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メタンダイバー  作者: 山彦八里
嫁襲来編
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9話:Add Quantum

 初めてその新兵を見た時の印象は『気に食わない目をしたガキ』だったことをトマスは覚えている。

 狂った時代だった。機人戦争も末期になると、身寄りのない12歳の子供でも自動学習装置で促成訓練を施して実戦に放りこむしかなかった。

 なんだかんだと開戦初期から軍に居候していた試作機のテスターを筆頭に、各都市の寄せ集めや問題児、果ては実戦経験皆無の子供まで投入した臨時部隊でさえ最前線に送られていた。

 予備役ながら各所に顔の利くシモンがいなければとうの昔に使い潰されていただろう。


「お前が面倒見ろ」


 だからこそ、苛立たしげに白髪混じりの茶髪を掻くシモンに対し、トマスも最終的には折れた。

 最初は反対したのだ。トマスは部隊の隊長。誰かを贔屓するわけにはいかない立場だった。


 否、正確に言えば、戦場に贔屓は、命の順番はあった。


 付け焼き刃の訓練しか受けていない新兵とベテランのMD乗りならば、後者を生かさねばならなかった。そうしなければ戦線を維持できないところまで人類は追い詰められていた。

 MDは壊れやすく、機体に充填できる酸素(ねんりょう)は有限だ。

 補給が間に合わない時、新兵はベテランに機体を――つまりは、己の命の順番を譲ることが義務付けられていた。

 無論、機体を譲った新兵には窒息死するか、液体金属の海に沈むかしか残されていない。


 だが、トマスはMD乗りとしては「それなり」ではあっても、兵士としては初心者もいい所だった。

 ただ都市連合軍全体の人材の枯渇と、軍属のようなものをしていた期間が長かった為に、あるいは部隊の中で最もMDの操縦技術に優れていた為に、自動的に隊長の役目を割り振られただけなのだ。

 同じ釜の飯を食った仲間に死ねと命じる順番を、自分の手で決める勇気はなかった。

 ブッシュ、サマンサ、ジェイク、ライオネル、そして、シモン。誰ひとりとして大事でない者などいなかった。

 だからこそ、そこに使い潰されることを前提とした新兵を加えることはできなかった。

 情が湧けば、機体を譲られた時に己はどのような顔をすればいいのか。なんと声をかければいいのか。

 親がいないから、生まれたのが遅かったから、だから死ねと言うのか。

 そう問うたトマスに、シモンは答えなかった。ただ命令を繰り返しただけだった。


 その頃の自分は酷い顔をしていたらしい。後に、トマスはそう聞いた。

 今ならわかる。シモンはトマスに止まり木を、心の拠り所を与えたのだ。

 事実、トマスはその新兵に――当時はマツァグ姓ではなかった“マリー”に機体を譲らせないために奮闘した。そうでなければ戦争中に何かの拍子に死んでいただろう。


 そうしてトマス達が足掻いている内に、戦争は最悪の形で終わった。

 “魔の一日”(カラミティ・デイ)

