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【第4章スタート!】悪役令嬢は忙しい  作者: 九葉(くずは)
第3章

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第22話 新婚旅行(仮)は山岳地帯へ

 王都を出発して五時間。

 窓の外の景色は、のどかな田園風景から、険しい岩肌が目立つ山岳地帯へと変わっていた。


 本来なら、このあたりの街道は悪路で知られている。

 馬車は激しく揺れ、乗客は舌を噛まないように耐え忍ぶのが常識だ。

 だが、今の車内は異様なほど静かだった。

 振動ひとつない。

 まるで雲の上を滑っているようだ。


「……閣下。まだ魔法を使っているのですか?」

「ん? ああ。君が酔わないように」


 向かいの席……ではなく、なぜか私の隣に座っているサイラス様が、涼しい顔で答えた。

 彼は指先で小さな氷の紋様を描き、車体全体を包む「振動吸収結界」と「重力制御」を維持し続けている。

 これだけの高等魔法を数時間垂れ流しにするなんて、魔力の無駄遣いにも程がある。


「お気遣いは感謝しますが、消耗しますよ」

「問題ない。君が隣にいれば、魔力など無限に湧いてくる」


 彼は私の手を握り、親指で甲を撫でた。

 ご機嫌だ。

 今日の彼は、宰相としての重圧を王都に置いてきたらしい。

 ノーネクタイのシャツ姿で、リラックスしきっている。


「見てごらん、リリアーナ。あの崖の花、君の髪飾りに似ている」

「……岩場に咲く『竜胆リンドウ』の一種ですね。根には毒があります」

「景色が良いな。ここで弁当にしようか」

「まだ早いです。それに、この先は魔獣出没区域です。サンドイッチを広げた瞬間にワイバーンにさらわれますよ」


 私の塩対応にも、彼はニコニコしている。

 完全に「新婚旅行」モードだ。

 一方の私は、膝の上に広げた地図と、万が一のためのサバイバルマニュアルを確認するのに忙しい。


(……この浮かれよう。現地で何かあった時、落差で落ち込まなければいいけれど)


