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第97話 市子との時間に癒される

俺が屋敷に帰ると、邸宅内にいた若い衆は佐々木だけだった。

佐々木はけだるそうな顔で、敷地内の警備をしている。

ヤクザなのに猫背でヒョロヒョロな体形が別の意味で恐ろしさを感じさせた。

俺は脇玄関から屋敷内に入り、自分の靴を玄関収納にしまうと、戻った報告のために声をかけた。

俺の帰りを待ち構えていたのか、すぐ近くの座敷から島田さんが出てきて、俺に深々と頭を下げた。


「お勤めご苦労様です。今日の仕事は、特にありませんので、土方さんはゆっくりされてください」


ヤクザ流のおもてなしに圧倒されるものの、休んでいいと言われるのは正直助かった。

体力というより、メンタルの方が随分削れてしまっている。

俺はくたくたになった体を動かして、何とか小姓部屋まで向かったが、なぜだか玄関が開かなかった。

チャイムを押したり、ドアを叩いてみたりしたが、誰も応答しない。

部屋の中に誰もいないのかと思って、鍵を借りようと警備担当の佐々木のもとに行くと、あっさりと答えられた。


「鍵?そんなものはありませんよ。ドアに鍵がかかっているなら、たぶん内側から市村が施錠したんでしょうね。あいつは休みの日はずっと寝てますから、起きるまでは入れませんよ」