 木星上から自律機械の拠点を駆逐し、代わりに四大衛星からの止むことのないマスドライバー射撃が始まった日。

 半数以上の都市が壊滅し、一定高度以上を飛べば数十秒で狙撃される変貌した世界。地表に縫い止められた人類に抗う力は残されていなかった。

 都市連合軍もその存在意義を失って消滅し、トマス達も追われるように生まれた都市を去った。


 そして、シモンの選択が正しかったことが証明された。

 老いたその男は正しかった。どこまでも正しかった。

 戦後、飛べなくなって抜けがらになったトマスを支えたのはマリーだった。

 他の者達には家族がいた。あるいは兵士としての矜持が、生き方があった。


 だが、いざ地に足を着けてみれば、トマスには何もなかった。空を飛ぶ以外の生き方を知らなかった。夢は破れ、矜持は砕けた。

 シモンはトマスを助けられなかった。同じ戦争後遺症に罹っていたからだ。お互いにどうしようもなかった。そのことに気付いていた。

 今も住まいを別にしているのはその名残だ。お互いが、お互いの向こうに失った夢を見ているのだ。度し難い話だろう。


 だから、他に寄る辺を持たないトマス・マツァグはマリーに依存した。14歳の娘にだ。

 その頃の男の姿を省みれば、ロリコンだと言われても仕方のないことだろう。


 ナイアスに流れついて暫くして、二人は結婚し、家を買った。

 人並の幸せを二人なりに見つけて行こうと誓いあった。

 だが、その後も二人はMDに乗り続けた。命を賭けて自律機械を狩る他に金を、酸素を、食料を稼ぐ方法を思いつかなかったからだ。

 機人戦争末期に促成訓練を受けただけのマリーの操縦技術はお世辞にも良いとは言えなかったが、それはトマスが補った。

 専用のMDがなくとも、長い搭乗経験で培った技術はトマスを「それなり」の地位に押し留めていた。

 だが、マリーが成長するにつれ、段々とトマスはMDに乗らなくなった。

 家で家事をし、料理を作り――これはマリーに壊滅的に料理の才能がなかったことも理由にあるが――引き籠っていった。

 それは逃避だった。飛べなくなった己を忘れる為の代償行為だった。

 しかし、マリーは止めなかった。あるいは、止め方を知らなかったのかもしれない。

 トマスの夢はもう蘇ることはないのだ。

 そうして、時計は凍り、ひとりの駄目人間(ニート)が出来あがった。

 妻に都市の外で命を賭けさせている間、家でぬくぬくとしているクズの姿だ。

 同じメタンダイバーの乗り手であった筈なのに。


(そういえば、ジェイクはマリーと仲が良かったな)


