第13話 規格外の通訳業務
午後三時。
王宮の大会議室は、戦場と化していた。
飛び交っているのは剣や魔法ではない。
怒号と、理解不能な専門用語だ。
「だから! こちらの出力定格は五百ヴォルトだと言っている! 貴様らの配線では焼き切れるぞ!」
「ヴォルトなど知らん! マナの波長を合わせろと言っているのだ! 風属性の第三階梯に変換しなければ結界が弾かれる!」
「はあ? 風属性? そんな非科学的なオカルトで機械が動くか!」
帝国の技術将校と、王国の魔導師団員。
テーブルを挟んで掴み合い寸前だ。
間に挟まれた通訳官の青年は、涙目で震えている。
「あ、あの……『ヴォルト』は『雷の精霊の怒り』と訳せばよろしいでしょうか……?」
「違う馬鹿者!」
「ふざけるな!」
左右から怒鳴られ、通訳官が縮こまる。
無理もない。
日常会話は訳せても、体系の異なる魔導理論の通訳など、専門家でも至難の業だ。
私は部屋の隅にある書記席で、その惨状を眺めていた。
隣に座るサイラス様は、眉間の皺を深くして、無言で指先をテーブルに叩きつけている。
不快指数のカウントダウン中だ。
「……リリアーナ」
「はい」
「あと五分でまとまらなければ、全員凍らせて静かにさせる」
「お待ちください。凍らせると解凍に時間がかかります」
私は立ち上がった。
このままでは会議どころか、技術提携の話自体が破談になる。
それは国益に反する。
私はカツカツとヒールを鳴らし、ホワイトボード(正確には魔法で白く加工された石板)の前へと進み出た。
チョークを手に取る。
「皆様、少しよろしいでしょうか」
私の声に、怒鳴り合っていた男たちが振り向く。
「なんだ、事務官が口を出すな!」
「お茶汲みなら後にしてくれ!」
罵声が飛ぶ。
上座で足を組んで座っていたルーカス皇子が、ニヤリと笑って様子を窺っているのが見えた。
助け舟を出す気はないらしい。
結構だ。
私は無言で、石板に数式を書き殴った。
『E = m × (Mana/V) + α』
さらに、その下に図解を加える。
帝国の魔導回路図と、王国の術式魔法陣。
その二つを繋ぐ、変換コネクタの構造図だ。
「……あ?」
帝国の技術者が、間の抜けた声を上げた。
私はチョークを走らせながら解説する。
「帝国側の言う『五百ヴォルト』は、こちらの単位で言えば『雷属性魔力・密度係数5』に相当します。ですが、そのまま流せば波長が合いません。そこで」
私は変換式の一部を丸で囲んだ。
「入力時に『無属性のバッファ層』を噛ませてください。帝国の物理エネルギーを一度純粋なマナに還元し、そこから王国の風属性回路へ再分配するのです。これなら熱暴走は起きません」
カツン。
チョークを置き、私は振り返った。
「エネルギー変換ロスは約三パーセント。許容範囲内かと存じますが、いかがでしょう?」
会議室に、完全な静寂が落ちた。
帝国の技術将校が、ポカンと口を開けて石板を凝視している。
王国の魔導師が、慌てて手元の資料と板書を見比べている。
「……ば、馬鹿な」
帝国の男が呻いた。
「我々の『内燃式魔導機関』の構造を、なぜ知っている? これは国家機密レベルの……」
「先ほど提出された仕様書の数値から逆算しました。入力と出力が決まっていれば、中のブラックボックスの構造はおおよそ推測できます」
事務的に答えると、彼は絶句した。
推測?
仕様書の数字だけで?
「……お、おい! この変換式、試算してみろ!」
王国の魔導師が叫ぶ。
部下たちが計算尺と水晶を操り、慌ただしく検証を始める。
数秒後。
「……合っています! 理論上、完璧に動作します! これなら帝国の機械を我々の結界に接続可能です!」
どよめきが起きた。
先ほどまで私を「お茶汲み」扱いしていた男たちが、今や信じられないものを見る目で私を見ている。
「す、すまん嬢ちゃん……いや、補佐官殿。この『バッファ層』の術式構成、詳しく教えてくれんか?」
「ああ、それならこちらの係数を使った方が……」
私はチョークを持ち直し、補足説明を書き加えた。
技術者たちが石板の前に殺到する。
国境も立場も忘れ、彼らは私の書いた数式に熱中し始めた。
共通言語が見つかったのだ。
「数式」という名の。
私はそっと輪から抜け出し、書記席へ戻った。
サイラス様が、深いため息をついている。
その顔は、誇らしさと、頭痛が混ざったような複雑なものだった。
「……リリアーナ。君はまた、やってくれたな」
「会議を円滑に進めるためです。これで交渉に入れますね」
私は手についたチョークの粉をハンカチで拭った。
ふと、視線を感じる。
上座のルーカス皇子だ。
彼は頬杖をつき、私をじっと見つめていた。
先ほどの、玩具を見るような軽い目ではない。
もっと重く、粘着質な光が宿っている。
彼が口を開いた。
「おい、そこの補佐官」
「はい、何でしょう」
「今の変換式、特許は取っているのか?」
「いえ。即興で組んだものですので」
「なら、俺が買い取る。金貨一万枚でどうだ」
一万枚。
会議室が再びざわつく。
城が一つ建つ金額だ。
私は即答した。
「お断りします。これは今回の提携交渉における『王国の技術提供』の一部とみなします。個人的な利益にはできません」
「無欲だな。……それとも、もっと高い値を吊り上げる気か?」
「いいえ。私は公務員ですので。給与以上の報酬は受け取れません」
きっぱりと告げると、ルーカス皇子は目を細めた。
そして、ゆっくりと舌なめずりをした。
「……公務員、か。もったいない」
彼が呟いた言葉は、私の耳には届かなかったが、隣のサイラス様には聞こえたらしい。
バキッ。
サイラス様の手元で、羽ペンが無残にへし折れた。
「……交渉再開だ」
サイラス様が立ち上がる。
その声は低く、威圧的だった。
彼は私の前に立ち塞がるようにして、ルーカス皇子と対峙した。
「技術的な問題は解決した。次は条件面の話をしようか、皇子殿下。……我が国の貴重な『人材』への無駄口は、それくらいにして」
「ああ、そうだな」
ルーカス皇子も立ち上がる。
二人の長身の男が睨み合う。
火花が散るようだ。
私は折れた羽ペンの代わりをサイラス様に手渡しながら、首を傾げた。
なぜだろう。
技術的な話は終わったはずなのに、空気は先ほどよりも険悪になっている気がする。
会議は再開された。
だが、ルーカス皇子の視線はずっと、サイラス様の背中越しに、私へと注がれ続けていた。
まるで、解析すべき新しい難問を見つけたかのように。




