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酒と漢と

作者: 愛発好古

OMCライター登録審査時のプレイングより短編小説。

 パァン、パンパパン――


 乾いた破裂音が連続して響く。時たま近くで擦過音が追加されるあたり、それはやっぱりどう聞いても銃声で、しかも俺が撃たれているのは明らかだった。


「なんて呑気に考えてる場合じゃねぇぇ!」


 手に持っていた釣り具を投げ捨てて全速力で突っ走る。銃声に俺の呼吸音と足音がノイズとして混ざる。


 そもそもの発端は、のんびり釣りを楽しんでいた港の倉庫街の一角でうっかり何かの取引現場を見てしまったことだ。

 寺田蔵人十七歳、人生最大のピンチだった。


「もうやだっ! 神様、誰か、助け、てえええ!」


 息も絶え絶えに叫ぶが場末の倉庫街に人がいるはずもなかった。

 絶望感に苛まれながら倉庫の間を駆け抜けてゆく。銃声はまだ続いている。


 倉庫の角を左に折れれば景色が変わった。事務所が並ぶ一角らしい。


 もう体も限界だ。肺が痛くて仕方ない、足が重くて仕方ない、休みたい、とっても一息休みたいっ……!

 どこか隠れられる場所は――


「あった!」


 事務所の並びの一角に、喫茶店があった。『OPEN』の掛札がかかっていることを確認すると間髪を開けずに飛び込んだ。


 店内は薄暗く、レコード音源と思しきジャズが流れている。正直とても喫茶店とは思えない。


 だいたいマスターが拭いているグラスなんてロックグラスだ。カウンターに座った客はハットを被ったままだし、西部劇に出てくるバーに入っちまったんじゃないかとさえ思える。


「いらっしゃい」


 マスターのバスボイスが店内に響く。

 その声に、一瞬自分が何をしに来たのかを忘れかけた。

 慌てて被りを振ってカウンターにかぶりつき、


「か、匿ってください。追われてるんです!」


 マスターが、ぎろりと睨む。俺はそれにたじろぎかけたもののもう一度勢いつけて言った。


「匿ってください、後生ですから!」


 カウンターにいた客が噴き出すが、マスターはそれを無視した。


「……ンでぇ、客じゃねえのか。ま、いいだろう。適当に理由つけて追い返してやるよ」


「ありがとうございますっ!」


 マスターが顎で店の奥を示す。入口を視認するとこけつ転びつ飛び込んだ。

 そのまま掃除道具入れと思しきロッカーを開けて中に隠れる。


 ロッカーの中で息を整えていると、店の方から騒がしい声がする。


「おうマスター邪魔すんぜ!」


「いらっしゃい。いつもので良いのか?」


「や、今日は客じゃねえ。こんくらいのライフジャケット着たガキが来なかったか?」


「……店の前を走っていったな。そいつがどうかしたのか?」


「や、別になんでもねえ。ただよ、もし匿ってるんなら……話ぁ別だ。まさかと思うが、ここにいるんじゃあねえだろうな」


 ドキリとして息を呑む。


「いねえな」


「まさか嘘ってこともねえだろうが、万が一ってこともある。探させて貰うぜ」


 裏口から逃げるか隠れたままでいるか……ああもうどうしよう!


