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メタンダイバー  作者: 山彦八里
飛翔編
13/37

12話:Come Back

 男は空を飛ぶのが好きだった。

 憧れと言い換えてもいい。物心ついた時には空を飛ぶことが夢になっていた。

 それ以外の生き方を知らなかった。

 戦争末期でも数少ない空戦戦力として重用されていた。

 空は男のものだった。稀に降って来る質量弾すら男の駆るMDには触れることを許されなかった。


 だが、“魔の一日”(カラミティ・デイ)に全ては喪われた。

 今までとは比較にならない頻度で降って来る質量弾、消し飛ばされた基地、男の翼は奪われた。

 代わりに空を飛ぶのは白亜の機体だった。

 男のそれよりも遥かに洗練された重力子機関、空に描かれる鋭角的な軌跡。

 見上げる男の心は折れた。

 ゆっくりと舞い降りる白亜の影を最後に男の記憶は途切れていた。


 次に男が気が付いた時、全ては終わっていた。

 部隊は壊滅し、残ったのは戦域から離れていたシモンとマリー、そして肉体の大半を失いつつも一命を取り留めたジェイクだけだった。

 野戦病院のベッドでその報告を聞いた時、トマスは三日ほど口もきけなかった。

 そこには悲嘆があった。憎悪もあった。

 あの白亜の機体が好き勝手に空を飛んでいなければ、あるいは味方の被害は抑えられたのではないかと。

 しかし、その一方で男は己の心を理解していた。

 仲間の死はおそらくは避けきれないものだった。男が白亜の影を憎むのは、きっと――。



「――ッ!?」


 朝だ。飛び起きたトマスは混乱しつつも周囲を見回し、ここが自宅であることを確認して安堵の息を吐いた。

 窓の外を見れば、都市の人工照明も徐々に光量を増している。憎らしい程にいつも通りの起床時間だ。

 ぬるりと男の額を汗が流れ落ちる。思い出したくもない過去に、悪夢の残滓にぐっしょりと汗をかいていて不快だった。

 荒い息を整えている内に脳も冷静さを取り戻していく。

 久しぶりにみた夢だった。そう、久しぶりなだけだ。ナイアスに来た当初は毎日のように見ていた事を思えば随分とトラウマも薄れている。

 自分の状態を鑑みるに、だから大丈夫だとはどうにも言えそうになかったが。


「……はあ」


 溜め息をひとつ吐きだして無理矢理に背伸びする。

 ごきごきと骨の鳴る音がして幾分気分が戻る。どうにもダルさが残っているが、これはきっとトシのせいだろう。トマスはそう自分を誤魔化した。


「ほら、朝だぞ、デルフィ。そろそろ起きろ」

「ん……」


 隣で丸くなっている少女を揺り起こす。

 マリーが再び出ていったのを気遣ってか、デルフィはトマスの寝床に潜り込んでいた。余計な御世話だと追い返すのも忍びなく、ついついトマスはこの数日、寝床を共にしていた。

 何度かゆすっている内に、前にマリー達と出かけた時に買ったのであろう涼しげなワンピース状の寝間着を纏ったデルフィはうつらうつらとしながらもひとまず起きた。

 無防備に背伸びする姿やワンピースの裾から伸びる真っ白な太もも、寝惚け眼でトマスに向ける仄かな笑顔は本当に天使のようだ。

 いつもは無表情なのに起きぬけは寝惚けているのか表情が柔らかいのはトマスだけの秘密だ。もったいない気がして本人にも告げていない。

 勿論、トマスはロリコンではないので疚しい気持ちにはならない。ただ、いつの間にか現状を受け入れている自分に苦笑するだけだ。

 一度目覚めさえすれば二度寝するような娘でもないので、トマスは覚醒途中のデルフィを置いて朝食を作りにベッドを抜けだした。



 朝食後、狩りに行く前に軽く掃除その他をするのがトマスの日課だが、最近はそこにデルフィも加わっていた。

 デルフィはいつの間にか家事が出来るようになった。物覚えは良い少女なのだ。そして、覚えさえすればきちんと言われた通りにできる。どこぞの生活不能者の散らかし屋やキッチンの重力を歪ませる疑惑のある嫁とはそこが違う。

 トマスも自分の元主夫という領分が侵されているのは理解しているが、不思議とそれが嫌ではなかった。

 暫く考えて理解した。なんだかんだで、自分はこの少女を家族として受け入れているのだろう、と。

 家族ならば家事を分担するのも普通の話だ。領分などという問題はない。そこには分担があるだけだ。


「家族、か……」


 最近はきちんと溜まるようになった洗濯物を籠に入れてえっちらほっちらとクリーニングルームに運んでいくデルフィの小さな背中を眺めながらトマスは不思議な感慨に浸っていた。

