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【第4章スタート!】悪役令嬢は忙しい  作者: 九葉(くずは)
第1章

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第3話 いじめの証拠をご提示ください

 人垣が割れ、その男が歩いてくる。

 サイラス・フォン・アイゼンガルド公爵。

 二十四歳の若さで宰相の地位に就き、国政のすべてを取り仕切る「氷の宰相」。

 漆黒の髪に、凍てつくような蒼い瞳。

 整いすぎた容貌は、近づきがたい威圧感を放っていた。


 私は無意識に背筋を正した。

 まずい。

 王族の恥であるこの騒動を、風紀の乱れとして断罪しに来たのかもしれない。

 彼にとって非効率と混乱は、最も忌み嫌うものだ。

 私に対しても「騒ぎを起こした責任」を問うてくる可能性がある。


 サイラス様が私の目の前で足を止める。

 その鋭い視線が、私を見下ろした。

 口が開かれる。


「……リリアーナ嬢」


 低く、よく響く声。

 私が返答しようとした、その時だった。


「宰相様ぁ!」


 甲高い声が空気を裂いた。

 壇上からミア嬢が駆け下りてくる。

 彼女はサイラス様の足元に縋り付くようにして、涙目で訴えた。


「聞いてください! あたし、もう怖くて……! リリアーナ様が、あたしにした酷い仕打ちの数々……宰相様からも叱ってください!」


 私は小さく眉を寄せた。

 せっかく違約金の話で片が付いたのに、話を蒸し返すつもりか。

 殿下も慌てて降りてきて、ミア嬢の肩を抱いた。


「そうだ! 金の話などで誤魔化されてなるものか! サイラス、お前も聞け。この女は陰でミアを執拗にいじめていたのだ!」


 殿下の顔に色が戻っている。

 金の話から道徳の話にすり替えれば、自分が優位に立てると思ったのだろう。

 浅はかだ。


 サイラス様は無表情のまま、殿下と私を交互に見た。

 沈黙。

 それが「続けろ」という合図に見えたのか、ミア嬢が涙ながらに語り始めた。


「先週の水曜日ですぅ……王宮の裏庭で、リリアーナ様に突き飛ばされて、ドレスを破かれたんです。それに、大切なペンダントも魔法で壊されて……」


 周囲の貴族たちがざわめく。

 「やはり」「鉄の女ならやりかねない」という囁き。

 イメージとは恐ろしいものだ。


 私はため息をつきそうになるのを堪え、手帳を開いた。

 万年筆のキャップを外す。


「ミア様。事実確認をさせてください」


 私は事務的な口調で切り込んだ。


「先週の水曜日とおっしゃいましたね。時間は?」

「えっ? えっと……お昼過ぎ……二時くらいです!」

「場所は王宮の裏庭。間違いありませんか?」

「そうです! 誰もいないと思って、いきなり……!」


 ミア嬢が震えてみせる。

 殿下が「可哀想に」と彼女を強く抱きしめ、私を睨みつけた。

 私は手帳のページを繰った。

 先週の水曜日のページを開く。


「……不可能です」


 私は短く告げた。


「は?」

「その日時、私は王宮の財務局で、半期決算の最終チェックを行っていました。入室記録は十三時、退室記録は十八時。その間、一度も席を立っていません」


 私は手帳に挟んであった『王宮入退室管理記録(写)』を取り出し、提示した。

 そこには確かに、私の魔力署名と刻印が残っている。


「証人は財務局の職員全員と、監査役のバルト男爵です。彼らは私と共に五時間、一言も発さずに数字と格闘していましたから」


 ミア嬢の顔が引きつる。


「う、嘘よ! あ、じゃあ火曜日かも! そう、火曜日だったわ!」


 記憶の改竄が早い。

 私はページをめくる。


「火曜日の十四時は、外交官との定例会議です。議事録に私の発言記録が残っています」

「じゃ、じゃあ月曜日!」

「月曜日は一日中、殿下の代わりに未決裁書類の山を片付けておりました。殿下の執務室にいましたので、侍従長がご存知のはずですが」


 私は眼鏡の位置を直しながら、殿下を見た。


「殿下が街へ遊びに行かれている間、誰が公務を回していたとお思いで?」


 殿下が言葉に詰まり、視線を泳がせる。

 アリバイは完璧だ。

 私は常に仕事をしている。

 皮肉なことに、私の社畜ぶりが最強の防壁となっていた。


「そ、それでも!」


 ミア嬢が食い下がる。

 彼女も引くに引けないのだろう。

 彼女は自分のドレスの裾を持ち上げた。

 そこには、真新しい裂け目があった。


「これは!? さっきリリアーナ様とすれ違った時に、風魔法で切られたんです! 今なら言い逃れできませんよね!?」


 会場が再びどよめく。

 なるほど、現行犯の主張か。

 確かに私は風魔法の適性を持っている。


 私はドレスの裂け目を凝視した。

 そして、静かに歩み寄る。


「ひっ……な、何を」

「少し拝見します」


