一縷の望み
男は仕事から帰宅すると、乱雑にスーツを脱ぎ捨て、食事もとらずにある場所に向かう。
階段下のスペースに造られた、物置部屋だ。
綺麗に整頓されてはいるが、収納されているほとんどの物が埃を被り、長い年月使われていないことを物語っている。
しかし、そんな埃だらけな収納物の中に、1区画だけ埃がかぶっていない収納物があった。
男はその収納物を慣れた手つきでどかす。
そこには、床下収納の蓋があった。
男はその蓋を外す。
出てきたのは、収納庫ではなく、地下へと続く梯子だった。
男は足を踏み外さないように、慎重に長い梯子を降りていく。
暗闇の中、足が床につく。
梯子の隣にあるスイッチを手探りで押し、電気をつけた。
一軒家の地下とは思えない広い空間。
この地下室に、男は毎晩通っていた。
地下室には様々な機械が置いてあった。
その中で異彩を放っていたのが、幾つものダクトが繋げられている、大きな2つのカプセルだった。
男は横並びに設置されているカプセルに近付くと、片方のカプセルに手を乗せた。
上面がガラスになっており、カプセルの中身が見える。
そこには、1人の女性が横たわっていた。
もう1つカプセルには、幼い少女が同じように横たわっている。
「香織……、伊織……」
男が呟いたそれは、2人の名前だった。
香織は男の妻であり、伊織は娘の名前だった。
カプセルの中に横たわる2人は、男の声には反応しない。
男もそれは分かっていた。
しかし、微かな期待があったことは、否めない。
妻と娘は1年前に、男が仕事に行っている間に自宅の階段から転げ落ちた。
男が帰宅した時には、既に息を引き取っていた。
それでも、一縷の望みをかけて救急車を呼べば良かったが、男はそれをしなかった。
男が医者だったからだ。
もう、手遅れなのだと、嫌でも分かってしまった。
男は2人の遺体を冷房を効かせた部屋に運び、しばらく共に過ごした。
自らが営む医院はしばらく休業にした。
幸せだった時間が失われ、虚無が男を支配していた。
ある日のことだった。
男は夢を見た。
亡くした妻と娘が蘇る夢だった。
男の脳が、過去と現在と希望から作り出した都合の良い夢だったが、男はその夢を天啓だと確信した。
インターネットで似たような状況の人を探した。
家族を亡くし、大きな冷凍庫にその遺体を保存し、日夜研究をしている海外の人の記録を発見した。
医者である男には、金はあった。
冷凍庫を購入し、妻と娘を保存し、業者に巨大な地下室を作らせ、男は研究に没頭し始めたのだった。
「必ず、必ず生き返らせてやるからな」
そう言って、男はカプセルから離れ、近くにあるPCデスクの椅子に腰掛けた。
カタカタとキーボードを打ちながら、作業を始めた。
地下室は計画的に作りましょう。




