第24話 開かずの扉と認証エラー
霧に包まれた参道を進む。
足元は苔むした石畳だが、その継ぎ目には微かに青白い光が走っていた。
古代の魔導回路だ。
本来なら美しく発光し、参拝者を導くはずのものだろう。
しかし今は、接触不良の蛍光灯のようにチカチカと明滅し、見る者の不安を煽っている。
「……メンテナンス不足ですね」
私は小声で呟いた。
隣を歩くサイラス様が、呆れたように肩をすくめる。
「酷い有様だ。我が国の聖地がこれでは、精霊も逃げ出すだろう」
「逃げ出していないからこそ、エラーを吐き続けているのかもしれませんよ」
先導するセオドア神官の背中は、強張っていた。
彼は無言で、早足で進んでいく。
その手には、分厚い古文書が握りしめられている。
あれが彼の頼みの綱、マニュアルなのだろう。
やがて、私たちは巨大な広場に出た。
その突き当たりに、圧倒的な存在感を放つ扉があった。
高さ十メートルはあるだろうか。
鈍銀色の金属で作られた両開きの扉。
表面には精緻な幾何学模様が刻まれ、中央にはめ込まれた巨大な魔石が、どんよりと濁った色をしていた。
ここが「儀式の間」への入り口だ。
「……到着しました」
セオドアが足を止め、振り返った。
その表情は硬い。
「ここから先が『儀式の間』。我々が守り続けてきた聖域の中枢です」
「さっさと開けろ。カビ臭くてかなわん」
サイラス様が急かす。
セオドアは不服そうに唇を尖らせたが、すぐに居住まいを正した。
彼は扉の前に立ち、古文書を開いた。
「静粛に。これより開門の祈りを捧げます。……一言一句、間違えれば扉は永遠に閉ざされると言われていますので」
彼は深く息を吸い込み、朗々と詠唱を始めた。
「――大いなる始祖の契約に基づき、我、管理の代行者として此処に問う。星の巡りは満ち、鍵は揃えり……」
古代語だ。
独特の抑揚と発音。
まるで歌うようなリズムだが、内容は極めて事務的だ。
現代語に訳せば『ユーザーID認証、ログインリクエスト送信』といったところか。
長い。
とにかく長い。
三分経過。まだ続いている。
サイラス様が欠伸を噛み殺し始めた頃、ようやくセオドアが声を張り上げた。
「――開け、契約の扉よ!」
彼は両手を掲げ、最後のフレーズを叫んだ。
ドラマチックな演出だ。
本来なら、ここで地響きと共に扉が開き、後光が差すはずなのだろう。
……シーン。
何も起きない。
風の音さえ止まったような静寂。
扉は微動だにせず、魔石も濁ったままだ。
「……あ、あれ?」
セオドアの手が空中で泳いだ。
彼は慌てて古文書を見直す。
「おかしいな。発音は完璧だったはず……。『星の巡り』のアクセントか? いや、それとも……」
彼は咳払いをし、気を取り直してもう一度叫んだ。
「開け! 契約の扉よ!!」
シーン。
カラスが鳴く声すら聞こえない。
完全なる沈黙。
「……開かんではないか」
サイラス様が冷ややかに言った。
セオドアの背中が一気に汗ばむのが見て取れる。
「ま、待ってください! 穢れが! そう、穢れが酷すぎて、精霊様の耳に届いていないのです! もっと心を込めて……!」
「声量の問題か? 私が氷槌でノックしてやろうか?」
「やめてください壊れます!」
セオドアが必死に扉に張り付く。
私はため息をつき、鞄を置いた。
やはり、こうなったか。
「どいてください、セオドア様」
私は彼を軽く押し退け、扉の前に立った。
「なっ、何をする気ですか! 祈りも知らない素人が!」
「祈りでは開きませんよ。これは『信仰』の問題ではなく『認証』の問題ですから」
私は手袋を外し、扉の表面に直接触れた。
冷たい金属の感触。
目を閉じ、微弱な魔力を流し込む。
【構造解析】、開始。
視界の裏側に、扉の内部構造が青写真として浮かび上がる。
複雑な魔力回路。
