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【短編小説】パネルマジックTokyo

掲載日:2025/12/18

 電車がカーブにさしかかって大きく揺れる。

 座席の端にある鉄パイプに身体が軽く押し付けられるのを感じた。

 昼過ぎの電車は混雑とは程遠く、穏やかな光が窓ガラスから差し込んでいる。

 電車の座席は疲弊した柔らかさでおれを包み込み、どこまでも運ぼうとする。


「どこまでも?」

「あぁ、線路は続くからな」

 おれはおれと喋る。いつものことだ。

 ファイトクラブを卒業すると誰だってそうなる。

「どこまでもって、この電車は」

「円環の理、大陰唇、またの名を山手線と言う」


 おれは独り言を中断する。

 隣の席に知らない女が座ったからだ。

 おれは舌打ちをして座席を立つ。

 鉄道会社が客に座ってもらう為に取り付けた座席を、だ。



 理由はひとつ、シンプルだ。

 世界はクソで埋め尽くされている。

「それは人間が糞尿の詰まった皮袋だからか?」

「ゴータマの言うことは信じないでいい」

 下手を打つと男は女と同じ空気を吸っただけで裁判になる世界だ。

 電車で隣に知らない女がいるなんて冗談じゃない。

「男は存在がハラスメントだと言うね」

「それを原罪と呼ぶ宗教もある」


 思想と宗教が曖昧になった世界の影は陰鬱な色をしている。

 男性専用車両では自認がどうのって言う人間が発生したらしいのをテレビニュースで見た気がする。

 気のせいかも知れない。

 何年か前の疫病流行時代が懐かしい。

 人間同士が適切な距離感を保って生きていた快適な世界を思い出す。


「不潔だったあの頃に帰りたい?」

「帰りたく無い」

 いまだって街は不潔だ。

 いつの時代だって世界は不愉快なクソに埋め尽くされていた。



 電車が小刻みに揺れるて独り言をやめる。



 子どもの頃は大きく感じていた電車の揺れも、大人になると大した揺れじゃないなと感じるようになる。

「それは成長なのか?」

「肉体的には成長と呼ぶが、精神的には服従と呼ぶんだよ」

 慣れてしまえば大丈夫。

 それはヒトラーの始まりかも知れない。


「それは労働のこと?」

「ポルポトは働いたりしない」

 それが感謝と祈りならば白人の拝むそれと同じだ。本質的にはな。

 だから本当なら電車通勤なんてしたくも無いが、朝の満員電車に乗らずに済むと言うだけで今では恵まれている気もする。

 残業も無いし売り上げノルマだって無い。

 納期を守りさえすれば構わない。給料も独りで生きていく分には事足りる。



「働きたくないね」

「でもそれは死んだり入院したりしたいってのとは違う」

 当たり前だ。

 でもインターネットで流行っていたみたいに不動産の売買をして稼ぎ内山の手に棲むほどの気合は無い。

 かと言って地方に移住するほど都会や労働に対する嫌悪感も無い。

 そうやって都会、もっと言えば山手線とか環状線の遠心力に離されないようにつり革に捕まって生きる。

 それは美しくない生き方かも知れない。


「それは老化?それとも服従?」

「生きることは服従だよ、闘争領域でのルールがあるしね」

 それは秩序や掟かも知れないし、思想や宗教かも知れない。

 自由には気合いが必要だけど、自由からの逃走には服従が必要だ。




「あれは?」

「自分だけに都合が良い」

 おれが指差した先で学生たちがつり革懸垂をして遊んでいる。

 自分もあんな頃があったなと思う。

「注意は?」

「する訳ないだろ」

 何故なら、あいつらもいつかは労働者になり、こうやって昼過ぎの電車に乗って知らない学生たちに怪訝な眼で見られたり、懸垂をする学生を観察したりするからだ。



「その頃には自分がどうなっているかは分からないよ」

「長生きが目標じゃないけれど早逝をしたい訳でもないからな」

 誰がどう生きようと構わないが、長生きして欲しくないと願うのは結局のところ自分の親以外だ。

 その時分の親にしたっていつまでも生きていて欲しい訳じゃない。

 適当なところで死んでもらわなきゃ困る。

 社会保障とか遺産とか、関係性とかを早く終わらせてしまわなきゃならない。

 本当に、朽ちるように頭を狂わせて死んでいった祖父母みたいにはなって欲しくない。


「孫の顔は見せられないね」

「先に死ぬよりはマシだと思ってくれ」

 大体、おれだって産まれてくる予定じゃなかったんだ。そういうもんだろ。




 それに育ててもらったとか世話になったとかはあるけれど、それとおれの人生は別の話だ。

 グロリアを買ってもらったからって彼らの人生を面倒見る契約にはならないし、束縛できるような機能はついていない。

 エスペランサがあるとすれば、それはおれに意志があると言う事だけだ。


「適切な距離感だね」

「逃走するまでもない」

「本当に?」

 どうだかな。

 電車は東京都下から中心部へと向かって行く。

 治安の悪い地域がガイドブックに載らないように、長生きの都合悪さはあまり言及されない。

 もう姥捨て山もデンデラも無いのだから海か宇宙に向かって放つしかない。

「いつかは自分も?」

「それはそうだろ」



 デスティーノはきらきらした光だけでは彩られていない。

 グロリアではない、単なる軽自動車かも知れない。

 エスペランサは無いかも知れない。

 騙されたと叫んだ時には手遅れた。

「正しい知識をつけないとね」

「または無知を貫き通すことだ」



 電車が揺れる。

 おれはつり革に捕まる。

 つり革が軋んだ音を立てた。



 あの学生のうち何人かは曲がる電車の遠心力に飛ばされて、どこか遠くに行ってしまうかもしれない。

 もしかしたら来年、いや明日のおれがそうやって飛ばされてしまうかも知れない。

 その時には騙されたと叫ばないようにして生きるつもりだ。

「できるかい?」

「気合いの問題だよ」



 喪服のボタンを留める。

 緩んだボタンを感じて付け直さなきゃなと思うが、喪服なんてのはあまりきちんとしていない方が良いんだろうか。

 電車が大きく揺れた。

「どこまで行こうか」


 返事はなかった。

 からの電車が倉庫に入った。

「おしまい」

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