「やめな、そりゃ客のすることじゃねえ。

 それにあんた、別になんでもないガキを探すのに出入り禁止になるようなことをわざわざするもんじゃないだろう?」


「……悪かった、邪魔したな」


 ドアにつけられたカウベルがからんと鳴った。


「坊主、もういいぞ」


 ゆっくりとロッカーの扉を開けて顔を覗かせ、あたりを注意深く伺ってから外に出た。

 深呼吸一つ。


 ロッカーの扉を閉めて店に入る。客は相変わらずハットを被ってウィスキーを飲んでいた。


 俺はマスターにぺこりと頭を下げた。


「助けてくださってありがとうございました。その、なんか怪しげな取引現場を見ちゃって、」


 マスターがまた、ぎろりと睨んだ。言葉に詰まる。


「注文したらどうだ」


「あ、はい。ええと……」


 言って店内を見渡す。壁にはアンティークなライフル銃やリボルバーが飾ってあり、天井にはシーリングファンが回っている。どこからどうみてもバーだった。


「ここって、本当に喫茶店なんですか?」


 言ってから、睨まれるかもと思って肩をすくめるが、マスターはグラスに視線を注いだままだった。

 客が鼻で嗤い、


「お約束のミルクなんて注文するんじゃねえぞ。ここは確かに酒を呑むところさ」


 そして一口、ウィスキーを呑む。マスターが一瞥をくれ、


「ここは喫茶バトル・エンカウンター。喫茶というからにはコーヒーも出すさ」


「はあ……。じゃあ、その、コーヒーを」


 マスターは飾ってあった薄ら埃の溜まったコーヒーミルをカウンターに置き、軽く拭いてコーヒーを挽き始めた。俺もカウンターの宿り木に腰を下ろす。


 さっきのマスターが口にしたこの店の名前が、ひどく気にかかっていた。どこかで聞いた気がするのだ。


 確か昨日、学校の不良連中が喋っていた中に含まれていたはずだ。


 喫茶バトル・エンカウンター。アングラな連中が足しげく通うと噂の……おみ、せ……?


 顔から血の気が引いてゆく。

 そういえば隣に座る客もどう見てもカタギではない。俺はひょっとして飛び込む場所を間違えたんじゃないか。


 そんな考えを見透かすように、ハットの客がまた鼻で嗤った。


「坊主、お前は男か?」


「え? ええ、女に見えますか?」


 会心のジョークのつもりだった。


「性別の話じゃねえ。お前はひとかどの男か、と訊いているのさ」


 意味が、分からなかった。ので、そう言った。


「ふっ、分からねえと来たか。お前はな、カタギの人間が踏み込んじゃ行けねえ場所に来ちまったのさ。

 それをわかっていながら覚悟を決めていやがらねえ。まだ逃げられると思っているのさ」


「なんで……俺は、俺はただ釣りをしていて偶然何かを見てしまっただけなんですよ?」


 ハッ、とその男は嗤った。


「幾度も立ち入り禁止のフェンスを乗り越えて、か? 入っちゃいけねえところに入って、見ちゃいけねえものを見た。

 だからってそれを見なかったことにしようなんざ、都合がよすぎやしねえか? お前はな、もう戻れないのさ。それをしっかり噛みしめるんだな」


 …………そんな、そんな馬鹿な話があるもんか。


 マスターがグラスを俺の前に置いた。そしてウィスキーを半分ほど注いで、


「そういうことだ。逃げだしたきゃそうしろ、ただし明日にはドラム缶とセメントがお友達になるだろうよ」


 痛恨の、ギャグだった。


「俺が、何も悪いことなんてしてこなかったこの俺が、何でこんな目に。俺はいつだってそうだ、波風立てないようにしてきたのに必ず何かに巻き込まれるんだ。中学生の時だってそうだった。

 席替えをした日だった。不良のヤツらが籤をいじって連中ばっかり後ろの席になるようにした。俺は学級委員長だったが見て見ぬふりをした。

 だってそうだろ、関わり合いになりたくなかったんだよ。

 そしたら後で先生がやってきてこう言った。『お前、あいつらに便宜を図ったんだろ? ならお仲間だよな、お前も連中と一緒に勉強しろ』って、そう言って後ろの席に、しかもヤツらのど真ん中に換えたんだ! どうして周りはいつだって俺を嵐の渦中に放り込むんだよ、勘弁してくれよ!」


