第78話 俺の本当の気持ちを伝える
俺たちは人けの少ない廊下の木陰で向き合って立っていた。
しかし、目線を合わせることが出来ず、互いに顔をそむける。
なぜ、突然このタイミングで里奈が俺に告白してきたのかはわからない。
けれど、里奈が俺のことを好きかもしれないという予測は、できなかったわけではなかった。
その可能性は考えていた。
しかし、それでも俺はあえてそれを考えようとはしなかったのだ。
考えたところで、どうしようもないとわかっていたから。
俺はこんな時、女の子にどんな言葉をかけていいのかわからない。
「さっきの言葉、冗談とか嘘じゃないから……」
里奈は顔を背けながらもぼそりと俺に伝える。
俺も小さく頷いた。
「……わかってる」
今更、聞かなかったことにもしないし、誤魔化そうとも思っていない。
それが意味のないことだということは、この数年で十分学んだことだ。
「敏郎はうちのことどう思ってんの? やっぱり高校生なんてガキだから、恋愛対象として見てないって思ってる?」
里奈の率直な質問に戸惑いながらも、自分を落ち着かせ、冷静に、そして誠実に答えようと思った。
「ガキなんて思ってない。確かに昔は、20歳以上離れた子供なんて相手にしなかったけど、今はそんな風に考えてない」
「――なら!」
里奈は勢いよく顔を上げて、俺と目が合った。
まるで縋るような強い眼差しだった。
「うち、もう嫌なんだよ。他の女の人のことで敏郎が右往左往しているのを見るのが。敏郎にうち以外の女性なんて見てほしくない。いつか敏郎が他の女性に取られるんじゃないかって怖いんだよ……」
里奈はつまり、今まで俺が涼子や大村さんに心を乱されているのを見て焦ってしまったということだろう。
もし俺が、目の前に好きな人がいて、その人が別の男に囚われていたら、里奈と同じように思うと思う。
相手の気持ちがわからないからこそ、不安になるのだ。
ただ、好きでいる。
それだけで良かったのに、何も変わらない日常ならそれで十分だったのに、自分の周りは変わらなくとも相手の世界は変わっていく。
どこか遠くに行ってしまいそうで不安な気持ちは十分に理解できた。
そして、俺はもう里奈のその真っ直ぐな気持ちから目を逸らすのはやめようと思った。
「うちじゃだめなの? やっぱり敏郎は年の近い女性じゃなきゃダメ?」
里奈の質問に俺は首を横に振った。
「うちのことは女として見られない? 魅力ないのかな?」
俺はこの質問にも大きく首を振った。
里奈に魅力がないなんて、そんなことはありえない。
里奈はどこからどう見てもいい女だ。
優しくて、気遣いが出来て、弟思いで、頑張り屋で、案外素直でまっすぐだ。
すぐムキになるところはあるが、そこもまた可愛い。
里奈に文句なんてあるはずもない。
「じゃあ、なんで? まだ敏郎はあの大村って人が好きなの?」
それも、少し間をあけて、違うと首を横に振った。
もう、大村さんに未練はない。
しかし里奈になんて自分の気持ちを伝えていいのかがわからなかった。
「……もしかして、他に好きな人がいるとか?」
勘の鋭い里奈ならきっと気が付いている。
俺が里奈を好きになれない理由は、里奈が女子高生だからじゃない。
彼女が特殊な環境にいるからでもない。
年齢なんてもうどうでもいいんだ。
世間体がどうだとか、世間の批評がどうだとか、そんなことはもう飛び越えてしまっている。
俺は大人として正しくない選択をしてしまっているのかもしれない。
それでももう、嘘をついて生きるのはやめようと思った。
少なくとも自分には……。
俺は顔を横に振れなかった。
ただ黙って、足元を見つめていた。
里奈の顔がまっすぐに見られない。
「……市子、なんでしょ?」
その言葉に俺は息が詰まりそうになった。
里奈はそこまで気が付いていたのだ。
だって、それはあまりにも残酷な答えだ。
大好きな相手が親友を好きだなんて、普通の女の子なら耐えられない。
ただ、里奈との交際を断ることだけなら出来たかもしれない。
でも、俺の口から市子が好きなんて言えなかった。
否定しないことだけで精一杯だ。
里奈の瞳から涙が流れているのが分かった。
それでも俺は里奈の顔が見られなかった。
里奈は特別だから。
市子とは違う意味でも、俺にとって大切な友人で守りたい人。
里奈を悲しませるようなことはしたくなかった。
ただ、彼女には幸せであってほしかった。
俺はかき消えそうなほどのか細い声で言った。
「……ごめん」
無責任でいたいわけじゃない。
市子への思いを隠したいわけでもない。
こうして俺が里奈を悲しませていることに耐えきれないんだ。
このまま嫌われたっていい。
罵声ならいくらでも聞く。
最低だと思えばいい。
女子高生を、25歳も離れた女の子を好きになった俺を軽蔑したっていいんだ。
それで里奈が俺を嫌いになって、諦めて、他の男と新しい幸せを手に入れればいいのだ。
身勝手な願望だと思う。
けれど、俺には里奈を男として幸せにできないのは知っているから。
もう、俺の顔なんて見たくないだろうと思って、彼女に背中を向けた。
そして、離れようとした時、彼女の方から抱き着いてきた。
お互い水着だ。
肌と肌が密着する感覚がリアルに伝わってきた。
里奈は俺の背中に顔を埋めるようにして、泣きながら話始めた。
「……そんなの、そんなのとっくに気が付いていたよ。敏郎がうちのこと、恋愛対象として見ていないの。本当はうちじゃなくて、市子が好きだってことも。でも、知りたくなかった。気が付きたくなかった。知らないふりしてずっと敏郎を好きでいたかった。でも、それができないんだよ。敏郎の市子を思う気持ちが伝われば伝わるだけ苦しくて、このうちへの優しさが他の女性にも向けられているのが悔しくて、どうしてうちが敏郎の特別じゃないんだろうって思っちゃって、気持ちがざわざわするの。答えなんてわかってるのに、言わないなんてできなかった。敏郎にはうちが敏郎を好きって知っていてほしかった。だから、せめて……思い出が欲しかったんだよ」
その言葉を聞いて、あのプールの中のキスを思い出した。
里奈にとって、あれが自分の親友のことが好きな男に対して出来る最大のアプローチだったのかもしれない。
里奈の気持ちがわかるからこそ、俺もつらいのだ。
「……里奈、ありがとな。お前みたいな可愛い女の子に好きだなんて言われて、本気で嬉しいんだ。でも、俺は決めた。この気持ちをあいつに伝えられなくても、俺はあいつを好きでいようって。あいつへの気持ちを誤魔化して、他の女性に逃げるのはやめようっておもったんだ」
その言葉で里奈は俺の背中に拳骨を叩きつけた。
普通に痛かった。
「ほんと、バカ。不器用。真面目過ぎて引くわ」
里奈の正直すぎる発言に自分でも笑ってしまいそうになった。
その言葉、大村さんにも言われた気がする。
「自分から損する生き方選ぶとか、そんなおバカはきっと世界でも敏郎ぐらいだと思う」
「そうかもな」
俺も背中越しに答える。
「だから、余計に悔しい」
最後の気持ちが里奈の本音なのだと悟った。
きっといつかはこんな日が来たのだ。
案外俺っていう男は女泣かせだったんだなと思う。
昔はそんな男に憧れていたのに、実際自分がそうなると辛いばっかりでいいことだけじゃないなと感じた。