 この10年、知り合いを増やすことすら忌避していたのに、どうにもデルフィを拒絶しようと思う気にはなれなかった。



 昼、二人はシー・ガリラヤからMDを発進させ狩りに出た。

 相変わらずの小型狙いだが、それとて定期的に続ければ十分な収入になる。

 タイプ:クラーケン討伐後はトマス達にもいくつかの仕事の誘いがきたが、トマスはどれも丁重に断りを入れた。ニートには中々辛い作業だった。

 だが、彼らにとってMDに乗ることは仕事でも、トマスにとっては現状、金を稼ぐ手段でしかない。目的が似ているようで明確に違う以上、一緒にやれるとは思わなかった。

 そんな勧誘も三日もすればなくなった。



 ガン、と金属を噛む音共に散弾が装甲鼠(アーマウス)の横腹を食い破り、最後の一機が沈んだ。

 散々に吹き飛んでいく残骸を目にしつつ、トマスはコックピット内でひとつ息を吐いた。


「デルフィ、無事か?」

『問題ない』

「見た目には問題大アリにみえるがな」


 デルフィの中量(リノス)級は前面装甲の殆どを喪失した状態だった。

 だが、少女も慣れてきたのか、装甲ダメージは貰いつつも、各部の破損に繋がる致命的な損傷はきちんと避けているようだった。

 執拗に狙われるデルフィを毎度狩りに出すのはトマスもやや危惧するところであったが、少女の操縦技術の向上を見て考えを改めていた。

 これから先、デルフィがどう生きるかは本人次第だが、何をするにしても暫くはMDから離れられないだろう。特に格闘戦を挑むことの多いリノス級はダメージコントロールの習熟が生存率に直結する。


 しょぼい狩りもデルフィに小型機械相手の訓練をさせる為だと思えば言い訳も立った。

 誰に対する言い訳かは考えるまでもなかった。



 その日の成果は上々だった。

 もっとも、狩りの中、相変わらずデルフィは二度もMDをクラッシュし、二度乗り換えたので時間はかかった。

 とはいえ、トマスも慣れた物で狩り場の近くに落ちた質量弾(コフィン)の位置を確認しておいたり、各坐したデルフィ機も自律機械の残骸と共にコンテナに放りこむ程度には気にしなくなっていた。


(機械もロリコンなのか?)


 液体金属の海上を滑走しながらトマスは心中でひとりごちた。

 くだらない妄想を浮かべられる程度には余裕があった。


 狩りの後は都市の周囲を回って大型機械が接近していないかを調べるのも日課となっている。ナイアスの管理局からの通達によるものだ。

 しかし、クラーケンの襲来以来、大型機械がナイアスに攻めてくることはなかった。

 デルフィが機械に狙われている、というのは自分の考え過ぎだったのではないかと最近はトマスも自信がなくなってきた。

 あるいは、クラーケンだけがイレギュラーであったのかもしれない、とも。


 本来、機械は人間の従者であり、敵対する存在ではないのだ。

 異常と云うならば、アイセンサーを真っ赤に輝かせて人類に敵対することが異常なのだ。そこからさらにどう狂おうとも不思議ではない。


 その後、コンテナ二基分の成果を都市に提出し、受付のネルから多少のお小言――それでも随分と減ったが――と代価を受け取って、トマスとデルフィは帰宅した。


 帰宅後、トマスは早速、夕飯にとりかかった。日によってはデルフィも手伝うことがある。

 デルフィは無表情だが、もっきゅもっきゅと頬張る姿には愛嬌があるとトマスは思う。料理人冥利に尽きる。


(そうだな、料理屋というのはいいかもしれない)


 ふと、一心に食事を楽しむデルフィを眺めている内にそんな思考が湧き上がってきた。

 戦前のように潤沢な材料を用いて上等な料理を作るならトマスの腕程度では対抗しようもないが、現在の原子変換機(アトムコンバータ)から生産される限られた材料を、限られた方法で調理するなら男にも分がある。

 マリーが出ていってからの3年は節約術の研鑽に費やされたといっても過言ではないのだ。


(もしも、店が繁盛したらマリーも出稼ぎに行かずに傍にいてくれるかもしれないしな)


 それは、取るに足らない、実現する気もない妄想だった。


「……」


 ふと見れば、いつの間にか対面のデルフィの手が止まっていた。

 いつも通りの無表情だが、どうにも不機嫌になっているようにみえる。

 最近はトマスも少女の表情がなんとなく読めるようになってきた。


「デザートもあるぞ」

「!!」


 気のせいだったのだろう。トマスはそう結論した。


「昨日から冷やしておいた奴だ。ほら」

「これは、何?」


 カップに入れられた、初めて見る黄色の物体にデルフィがこてんと小首を傾げた。


「ゼリーだ」

「……ゼリー」


 名称を聞いたデルフィがやや残念そうな顔をする。

 ゼリーといわれて、MDに乗っている時の携行食として渡される栄養チューブを思い出したのだろう。

 シモンの所にデルフィが居たのはそう長い期間ではないが、3食栄養チューブ三昧であったのなら――その頃のデルフィなら気にしなかったのだろうが――思い返して嫌な気分にもなるだろう。


