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第82話 取引先に謝りに行く

「申し訳ございません!」


俺は沖田と並んで、取引先の社長に深く頭を下げた。

これで許してもらえるはずがない。

それでもこれが、今の俺たちにできる精一杯の誠意だった。


「君、恥ずかしくないの? こんなことしてさ」


社長は、まき散らされた例の写真を俺に見せつけてくる。

俺は何も言えず、ただひたすら頭を下げ続けた。


「土方君ってさ、結構いい年だよね。この子、高校生? 君と親子の歳ぐらい離れているんじゃない? そんな子に手を出して、世間様に恥ずかしいと思わないの?」


きっとこの社長にとって、俺の情事など興味はないのだろう。

ただ、憂さ晴らしのように俺を傷つけたいだけだ。

俺は再び「申し訳ございません」と頭を下げた。


「謝られてもね、困るんだよ。うちはね、現実に被害にあってんの。変な輩が店を荒らしに来るし、壁にはスプレーで落書きもされたんだよ。近所の評判は下がるわ、売り上げは減るわ、散々だ!

そもそもね、君たちみたいな平社員が謝りに来てどうこうなるものじゃないでしょう。社長はどうしたの? 社長は。社長自ら、頭下げに来てもらわなきゃ、話できないでしょ」


彼はそう言って、俺たちの前に掃除道具を投げつけた。


「警察には届けを出しているけどね、壁の落書きは消えてないんだよ。君たちの責任なんだから、ちゃんと消して帰ってくれよ」


俺たちはそれを拾い上げ、「すぐに消します」と答えた。

しかし、それだけでは収まらなかったのか、社長はさらに俺を罵倒し続けた。


「僕はねぇ、もとから君のことはどうかと思ってたんだよ。いつもパッとしない態度だし、へらへらと愛想笑いばかり振りまいてさぁ。だから、万年平社員なんだよ。おまけに君、結婚もしてないんだってね。その年で所帯も持てないなんて、男として情けないと思わない? どおりで責任感がないわけだ」


そして社長は何かに気づいたように一旦嘲笑し、さらに続けた。


「ああ、だから、未成年なんかに手を出したの。憐れだねぇ。これが独身年増男の成れの果てか」


社長はそう言って、大笑いし始めた。

ここまで言われるとさすがに反論したくなるが、俺はその衝動をぐっと抑え込んだ。

こうなったのも、俺の責任だ。

世間が俺をどう見るかなんてことはどうでもいい。

問題なのは、俺のせいで他の同僚たちに迷惑をかけていることだ。

今頃、近藤さんや永倉君が他の取引先に頭を下げに行っている頃だろうし、会社では苦情の電話が殺到しているかもしれない。

そう考えるだけで、居たたまれなかった。

しかし、俺より先に異を唱えたのは、隣にいた沖田だった。


「土方さんはそんな人じゃありませんっ! 社長だって、被害が出るまでは土方さんのこと、いい人だって思っていたでしょ? 断じて土方さんに実力がないから役職がないわけではありません。俺にとっては尊敬するいい先輩です!」

「……沖田」


まさか、沖田がそこまで俺を思ってくれているとは予想外で驚いた。


「なに、君、沖田君だっけ? 君、謝りに来たの? それともうちに盾突きに来たの?」


社長はその態度が気に入らないのか、今度は沖田に感情をぶつけてきた。

すると、沖田はひるみもせずに答える。


「謝りに来ました! 俺たちのせいでこんなことに巻き込んでしまって申し訳ありませんでした! けど、何を言われたかは知りませんが、土方さんについては事実無根です!

