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【第4章スタート!】悪役令嬢は忙しい  作者: 九葉(くずは)
第2章

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11/42

第11話 宰相補佐官の優雅な朝食

第2章スタートです!!

 午前八時。

 王宮の時計塔が、澄んだ鐘の音を響かせている。


 北棟三階、宰相執務室。

 かつて「紙の墓場」と呼ばれたこの場所は、今や王宮で最も静謐で、美しい空間となっていた。


 私は自分のデスクで、湯気の立つティーカップを手に取った。

 ふわりと広がるのは、最高級茶葉シルバーニードルの香り。

 口に含むと、絶妙な温度と甘みが広がる。


「……完璧です、閣下」


 私が呟くと、隣の重厚な執務机に座る男――サイラス様が、書類から顔を上げずに口角を上げた。


「そうか。蒸らし時間を五秒短縮してみたのだが、正解だったようだな」

「ええ。渋みが消えて、香りが立っています。素晴らしい改善です」


 私たちは視線を交わし、小さく頷き合った。

 言葉は少ない。

 けれど、そこには確かな充足感があった。


 あの日――私がこの部屋の主と終身契約(という名の婚約)を結んでから、三ヶ月が過ぎた。

 執務室は劇的に変わった。

 私が導入したファイリングシステムにより、書類検索時間は平均三十秒に短縮。

 改良した空調魔導具は、今日も音もなく快適な微風を送り出している。


 そして何より変わったのは、この「氷の宰相」サイラス様だ。

 以前はコーヒーだけで栄養を摂取していた仕事人間が、今では毎朝、私のためにお茶を淹れてくれる。

 それも、研究熱心な彼らしく、ミリ単位で手順を最適化した極上の一杯を。


「リリアーナ」


 サイラス様がペンを置き、私を見た。

 その蒼い瞳は、書類を見ている時の鋭さとは違い、どこか甘い熱を帯びている。


「今日の昼だが」

「はい。予約していただいた、東通りの隠れ家レストランですね」


 私は手帳を開かずに答えた。

 私の頭の中のスケジュール帳には、今日の予定が赤丸付きで刻まれている。


『12:00〜13:00 昼休憩(外出)』


 これはただの休憩ではない。

 私たちにとって初めての、きちんとした「デート」だ。

 これまでは執務室でサンドイッチを齧るか、夜会で業務的に踊るかだけだった。

 仕事の話抜きで、外で食事をする。

 そのために、私は今週の業務を鬼の速度で片付けてきたのだ。


「楽しみだな」

「はい。パスタが絶品だと伺いました」

「君がパスタ好きだと言っていただろう。……個室も取ってある」


 サイラス様が少し照れくさそうに視線を逸らす。

 耳が赤い。

 可愛いところがある人だ。

 私は眼鏡の位置を直し、口元の緩みを隠した。


 平和だ。

 今日は来客の予定もない。

 午前中の決裁さえ終われば、私たちは晴れて街へ繰り出せる。


 そう思っていた。

 あの扉が開くまでは。


 バンッ!!


