第12話 黒い魔導馬車
正午。
王城の正門前広場には、異様な緊張感が漂っていた。
赤絨毯が敷かれ、近衛騎士団が整列している。
その最前列に立つのは、宰相サイラス様と、その補佐官である私。
本来なら陛下がお出迎えすべきところだが、到着が早まったため、実務責任者である私たちが矢面に立つことになった。
「……遅いな」
隣でサイラス様が低い声で呟く。
その表情は、能面の如く冷たい。
デートを邪魔された怒りは、まだ鎮火していないらしい。
周囲の騎士たちが、宰相閣下から漏れ出る冷気に震え上がっている。
「閣下、表情を。相手は一国の皇子です」
「分かっている。最大限の『歓迎』をしてやるとも」
目が笑っていない。
これはまずい。
私がフォローしなければ、開口一番で宣戦布告しかねない。
その時だった。
ズズズ……ン……。
地面が微かに振動した。
最初は地震かと思った。
だが、振動は次第に大きくなり、やがて空気そのものを震わせるような轟音へと変わった。
ブォォォォン!!
王都の大通りの向こうから、黒い塊が現れた。
馬車、と呼ぶにはあまりに異質だった。
馬がいない。
巨大な鉄の箱が、六つの車輪で自走している。
後部からは、どす黒い煙――魔力残滓を含んだ排気――が噴き出している。
「な、なんだあれは!?」
「煙い! 前が見えん!」
整列していた騎士たちが咳き込み、隊列が乱れる。
美しい石畳の広場に、黒い轍が刻まれていく。
鉄の塊は、私たちの目の前で急停止した。
プシューッ!!
甲高い音と共に、白煙が吹き出す。
強烈な油と焦げた魔石の臭い。
私は眉をひそめ、懐からハンカチを取り出して口元を覆った。
(……なんて非効率なエネルギー変換効率。七割を熱と騒音として捨てているわ)
技術者としての不満が先に立つ。
これが帝国の誇る最新鋭「魔導機械」だというなら、期待外れもいいところだ。
やがて、鉄の箱の側面が開いた。
タラップが降りてくる。
中から現れたのは、派手な軍服に身を包んだ長身の青年だった。
燃えるような赤髪。
精悍だが、傲慢さが滲み出る顔立ち。
東方帝国第二皇子、ルーカス・ヴァン・ドラグノフ。
彼はタラップの中ほどで足を止め、広場を見下ろした。
そして、鼻で笑った。
「なんだ、この静けさは。葬式でもやっているのか?」
第一声がそれだった。
彼は広場に並ぶ魔導灯(王国の伝統的な工芸品でもある)を指差し、肩をすくめた。
「相変わらず、この国は時が止まっているな。あんな出力の低い骨董品を、まだ大事に使っているとは。博物館に来た気分だよ」
明確な侮辱。
騎士たちが色めき立つ。
隣で、何かがパキリと音を立てて凍る気配がした。
見ると、サイラス様の足元の石畳に、霜が降りている。
彼の蒼い瞳は、絶対零度の輝きを放っていた。
「……ほう。我が国の伝統を骨董品と呼ぶか。ならば、その薄汚い鉄屑をスクラップにして、貴国の技術の粋とやらを見せてもらおうか」
サイラス様が右手を上げる。
まずい。
迎撃魔法の構えだ。
外交使節団を到着五分で消し飛ばす気だ。
私は、すかさず一歩前へ出た。
サイラス様の手を、私の手でさりげなく抑え込む。
そして、手帳を開いた。
「お待ちください、閣下。武力行使は最終手段です。まずは法的手続きを」
私はルーカス皇子に向かって、声を張り上げた。
「ようこそお越しくださいました、ルーカス殿下。王国の宰相補佐官、リリアーナ・ベルンシュタインと申します」
ルーカス皇子が私を見た。
興味なさげに片眉を上げる。
「補佐官? 女か。挨拶はいい、さっさと宿舎へ案内しろ。この国のアスファルトは凹凸が多くて乗り心地が最悪だった」
「案内いたします。……ですがその前に、一つ手続きがございます」
私は手帳から、一枚の複写式用紙を切り離した。
そして、スタスタとタラップの下まで歩み寄る。
皇子の護衛らしき屈強な騎士が剣に手をかけるが、私は無視して皇子に紙を差し出した。
