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メタンダイバー  作者: 山彦八里
第一章:遭遇編
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Prologue

 男は空を飛ぶのが好きだった。

 憧れと言い換えてもいい。物心ついた時には空を飛ぶことが夢になっていた。

 永遠に続くあの曇天を超えて、水素とメタンで構成された蒼穹を泳ぐこと。

 そんな夢と適性と、あとはしがらみが高じて軍隊に入ってしまったが、男にとっては他人の金で空を飛ぶこともさして気にすることではなかった。

 飛べればよかったからだ。

 試作機のテスターとて柄ではなかったが、いざ部隊となってみれば存外に気の良い奴らが集まったと酒杯片手に笑う程度のものだった。


 木星探査用人型機動機械、通称“メタンダイバー”

 遥かな昔、地球(アース)から宇宙を超えて木星(ジュピター)へとやってきた『最初の人々』の遺産。

 水素の雲の中に地殻を張り巡らせ、生息圏(ビオトープ)を築いた開拓者たちの機械の鎧にして相棒。

 身長3メートルほどの小さな巨人。

 長い時の中で空を飛ぶことを忘れてしまった彼らに空を取り戻す。

 胸が躍る仕事だと思った。純粋で誇らしい気持ちが男の中にはあった。


 狭苦しいコックピット、緩和されて尚内臓を軋ませる強烈なG、色彩すらも置き去りにした超音速の空。

 ここが、この摂氏マイナス100度を下回る凍れる空こそが自分の生きる場所。

 男は無邪気にも、そんな吹けば飛ぶ幻想を一心に信じていた。



 ――10年前のあの日までは。



 その日、人類の空が墜ちた。


『……ブッシュ、サマンサ、応答しろ!!』


 ガタガタと震えるコックピットの中、無線通信に叫ぶ声に応えはない。

 ただ、不快なノイズのみがリピートされている。

 男の機体――試作宙間飛行用MD(メタンダイバー)は既に死に体だ。

 三基中二基のメインエンジンが物理的に吹っ飛ばされてから37秒が経過している。

 フレイムパターンに塗装していた装甲は残らず剥がれて、重力子展開率は10%を切って尚低下し続け、反重力フィールドも維持できず、緩和しきれない風圧によって中身(ブヒン)がぼろぼろと零れていっている。

 元は鋭角的な三角錘を構成していた機体も主骨格フレームだけになっているような有様だ。

 正直な所、未だ空にいられるのは奇跡だと言っていいだろう。


『ジェイク、ライオネル、生きてんなら何か言え!!』


 後に機人戦争と呼ばれるこの戦争は人類から多くのモノを奪った。

 空に浮かぶ四大衛星――いわゆるガリレオ衛星はその最たるものだ。

 イオ、エウロパ、ガニメデ、カリスト。

 かつて、資源基地として人類を支えた四つの衛星は今や人類の滅びと衰退の象徴となった。


『シモン、マリー!! ……誰か、誰かいないのか!?』


 結局、通信は誰にも繋がらず、男は苛立ちまぎれに広域通信帯へと周波数を変更しようと――


 瞬間、衛星イオのマスドライバーより射出された質量弾が機体を掠めた。


 男の機体を狙ったものではない。偶然の接触である。

 だが、咄嗟に直撃こそ避けたものの、防御機構の9割を喪失していた機体には十分すぎる致命傷であった。


 そうして、人類の新たな翼となる筈だった機体は鉄屑となって墜落した。




 男は反応を寄越さない機体ハッチを蹴り開けて人工地殻の島へと降り立った。

 幸いだった。墜落場所が液体金属の海だったらそのまま溺死していた。


「グッ……クソが、一体何がどうなってやがる!?」


 周囲には残骸の山、無数の物言わぬにMDに囲まれて男――トマス・マツァグは叫んだ。叫ぶしかなかった。

 次いで、咳き込み、血を吐いた。

 無理な旋回駆動で内臓が損傷しているのだ。本人は極度の混乱で気付いていないが、肋骨のほぼ全てと左腕尺骨も折れている。

 今はまだパイロットスーツの生命維持装置によって命脈を保っているが、放っておけば数時間と経たずに死亡するだろう。


「畜生、管制は何をやって――」


 トマスは悪態と共に空を見上げ、驚愕に目を見開いた。


 そこに彼の知る空はなかった。

 木星の空は今、流星群の如き無数の質量弾によって死と爆発の華に彩られていた。

 四大衛星に存在する全てのマスドライバー施設からの断続的な砲撃。

 後の調査で木星人工地殻上の実に8割以上のビオトープが破壊されたことが判明する“魔の一日”(カラミティ・デイ)