 ノックもなしに、執務室の扉が乱暴に開け放たれた。

 飛び込んできたのは、顔面蒼白の伝令官だ。

 彼は息を切らし、膝をつくことも忘れて叫んだ。


「ほ、報告します! 緊急事態です!」


 サイラス様の表情が、一瞬で「宰相」のものに戻る。

 室内の温度が数度下がった気がした。


「騒がしいぞ。何事だ」

「て、帝国です! 東方帝国の使節団が、たった今、国境の関所を通過しました!」


 執務室の空気が凍りついた。

 私は手元のティーカップをソーサーに戻した。

 カチャリ、という音がやけに大きく響く。


「……通過した? 今、なんと?」


 私は冷静に聞き返した。

 聞き間違いであってほしいという願いを込めて。


「は、はい! 先触れの早馬が届きました! 使節団の本隊は、魔導馬車にて王都へ向かっております! 到着予想時刻は……本日の正午です!」


 正午。

 つまり、あと四時間後。


 私は素早く手帳を開いた。

 今日のページ。

 『12:00〜13:00 昼休憩(外出)』


 次に、三日後のページを開く。

 『帝国使節団 到着予定日』


 ペンのキャップを外す。

 カチリ。

 乾いた音が、私の理性が切り替わる合図だった。


「……三日の前倒しですか」


 私は立ち上がった。


「馬鹿な」


 サイラス様が低い声で唸る。

 机をドンと叩いた。


「外交儀礼を何だと思っている。三日も早く来て、一体どうするつもりだ。宿舎も、警備体制も、歓迎式典も、まだ最終調整中だぞ」

「おそらく、それが狙いでしょう」


 私は淡々と分析を述べた。


「こちらの対応力を試しているのか、あるいは単なる気まぐれか。いずれにせよ、来てしまうものは仕方がありません」


 東方帝国。

 独自の魔導技術を持ち、近年急速に勢力を拡大している軍事国家。

 今回の使節団は、我が国との不可侵条約および技術提携を結ぶための重要な客人だ。

 「準備ができていないのでお帰りください」とは言えない。


 門前払いをすれば、それを口実に外交問題に発展しかねない。

 つまり、受け入れるしかないのだ。

 今すぐに。


「リリアーナ」

「分かっております、閣下」


 私は鞄から予備のインク壺を取り出し、デスクに置いた。

 戦闘開始だ。


「これより『対帝国迎撃特別シフト』へ移行します。閣下は直ちに陛下への報告と、近衛騎士団への出動要請をお願いします。式典の警備計画を前倒しで承認させてください」

「……分かった。君はどうする?」

「私は実務を回します。宿舎の手配、食材の調達、清掃員への緊急招集。それから、街の交通規制も必要ですね」


 私は手帳の白紙ページに、猛スピードでタスクを書き出していく。

 思考が加速する。

 感情を挟む余地はない。

 これは仕事だ。

 私の得意な、トラブルシューティングだ。


「伝令官! 外務局長をここへ! 走って!」

「は、はいッ!」

「それと、厨房には『帝国の賓客は辛いものを好む傾向あり』と伝えて! メニューの変更、今ならまだ間に合います!」


 私は矢継ぎ早に指示を飛ばし、魔導通話機を手に取った。

 王宮内の各部署へ、一斉送信を行う。


『宰相補佐官リリアーナより通達。緊急事態発生。全職員、戦闘配置につけ。これは訓練ではない』


 王宮全体が、蜂の巣をつついたような騒ぎになる気配を感じる。

 だが、混乱させてはいけない。

 私の仕事は、混乱を秩序に変えることだ。


 それからの一時間は、記憶が飛ぶほどの修羅場だった。


「迎賓館のボイラーが温まっていない!? 私の固有魔法で強制加熱します、許可を!」

「使用人たちの制服が足りない? 予備役を叩き起こして! 手当は通常の三倍出します!」

「街道の魔獣除け結界、出力最大へ! 帝国の魔導馬車は魔力を喰います、干渉しないよう周波数を調整して!」


 次々と舞い込むトラブルを、私はその場で叩き切っていく。

 デスクの上には書類の山が築かれ、そして瞬く間に承認印を押されて消えていく。


 隣では、サイラス様が鬼の形相で各省庁の大臣たちを怒鳴りつけていた。


「予算なら私のポケットマネーから出すと言っている! 手続きなど後だ! 今すぐ動かせ!」

「騎士団長、文句があるなら辞表を持ってこい! 受理してやる!」


 頼もしい。