 マスターが、淹れ終ったコーヒーをウィスキーと並べるようにことりと置いた。ハットの男が解説する。


「お前には二つの道がある。全部見なかったことにして店を飛び出しのたれ死ぬこと。

 もう一つは見ちまった物を全部受け止めて、その結果としての死を受け入れることだ」


 逃げて死ぬか、受け止めて死ぬか。死に方を選べ、ということではないと思う。

 どうせ死ぬなら自分の尻を拭いて死ね、それが男だ。そういうことなのだろう。


 頭では理解しても体が受け付けない。のどをぎろりと鳴らして唾を呑みこむ。


「どうしろって……言うんですか」


 マスターとハットの男が同時に嗤った。ハットの男がグラスをカウンターに置いて言う。


「俺がしたのは精神論だ、別に何か意見しようなんて思っちゃいねえ。

 そうだな、どうしてもってんなら言ってやろう。

 てめえが言ったように波風立てないようにする方法は二つある。

 一つは、そうだな、追ってくるヤツに泣いて懇願してみろ、『俺を仲間に入れてください』とな。ここのヤツらは身内には優しい。そこを突け。たいていは死ぬがな。

 もう一つは言わずもがな、大人しく撃たれてしまえ。お前が我慢するだけで済む」


「俺は……死ぬつもりも悪の手先になることもしたくありません」


「悪の手先か。まぁ何が悪かってのはこの際置いておくとして、お前が言いたいことはわかる。

 ただな、逃げてばかりのお前が何を言ったところで、何者でもないお前の言うことなんざ皆耳を貸さんだろうよ。

 お前にわかりやすく例を挙げるとだな、ここのマスターだ。

 マスターはどこの組織にも属しちゃいねえ。だがこんなところで店を構えてどことも関わろうとしないなんてのは生半な根性でできることじゃねえ。しっかり筋を通して、その上で自分のやりたいことを貫き通してんだ。だからここでは一目も二目も置かれてる。参考にするんだな」


 コーヒーとウィスキーを交互に見つめる。どちらかを選んで飲むように、自分の人生の振り方を決めなくちゃならない。


 俺の人生が間違っていた。それはもうどうでもいい。


 どっちを飲むべきか。


 連中の仲間に万が一なれたとして今までの人生を捨てることができるのか。


 俺の人生が間違っていた……いやそれはいい。


 銃で撃たれるって痛いのかな。


 ……俺の人生が間違っていた?


「そんなはずはない。俺の人生は間違ってなかったはずだ!」


「そう思うんなら、なぜここにいる?」


「今からあるべき姿に戻せばいい! 明日から筋を通して思うが儘に生きてやる!」


 カウベルの音が響いた。二人のスーツ姿の男が音とともに俺の真後ろまでやってきた。


「残念だがそんな明日はこねぇよ」


 男たちは俺の両腕を左右から抱えたが、隣のハットの男がそれを止めた。


「最期の飲み物だ、飲み終わるまでまってやれ」


 両腕が離された。俺は、


「マスター、俺を雇ってくれ。

 でも、ここがどんな場所だろうと、俺は悪いことはしない。自分の信念に忠実に生きたいんだ。そのためにはマスターに雇ってもらうしかない。

 俺はマスターみたいになりたいんだ!」


 後ろの男たちが嗤った。


「そんな方便でほだされるヤツがいるかよ。ほら来いよ」


「待ちねぇ」


 俺を引っ立てて行こうとする男たちをマスターが呼び止めた。


「俺が雇うだけでいいってのか?」


「マスターは筋を通して独立してきた人だって言う。なら、従業員を守るのはマスターの筋の通し方だと思う。俺は、俺はここで悪いことをしないこの街の良心になってみせる!

 だから、だから俺をここに置いてください!」


「自分の勝手ばかり言いやがる……。

 見たことを見なかったことにする、その筋の通らないことを正当化するために俺に雇えっていうのか。残念だがな、自分探しはよそでやれ」


「俺は……、俺は自分探しをしたいんじゃない、俺がここに雇われるのは助かるために筋を通さなくて済むようにしたいからじゃない。

 自分ならもう見つけた、筋の通った人生を歩むためのチャンスもだ!

