表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メタンダイバー  作者: 山彦八里
嫁襲来編
12/37

11話:Leave Behind

 タイプ:クラーケンの討伐から一週間後。

 その日、トマスは自宅内に響く騒音で目が覚めた。

 欠伸を噛み殺しつつ、上半身を起こしぐっと背を伸ばす。

 体の芯に残る違和感は一週間前の戦闘の疲れが残っているからだろう――と言い続けて自宅から外に出ずに既に7日が経っているが、特に気にならなかった。

 共闘を経験したからか、あるいは、お互いの間で何かしらの線引きが済んだからか、デルフィとマリーの関係もすこぶる改善された。

 この7日間は親子か姉妹のように一緒に行動している姿をよく見かけた。


 しかし、2人の関係が改善するに従ってトマスの居場所はなくなっていった。緩衝役としての役目がなくなったトマスは主に飯炊き男であった。

 二人で買い物に行かせたところ、何故かはわからないが大量の食糧を買ってきたからだ。


 トマスが適当に顔を洗ってリビングに顔を出すと、除菌ペーパーを手に熱心に窓を拭いていたマリーが気配に気づいて振り向いた。


「おはようさん。朝から何してるんだ?」

「おはよう。今は掃除中。朝食はできてる」

「なっ!? お、お前が作ったのか?」

「……デルフィが作ったから、安心して」


 少しだけ落ち込んだ様子を見せたマリーは窓拭きに戻っていった。

 マリーも自分が料理をできないのは気にしているのだろうが、さすがにダークマターを食べさせる趣味はないようで、トマスは秘かに安堵の息を吐いた。

 全体的に不器用なマリーだが、覚えは悪くなく、大抵の家事は出来る。

 だが、なぜか料理だけは台所の重力が歪んでいるのかと思うほど失敗するのだ。これが例えば、オアシスで野営している時だったりすると普通の食事を作れるから不思議だ。


 トマスはデルフィの作った塩気の薄いサンドイッチをぱくつきながら掃除を続けるマリーの背中を眺めていた。

 高い位置で括った燃えるような赤い髪。パイロットスーツ越しに見えるすっと流れる肩から薄らとついた背筋に支えられる背中の優美なラインに、きっちりとくびれのついた腰、長くMDに乗っている割に芸術的な曲線を保つ尻へと視線を下ろし、誰にともなく頷いた。

 旦那視点で見れば、足元を巡回掃除機がのろのろと走りまわっているのさえ絵になると思う。

 ちらりと振り向いた非難がましい視線も今だけはどこ吹く風だ。


(……自分の痕跡を残したいんだろうな)