 やはりこの人は、平時の宰相としても優秀だが、有事の際の決断力は群を抜いている。

 私たちは背中合わせで戦場を駆け抜けた。

 言葉を交わさなくても、お互いの意図が分かる。

 私が補給線を確保し、彼が前線を突破する。

 最強の布陣だ。


 そして。

 時計の針が、十一時を回った頃。


「……手配、完了しました」


 私は最後の書類にハンコを押し、大きく息を吐いた。

 終わった。

 宿舎は整い、食材は確保され、沿道の警備も配置についた。

 これなら、いつ到着しても恥ずかしくない。


 私は眼鏡を外し、指先で目頭を揉んだ。

 酷い疲労感だ。

 だが、達成感はある。

 これほどの無理難題を、わずかな時間でクリアしたのだ。

 我ながら良い仕事をした。


「……リリアーナ」


 背後から、低い声がかかった。

 振り返ると、サイラス様が立っていた。

 彼もまた、ネクタイを少し緩め、疲れ切った顔をしている。


「お疲れ様です、閣下。なんとかなりましたね」

「ああ。君のおかげだ。……だが」


 彼は窓の外を見た。

 遠く、王都の大通りから、黒い砂煙のようなものが近づいてくるのが見える。

 帝国の車列だ。

 予定通り、正午に到着するだろう。


 そして、サイラス様は視線を壁掛け時計に移した。

 時刻は十一時半。


「……レストランの予約、キャンセルしたぞ」


 ぽつりと、彼が言った。

 その声に含まれる哀愁に、私はハッとした。


 そうだ。

 デート。

 私たちの初デート。


 今から正午に到着する使節団を出迎え、そのまま歓迎式典、そして午後の会談へ突入する。

 抜け出す時間など、一秒もない。


「……申し訳ありません」


 私は思わず謝っていた。

 悪いのは勝手に予定を早めた帝国側なのに、なぜか罪悪感が込み上げてくる。


 サイラス様は、大型犬が雨に濡れたような、あからさまに「しょんぼり」としたオーラを背負っていた。

 いつもの冷徹な宰相の姿はどこへやら。

 楽しみにしていたお散歩を取り消された犬そのものだ。


「パスタ……食べたかったな」

「……また今度、必ず行きましょう」

「個室も、奮発したのだが」

「キャンセル料は経費で落としましょう。……あの、閣下?」


 彼は窓ガラスに額を押し付け、深いため息をついた。

 相当ショックだったらしい。

 普段、仕事に関しては鉄人のような彼が、私とのデートに関してはこれほど脆いとは。


 胸の奥が、ちくりと痛む。

 同時に、愛おしさもこみ上げる。


 私は彼に歩み寄り、その背中にそっと手を添えた。


「夜は、空けられますか?」

「……晩餐会があるだろう。帝国主催の」

「その後です。抜け出しましょう」


 私が提案すると、サイラス様が勢いよく振り返った。


「抜け出す? どこへ」

「厨房へ。……パスタくらいなら、私が作りますから」


 貴族令嬢が厨房で料理をするなど、褒められたことではない。

 けれど、今の彼を慰めるには、これくらいの「特別」が必要だ。


「君の手料理か」

「はい。味の保証はできませんが」

「……最高だ」


 彼の瞳に光が戻った。

 単純で、助かる。


「よし。やる気が出てきた」


 サイラス様はネクタイを締め直し、キリッとした表情に戻った。

 氷の宰相、完全復活だ。


「行くぞ、リリアーナ。礼儀知らずな客人に、王国の『おもてなし』を叩き込んでやる」

「はい、閣下」


 私たちは並んで執務室を出た。

 廊下を歩く足音は、力強い。

 デートを邪魔された恨みは深い。

 帝国の使節団の方々には、覚悟していただこう。


 ……もっとも。

 その「客人」の中に、私の平穏をさらに脅かす厄介な人物がいることを、この時の私はまだ知らなかったのだが。


 窓の外で、黒い魔導馬車の列が、王城の門をくぐろうとしていた。

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― 新着の感想 ―
 最強タッグのお二人のやり取りの中に、緊迫感やユーモアが溢れていて、楽しく読めました。  ブクマさせて頂きました。  応援しています!
まぁ普通に周辺国の物笑いだよな
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