 古い夢の終わりに、ふと己を高みから見つめるもうひとりの己がそう皮肉気に囁いた。


 同じ砲撃手の先輩後輩として、ジェイクはトマスの次にマリーといる時間が長かった。

 治療が終わり、サイボーグの体になったジェイクが自分達と共にナイアスに来なかったのは、あるいは何か思う所があったからかもしれない。

 バーで再会した時もジェイクはマリーを気にしていた。

 あの時、あのサイボーグは拳を握りしめていたか。トマスは思い出せなかった。


 3年前、マリーが家を出た理由は分からない。

 あるいは、分からないのは、抜けがらになった自分に7年も付き合ってくれたことかもしれない。

 ともあれ、トマスは己の察しの悪さは自覚しているが、それでも10年来の付き合いのある者に嫌われたらさすがにわかる。

 故に、今になって嫌われた訳でも愛想尽かされた訳でもない、と男は思う。


 第一に頭に浮かぶ理由は、子供が出来ないことだ。

 戦争の後遺症だと思われるが、どちらがそうなのかは調べる方法が喪失しているためにわからない。

 だが、トマスは己だろうと思っている。マリーは治療法を探す為にキャラバンの護衛になったのかもしれない、とも。

 四大衛星からのマスドライバー射撃で人工地殻はさんざんに削れた。

 だが、木星を巡る衛星にはどうしても射角という制限があり、射出後の追尾補正にも限界がある。各都市、各地域の被害は思う以上にまばらだ。

 どこかの都市に何かが残っている可能性はある。少なくとも、そう希望を持てる程度には。


 だが、本当にそれが理由なのかはトマスにはわからない。訊いても答えてはくれなかった。

 木星では子供を産む、人間を増やすというのは非常に重い意味を持つ。

 都市で生産される食料や生活資材、何よりも酸素(エア)に限りがあるからだ。

 子供が成長し、稼げるようになるまでの間を親が賄うことができなければ、誰かが窒息死することになる。

 三人分の酸素を買えるだけの稼ぎを捻出できず、都市を出る者も毎年少なからずいる。

 その後、どうなったかを知る者はいない。都市の外、メタンの空の下、液体金属の海では人はMDなしには生きることはできない。

 たとえ、年端もいかぬ赤子であっても、その理からは逃れられない。


 もしも、産まれぬ子供を想ってマリーが都市を出たのなら、トマスは腰裏の拳銃で己のこめかみを撃ち抜くだろう。

 大事な仲間から、愛する女から、現在(イマ)だけでなく未来までも奪っているのなら、そんな存在を生かしてはおけない。



 ◇



 朝だ。目蓋を通して都市の人工照明の柔らかい光を受けてトマスは目を覚ました。

 快適とまではいかないが、悪くない目覚めだった。ここ最近はデルフィの教育を兼ねて健康的な生活をしていた、ということもある。

 なにより、隣には(マリー)がいるのだ。これ以上何を望むものがあろうか。

 三年分の諸々を存分に吐きだして、トマスの心は聖者の境地にあった。


 視線を隣に向ければ、ラフな格好でシーツに包まるマリーがいた。

 見る者に強く印象を残す澄んだ瞳も隠れている今は無防備で、どことなくあどけない雰囲気がある。昔の面影がある。

 もちろんトマスはロリコンではないので、現在の大人なマリーの方が好みだ。シーツから覗くすらりと伸びた足や、胸元で神秘の曲線を描く二つの果実は昔にはなかったものなのだ。

 数日限りだが主夫に戻ったトマスは妻の赤髪を梳くようにして撫でると、ベッドを抜けだしてキッチンへと向かった。


 朝は軽めのサンドイッチにするのがマツァグ家の習慣だ。

 急ぎの時は移動しながら食べられるし、あまり腹に溜まるものにするとMD戦闘に支障が出るからだ。

 重力制御されているMDのコックピットはGも軽減されているのだが、強制排出(イジェクト)する場合などは胃の中をひっくり返すような衝撃が体にかかる。

 機体内の酸素(エア)が限られる以上、都市外では換気などと云う気の利いたことはできないので、吐いたらそのまま活動し続けなければならない。ちょっとした地獄だ。


 都市の人工照明が光量を上げ出した頃、テーブルに一通りを並べ終わったのも見計らったようにデルフィとマリーも朝の支度を終えて席についていた。

 まだ若干眠たげだったデルフィも食事を前にすればしゃっきりと覚醒する。主夫冥利に尽きる姿だ。


 挨拶もそこそこに各々、朝食に手をつける。

 トマスも適当に祈りを捧げた後にサンドイッチにかぶりついた。

 いつもより多少手をかけて作ったエッグサンドは卵の甘みがきちんとでているし、ツナサンドも後に残らないすっきりとした味わいの自信作だ。

 ともあれ、基本的に食事は黙って食べるように教育されているトマスとマリーに、食べるのに夢中なデルフィでは会話も起こりようがない。

 だが――


(き、気まずい……和平協定が結ばれたんじゃなかったのか?)