 私は彼女の制止を聞かず、裂け目に指先をかざした。

 魔力を集中させ、物質の切断面を解析する【構造鑑定】を発動する。

 地味な生活魔法だが、こういう時には役に立つ。


「……ほう」


 私は小さく唸り、皆に向かって説明を始めた。


「風魔法による切断痕は、繊維が微細にケバ立ち、魔力残滓として『緑色の光』が数時間は残留します。ですが、この切断面は……」


 私はミア嬢のドレスの端をつまむ。


「繊維が押し潰されていますね。これは刃物、それも切れ味の悪いハサミなどによる物理的な切断痕です」

「なっ……」

「さらに言えば、切断の方向。生地の歪みから見て、このドレスを着ている本人が、右手で内側から外側へ向かって力を加えないと、このような破れ方はしません」


 私はミア嬢の右手を一瞥した。

 彼女は反射的に手を後ろに隠す。

 その指先には、小さな糸くずが付着していた。


「魔法で切られたとおっしゃいましたが、この会場で風魔法を使えば、周囲の空気の流れが変わります。私の髪も揺れたはず。ですが、そのような現象は観測されていません」


 論理的帰結。

 私は結論を述べた。


「以上より、その裂け目は私の魔法によるものではありません。ご自身で切られたのか、あるいは何かに引っ掛けたのかは存じませんが」


 静寂。

 完全な静寂が落ちた。

 ミア嬢は顔を真っ赤にして、パクパクと口を開閉させている。

 殿下も、もはや庇う言葉が見つからないようだ。


 私は手帳を閉じた。

 パタン、という乾いた音がやけに大きく響いた。


「いじめの事実は確認できませんでした。他に何か、証拠のご提示はありますか?」


 返答はない。

 勝負あった。

 私は小さく息を吐く。

 これでようやく帰れる。

 そう思った時だった。


「……見事だ」


 低く、重厚な拍手が一つ、二つ。

 それまで沈黙を守っていたサイラス様が、ゆっくりと手を叩いていた。


「感情に流されず、事実と証拠のみで潔白を証明する。実に合理的で、無駄がない」


 彼は私に向き直ると、その凍てつくような瞳を細めた。

 怒っているわけではなさそうだ。

 むしろ、その表情には奇妙な熱が宿っているように見えた。


「リリアーナ嬢。君の事務処理能力の高さは聞き及んでいたが、法廷闘争の才もあるとはな」

「……恐縮です。ただの事実確認ですので」


 私は控えめに頭を下げる。

 褒められているのだろうか。

 だが、彼の次の行動は、私の予想を遥かに超えていた。


 サイラス様は、呆然とする殿下の方を向き、冷ややかに告げた。


「フレデリック殿下。今のやり取りで明白でしょう。貴方の主張には正当性がない」

「サ、サイラス……私は……」

「公的な場での虚偽の告発。および、婚約破棄の手続き不備。これらは王族としての資質を問われる問題です」


 彼の声は温度を失い、絶対零度の響きを帯びる。


「後ほど、執務室へお越しください。……たっぷりと、教育的指導が必要なようですから」


 殿下が「ひぃっ」と悲鳴を上げた。

 あの傲慢な王子が、蛇に睨まれた蛙のように縮み上がっている。

 サイラス様は再び私に向き直った。

 今度は、先ほどまでの威圧感が嘘のように消えていた。


「君には迷惑をかけた。王家の監督不行き届きだ」

「いえ、慣れておりますので」

「慣れていてはいけないことだ」


 彼は短く否定し、私の手元――手帳と万年筆を持った手を見た。


「その計算書、私が預かろう。違約金の徴収は、宰相府が責任を持って代行する」

「え?」


 私は目を瞬いた。

 宰相自らが、一貴族の婚約破棄の集金代行を?


「で、ですが、そのような雑務を閣下にお願いするわけには……」

「構わない。……それに」


 彼は一歩、私に近づいた。

 ふわりと、清潔な石鹸のような香りがした。


「君には、もっと相応しい場所があるはずだ」


 その言葉の意味を考える間もなく、彼は踵を返した。

 殿下とミア嬢を連行していくその背中は、どんな言葉よりも雄弁に「私を守った」ことを物語っていた。


 会場に取り残された私は、呆然とその後ろ姿を見送るしかなかった。

 ただ、一つだけ確かなことは。

 私の「残業」は、どうやらまだ終わりそうにないということだった。

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女性主人公の令嬢系で絶対出てくる 氷の〇〇って出さなきゃ駄目なんでしょうか 氷の〇〇とかの異名はあっても他のキャラには付きませんよね? 炎の〇〇とか ヒロインに対するヒーローは必ず氷っていう不文律でも…
なんか手遅れの段階になってしゃしゃり出てるけど、今まで何をしてたの?王家の監督役の宰相さん? この人も自分の仕事を主人公に押し付けて遊んでたのかな?
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