第38話 ベビー用品開発プロジェクト
宰相公邸のリビングルームは、物流倉庫と化していた。
床を埋め尽くすのは、王都中のベビー用品店から取り寄せたカタログと、実物のサンプルたち。
最高級の木製ベビーベッド、オーガニックコットンの肌着、銀製のガラガラ。
どれも庶民が見れば羨むような逸品ばかりだ。
しかし。
「……強度不足ですね」
私は眉間に深い皺を寄せ、目の前のベビーベッドを指先で弾いた。
最高級のマホガニー材で作られた柵が、私の魔力を微量流しただけで、ミシミシと悲鳴を上げたのだ。
「構造計算が甘すぎます。接合部が釘打ちだなんて。もし子供が『身体強化魔法』を無自覚に使って暴れたら、一撃で分解しますよ」
私は手帳を開き、バツ印を書き込んだ。
「次、こちらの肌着。縫い目が粗い。防御力が皆無です。もし魔虫(蚊みたいなやつ)が止まったらどうするのですか? 自動迎撃結界くらい織り込んでおくべきでしょう」
次々と不合格の烙印を押していく。
隣に立つサイラス様も、真剣な顔で頷いた。
「同感だ。我が子を迎えるには、あまりに心もとない。……この国の安全基準はどうなっているんだ?」
「想定されているのが『普通の赤ん坊』ですから」
私たちの子は普通ではない。
魔力強化済みのスーパーベビーだ。
既存の製品では脆すぎる。
私は眼鏡の位置を直し、決断した。
「ないのなら、作るしかありません」
「ああ。予算は無制限だ」
「職人と魔導師を呼びましょう。プロジェクト発足です」
こうして、『次世代型高機能育児支援システム』の開発が始まった。
*
三日後。
公邸の客間に、その「試作品第一号」が搬入された。
招集された王宮魔導具師と、国一番の家具職人が、目の下にクマを作りながら誇らしげに立っている。
「宰相閣下、奥様。ご要望の機能、すべて実装いたしました」
目の前にあるのは、もはや「ゆりかご」とは呼べない代物だった。
素材は魔力を通しやすい白銀のミスリル合金。
全体が淡い青色の結界に覆われている。
形状は卵型で、コックピットのようだ。
「素晴らしい」
サイラス様が感嘆の声を漏らす。
「スペック説明を」
「はっ! まず、素材はドラゴンの一撃にも耐える複合装甲。内部クッションは衝撃吸収率99パーセントのスライム素材を使用」
職人が熱弁を振るう。
「機能面では、風魔法による『完全静音自動スイング』、温度・湿度を常に一定に保つ『環境維持機能』。さらに、赤子の排泄物を感知して即座に光で知らせる『オムツ・アラート』を搭載しております!」
ウィィィン……。
低い駆動音と共に、ゆりかごが滑らかに揺れ始めた。
完璧な正弦波を描く揺れ。
数学的に最も効率の良いリズムだ。
「これです」
私は満足げに頷いた。
「これなら、快適に過ごせますし、私たちが目を離した隙に魔虫が近づいても安心です」
「ああ。まさに要塞だ。これこそ我が子に相応しい」
サイラス様も目を輝かせている。
私たちは顔を見合わせ、勝利を確信した。
これで育児の不安要素は排除された。
完璧な環境が整ったのだ。
バンッ!!
その時、客間の扉が乱暴に開かれた。
現れたのは、週一回の検診に来た助産師のマーサさんだった。
彼女は部屋に入ってくるなり、ミスリル製の「それ」を見て、口を半開きにして固まった。
「……なんだい、それは」
彼女が低い声で問う。
私は胸を張って答えた。
「見ての通り、ベビーベッドです。安全性と機能性を追求した結果、こうなりました」
「ベッド?」
マーサさんは杖で床をドンと突いた。
「小型の装甲車かと思ったよ! あんたら、正気かい!?」
彼女は大股で近づき、ゆりかごを杖で叩いた。
カーン、と硬質な音が響く。
「こんな冷たい金属の箱に、産まれたばかりの赤ん坊を入れる気か?」
「冷たくありません。温度調節機能が……」
「そういうことじゃないんだよ!」
マーサさんの一喝が飛んだ。
私とサイラス様は、ビクリと直立不動になる。
「いいかい、よくお聞き。赤ん坊ってのはね、機械みたいな揺れなんか求めてないんだ」
彼女は呆れたように言った。
「親の鼓動、体温、不規則な揺れ。……『抱っこ』だよ。それが一番安心するんだ」
「で、ですが、ずっと抱っこしていたら、家事が……仕事が……」
「そのための手抜きだろう? 便利なのは結構だがね、全部機械任せにしてどうするんだい」
マーサさんは、ミスリルの壁を指差した。
「こんな結界で囲っちまったら、赤ん坊が泣いてもすぐに触れられないだろう? 手を握ってやれないだろう? ……あんたらは、子供を守りたいのか、それとも『育児の手間』から自分を守りたいだけなのかい?」
ハッとした。
心臓を射抜かれたような衝撃。
手間から、自分を守る。
図星だった。
私は怖かったのだ。
未知の「育児」というプロジェクト。
予測不能な赤ん坊の反応。
自分がうまく母親役をこなせるか分からない不安。
だから、得意分野である「技術」と「効率」に逃げた。
完璧な道具さえあれば、失敗しないと信じ込んで。
「……マーサさんの言う通りです」
私は肩を落とした。
目の前のミスリルの塊が、急に冷たい異物に見えてきた。
「私は……不安を、道具で埋めようとしていました。この子が求めているのは、要塞ではなく、私たちの腕かもしれないのに」
サイラス様も、気まずそうに視線を逸らした。
「……私もだ。最強の盾を用意すればいいと思っていた。だが、これでは牢獄だな」
私たちは顔を見合わせた。
新米両親の暴走。
技術過信の悪い癖だ。
「職人のみなさん、申し訳ありません」
私は深々と頭を下げた。
「このプロジェクトは凍結……いえ、仕様変更です。ミスリルと結界は撤去してください」
「えっ、全部ですか?」
「はい。素材は最初のマホガニー材に戻します。ただし、接合部の補強だけはお願いします。……あと、スライムクッションは採用で」
職人たちが「ほっ」とした顔をした。
彼らも内心、この兵器のようなベッドには引いていたのだろう。
マーサさんが、やれやれと息を吐いた。
「分かればいいんだよ。……まったく、あんたらは頭が良いのに、肝心なところで馬鹿になるねぇ」
「面目ありません」
「ま、親になるってのはそういうことさ。道具じゃなくて、腹を括りな」
彼女の言葉は厳しく、でも温かかった。
改装されたベビーベッドは、木製の温かみのある、ごく普通の(ただし強度は異常に高い)ものになった。
ハイテク機能は消えたけれど、柵の間からすぐに手を伸ばせる、開放的なデザインだ。
私はお腹を撫でた。
ポコッ、と子供が動く。
「それでいいよ」と言ってくれている気がした。
不安は消えない。
でも、要塞に頼るよりも、自分達を信じてみよう。
そう思えるようになったのは、間違いなくマーサさんのおかげだった。