 トマスを絶望させるには十分すぎる光景だった。


「あ、ああ――」


 空が墜ちる。彼の愛した空が機械に蹂躙されていく。

 しかし、絶望はそこで終わりではなかった。


 ふと、トマスの耳にMD特有のホバー音が聞こえてきた。

 思考は救援かと願い、本能は敵が来たのだと判断した。


 トマスは本能に従った。

 体に染みついた突発遭遇時のマニュアル通り、鉄屑と化した自機の下に滑り込む。

 機体のバランスが崩れて押し潰される危険もあるが、停止したばかりの機体の下にいれば対人熱感知を妨げられるし、機体下部に残留する酸素のお陰でスーツのエアを節約できるのだ。


「……」


 空が墜とされた今、生きる意味などないのではないか。

 絶望した心がそう囁くが、それでも安易に死を選ぶことはトマスにはできなかった。

 彼には仲間がいるのだ。


 トマスの判断は正しかった。

 やって来たのは敵だった。

 軽量(エアル)級2機、中量(リノス)級3機、重量(ツァハ)級2機、標準的な一分隊規模。

 既に一戦した後なのか、各機共にそこかしこを損傷している。

 中にはコックピット部分に大穴が開いている機体もあるが、元より搭乗者のいない自律制御にとっては関係のないことだ。

 彼らは何かを探すように首を、正確には頭部センサーを巡らせて周囲を探索している。


(何だこいつら? 何かを探してんのか?)


 息を殺して潜むトマスは混乱する思考の中に小さな疑問を持った。

 だが、答えが出るよりも先に、リノス級の一機が此方を見た。


「ッ!?」


 MD相手に目が合うもクソもないが、トマスの勘は自分が捕捉されたことを確信した。

 転がるように機体の下から飛び出す。

 即座に周囲に散開していた残る6機全てもトマスをロックし、それぞれが携行する銃器を即時射撃位置へと移動させる。

 トマスは一秒後の死を感じながらも一番近くにいたリノス級へとひた走る。

 殊、此処に至って生き残る為には敵の機体を乗っ取るしかない。

 だが、無情にも敵の銃口は既に照準を確定している。

 ここまでか、とトマスが思考した刹那。


 ――空を一筋の流星が真一文字に切り裂いた。


 敵MDがトマスを無視して上空を見上げて探知を全開にする。

 トマスも我知らず、その流星を目で追っていた。


 その流星はただひたすらにうつくしかった。

 死華満天の空を自由自在に駆ける超高速の星。


 質量弾とはまったく異なる存在なのは一見して明白。

 一切の減速なしに直角に軌道を変えるのは強力な反重力フィールドを展開している証だ。一度目を離せば二度とは捉えられないだろう。

 音速などとうの昔に突破している。空を閉じる無数の質量弾を有り得ない機動で回避する様は昔話に聞く地球の『鳥』を連想させた。


「……何だよ、あれは?」


 トマスは自身に迫る死も忘れて呆然と呟いた。

 MDは空を飛ぶことを忘れてしまったのではないか。

 それを取り戻すのが自分の役割ではなかったのか。

 自分が人類の最高高度ではなかったのか。


 ならば、なぜ、今、自分は見上げているのだ。


 この夢は幻想でしかなかったのか。


 心臓がバクバクと鳴り響き、頭が割れそうな痛みを発する。

 気付けば、流星が美しい弧を描いてぐんぐんと地表(こちら)へと近付いてきている。

 真っ直ぐに迫るが故に、辛うじて視覚に捉えられたのは翼持つ白亜の機体。

 無理に無理を溶接して、最後には墜落した自分の機体とは違う。

 全てが完璧にデザインされたものであることをトマスは直感的に理解した。


 白亜の機体が触れる全てを破壊しながら迫り来る。

 周囲の敵MDが撃ちこむ銃弾も砲撃もあっけなく弾かれ、傷ひとつつけることができない。


「――何なんだよ、お前はッ!?」


 心の底から叫ぶ。 

 憧れていた、無限に思えた空が閉じていく。

 遂に体が痛みを思い出した。ギリギリで保たれていた意識が途切れる。

 スーツのエアも限界が近い。視界が暗転する。


 暗転していく視界に、降り注ぐ残骸が僅かに映る。

 最後の力を振り絞って見上げれば、降り立つ白亜の機体がみえる。


 ――この星は地獄だ。


 心の折れる音がした。



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