 私は鞄の中身を確認した。

 携帯食料、簡易テント、浄水魔導具。

 そして、クマ除けならぬ「魔獣除け」の結界石。

 準備は万端だ。

 これは視察であり、トラブルシューティングだ。

 甘い旅行ではない。


 やがて、馬車が速度を落とした。


「旦那様、奥様。そろそろ到着です」


 御者の声。

 私たちは窓から外を見た。

 切り立った峡谷の奥深く。

 霧の中に、白い石造りの巨大な建造物が霞んで見えた。

 古代魔法文明の遺跡を利用した神殿、『聖なる遺跡』だ。


 馬車が止まる。

 サイラス様が先に降り、エスコートのために手を差し伸べてくれた。


「着いたな。……空気が澄んでいる」

「魔素濃度が高いですね。肺が少しピリピリします」


 私は地面に降り立ち、周囲を見回した。

 静かだ。

 鳥の声もしない。

 ただ、風の音だけがヒュウヒュウと鳴っている。


 神殿へと続く一本道。

 その入り口には、二本の巨大な石柱が立っていた。

 本来なら、ここを通って巡礼者は神殿へ向かう。

 だが。


「……通れませんね」


 私は眼鏡の位置を直し、石柱の間を凝視した。

 何も無いように見える空間。

 しかし、そこには陽炎のような歪みがあった。


「結界か」


 サイラス様の目がスッと細まる。

 旅行気分の甘い瞳から、為政者の鋭い瞳へ。


「しかも、かなり強力だ。物理干渉だけでなく、情報伝達も遮断している」

「ええ。定期連絡が途絶えた原因はこれでしょう」


 私は石柱に近づき、手をかざした。

 バチッ。

 指先に静電気が走る。

 拒絶の反応だ。


「解析します」


 私は魔力を瞳に集中させ、【構造鑑定】を発動した。

 視界に幾何学模様の術式が浮かび上がる。

 複雑怪奇な古代語の羅列。

 だが、その命令系統の根幹にあるのは、単純なコードだった。


『NO ENTRY(立入禁止)』

『CONNECTION REFUSED(接続拒否)』


「……攻撃的な結界ではありません。ただの『引きこもり』設定です」

「引きこもり?」

「はい。『外部からの干渉を一切受け付けない』という、完全な拒絶設定になっています。内側からロックされている状態ですね」


 私が説明すると、サイラス様は不愉快そうに眉を寄せた。


「宰相である私の来訪は伝えてあるはずだ。それを無視して門を閉ざすとは、いい度胸だ」


 彼の手のひらに、青白い冷気が集まり始める。

 まずい。


「こじ開けるか? この程度の結界、私の氷槍なら一撃で粉砕できるが」

「おやめください。遺跡ごと吹き飛びます」


 私は慌てて彼の手を抑えた。

 結婚式の会場を瓦礫の山にするわけにはいかない。


「正規の手順を踏みましょう。向こうが気づいていないだけかもしれません」

「……チッ。面倒な」


 サイラス様が舌打ちをして魔力を散らす。

 私は鞄から、王家の紋章が入った通信用魔導具を取り出した。

 これを結界の「認証ポート」――魔力の流れが一点に集中している場所――に接触させる。


「宰相補佐官リリアーナより、聖地管理者に告ぐ。我々は正規の手続きを経て来訪した。直ちに開門されたし」


 魔力を込めて呼びかける。

 信号が結界の表面を波紋のように広がり、内部へと浸透していく。


 数秒の沈黙。

 やがて、陽炎が揺らぎ、石柱の間の空気が裂けるように開いた。


「……誰だ、騒々しい」


 中から現れたのは、数名の神官たちだった。

 白い祭服に身を包んでいるが、その裾は薄汚れている。

 顔色も悪い。

 目の下にクマを作り、神経質そうにこちらを睨んでいる。


 先頭に立つ若い神官が、不機嫌そうに口を開いた。


「本日は参拝日ではないはずだ。帰れ」


 挨拶もなしに、いきなりの帰れコール。

 私は眉をひそめた。


「私は宰相補佐官リリアーナ。こちらは宰相サイラス・フォン・アイゼンガルド閣下です。婚姻の儀のために参りました。事前通達は届いているはずですが」


 私が名乗ると、神官たちの顔が引きつった。

 驚き、そして明らかな「焦り」の色。


「さ、宰相……? まさか、本当に来たのか?」

「通知は見ていないのか!? 通信機はどうなっている!」

「ええい、今はそれどころではないのだ!」


 彼らは小声で言い争い、そして再び私たちに向き直った。

 態度は変わらない。

 いや、むしろ頑なになった。


「……どなたであろうと、今は受け入れられん。遺跡は『浄化の儀』の最中であり、部外者の立ち入りは禁じられている」


 若い神官が言い放つ。


「出直してもらおう。……三ヶ月後にな」


「三ヶ月?」


 サイラス様の声が、絶対零度まで下がった。

 ピシリ。

 地面の石が凍りつく音がした。


「私の結婚式は来月だ。それを三ヶ月待てと? ……貴様、誰に向かって口を利いているか分かっているのか?」


 殺気。

 物理的な圧力が、神官たちを押し潰そうとする。

 彼らは「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさった。


 これはまずい。

 完全に「新婚旅行」の雰囲気は消し飛び、「粛清」の空気に変わっている。


 私は一歩前に出て、サイラス様の前に立った。


「閣下、待ってください。彼らを凍らせても、式は挙げられません」

「だがリリアーナ、この無礼者どもは……」

「お任せください」


 私は眼鏡を押し上げ、神官たちを見据えた。


(……浄化の儀? 嘘ね)


 私の目は誤魔化せない。

 彼らの服についた汚れは、祈祷の煤ではない。

 機械油と、魔力液のシミだ。

 そして、結界の隙間から漏れ出るマナの波長が、不規則に乱れている。


 これは「儀式」ではない。

 「修理」だ。

 それも、うまくいっていない泥沼の。


「……もしかして」


 私は鎌をかけることにした。


「何か、壊れているのではありませんか?」


 図星だったらしい。

 神官たちの顔色が、白から土気色へと変わった。

 どうやら、私の「トラブルシューティング」のスキルが、ここでも火を噴くことになりそうだ。


 私は手帳を開いた。

 『新婚旅行』の文字の横に、小さく書き加える。

 『追加業務:遺跡修理』。


「正直におっしゃってください。直せないなら、私が直します。……私たちには、時間がないのですから」


 私の言葉に、神官たちは絶句し、顔を見合わせた。

 門はまだ開かない。

 だが、交渉のテーブルには着かせた。

 ここからが、私の仕事だ。

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