俺が知る限り、土方さんは誰よりも真面目で誠実な、いい営業マンです!」


知らないのかよと、思わず心で突っ込んでしまったが、沖田の誠意は伝わった。

相変わらず沖田の言葉は突っ込みどころ満載だが、今はありがたい。

社長も言い返すのが嫌になったのか、苦虫を噛み潰したような顔をして店に戻っていった。

俺たちは荷物を適当な場所にまとめ、落書きを消す作業を始める。

俺はブラシを動かしながら、沖田にお礼を言った。


「さっきはありがとな。俺のこと、庇ってくれて」


すると、沖田は不器用な掃除の仕方ですっかりずぶ濡れになった姿で、笑って答える。


「別にいいっすよ。事実なんで!」


沖田はトラブルメーカーではあるけれど、悪いやつじゃない。

むしろ沖田ほどいいやつを俺は知らない。

いつもは迷惑ばかりかけられ、不満に思うことは多いが、こういう土壇場では心強い味方だ。

実際に沖田のこのまっすぐで嘘もごまかしもしない馬鹿正直なところが気に入って、取引をしてくれている会社もなくはないのだ。

最初こそ不安を覚える営業マンではあるが、彼の人となりを知れば、好きになる人は多い。

だからこそ、沖田は今までうちの営業マンとしてやれていたのだろう。

改めて沖田という人物を心の中で再確認していると、横から声をかけられた。


「じゃあ、一旦洗い流しちゃいますんで、ホース持ってきますね」


彼はそう言って、店の端にあるホースを手にする。

そして何も考えずに蛇口を捻ったために、ホースの先端が暴れ出し、俺の体にかぶった。

おかげで俺は沖田以上にずぶ濡れだ。

大して汚れは落ちなかったのに、俺たちがあまりに汚れていたので、そんな俺たちを見て社長が呆れた表情になり、後日改めてペンキで塗り直すように言ってきた。



取引先からの帰り道、近藤さんと永倉君に遭遇した。

俺たちのびしょ濡れになった様子を見て、近藤さんは同情の眼差しを向ける。


「お前ら、水までぶっかけられたのか。ひでぇな」


そうではないのだけれど、今はそういうことにしておきたい。


「本当にご迷惑おかけして申し訳ありません」


俺は改めて近藤さんに頭を下げた。

同時に沖田や永倉君にも謝罪する。

すると、近藤さんはそんなことは気にするなと俺の頭を上げさせた。


「そういうこともあるだろう。それよりもそっちはどうだった?」


その言葉が近藤さんなりの励ましだと理解しつつ、答える。


「俺たちが謝りに行ってもどこの社長も納得してくれませんでした。同情してくれた会社の方もいたんですが、事情が事情なので……」

「そりゃ、そうだよな。暴力団に目をつけられて、利用されただけならまだしも、未成年に手を出したって言われちゃ、返す言葉もないよな。倫理的な問題については世間は厳しいからな」


近藤さんの言葉はもっともだと思う。

会社や個人が目をつけられて、こういった騒ぎになったのなら、まだ企業側も同情してくれる。

しかし、俺自身が不祥事を起こしたと言われてしまえば、言えることはないのだろう。


「それに被害は本格的だからな。店の売り上げを盗られたって店もあるし、商品を根こそぎ持っていかれたっていうところもある」


それを聞いて、俺は驚愕する。


「本当ですか!? それはもう、嫌がらせの範疇を超えているじゃないですか!?」

「そうだ。当然、警察に被害届を出しているようだが、相手が小野組を名乗ってるからなぁ。気安く手は出せないんだろう」


近藤さんの言葉を聞いて、横にいた永倉君が話に加わった。


「小野組ってそんなにやばいんですか?」


それはもっともな質問だ。

俺も名前こそ聞いたことはあるが、実態は知らない。


「そっか。お前らの時代のやつらはあんまり知らないんだったな。小野組はそこらのチンピラ集団とは違う。ただの暴力団じゃねぇ。噂に聞く限り、どうやら裏社会を仕切っている政界に精通した組織とも言われているらしい。今こそおとなしいが、昔はその組の名前を上げるだけでみんなびびって話もできねぇぐらいだったよ。だから、取引先もあっちに被害を訴えるより、うちに苦情を言うほうが早いっていうわけさ」


俺はまさか、市子の実家がここまで大きい組織だとは知らなかった。

市子の護衛は小林一人だし、そんな重々しい雰囲気はなかったから、気が付かなかったのだ。

俺はとんでもない人物たちと関わっていたようだ。


「で、お前、本当にそのお嬢ちゃんには手を出してないんだよなぁ?」


近藤さんに改めて尋ねられ、俺は慌てて訂正する。


「してませんよ! 神に誓って言い切れます」


俺はそう言い切ったが、この間のプールでつい市子の腕を掴んでしまったことを思い出した。

完全非接触かと尋ねられたら困る。


「まあ、俺も土方が安易に未成年に手を出すようなやつだとは思ってないけどよ。しかも、相手が悪い。世間様はそういうことに厳しいからな、お前のこれからの風当たりは一層きつくなるぞ」


近藤さんはそう言って、俺の肩をポンと叩いた。

俺は顔を上げられず、今後について不安を抱いていた。

すると、相変わらずマイペースな永倉君が何かに納得したように手を叩いた。


「ああ、なるほど。だから、近藤さん、あんなに優美な身のこなしだったんですね。僕、初めて見ましたよ、あんなにきれいな土下座」

「え?」


一瞬、永倉君が何を言っているのかわからなかった。


「知らないんですか、土方さん。近藤さんの華麗な土下座。一回や二回の経験じゃ、あんな所作はできませんよ。ベテランのなせる技って感じでした」


俺から見えたのは近藤さんの後ろ姿だけだったが、彼の悲壮感に満ちた背中が痛々しかった。

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