 だからマスター、お願いだ、俺にチャンスを、俺をここに置いて欲しい。

 俺にマスターの手伝いをさせてくれ。そして俺をマスターみたいなひとかどの男にしてくれ!」


「お前の都合ばかりだな。だが俺にも都合ってもんがある。

 ……従業員が欲しいと思っていたところだ。お前の都合と俺の都合、両立は可能だな。お前を雇ってやろう」


 ハットの男がマスターを睨む。


「マスター、少し甘いんじゃないのか。

 筋を通すために他の都合に目をつぶる手伝いをするってのか?」


「俺が従業員を欲しがった、そこになり手が見つかった。それだけのことさ。

 それにな、この街を前から綺麗にしたいと思っていたのよ。新しい風を吹き込むには、こういう綺麗な手合いがいいのさ」


「小僧とマスターの都合はわかった。

 じゃあ次の話だ、小僧が見ちまったうちの取引だが、見られたモンをただで帰すわけにもいかねえ。この落とし前はどうつける?」


 うちの取引?


 疑問する間にマスターがグラスをもう一つ棚から取り出し、カウンターに置いた。ハットの男の前に、だ。


 大きな氷を一つ入れ、飲んでいるウィスキーとは違うボトルを取り出して注ぐ。


 流れるような作業のさなか、急に栓を閉める手を止めたマスターは言った。


「……そちらの子分が言うには、この小僧は『何でもないガキ』だそうだな。なら、今日の飲みしろでチャラだ」


 ハットの男はヘッと笑い、


「こいつは一本取られたな。なら詰め腹はそんなことを言った舎弟に切らせることにするさ」


 男は振り向き、立っている男たちに言う。


「……おい、お前ら。ユウジの野郎を俺の部屋まで連れてこい、後で行く」


「へい、会長」


 そう返事をすると、男たちは連れだって店を出て行った。


 会長だったのか。でも詰め腹を切らせるって……、


「あの、」


「小僧は黙ってな。こちとらそういう世界に住んでんだ、てめぇの罪がより大きな罪を犯したヤツにしょい込まされることもある。社会勉強だと思って聞いておけ」


 ハットの男は立ち上がり、


「マスター、確か小僧の代金は今日の飲み代だったな。……また後で社員連れて呑みに来る。店ぇ開けてろよ」


 そう言って扉から出て行った。


「あの、マスター、」


「いいってことよ。ちいとばかし高くついたがな。

 これから忙しくなる、飲み物を飲むなら今のうちに呑んでおくんだな」


 そう言って、さっき置いてくれた飲み物を顎で示した。


 湯気を上げるコーヒーと、からりと氷が音を鳴らすウィスキー。

 どちらを呑むべきか、と考え、


「両方呑むべきだ」


 そう結論した。


 まずコーヒーに手を付ける。香ばしく、少し酸っぱい香りのコーヒーは、表面に湯気が膜を作っていた。


 一口啜る。


 熱さが来た。

 次いで軽い苦みとコクが口の中に広がり、最後に酸味が鼻から抜けていく。胃の腑から鼻息まで茶色に染まり、まるで全身がコーヒーになったような感覚。


 一気に流し込む。


「あっつぃ」


 舌と食道が焼けるように熱い。


 冷やすようにウィスキーのロックを呷った。

 氷はかなり溶けており、非常にウィスキーは冷えていた。


 のどが熱さと冷たさのせめぎ合いをしている。胃が熱くどんちゃん騒ぎをしている。


 マスターが声をかけてくれた。


「ウィスキーってのはそう呑むもんじゃねえよ、じっくりいきな」


 こくりと頷き、もう一口をじっくりと呑む。


 口に含み、呑みこみながら鼻から息を吐き出す。


 甘く上品な香りが、心と体を解きほぐしてゆく。胡椒のようにスパイシーな後口、絡むような甘さ。


「マスター、俺今日初めて酒を呑んだんです」


「そうか。男の第一歩を飾ったわけだな」


 初めての酒は、甘く切なく、しかし心の底から叫びたくなるような力強さのある味だった。

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