「はい、こちら。受け取りをお願いします」
「……なんだこれは」
皇子が怪訝そうに紙を受け取る。
そこに書かれている文字を読んだ彼は、目を丸くした。
「『王都環境保全条例違反告知書』……?」
「はい。第五条『騒音規制』および第八条『有害魔素排出規制』への違反です」
私は事務的に説明を始めた。
「先ほどの到着時の騒音レベルは八十五デシベル。住宅地での許容範囲を超えています。また、後部より排出された黒煙に含まれる魔素濃度は、王国の環境基準値の三倍です」
皇子がポカンとしている。
私は構わず続ける。
「よって、罰金金貨五枚を科します。なお、この車両は王国の車検を通っていないため、公道の走行は認められません。移動には、こちらで用意した馬車をご利用ください」
静寂。
広場にいた全員が、息を呑んで私を見ていた。
帝国の皇子相手に、駐禁切符を切るような真似をしたのだ。
不敬罪で斬り捨てられても文句は言えない。
ルーカス皇子は、手元の紙を見つめ、それから私を凝視した。
怖い。
猛獣のような目だ。
私は無表情を崩さず、背筋を伸ばして見つめ返した。
法と正義は、こちらにある。
数秒の沈黙の後。
皇子の肩が震えた。
「……く、くくっ」
喉の奥から絞り出すような笑い声。
そして、彼は大声で笑い出した。
「はははは! 傑作だ! 俺の『黒鉄竜号』を、うるさいから罰金だと!?」
彼は腹を抱えて笑い、涙を拭った。
「面白い! どこの国へ行っても、俺の技術に恐れおののくか、媚びへつらうかだ。だが、お前は……『迷惑だ』と言ってのけた!」
「事実ですので」
「いいだろう! 払ってやる!」
彼はポケットから金貨袋を取り出し、私に放り投げた。
私はそれを片手でキャッチする。
「金貨十枚だ。釣りはいらん。……おい、名前は?」
「リリアーナです」
「リリアーナか。覚えておく」
皇子はニヤリと笑い、私を頭から爪先までじろりと舐めるように見た。
その視線には、明らかに「気に入った」という色が混じっていた。
「骨董品の国にも、面白そうな部品があるじゃないか」
ゾクリとした悪寒が背筋を走る。
何か、非常に面倒なスイッチを押してしまった気がする。
その時。
私の肩が、ぐいと後ろへ引かれた。
背中に、硬く温かい感触。
サイラス様だ。
彼が私を庇うように前に立ち、皇子を睨みつけていた。
「……罰金は徴収した。さっさと馬車に乗れ」
「おっと。怖い怖い」
皇子は大げさに手を挙げて見せたが、その目は笑っていた。
彼は私にウインクを一つ投げ、用意された王国の馬車へと乗り込んでいった。
嵐のような到着劇が終わった。
私は金貨袋の重みを確かめ、深いため息をついた。
「……とりあえず、予算に臨時収入が入りましたね」
「リリアーナ」
サイラス様の声が低い。
恐る恐る見上げると、彼は皇子が去っていった方向を睨んだまま、不機嫌そうに口を尖らせていた。
「あの男、君を見た」
「はあ。目がありますから、見るでしょう」
「そうじゃない。……あの目は、珍しい玩具を見つけた子供の目だ」
サイラス様は私の肩を強く抱き寄せた。
「君は不用意に近づくな。あいつの相手は私がする」
「ですが、通訳や実務調整は私の仕事です」
「……くそっ」
彼は悪態をつき、私の頭に頬を擦り付けた。
「なぜ君は、そうやって無自覚に人を惹きつけるんだ。……心配で胃が痛い」
「閣下、人前です。離れてください」
「嫌だ。上書きする」
彼は公衆の面前にも関わらず、ぎゅうぎゅうと私を抱きしめる。
周囲の騎士たちが見て見ぬふりをしているのが痛いほど分かる。
私は諦めて、彼の腕の中でため息をついた。
どうやら、今回の外交任務は、書類仕事よりも「嫉妬深い上司の機嫌取り」の方が大変になりそうだ。
私の手帳には、まだ書き込まれていないトラブルの種が、着実に芽吹こうとしていた。




