伊織、始まり
初夏の朝は少し暑かった。
「伊織さん」
女中の桜姉さんが小箱を手に部屋に来た。
「桜姉さん、どうかしました?」
「姉さんだなんて、女中だから桜で構いませんよ」
三つ歳上の桜姉さんだが、可愛らしく笑窪をつくって笑う笑顔は年下の私でも守りたいと思ってしまう。ま、そのくらい可愛らしい笑顔で可愛らしい容姿の持ち主である。
「見て、風鈴」
桜姉さんはしゃがみ、小箱を開けた。小箱からは可愛らしい朝顔の絵が描いてある風鈴が出てきた。薄い青色の硝子に薄紫色の朝顔は綺麗だった。思わず「綺麗」と呟いた。
「そうでしょ?下町の源さんが伊織さんにって。はい、どうぞ」
「桜姉さんありがとう」
「源さんにもお礼言ってね」
私は大きく頷き、風鈴を眺めた。桜姉さんは二、三回私の頭を撫でると部屋を出た。
その日の午後、風鈴のお礼をするため下町の源さんの家に行った。
やはり午後も暑く、首筋に汗が流れる。源さんの家がそれほど遠くないのが救いだ。源さんの家があと、五軒程先だったら辿り着けないだろう。
「西園寺のお嬢様」
「静代さん」
源さんの美人妻、静代さんが頭に手拭いを巻き、水撒きをしていた。
「どうかなさいました?」
「綺麗な風鈴を頂いたのでお礼に来ました」
「そんな、お礼だなんて悪いですわ」
どこかの地方の訛りで静代さんは遠慮した。
「それで?」
「まだ続きます。しかし、私が術使いということは出てきません」
「まだ言うかぁっ!」
役人は怒鳴った。
「拷問にかけても私の意見は変わりません。…事実だから」
役人は他の役人、部下らしき人物に何かを命じた。すると、私は別室に連れていかれた。
拷問が始まるのだろう…。