第26話 星空の下の作戦会議
遺跡の奥深くには、意外なことに中庭が存在した。
天井部分は遥か昔に崩落したのか、あるいは最初から吹き抜けだったのか。
頭上には、澄み渡るような夜空が広がり、満天の星が瞬いている。
古代の魔導灯がほのかに周囲を照らす中、私たちは野営の準備を整えた。
と言っても、私が持参した簡易テントを張り、魔法で焚き火を起こしただけだが。
「……あぁ、精霊様……私の信仰とは一体……」
テントの隅で、銀髪の塊がうめいている。
セオドア神官だ。
彼は膝を抱えて丸くなり、ブツブツと呪詛のように呟き続けている。
無理もない。
生涯を捧げて仕えてきた崇高な存在が、まさか「口の悪いシステム管理者」で、自分たちを「無能」呼ばわりしていたのだから。
アイデンティティの崩壊だ。
「放っておけ。そのうち立ち直る」
サイラス様が、焚き火に薪をくべながら言った。
パチパチと火の粉が舞う。
彼は上着を脱ぎ、シャツの袖をまくっていた。
揺らめく炎が、彼の端正な横顔をオレンジ色に染めている。
「コーヒー、淹れましたよ」
私は携帯用のケトルから、二つのマグカップに黒い液体を注いだ。
香ばしい香りが立ち上る。
この野営セット、持ってきて正解だった。
「ありがとう」
サイラス様はカップを受け取り、一口啜った。
そして、ふぅ、と長く息を吐き、夜空を見上げた。
「……すまない、リリアーナ」
ぽつりと、彼が言った。
「謝罪の理由をお聞きしても?」
「新婚旅行だと言って連れ出したのに、結局は仕事だ。しかも、こんな埃っぽい遺跡で野宿とはな」
彼は自嘲気味に笑った。
「君には、もっと綺麗な景色を見せたかった。ドレスを着て、美味しい料理を食べて……普通の恋人同士のような時間を過ごさせたかったのだが」
「……」
私はカップを両手で包み込み、その温かさを感じた。
彼の悔しさは分かる。
彼は完璧主義者だ。
私を喜ばせるためのプランが、トラブルで台無しになったことが許せないのだろう。
でも。
「閣下。星が綺麗ですね」
私は空を指差した。
王都の空よりもずっと近く、数え切れないほどの星々が輝いている。
天の川が、白く帯のように流れていた。
「王都では、街の明かりが強すぎて見えません。ここに来なければ、この景色は見られませんでした」
「……そうだな」
「それに、私はドレスよりも作業服の方が落ち着きますし、コース料理よりも、こうして貴方と飲むコーヒーの方が美味しいです」
私は彼の肩に、こつんと頭を預けた。
「課題解決は、私たちの得意分野でしょう? 二人で難問に立ち向かい、解決する。……私にとっては、それこそが最高のデートプランです」
強がりではない。
本心だ。
ただ守られるだけの箱入り娘扱いは、私には似合わない。
隣に立って、背中を預け合って戦う。
それが私たちの愛の形だ。
サイラス様が私を見た。
その瞳が、炎の揺らめきとは違う、熱っぽい光を帯びていた。
「……君という人は」
彼がカップを置き、私の頬に手を伸ばした。
指先が優しく輪郭をなぞる。
「本当に、敵わないな。私が欲しい言葉を、いつも完璧なタイミングでくれる」
「補佐官ですから。上司のメンタルケアも業務の一環です」
「今は業務時間外だ」
彼が顔を近づけてくる。
心臓の鼓動が速くなる。
星空の下、焚き火の音、静寂。
舞台は整いすぎている。
私は目を閉じた。
唇に、彼の吐息がかかる。
ガサッ。
テントの方から、大きな音がした。
私たちは弾かれたように離れた。
「……ん、んんっ! あー、寒いな!」
セオドア神官が、わざとらしい大声を出して起き上がってきた。
彼は顔を真っ赤にして、視線を泳がせている。
今の、絶対に見られていた。
それも、かなり良いところから。
「……起きていたのか」
サイラス様の声が低い。
殺気を含んでいる。
今ここで「氷結の刑」に処されなかったのは、ひとえに彼が重要参考人(マニュアル保持者)だからだろう。
「め、目が覚めてしまいました。夜風が身に染みるもので」
セオドアは咳払いをし、私たちの向かい側に座った。
そして、焚き火を見つめながら、ポツリと言った。
「……羨ましいですね」
「何がだ」
「お二人の関係です。信頼し合い、支え合っている」
彼は膝の上で拳を握りしめた。
「私は……ただ縋っていただけでした。古文書に、伝統に、そして精霊様に。自分で考えず、言われた通りにしていれば救われると信じて」
彼の声は震えていた。
ショックから立ち直ったわけではない。
でも、その瞳には、先ほどまでの虚ろな絶望とは違う、小さな理性の光が宿っていた。
「リリアーナ殿。貴女は言いましたね。これは『修理』だと」
「ええ」
「ならば、私にもできるでしょうか。祈るしか能のない私に、神殿を直すことが」
私は眼鏡の位置を直した。
彼は求めている。
新しい指針を。
「できますよ。貴方は誰よりもこの遺跡を知っています」
私は鞄から手帳を取り出し、明日の予定を書き込んだ。
「古文書を丸暗記している貴方の知識は、役に立ちます。それを『祈り』ではなく『技術マニュアル』として読み解けばいいのです」
私は彼に手を差し出した。
「手伝ってください、セオドア様。私たちだけでは、古代語の解読に時間がかかりすぎます。貴方の力が必要です」
セオドアは、私の手を見つめた。
迷い、葛藤。
そして、彼は震える手で、私の手を握り返した。
「……ご指導、願います。補佐官殿」
契約成立だ。
隣でサイラス様が「ふん」と鼻を鳴らしたが、その表情は少し緩んでいた。
「よし。では作戦会議です」
私は薪を足し、炎を大きくした。
「明朝、システム中枢へ突入します。目標は『巨大ゴミデータ』の削除。……バグ取りの時間ですよ」
星空の下、奇妙なパーティが結成された。
宰相、補佐官、そして元・原理主義者の神官。
最強にして最速のデバッグチームの誕生だ。




