第22話 新婚旅行(仮)は山岳地帯へ
王都を出発して五時間。
窓の外の景色は、のどかな田園風景から、険しい岩肌が目立つ山岳地帯へと変わっていた。
本来なら、このあたりの街道は悪路で知られている。
馬車は激しく揺れ、乗客は舌を噛まないように耐え忍ぶのが常識だ。
だが、今の車内は異様なほど静かだった。
振動ひとつない。
まるで雲の上を滑っているようだ。
「……閣下。まだ魔法を使っているのですか?」
「ん? ああ。君が酔わないように」
向かいの席……ではなく、なぜか私の隣に座っているサイラス様が、涼しい顔で答えた。
彼は指先で小さな氷の紋様を描き、車体全体を包む「振動吸収結界」と「重力制御」を維持し続けている。
これだけの高等魔法を数時間垂れ流しにするなんて、魔力の無駄遣いにも程がある。
「お気遣いは感謝しますが、消耗しますよ」
「問題ない。君が隣にいれば、魔力など無限に湧いてくる」
彼は私の手を握り、親指で甲を撫でた。
ご機嫌だ。
今日の彼は、宰相としての重圧を王都に置いてきたらしい。
ノーネクタイのシャツ姿で、リラックスしきっている。
「見てごらん、リリアーナ。あの崖の花、君の髪飾りに似ている」
「……岩場に咲く『竜胆』の一種ですね。根には毒があります」
「景色が良いな。ここで弁当にしようか」
「まだ早いです。それに、この先は魔獣出没区域です。サンドイッチを広げた瞬間にワイバーンにさらわれますよ」
私の塩対応にも、彼はニコニコしている。
完全に「新婚旅行」モードだ。
一方の私は、膝の上に広げた地図と、万が一のためのサバイバルマニュアルを確認するのに忙しい。
(……この浮かれよう。現地で何かあった時、落差で落ち込まなければいいけれど)
私は鞄の中身を確認した。
携帯食料、簡易テント、浄水魔導具。
そして、クマ除けならぬ「魔獣除け」の結界石。
準備は万端だ。
これは視察であり、トラブルシューティングだ。
甘い旅行ではない。
やがて、馬車が速度を落とした。
「旦那様、奥様。そろそろ到着です」
御者の声。
私たちは窓から外を見た。
切り立った峡谷の奥深く。
霧の中に、白い石造りの巨大な建造物が霞んで見えた。
古代魔法文明の遺跡を利用した神殿、『聖なる遺跡』だ。
馬車が止まる。
サイラス様が先に降り、エスコートのために手を差し伸べてくれた。
「着いたな。……空気が澄んでいる」
「魔素濃度が高いですね。肺が少しピリピリします」
私は地面に降り立ち、周囲を見回した。
静かだ。
鳥の声もしない。
ただ、風の音だけがヒュウヒュウと鳴っている。
神殿へと続く一本道。
その入り口には、二本の巨大な石柱が立っていた。
本来なら、ここを通って巡礼者は神殿へ向かう。
だが。
「……通れませんね」
私は眼鏡の位置を直し、石柱の間を凝視した。
何も無いように見える空間。
しかし、そこには陽炎のような歪みがあった。
「結界か」
サイラス様の目がスッと細まる。
旅行気分の甘い瞳から、為政者の鋭い瞳へ。
「しかも、かなり強力だ。物理干渉だけでなく、情報伝達も遮断している」
「ええ。定期連絡が途絶えた原因はこれでしょう」
私は石柱に近づき、手をかざした。
バチッ。
指先に静電気が走る。
拒絶の反応だ。
「解析します」
私は魔力を瞳に集中させ、【構造鑑定】を発動した。
視界に幾何学模様の術式が浮かび上がる。
複雑怪奇な古代語の羅列。
だが、その命令系統の根幹にあるのは、単純なコードだった。
『NO ENTRY(立入禁止)』
『CONNECTION REFUSED(接続拒否)』
「……攻撃的な結界ではありません。ただの『引きこもり』設定です」
「引きこもり?」
「はい。『外部からの干渉を一切受け付けない』という、完全な拒絶設定になっています。内側からロックされている状態ですね」
私が説明すると、サイラス様は不愉快そうに眉を寄せた。
「宰相である私の来訪は伝えてあるはずだ。それを無視して門を閉ざすとは、いい度胸だ」