幾重にも張り巡らされたセキュリティゲート。
その深部にある認証コアの状態を確認する。
(……やっぱり)
私は目を開け、呆れたように言った。
「パスワードの有効期限が切れています」
「は?」
セオドアが間の抜けた声を上げた。
「ぱ、ぱすわーど……?」
「貴方が唱えていた呪文です。それは『三代前の最高神官用』の古いコードですね。更新されていません」
「な、何を馬鹿な! この祈りは数百年前から一言一句変えてはいけないと……!」
セオドアが古文書を握りしめる。
それが原因だ。
セキュリティ意識の高い古代人は、定期的なパスワード変更をシステムに組み込んでいたのだろう。
しかし、後世の人間がそれを「変えてはいけない伝統」として固定してしまったため、認証エラーが起きている。
「精霊が無視しているのではなく、処理落ちしているだけです」
私は万年筆を取り出した。
インクは入っていない。
代わりに、高純度の魔力液を充填してある。
「少し、裏口から失礼しますね」
私は扉の装飾の隙間――メンテナンス用のポートと思われる窪み――にペン先を差し込んだ。
「なっ、聖なる扉に棒を突き刺すなど……!」
「静かに。集中しています」
私は指先に神経を集中させた。
古い認証システムをバイパスする。
正規のパスワードが分からないなら、管理者権限を初期化すればいい。私の得意分野だ。
――ルートディレクトリ検索。
――権限認証、スキップ。
――強制再起動コマンド、入力。
私の脳内で、赤いエラー表示が次々と緑色の『OK』に変わっていく。
快感だ。
詰まっていた配管の汚れが取れていくような、事務的なスッキリ感。
「……よし。行けます」
私は万年筆を引き抜き、扉の中央にある魔石を掌底でドンと叩いた。
「開け、ゴマ!」
ズズズズズ……ッ!
重低音が響いた。
地面が小刻みに震える。
セオドアが腰を抜かしてへたり込む中、濁っていた魔石が鮮やかな青色に輝き出した。
ガコン、という解錠音。
そして、巨大な扉がゆっくりと、左右に開き始めた。
「……あ、開いた……」
セオドアが亡霊を見るような目で私を見上げている。
「なぜだ……一言も祈っていないのに……呪文も唱えていないのに……!」
「言ったでしょう。認証の問題だと」
私はハンカチで手を拭き、振り返った。
サイラス様が、満足げに腕を組んで頷いている。
「さすがだな、リリアーナ。物理破壊よりスマートだ」
「破壊したら修理費がかかりますからね。……さあ、行きましょう」
開かれた扉の向こう。
そこには、セオドアが語っていたような「神聖な儀式の間」など微塵も感じさせない、異様な光景が広がっていた。
薄暗い空間。
空中に浮かぶ無数の赤い文字盤。
そして、けたたましく鳴り響く警告音。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
「……うわぁ」
私は思わず顔をしかめた。
これは酷い。
神殿というより、炎上中のサーバールームだ。
「な、なんだこれは……! 私の知っている儀式の間ではない……!」
セオドアが悲鳴を上げる。
彼はこの惨状を初めて見たのだろう。
扉が開かなかったおかげで、中の崩壊を知らずに済んでいたのだ。ある意味では幸せだったかもしれない。
「これが現実です、セオドア様」
私は一歩、中へ踏み出した。
「さあ、お仕事の時間ですよ。このバグだらけの聖地を、結婚式ができる状態まで掃除しましょう」
私の新婚旅行(仮)は、予想通り、残業必至のデスマーチへと変わった。
でも、不思議と嫌ではなかった。
隣にはサイラス様がいる。
そして目の前には、解決すべき明確な「課題」がある。
腕が鳴るというものだ。
私は手帳を開き、新しいページに大きく書き込んだ。
『目標:システム完全復旧。期限:三日以内』。
戦闘開始だ。