 ふと心に浮かんだ推測に、トマスは顔を曇らせた。

 こうみえてトマスは自宅の掃除もこまめにしている。元主夫にして現ニートは伊達ではない。マリーがわざわざ掃除する必要などないのだ。

 だから、これは妻がこの場所に自分が居たことを残す為なのだろう。余計に埃がたっているように見えるのはきっと気のせいだ。

 何故そんな事をするのかは、今は考えたくなかった。


 しばらくして、ぴかぴかに磨いた窓を前にマリーが満足気な表情をしていると、リビングの扉からデルフィがひょっこりと顔を出した。


「おはようさん、デルフィ。朝食ごちそうさま」

「おはよう……おそまつさま?」

「ああ、それで合ってるよ」


 苦笑交じりに笑いかけると、少女はこくこくと頷きを返した。

 マリーにつられてか、デルフィもいつもよりテンションが高いように見える。


「マリーの部屋は清掃完了。次は?」

「もうすぐネルが来る。出かける準備を」

「あー、じゃあ俺も買い物いってくらあ」


 マリーはなにか得体のしれない物をみたような表情でトマスの顔を見つめていたが、暫くしてぎこちなく頷いた。

 まさかニートであることにこだわりすら抱いているように見える夫が進んで外出しようとするとは思わなかったのだ。


「そ、そうね。たまには外に出た方が良い」

「はいよ。夕飯はどうする?」

「お願いする」

了解了解(ヤー ヤー)。たまには奮発するとしますかね」



 ◇



「で、何でウチに来ているのだ。買い物に出たんだろう?」


 30分後、トマスは下層区のドック屋『シー・ガリラヤ』を訪れていた。

 MDに乗るでもなく、完全に時間つぶしにやって来たトマスにシモンは若干の呆れの混じった視線を向けた。


「このタイミングで買い物したら外出したマリーご一行と鉢合わせするじゃねえか」

「それの何が問題なのだ。情けない奴め。……まあいい」


 溜め息を吐きつつ、シモンはトマスの腕の中に塗料の入った箱を押しつけた。


「時間を潰すなら、ついでにマリーの機体を塗ってやれ。お前もよく知っている塗装パターンだろう」

「俺は仕事しに来た訳じゃねえ」

「ニートなのだろう? 知っている。だから給料は出さん」

「奉仕活動じゃねえか!! ここは軍隊じゃねえんだぞ」

「知ったことか。それに、貴様は存外に凝り性だしな。案外いい時間つぶしになるかもしれんぞ」

「……そうやって口先で丸めこんでペンキ塗りを押しつけるガキの話を聞いた覚えがあるぞ」

「さて、どうだったかな」


 いっそこの店の掃除でもしてやろうかとトマスは考えたが、どう見ても1日やそこらで終わるガラクタの山々ではない。

 他にこの店で時間を潰す方法も思いつかず、結局、トマスはドックで塗装を手伝うことにした。


 マリーの機体はトマスの機体の隣に待機状態で置かれていた。

 先日のクラーケン討伐ではさして損傷していないように見えたが、おそらくは規格外の4連ガトリングを無理やり搭載した影響なのだろう。両腕から両脇にかけての塗装が完全に剥げていた。

 トマスはひとまず関節部をガーゼで保護し、保護テープでフレイムパターンの縁取りをしていく。


「……」


 かつては、出撃の度に剥げる塗装を皆で笑い合いながら直していた。

 マリーは真面目だが、根が大雑把なのでこういう細かな作業は苦手らしく、よくしかめ面をしていたように思う。

 覚えている。記憶は薄れても、指先は覚えている。気付けば、ぴったりと縁取りを完成させていた。

 そのまま無心でスプレー状の塗料を吹きかける。ムラができないように端から中へと吹きつけていく。


 基本的に使い捨てのMDにこうした塗装を施すメリットはない。

 だが、キャラバンの護衛としてMDを運用する場合は別だ。

 自律機械に自機を狙わせてキャラバンに被害が出るのを防いだり、極稀に居る盗賊――その多くは他の商売敵(キャラバン)に雇われた者達だが――を威圧するなどの目的があるからだ。

 機体をみただけで名前が知られるようになれば護衛としても一端のものと言えるだろう。


「……なあ、トマス」

「あん、なんだよ?」


 片側の塗装が終わり、反対側にとりかかったトマスの背にシモンの声が掛けられた。


「お前、もう空を飛ぶ気はないのか? この前は飛べたのだろう?」


 笑ってしまう程に“老い”を感じさせる弱々しい声に、手を止めぬままトマスは軽口を返そうと振り向き、絶句した。

 そこに居たのは、開いた所を見たことのない奥の扉を呆けたように見つめている、どこにでもいる唯の老人だった。


 トマスは知らず奥歯を噛み締めた。腹の底に怒りが湧いてくる。シモンがボケ老人などと、そんな筈はないのだ。

 シモンは機人戦争を初期から戦い抜いたベテランの兵士だ。

 片目とその奥の神経系をサイボーグ手術でも補えないほど深く損傷してからは前線に立つことはできなくなったが、その的確な指示と上官相手でもあの手この手で部隊の安全を確保してきた手管は幾度となくトマス等の部隊を救った、まさしく古兵なのだ。

 それが、たかだか10年でこうも老いる筈が――


(ああ、俺が40歳ってことは、アンタは70歳か……)