佐々木の言葉に俺は愕然とした。

誰も鍵を管理していないとか、一人しかいないのに鍵を閉めて寝ているとか信じられない環境だ。

佐々木はどうするのかと聞くと、彼は首をかしげてさぁと答えるだけだった。

そして、よくあることだからと気にも留めていない様子だった。

なら俺はどこでこの疲れた体を癒せばいいというのだろうか。

ふらふらと邸内を歩きながら、俺は休める場所を探した。

するとちょうどいいところに縁側があり、俺はそこに腰を下ろした。

そうしてぼんやりとしていると、これまでの疲れがどっと押し寄せてきたのか、体を起こすのも辛くなって、人がいないことをいいことにその場でごろりと寝転がった。

こんなところを楠にでも見つかったらどやされるだろう。

そう思いながらも、目を瞑らずにはいられなかった。



次に目が覚めるころには、辺りはぼんやりと薄暗くなっていた。

縁側に倒れるように眠っていた俺の体は、いつの間にか縁側に沿うような固い場所で寝かされ、頭には枕のような柔らかいものが敷かれているのを感じた。

誰かが気を使って動かしてくれたのかと、目線を天井に向けると、そこには俺を見下ろす市子の顔があった。

それに気づき、俺の眠気は一気に飛んだ。


「……市子」


そう、俺はこの時、市子に膝枕をしてもらっていたのだ。

かわいい女子高生に膝枕なんて夢のような話だが、これもまさに多くを犠牲にしてきた俺の勲章のようなものだった。


「帰ってきたら、敏郎が縁側で倒れてたんだもん。びっくりした。でも、慣れない環境で仕事して、敏郎も疲れたんでしょ?だから、今日はご褒美ね」


市子はそう言って俺の頭を優しく撫でた。

どっちが年下なのか分からなくなるが、この瞬間ぐらいは市子に甘えようと思った。

家族との別れで、今は心が疲弊しているのだ。


「せっかく私たち両想いになって、一緒の敷地内に暮らしてるっていうのに、全然会えないんだもの。ちょっとがっかりしちゃった」


その言葉に、俺はたまらず笑みがこぼれた。


「俺もだよ。寂しかった……」


普段ならこんな弱音のようなものを吐いたりしないのだが、こうして市子の膝の上で寝ていると、つい本音が出てくる。

市子は俺の返事を聞いて、頬を染め、わざと目線をそらした。

市子もまだ、この関係には慣れていないらしい。

お互いに何となく照れ臭くなる。

そして、市子は少しだけ表情を緩め、呟くようにささやいた。


「……敏郎、私のために頑張ってくれるのは嬉しいけど、無理はしないでね。私は敏郎の幸せを奪ってまで幸せになりたいわけじゃないから」


市子の優しさに俺の心はじんわりと温かくなる。

たとえ、市子と会えない日が続いたとしても、市子は俺のことを分かってくれている。

それだけで心は救われるようで、一瞬涙が溢れそうだった。

家族との絶縁がここまで自分の心のダメージになるとは思ってもいなかったのだ。

俺は市子の体に顔をうずめるような形で横になり、顔を隠した。

こんな弱った俺の顔など市子に見られたくなかったからだ。

かといって、強がって見せるほど俺のメンタルは強くない。


「今日……、姉貴と……、家族と絶縁してきた。姉貴もすごく悲しんでて、でも、かける言葉もなくて、逃げるように戻ってきた」


市子はただ優しく俺の頭を撫でながら相槌を打っていた。


「……つらい」


もう、その言葉しか出なかった。

それ以上何か言えば、本当に泣いてしまいそうだったからだ。

市子はしばらくの間、黙って俺を見つめ、優しい声で答えた。


「敏郎の気持ち、私にはわかるよ。当たり前のようにそばにいた家族と離れ離れになるのは辛いよね」


俺は黙って市子の言葉に耳を傾けながら、ただ必死に涙をこらえた。


「こうなったのは私にも原因はあるけど、忘れないでほしいの。今の敏郎の家族は私だから。敏郎は一人じゃないからね」


彼女はそう言って、俺の頭を抱きしめるように覆いかぶさった。

市子の体温を感じて、どこか安心する。

そのどこか寂しい、けれど暖かい空間に浸っていると、どこからともなく鼻をすする音がした。


「いやぁ、あにきぃ、辛いっすよねぇ。俺もつらいっすぅ」


それはどこからともなく表れた小林の姿だった。

小林は俺と市子の会話を聞いて、勝手に感動して泣いているのだ。

俺が泣いていないのに、なんでお前が先に泣くんだよ。


「兄貴と兄貴の家族、仲良かったっすもんねぇ。絶縁なんて悲しすぎっす!」


同情するのはいいが、今の状況を考えてほしい。


「というか、小林。お前、空気読めよ」


今は市子との久しぶりの再会で、やっと二人っきりになっていちゃいちゃしているというのに、お前がいたら台無しじゃないか。


「空気飲め?何言ってんすか。俺ちゃんと空気吸ってますよ」


小林の言葉にこいつには普通の常識が通用しないんだったと改めて実感させられた。

雰囲気とかムードとか読んだためしがない。


「まぁ、いいじゃない。小林も敏郎のこと心配してたんだから」


市子は呆れながらも小林をかばった。

確かに、小林は俺を思って泣いてくれているのだし、あの時、小林が俺の命を救ってくれたから今の俺はここにいられるのだ。

そう思うと、小林に文句を言う気力が失せた。

すると市子は寝ている俺の腰を思い切り叩いて言った。


「それに、明後日にはじいちゃんとの親子の盃があるんでしょ?気を引き締めないと大変なことになるわよ」


あの何とも言えないいい感じのムードが一気に消え去り、説教のような時間に変わった。

俺は叩かれた腰をさすりながら、頭を起こす。


「分かっているつもりだけどなぁ。俺にはどうも馴染みのない行事だからな」


俺は頭をさすりながら答えた。

島田さんも言っていたが、この親子の盃というものが、極道の世界では何よりも大切なものらしい。

そこにはまさしく、任侠というものがあるのかもしれない。

俺からしたら、単なる悪魔の契約だが……。


「大丈夫。敏郎には私がいるんだから、どぉんと胸張ってしっかりやって来なさい。私は敏郎がこの世界でもちゃんとやっていけると思っているし、きっとみんな敏郎を認めてくれる日が来るって信じてるから、自信もって」

「……市子」


市子の言葉に俺は励まされた。

正直、この世界に放り込まれて、今までの常識も通用せず、どこかで孤独を感じていたけれど、市子のその言葉で一気に自信と勇気がわいてきた。

そうだ、俺は市子に選ばれた男なのだ。

そんな感傷に浸っていると、縁側の向こうから小林とは別の男の声が聞こえた。


「お楽しみ中、申し訳ございません。土方さん、明日の予定についてご説明させていただきたいのですが……」


島田さんが肘をついて丁寧に話しかけてくる。

お楽しみ中だと分かっているなら、もう少し気を使ってほしかった。

その話、今じゃなきゃダメなのだろうか。

小林といい、島田さんといい、ここでは市子といちゃつく時間もないようだ。

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