彼の手のひらに、青白い冷気が集まり始める。
まずい。
「こじ開けるか? この程度の結界、私の氷槍なら一撃で粉砕できるが」
「おやめください。遺跡ごと吹き飛びます」
私は慌てて彼の手を抑えた。
結婚式の会場を瓦礫の山にするわけにはいかない。
「正規の手順を踏みましょう。向こうが気づいていないだけかもしれません」
「……チッ。面倒な」
サイラス様が舌打ちをして魔力を散らす。
私は鞄から、王家の紋章が入った通信用魔導具を取り出した。
これを結界の「認証ポート」――魔力の流れが一点に集中している場所――に接触させる。
「宰相補佐官リリアーナより、聖地管理者に告ぐ。我々は正規の手続きを経て来訪した。直ちに開門されたし」
魔力を込めて呼びかける。
信号が結界の表面を波紋のように広がり、内部へと浸透していく。
数秒の沈黙。
やがて、陽炎が揺らぎ、石柱の間の空気が裂けるように開いた。
「……誰だ、騒々しい」
中から現れたのは、数名の神官たちだった。
白い祭服に身を包んでいるが、その裾は薄汚れている。
顔色も悪い。
目の下にクマを作り、神経質そうにこちらを睨んでいる。
先頭に立つ若い神官が、不機嫌そうに口を開いた。
「本日は参拝日ではないはずだ。帰れ」
挨拶もなしに、いきなりの帰れコール。
私は眉をひそめた。
「私は宰相補佐官リリアーナ。こちらは宰相サイラス・フォン・アイゼンガルド閣下です。婚姻の儀のために参りました。事前通達は届いているはずですが」
私が名乗ると、神官たちの顔が引きつった。
驚き、そして明らかな「焦り」の色。
「さ、宰相……? まさか、本当に来たのか?」
「通知は見ていないのか!? 通信機はどうなっている!」
「ええい、今はそれどころではないのだ!」
彼らは小声で言い争い、そして再び私たちに向き直った。
態度は変わらない。
いや、むしろ頑なになった。
「……どなたであろうと、今は受け入れられん。遺跡は『浄化の儀』の最中であり、部外者の立ち入りは禁じられている」
若い神官が言い放つ。
「出直してもらおう。……三ヶ月後にな」
「三ヶ月?」
サイラス様の声が、絶対零度まで下がった。
ピシリ。
地面の石が凍りつく音がした。
「私の結婚式は来月だ。それを三ヶ月待てと? ……貴様、誰に向かって口を利いているか分かっているのか?」
殺気。
物理的な圧力が、神官たちを押し潰そうとする。
彼らは「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさった。
これはまずい。
完全に「新婚旅行」の雰囲気は消し飛び、「粛清」の空気に変わっている。
私は一歩前に出て、サイラス様の前に立った。
「閣下、待ってください。彼らを凍らせても、式は挙げられません」
「だがリリアーナ、この無礼者どもは……」
「お任せください」
私は眼鏡を押し上げ、神官たちを見据えた。
(……浄化の儀? 嘘ね)
私の目は誤魔化せない。
彼らの服についた汚れは、祈祷の煤ではない。
機械油と、魔力液のシミだ。
そして、結界の隙間から漏れ出るマナの波長が、不規則に乱れている。
これは「儀式」ではない。
「修理」だ。
それも、うまくいっていない泥沼の。
「……もしかして」
私は鎌をかけることにした。
「何か、壊れているのではありませんか?」
図星だったらしい。
神官たちの顔色が、白から土気色へと変わった。
どうやら、私の「トラブルシューティング」のスキルが、ここでも火を噴くことになりそうだ。
私は手帳を開いた。
『新婚旅行』の文字の横に、小さく書き加える。
『追加業務:遺跡修理』。
「正直におっしゃってください。直せないなら、私が直します。……私たちには、時間がないのですから」
私の言葉に、神官たちは絶句し、顔を見合わせた。
門はまだ開かない。
だが、交渉のテーブルには着かせた。
ここからが、私の仕事だ。