 トマスにとってその事実は思った以上に衝撃だった。

 疲れたように此方を見る老人の色違いの瞳に目を合わせられないほどに。


「今更なに言ってやがる。限界高度が1キロもない空をどうやって飛べって言うんだよ?」

「お前なら――」

「やめろ、シモン。俺はもう頼まれたって空を飛ばねえ。そう決めたんだ」


 遮るように告げた強い言葉は、ふんと鼻を鳴らす音で返された。

 見れば、言い合う内に活力を取り戻したのか、シモンの目にはいつも通りの光があった。

 いっそさっきの一幕が錯覚であったか思う程の変貌ぶりだ。


「空を飛ばない、か。それ以外の事をやろうとしない癖にか? 心残りなのだろう?」


 いつの間にか塗装は終わっていた。自分でも笑ってしまうほど会心の出来だ。

 保護テープを剥がしながらトマスはこのメタンダイバーに乗る人物の事を想った。


「地上に、マリーを残してはいけねえよ」

「妻を言い訳にするとは、語るに落ちたな」


 わかりやすい挑発の言葉に、しかし、トマスは苛立ちが抑えられなかった。

 大股で距離を詰め、シモンの胸倉を掴む。

 老人の胸元で十字架のネックレスが虚しく揺れる。

 いつの間にか追いこしていた背は、胸倉を掴み上げればシモンの爪先が浮くほどの差だ。


「テメエ、どの口が言ってんだ、ああ?」

「失敗した者から学ばんのは怠慢だぞ、トマス」

「自分の失敗を棚に上げてよく言うぜ」


 それ以上の言葉はなく、トマスは手を離すとドックを後にした。

 背中に突き刺さる、老いて尚輝く同類の視線を受けながら。


 ――本当に飛びたいのはアンタじゃないか、その言葉だけは言えなかった。



 ◇



 雑貨屋で大量の食糧を購入して帰宅したトマスは早速、己の戦場に立った。

 半分はストレス解消だが、頼まれた以上は張り切るのが元主夫の嗜みだろう。

 クラーケンを倒した報奨金もまだまだ残っている。たまには奮発するのもいいだろう。

 それに、とある予感もあった。張り切る理由となる予感だ。


 2時間後、買い物から帰って来たマリーとデルフィはテーブルに並べられた料理の数々に驚きの表情を見せた。

 一抱えほどもある肉の丸焼きに、クラッカーに載せた各種アラカルトやポテトサラダ、キッチンではベーコンとチーズの焼ける匂いを充満させたピザが焼き上がりを待ちわびている。


