第31話 再起動と誓いの儀式
光の絨毯の上を歩く。
カツ、カツと響く足音は、静謐な音楽のようだった。
遺跡の最深部、「儀式の間」は生まれ変わっていた。
煤けていた壁は清浄な光を放ち、天井の星図はゆっくりと回転して、今の時刻の星座を映し出している。
空気中に漂うマナの粒子が、キラキラと雪のように舞い落ちてくる。
「……やりすぎじゃないですか?」
私は小声で、祭壇の上に浮かぶ管理人に尋ねた。
スポットライトのように強い光が、私とサイラス様だけを照らし出している。
眩しい。
「うるせえ。サービスだ、サービス」
管理人はニヤリと笑い、指を鳴らした。
光の色が、柔らかなシャンパンゴールドに変わる。
少し落ち着いた。
どうやら、彼なりに祝福してくれているらしい。
祭壇の前には、セオドア神官が立っていた。
彼の白い法衣は、先ほどの修復作業で煤だらけだ。
袖口は破れ、銀髪も乱れている。
けれど、その背筋はピンと伸び、表情は今までで一番神聖に見えた。
彼は手元の分厚い古文書を、パタンと閉じた。
そして、祭壇の脇に置いた。
「……セオドア様?」
「マニュアルは、もう頭に入っています」
彼は私を見て、静かに微笑んだ。
「今は、形式よりも『本質』を届ける時ですから。……最適化された祈りで、お二人をお送りします」
頼もしい言葉だ。
彼もまた、この短い冒険で変わったのだ。
私とサイラス様は、祭壇の前に並んで立った。
サイラス様が私の手を取る。
その手は温かく、そして少しだけ湿っていた。
緊張している。
あの「氷の宰相」が、国一番の権力者が、ただの結婚式で緊張している。
それがおかしくて、愛おしい。
「では、始めます」
セオドアが厳かに宣言した。
彼は両手を広げ、朗々とした声で詠唱を始めた。
「――光の理において、二つの魂が此処に結ばれん。契約者よ、その名を」
古代語ではない。
現代語だ。
意味の通る、飾らない言葉。
システムへのアクセス申請として、これほど効率的なものはない。
「サイラス・フォン・アイゼンガルド」
「リリアーナ・ベルンシュタイン」
私たちが名乗ると、祭壇の水晶がポン、と柔らかく脈打った。
「誓いの言葉を」
セオドアが促す。
サイラス様が私に向き直った。
その蒼い瞳が、真っ直ぐに私を射抜く。
吸い込まれそうなほど深い瞳。
「リリアーナ」
彼の声が、静寂に響く。
「私は誓う。病める時も、健やかなる時も。世界が凍りつく冬の日も、戦火に焼かれる夏の日も」
彼は私の手を、両手で包み込んだ。
「君を守り、君を支え、君の淹れる紅茶を最期の一滴まで飲み干すことを。……この命が尽きても、魂の形が変わっても、君を見つけ出し、再び愛することを誓う」
重い。
相変わらず、質量のある愛だ。
「来世まで予約済み」と言わんばかりの独占欲。
以前のシステムなら、ここでバグを起こしていたかもしれない。
でも、今は違う。
管理人が「はいはい、ごちそうさん」という顔で、指先で空中に『承認』の印を描いた。
水晶が強く輝く。
エラーはない。
この重さすら、許容範囲内として処理されたのだ。
「……次は、貴女です」
セオドアに促され、私は口を開いた。
喉が少し渇いていた。
私は大きく息を吸い、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
いつもの癖。
これで、私は「宰相補佐官」から「一人の女性」へとスイッチを切り替える。
「サイラス様」
私は彼を見上げた。
「私は誓います。貴方の背中を守り、貴方の隣で歩き続けることを。貴方が道に迷えば地図を広げ、貴方が傷つけば癒やし、貴方が世界を敵に回しても、私だけは味方でいることを」
私は言葉を切った。
そして、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。
「……ただし、残業は程々に。それと、私の淹れたお茶が美味しいのは、貴方が一緒に飲んでくれるからだということを、忘れないでください」
サイラス様が目を見開き、そして破顔した。
氷が解けるような、春の日差しのような笑顔。
「……ああ。肝に銘じよう」
フォン!
祭壇から、一際大きな光の柱が立ち上った。
天井まで届く光の中で、無数の光の粒子が舞い踊る。
祝福だ。
管理人が親指を立ててウインクしているのが見えた。
「契約成立です」
セオドアの声が、震えながら響く。
彼の目には涙が浮かんでいた。
煤だらけの顔をくしゃくしゃにして、彼は言った。
「誓いの口づけを」
サイラス様が、ゆっくりと顔を近づけてくる。
私は目を閉じた。
触れるだけの、優しい口づけ。
でも、そこには言葉よりも確かな「繋がり」があった。
法的な婚姻関係。
そして、魂の結びつき。
その全てが、今ここで完了した。
唇が離れる。
私たちは見つめ合い、どちらからともなく笑った。
「……これで、逃げられなくなったな」
「ええ。貴方もですよ、旦那様」
私がそう呼ぶと、サイラス様の耳が一瞬で赤く染まった。
可愛いところがあるのは、相変わらずだ。
拍手が聞こえた。
セオドアが、そして管理人が、手を叩いていた。
静かな、けれど温かい拍手。
私は遺跡を見渡した。
数時間前まではエラー音と赤い光に満ちていたこの場所が、今はこんなにも美しく輝いている。
トラブルだらけだった新婚旅行(仮)。
でも、その結末は、どんな完璧な計画よりも素晴らしいものになった。
「帰りましょうか、リリアーナ」
「はい。……王都で、山積みの仕事が待っていますから」
私たちは手を繋ぎ、光の絨毯を歩き出した。
足取りは軽い。
私の手帳の『聖地視察』の欄には、大きな赤い花丸が描かれることになるだろう。
『ミッション・コンプリート』の文字と共に。
出口へと向かう私たちの背中を、古代の遺跡が優しく見送ってくれていた。