 ミルクを流し込んで口内を洗浄しながらトマスは心中で呻いた。

 デルフィだけのときも、それ以前のマリーだけがいたときも、こんなことはなかった。

 隣り合う妻と少女は視線も合わさず、しかし、どこか互いを窺うような雰囲気がある。

 神の子(アースマン)よ、俺が何をした。トマスは天に愚痴を投げつけていた。

 気付けば、トマスの皿の上は空っぽになっていた。

 仕方なく、ミルクのお代わりを注いでトマスは口寂しさを紛らわせ、


「夫婦ってどうやってできるの?」


 唐突な爆弾発言に危うく噴き出しかけた。

 気管に入り込んだミルクに咽ながらデルフィを睨めば、少女は不思議そうに小首を傾げていた。

 どうやら彼女なりに朝食が終わるのを見計らっていたらしい。


「ど、どうって言われても難しいな。戦前みたいに結婚式とかすることもないし、管理局に届け出るだけだからな」

「――?」

「えっと、だな……」


 気を取り直して説明しようとして、あまりに当たり前なことにどう言えばいいのかわからずトマスは言い淀み、見かねたマリーが援護に口を開いた。


「夫婦というのは男女でお財布をひとつにすること。都市では空気も、食料もお金がないと買えないでしょう?」

「なら、デルフィも夫婦なの?」

「貴女は……」


 さらなる問いにマリーもまた言い淀み、暫し迷った。

 居候だというのは簡単だ。事実、デルフィの立場はそう言って差し支えないものだ。

 だが、この場ではそれは正しい言葉ではないように思われた。

 この少女は小さくとも、トマスに寄りかかって生きている訳ではないし、その逆でもないのだ。


「貴女は独立した一個の人間よ」


 だから、マリーはそう告げた。

 無垢な色を湛えた金の瞳を真っ直ぐに見返して、そう告げた。


「貴女は自分の生きる糧を、呼吸するエアを自分の力で稼いでいる。胸を張って、そう言えばいい」

「じゃあ、デルフィも夫婦になれるの?」

「――――」


 マリーは姿勢よく座っているデルフィの小さな体を眺め、薄い胸を見て眉根を寄せ、過去を思い出すように顎に指を当てて数秒黙考し、頷いた。


「がんばれば、なれる」

「そ、そういえばだな!!」


 危険信号を発した本能に従い、トマスは会話に割り込んだ。

 無垢な視線と澄んだ視線が男に向いた。


「なに?」

「お代わり?」

「違う。マリー、おまえ、ネルに連絡した次の日に帰って来たけど、随分急だったろう? 何かあったのか?」


 それは昨日から疑問に思っていたことだ。

 キャラバンは都市から都市へと旅する商隊だ。

 その行程は綿密な計画の上で実行に移される。都市の外では食料は補給できず、オアシスを中継しなければ水やエアも得られず、おまけにルートによっては自律機械の群れに遭遇する危険もあるからだ。

 そして計画が立つ以上、都市を出る前に向かう先の都市へと連絡を飛ばすのがセオリーだ。

 まさか、護衛(マリー)の里帰りの為にルートを変更した訳ではないだろう。


「キャラバンのルートに大型の自律機械がいたから、急遽変更になったの」

「へえ、珍しい話もあるもんだな」


 マリーの表情にはどことなく困惑の色が混ざっていた。

 それはトマスにも理解できるところだった。大型の自律機械など10年前の戦争でもそうそうお目にかかれなかった兵器だ。

 足が遅いために戦場へ到達することは稀で、しかし、1機で都市を落としかねないほどの危険性を秘めている正しく敵の奥の手だ。


 敵機械の指揮官が――“それ”の名前もどんな存在なのかもトマスは知らないが――戦略的な思考を持っているのなら、木星上の大型機械はここぞという時まで隠し持っておくだろう。

 木星人工地殻上にはもう敵機械の拠点はなく、『質量弾の中身を敵が変えられない』という予想が正しいのなら、地上に大型機械が増えることはないのだ。

 人類が“空”を奪われたように、機械もまた“大地”を喪っているのだ。



「――待て。そいつは都市からどんくらいの所にいた?」



 そして、思考とは別の所でトマスは半ば本能的に問いを重ねていた。


「キャラバンの足で1日か2日くらいだけど……どうしたの?」

「……」


 知らず、トマスの頬を冷や汗が流れた。


 もしも、その大型が前からナイアスの近郊にいたのなら、既に管理局がMD乗りを結集して排除している。

 故に、マリー達が見た大型は最近になって接近してきたものだと結論できる。

 偶然の可能性もある。戦争が終わってからまだ10年しか経っていないのだ。稼働中の大型が放浪しているのが発見されても不思議ではない。

 だが、トマスにはひとつ気がかりがあった。


 ――デルフィは機械に執拗に狙われている。


 そして、トマスの予測を裏付けるように都市中にサイレンが鳴り響いた。

 第一種警戒警報。

 すなわち、敵性機械の都市襲来の報せである。



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