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一縷の望み

掲載日:2026/09/30

 男は仕事から帰宅すると、乱雑にスーツを脱ぎ捨て、食事もとらずにある場所に向かう。

 階段下のスペースに造られた、物置部屋だ。

 綺麗に整頓されてはいるが、収納されているほとんどの物が埃を被り、長い年月使われていないことを物語っている。

 しかし、そんな埃だらけな収納物の中に、1区画だけ埃がかぶっていない収納物があった。

 男はその収納物を慣れた手つきでどかす。

 そこには、床下収納の蓋があった。

 男はその蓋を外す。

 出てきたのは、収納庫ではなく、地下へと続く梯子だった。

 男は足を踏み外さないように、慎重に長い梯子を降りていく。

 暗闇の中、足が床につく。

 梯子の隣にあるスイッチを手探りで押し、電気をつけた。

 一軒家の地下とは思えない広い空間。

 この地下室に、男は毎晩通っていた。


 地下室には様々な機械が置いてあった。

 その中で異彩を放っていたのが、幾つものダクトが繋げられている、大きな2つのカプセルだった。

 男は横並びに設置されているカプセルに近付くと、片方のカプセルに手を乗せた。

 上面がガラスになっており、カプセルの中身が見える。

 そこには、1人の女性が横たわっていた。

 もう1つカプセルには、幼い少女が同じように横たわっている。


「香織(かおり)……、伊織(いおり)……」


 男が呟いたそれは、2人の名前だった。

 香織(かおり)は男の妻であり、伊織(いおり)は娘の名前だった。

 カプセルの中に横たわる2人は、男の声には反応しない。

 男もそれは分かっていた。

 しかし、微かな期待があったことは、否めない。


 妻と娘は1年前に、男が仕事に行っている間に自宅の階段から転げ落ちた。

 男が帰宅した時には、既に息を引き取っていた。

 それでも、一縷の望みをかけて救急車を呼べば良かったが、男はそれをしなかった。

 男が医者だったからだ。

 もう、手遅れなのだと、嫌でも分かってしまった。

 男は2人の遺体を冷房を効かせた部屋に運び、しばらく共に過ごした。

 自らが営む医院はしばらく休業にした。

 幸せだった時間が失われ、虚無が男を支配していた。


 ある日のことだった。

 男は夢を見た。

 亡くした妻と娘が蘇る夢だった。

 男の脳が、過去と現在と希望から作り出した都合の良い夢だったが、男はその夢を天啓だと確信した。

 インターネットで似たような状況の人を探した。

 家族を亡くし、大きな冷凍庫にその遺体を保存し、日夜研究をしている海外の人の記録を発見した。

 医者である男には、金はあった。

 冷凍庫を購入し、妻と娘を保存し、業者に巨大な地下室を作らせ、男は研究に没頭し始めたのだった。


「必ず、必ず生き返らせてやるからな」


 そう言って、男はカプセルから離れ、近くにあるPCデスクの椅子に腰掛けた。

 カタカタとキーボードを打ちながら、作業を始めた。

地下室は計画的に作りましょう。

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