第18話 二人の共同作業
轟音。
世界が白と赤に塗り潰されていた。
私はサイラス様の背中に守られながら、暴風の中心を進んでいた。
本来なら、一歩踏み出した瞬間に炭化しているはずの空間。
だが、私の周囲だけは、奇妙なほど静かで、ひんやりとしていた。
六角形の氷の結晶が、幾重にも重なってドーム状の障壁を作っている。
その外側では、暴走したマナの稲妻が激しく衝突し、弾け飛んでいた。
バチバチ、ガガガガッ!
凄まじい衝撃音が響くたび、氷壁に亀裂が走る。
しかし、その亀裂は瞬時に修復されていく。
「……くっ!」
頭上で、サイラス様が苦悶の声を漏らした。
彼が掲げた右手から、膨大な魔力が放出されている。
その背中は汗で濡れ、ワイシャツが肌に張り付いていた。
「閣下!」
「見るな! 前だけを見ろ!」
彼が叫んだ。
声に余裕はない。
この絶対防御を維持するのに、どれほどの精神力を使っているのか。
私が心配して足を止めれば、それだけ彼の負担が増える。
私は唇を噛み締め、視線を前に固定した。
あと五メートル。
赤黒く明滅する水晶柱の根本に、その制御盤はある。
「行きます……!」
私は障壁に合わせて走った。
熱波が氷壁越しに伝わってくる。
まるでオーブンの中を走っているようだ。
汗が吹き出し、目に入って染みる。
辿り着いた。
金属製の制御盤。
表面は熱で焼け焦げ、警告灯が狂ったように点滅している。
私は手袋をした手で、操作パネルのカバーをこじ開けた。
『SYSTEM ERROR』
『CRITICAL FAILURE』
帝国の言語で表示された赤い文字。
やはり、通常の制御は受け付けない。
システムがパニックを起こしてロックされている。
「……手動操作に切り替えます!」
私は鞄から万年筆を取り出した。
ミスリル製のペン先。
これを直接、制御基盤の回路に突き立て、魔力で新たな命令を書き込む。
いわゆる「物理ハッキング」だ。
私はパネルの隙間にペン先を差し込んだ。
バチッ!
指先に痺れが走る。
構わない。
私は目を閉じ、魔力回路の構造を脳内に展開した。
(……酷いスパゲッティコードね)
帝国の技術者たちが継ぎ足した、無茶苦茶な命令系統が見えた。
出力増大、リミッター解除、安全装置バイパス。
欲望のままに書き換えられた汚い術式。
これではエネルギーが詰まって当然だ。
「整理します」
私はペン先に魔力を込めた。
事務処理モード、全開。
絡まった糸を一本ずつ解くのではない。
邪魔な糸をすべて断ち切り、新しい一本の太い道を繋ぐのだ。
――並列処理開始。
――入力系統A、遮断。
――出力系統B、逆流防止弁を閉鎖。
――余剰エネルギーを冷却パイプへ迂回。
私の脳内で、パズルのピースが次々と嵌まっていく。
指先が熱い。
万年筆が焼き切れそうだ。
でも、止まれない。
「ぐぅ……ッ!」
背後で、サイラス様の膝が折れる音がした。
障壁がきしむ。
外の圧力が強まっている。
暴走のピークだ。
「閣下! あと三十秒です! 耐えてください!」
「……三十秒など、永遠に等しい! 焦るな、正確にやれ!」
彼の声が力強い。
守られている。
その確信が、私の指先から迷いを消す。
そうだ。
この人は、私がどんな無茶な仕事をしても、必ず最後には守ってくれた。
婚約破棄の時も。
帝国の皇子相手でも。
そして今、この死の嵐の中でも。
なら、私は私の仕事をするだけだ。
完璧に。
最高効率で。
私は最後のコードを記述した。
王国式の冷却術式と、帝国式の排熱機構を強制リンクさせる、禁断のハイブリッド術式。
『EXECUTE(実行)』
私は万年筆を引き抜き、代わりに手のひらを制御盤に叩きつけた。
「排熱、開始ッ!!」
ズンッ。
地響きと共に、水晶柱の輝きが変わった。
赤黒い色から、純白へ。
そして、耳をつんざくような高周波が、重低音へと変化する。
プシューーーーーッ!!
天井の通気口から、凄まじい勢いで蒸気が噴き出した。
行き場を失っていたエネルギーが、熱となって放出されていく。
室内のマナ濃度が急速に低下していく。
稲妻が消えた。
嵐が止んだ。
残ったのは、白い蒸気と、焦げた臭いだけ。
「……やった、のか?」
サイラス様の声。
氷の結界が、ガラスのように砕け散って消えた。
彼はその場に崩れ落ちそうになり、両手で膝をついた。
私は駆け寄った。
「閣下!」
「……無事か、リリアーナ」
彼は顔を上げた。
煤だらけの顔。
整った髪は乱れ、ワイシャツはボロボロだ。
でも、その瞳だけは、私を案じて揺れている。
「私は平気です。貴方のおかげで、火傷ひとつありません」
私は彼の手を取った。
氷のように冷たくなっていた。
魔力欠乏の症状だ。
私は自分の残った魔力を、指先から彼へと流し込んだ。
「馬鹿な人……こんなになるまで」
「……君を守る契約だ。履行しただけだ」
彼は弱々しく笑い、私の頬に触れた。
その指が黒く汚れている。
私の顔も、きっと酷いことになっているだろう。
「仕事が終わりましたね」
「ああ。……残業代を請求する権利があるな」
「そうですね。特大のを請求しましょう。帝国に」
私たちは顔を見合わせ、ふっと笑った。
極限状態からの解放。
アドレナリンが引いていくと同時に、泥のような疲労感が襲ってくる。
でも、心地よかった。
私たちは生きていて、一緒にいる。
それだけで十分だった。
「おおおお! やったぞ! 止まった!」
「補佐官! 閣下!」
入り口の方から、魔導師たちが歓声を上げて駆け寄ってくるのが見えた。
騒がしい現実が戻ってくる。
サイラス様は、立ち上がろうとしてよろめいた。
私は彼を支えるように抱きしめた。
汗と煤の臭い。
でも、私にとっては、どんな高級な香水よりも安心できる香りだった。
「……少し、このままで」
「はい。誰も見ていませんよ。蒸気で見えませんから」
私は嘘をついた。
蒸気は晴れかけているし、魔導師たちはもう目の前だ。
でも、サイラス様は「そうか」と呟いて、私の肩に顔を埋めた。
私たちは王宮を救った。
しかし、それ以上に大きなものを守り抜いた気がした。
この温もりを。
この信頼を。
ふと、蒸気の向こうに人影が見えた。
駆け寄る魔導師たちではない。
もっと離れた、入り口の影に立つ、赤い髪の男。
ルーカス皇子だ。
彼は拍手をするように手を叩き、ニヤリと笑って踵を返した。
その背中は、「完敗だ」と語っているように見えた。
事件は終わった。
あとは、後始末という名の事務処理が待っているだけだ。
私は小さくため息をつき、でも腕の中の重みを感じて、自然と微笑んでいた。




