもしれない。
至る所に埋没している質量弾に機人戦争の激しさを偲んだかもしれない。
だが、今はただ無人の都市跡に対して言葉にしがたい虚しさや寂しさばかりが湧いていた。
曇天の向こうにある機械に支配された四大衛星をどうにかしない限り、ここに人々が戻って来ることはないのだ。
(ジジイはこの光景を見てどう思ったんだろうな……)
あるいは、此処が廃棄される前、“中央都市”と呼ばれていた頃に訪れたことのあるシモンならば、この無人の廃墟を見てまた別の感慨があったのかもしれない。
「……あー、だから廃棄された都市は遺跡って呼ばれてるのか」
シモンは心中をよぎった納得と共に呟いた。
最初に廃棄された都市を“遺跡”と呼んだ人物は、おそらく誰もいない都市型ビオトープを都市と呼びたくなかったのだろう。
人がいるからこその都市。人がいなければそれは遺された跡でしかない。
それは過去ばかり見つめて生きていたトマスにも理解できる感覚だった。
『……あなた?』
「ひとりごとだ、気にするな。――デルフィ、この先の施設がジジイがお前を見つけた場所だが、何か思い出すことはないか?」
『――――』
「デルフィ? 聞こえてないのか? おい!!」
トマスが慌てて背後に機体を向けると、数10m後ろでデルフィ機が停止しているのが見えた。
まさか何もないところでクラッシュしたんじゃないか、と機体背部にまわり、絶句した。
デルフィ機のハッチは開けられ、コックピットはもぬけの空になっていた。
「ッ!! マリー!!」
『熱探知…………いた、前方500m、目標施設の中。けど、これは……地下?』
「いつの間に、クソッ!!」
舌打ちしつつ、トマスもハッチを開けて機体を飛び下りた。
3日ぶりの生の重力に体が軋む。走る体が重い。今ばかりは己のトシを恨んだ。
後ろから軽快な足音を立てて妻が追いかけてくるのを感じつつ、トマスはデルフィの反応があった目標の施設へと乗り込んだ。
「……なんだ? 妙に綺麗だな」
扉を蹴破った中を見て、開口一番にトマスは疑問を垂れた。
施設の中は周囲の建物と比べて明らかに損傷が少なかった。建物自体の維持機能も働いているのか、そこかしこに置かれた机にも埃ひとつ積もっていない。
ふと思い立って壁際のスイッチを入れると、パチパチと小さな音を立てて天井の照明が煌々と灯った。
「電力供給が生きてる? マリー、中央遺跡ってのはこういうもんだと思うか?」
「たぶんこの建物独自の機構が働いているのだと思う」
「あー、成程。ってことはだ」
トマスは部屋の奥の行き止まりまで進むと、適当にアタリをつけて膝をつき、床に耳を当てた。
トシのせいでやや遠くなった耳は、しかし、微かな駆動音を確と捉えた。
「マリー、そこら辺にスイッチはないか?」
「ある。三角形が2つ」
「下向きの方を押してくれ」
マリーがボタンを押した直後、がくんと大きな揺れがして、トマスを載せた床がゆっくりと下降していった。
ボタンを押したまま唖然としていたマリーが珍しく慌てて飛び乗る。
おそらくは重力制御によるものだろう。壁や天井に仕掛けはなく、その床は独りでにゆっくりと降下している。
「び、びっくりした」
「あー、ジジイに聞いたことがあるな。たぶん、こいつは“動く床”だ」
トマスも初めて見る仕掛けだ。原理としては自動扉と似たようなものなのだろうと推測する。
地下はいわんや、四大衛星の監視による高度制限の為に戦前のように高層建築も建てられなくなった現代では無用の長物だ。
「動く床……デルフィは先行している? この仕掛けを知っていた?」
「さあな。今まで忘れていたのかもしれない」
顔を見合わせて肩を竦めるトマス達を載せて、僅かな浮遊感と共に動く床はどんどんと下降していく。
おそらくまだ10秒と経っていない筈だが、トマスにはその何倍もの時間に感じられた。
それは未知への恐怖と緊張だ。
トマスの中には地下に施設をつくるという発想自体なかったのだ。否、都市型ビオトープの地下に何があるかを考えたことすらなかったと言っていい。
都市の下には液体金属の海が流れ、その下には人工地殻プレートがあり、それを抜ければ木星本来の金属水素層がある。そう信じて疑ったことがなかったのだ。
(俺達の居る場所は一体どうなってるんだ……?)
その問いに答えられる者は、きっとこの星の上にはいないだろう。
永遠にも思える時間が過ぎてようやく二人の足元は降下を停止した。
どれほど下降したのだろうか。地下――この言葉もトマス達にとっては異質なものだ――に到着した二人はそこから繋がる通路の奥に小さな少女の背中を見て取った。
「デルフィ!!」
トマスが大声で呼びかけるが、ふらふらと揺れながら奥へ奥へと進んでいくデルフィには反応する様子がない。まるで何かに導かれるように通路の先へと向かっている。
二人は頷き合い、少女を追いかけた。
「聞こえてないのか、デルフィ!!」
声と足音を吸収する材質不明の床を踏みしめながらトマスは走る。反響のない通路は平衡感覚を危ぶませる。
息が切れる。体が重い。足がもつれる。だが、それ以上に脳髄が危険信号を発している。
――ここから先には行ってはならないと。
思い出してはならない何かがこの先にあると本能が警告する。
思い出してはならないのだから、それが何か分かる筈もない。
だが、そう、例えば、あの機械天使が隣で寝るようになって再発した悪夢だとか、自分が『空を飛べる』ことを彼女が知っていたとか、あるいは――
――機体は違えど、デルフィという少女の操縦に覚えがあることとかだ。
先を行くデルフィは通路の奥に行きつき、足を止めた。
そこは行き止まりか――否、“動く床”と同じように壁が独りでに真ん中から二つに割れていく。
壁一面が巨大な扉だったのだ。
明らかに人間用ではない大きさの扉がゆっくりと開き、内に秘めていたものを詳らかにする。
「――ッ!?」
刹那、トマスは止まった。呼吸も、あるいは鼓動も止まっていたかもしれない。
全てが停止した意識の中で、トマスはそれを呆然と見上げていた。
「何で、コイツが――」
そこには一機のMDが鎮座していた。
翼持つ白亜の機体。
それは紛うことなく、10年前、トマスの心を折った機体だった。