「そろそろ帰って来る頃だと思ったぜ。手洗って来い」

「ッ!!」


 御馳走に圧倒されていたデルフィが大慌てで洗面所へ駆けていく。

 対して、その場に残ったマリーはやや呆れた視線でトマスを見ていた。


「3人じゃ食べきれないと思う」

「日持ちするモンもあるから気にしなくていいぞ。酒は……お前は残念だろうがやめといた方がいいよな」

「……ありがとう」

「さて、なんのことだか」


 その日は結局、デルフィが満足するまで長い夕食が続いた。

 騒がしい程ではなく、むしろ三人共口数は少ないくらいだが、穏やかな雰囲気の中で交わされる言葉は優しかった。

 あれもこれもと頬張るデルフィに、どれほど食べても太らない体質を羨ましそうに見つめるマリーが印象的だった。

 トマスにとっても欠けたところのない至福のひと時だった。


 夜、一足先にシャワーを浴びたトマスが自室で待っていると、ほどなくしてデルフィを連れたマリーがやってきた。

 おそらくは二人で入浴してきたのだろう。青く透ける少女の髪も、燃えるような妻の髪もしっとりと水気を含んでいた。

 やや困惑した視線を向けるトマスに対し、マリーはデルフィとは比較にならないほど豊かな胸を慎ましやかに張って宣言した。


「今日はデルフィも一緒に寝る」

「おい、さすがにひとつのベッドじゃ狭いぞ」

「あなたがロリコンじゃないなら大丈夫」

「どういう意味だよ、おい」


 困惑するトマスに構わずベッドに侵犯してくる二人に押され、結局、デルフィを真ん中にして三人は同じ床に就いた。


「今日は特別。あげないけど、ちょっと分けるくらいなら、いい」

「分けるって……」


 トマスの脳内にはマリーに工具で四肢を千切られる猟奇的なイメージが滾々と湧いてきたが、かぶりを振って危険な妄想を追いだした。

 しかし、いざ正気になってみると、狭いベッド上ではデルフィの滑らかな腹やらマリーのすらりとした足やらが触れていてどうにも落ち着かない。

 マリーと二人で寝る時には感じなかった新感覚だ。


(眠れねえ……デルフィはもう寝たのか?)

「あなた、何か話して」


 悶々とするトマスを見かねた訳ではないのだろうが、マリーが小さな声で寝物語をせがんだ。

 あるいは、それはデルフィを子供に見立てた代償行為なのかもしれない。

 断るのも寝覚めが悪く、トマスは脳内からお話を引っ張りだそうと錆びついた脳味噌を回転させる。


「……昔々ある所にアースマンという神様のこどもがいました。その人は各地を回って人々の病を治したり、石をパンに変え損ねたりしました」

「前に聞いた話と違う」

「俺だって親父(オヤジ)に聞いた話でうろ覚えなんだよ。えっと、前はどこまで話したんだったか。そうだな、なんやかんやあってその人は死んじまうんだが――」


 ふと、耳元にくすくすと笑う鈴の音のような声をトマスは聞いた気がした。

 それが誰のものか考える余裕もなく、男は必死に昔話をねつ造していた。

 微笑みと優しさと少し滑稽な昔話と共に夜は更けていった。



 ◇



 翌日、早朝にトマスは目が覚めた。最近の健康的な生活の成果だろう。

 隣ではまだデルフィが胎児のように丸まって寝ている。体内に時計でも入っているのかと思う程に規則正しい生活を行うこの少女にしては珍しい事だ。昨日は少々夜更かししすぎたと反省する。

 マリーはいない。が、彼女がいた場所にはまだ体温が残っている。シモンは着替えもそこそこに寝室を飛び出した。


 玄関先では、マリーが出かける用意をして待っていた。

 元より荷物はザックひとつに収まる程度の物しか持ち歩かない軽装だ。準備はすぐに終わったのだろう。


「やっぱり行くのか?」

「……うん」


 そんなことは見ればわかる。

 これは夫婦のケジメのようなものなのだろう。

 胸の奥に苦しさを感じながら、トマスはなんとか表情を保つ努力を続けた。


「キャラバンは私がいないと危険。それに、どうも色々ときな臭い。情報を集める」

「デルフィの為か」

「多少とはいえ、あなたを動かしてくれたお礼」

「ってもな、あー」


 何かしら引き留められる理由はないのかと、昨日から頭を捻っているのだが、トマスは思い浮かばなかった。

 “自分はもう大丈夫だ”と言えるだけの確証も、勇気もトマスの中にはなかった。

 第一、全然大丈夫でないことは誰よりも己自身が理解しているのだ。


「俺は一緒にはいられんのか?」

「私が一緒にいたいのはあなただけ。だけど、このままでは、あなたの時計は凍ったままになってしまう」

「そんなことは……」


 凍れる時計(フリーズクロック)。それがトマスの二つ名だ。

 かつてその名は、時が止まっているかと錯覚するレコードを叩き出したことに付けられた異名だった。

 己の足を止めてしまった落伍者。そんな意味ではなかった筈だ。


「でも、少しだけ安心した。あなたは動こうとしている。たとえそれが、他の女の子(デルフィ)の為でも、私は嬉しい」


 そう言ってマリーはやわらかく微笑んだ。

 10年と云う時の経過を感じさせる、強く、優しい笑みだった。

 そんな心臓を撃ち抜くような笑みも見せられては、トマスにはもう妻を止めることは出来なかった。


「……モク、実はまだあるだろ?」

「うん」


 そうして旅の餞に触れた唇は少しだけ苦い味がした。




 嫁襲来編、完



次章、飛翔編

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