「まあ、とりあえず食ってみろ」

「……」


 デルフィはおそるおそるスプーンですくった黄色い半固形のそれにぱくつき、次の瞬間、至福の表情を浮かべた。


「こ、これはホントにゼリー?」

「言われてみると違う気がしてくるな。まあ、ゼリーの一種なんじゃないのか?」

「そう……」


 言われてみれば、どうにもゼリーとは味も香りも食感も違う気がする。

 トマスとしても戦前に機械が作っていたのを舌に残った記憶から再現しただけなので名称分類には自信がなかった。

 戦争を通じて失われた物は意外にも多い。

 ひとまずの疑問が解けて満足したのか、デルフィはせっせとカップにスプーンを差し込んでいる。


「甘い」

「素直においしいって言ってもいいんだぜ?」

「これが……おいしい」

「いや、そんなに感激されても困るんだが」


 頬を掻きながらトマスは照れたように告げた。

 二人きりの夕食は平和の裡に終わった。



 夕食後は片付け、入浴、そして就寝。

 そうして、“機械的”な1日が終わり、トマスは息を吐いた。

 トシだからか、なんてことのないルーティンワークでも終わってみると肩に疲れが残っているような気がした。

 昔はそんなことなかった。若かったのだろう。徹夜で機体を整備し、シミュレーターに籠って操作技術を磨き、ひとしきり作業が終われば皆で酒場に繰り出して夜通し騒いだ。

 今でも色あせることのない、輝くような昔日の思い出だった。


(また、こんな昔の事ばかり……)


 ベッドに腰かけたままトマスは知らず項垂れていた。

 マリーのことを想うならば、戻らない過去は忘れるべきなのだ。叶わない夢は捨てるべきなのだ。

 真人間の生活を取り戻し、デルフィを一人前にし、マリーを迎えに行く。

 他に選ぶ道はないし、さして辛い計画でもない。少しだけ自分の欲求を我慢すればいいだけだ。


(これでいい。今日もいい日だった。金を貯めよう。そして店を開く。それでいいだろう……!!)


 きっとそれですべてうまくいく筈だ。いつかMDを降りて料理屋を開く。今度は嘘にしないよう頑張ろう。

 トマスは心中でそう決意し、目を閉じた。


 ――なのに、心に浮かんでくるのはあの永遠の曇天を超えた先にある青空だった。


 息が詰まる。頭は発狂しそうだった。

 一度だけ見たことがある。奇跡的に雲の突破に成功し、自律機械の攻撃もマスドライバー射撃もなかったあの時。

 僅かに数秒。しかし、目に焼き付いたあの透明な空をトマスは忘れることができなかった。


 その時、コンコンと控え目なノックがトマスの耳に届いた。

 次いで、扉が開き、寝巻きのワンピースに着替えたデルフィが立っていた。

 詰めていた息を吐いてトマスはぎこちなくも笑みを浮かべた。


「デルフィ、今日もか? なんだなんだ、ひとりじゃ寝られなくなったのか?」

「――?」


 揶揄するようなトマスの言葉にデルフィは小首を傾げた。

 この仕草も随分見慣れたように思う。


(あー、これこの前ので一緒に寝るもんだと学習しちまったのか?)


 訂正するべきか、トマスは迷った。

 しばらくして、まあいいかと答えをぶん投げた。

 今日はひとりでは寝られない気がしたというのもある。自分のトシを思うと情けない限りだった。


「ほら、来い。冷えるぞ」


 許諾を与えられたデルフィはいそいそとベッドに潜り込んだ。

 この場面を見られたらまたなにか言われそうだとトマスの倫理観が危惧する程度には犯罪的な絵面だ。

 デルフィは親と寝る子供と云うには少々成長しているし、かといって恋人と云うには年の差がありすぎる。


(けど、まあ、誰かひとりくらい、こいつの家族になってやる奴がいてもいいか)


 トマスは心中でひとりごちた。

 目覚める時代を間違えた、無垢で、何も知らない天使のような少女。

 少女には記憶もなく、おそらくは身寄りも残っていないだろうし、そもそも都市毎に半ば断絶した現在の情勢では探しようもない。

 この木星で少女は孤独なのだ。ならば、誰かが手を差し伸べてもいい筈だ。

 自分の事さえままならないのについ誰かに手を伸ばしてしまうのはマツァグ家の悪癖だろう。

 それでも、トマスは改める気はなかった。

 まだ水気が微かに残る少女の頭を撫でると静かに横になる。


「おやすみ、デルフィ」

「……おやすみなさい」




 マリーの所属するキャラバンが敵性機械に襲われたという報せが届いたのは、その日の夜遅くだった。



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