第77話 女子高生に告白をされる
流れるプールを見ていると、どうしても流しそうめんを思い出してしまうのは俺だけだろうか。
昔、家でもできる流しそうめんという、おもちゃのような家電が出回ったことがあった。
それを見て俺は、同じところをぐるぐる回るだけのそうめんじゃ、流しそうめんとは言えないだろうと思っていた。
だからこうして、人が同じ枠内をぐるぐる回る光景を見ると、どうもそうめんを食べたくなる。
そんなことをうだうだと考えている間に、里奈と市子が帰ってきた。
満足したのか、その表情は軽やかだ。
「そろそろお腹すいてない? 向こうにお店あったよね」
里奈はそう言って、持っていた浮き輪をサンシェードに置いて、俺の腕を引っ張った。
里奈の笑顔の先から、昼飯を奢れというシグナルを受け取る。
こういう時ばかり年上扱いしやがって。
かといって、20も離れている子たちに払わせるわけにもいかない。
小林も想像以上に若かったしな。
「わかった」と言って立ち上がり、4人で売店に向かった。
アイスクリームやドリンクなどの定番以外にもいろいろあるようだ。
看板に掲げられているメニューを見ながら、何にしようか悩んでいると、さっそく里奈が決断したのか、大声で商品を頼んでいた。
「ソパ・デ・リマください!」
それに合わせるようにして、市子が頼む。
「あ、じゃあ、私はカオスエ・ジョーで」
……なんだって?
「俺、おっきりこみで!」
もう、何が何だか分からなくなった。
それは何の料理なんだ。
名前だけ聞いてもさっぱりわからなかった。
すると、里奈が受け取った商品を見せながら答える。
「え? メキシコ料理じゃん。知らないの?」
メキシコ料理なんて、平凡なサラリーマンが知るはずもない。
なんだかとても美味しそうなスープだけれど、プールサイドで食べるものなのだろうか。
「野菜も入った鳥スープだよ。ライムがきいて夏にはぴったりだよね」
里奈はふんふんと鼻歌を歌いながら、座れそうなテーブルを探しに行く。
そして、商品を受け取るために待っていた市子も看板を指さして、答えた。
「ミャンマー風焼きそばって感じかしら。食べやすいと思って選んだんだけど」
確かに焼きそばっぽいものの上に目玉焼きの乗った美味しそうな料理だけど、どうしてプールサイドの売店にミャンマー料理が置いてあるんだよ。
普通の焼きそばでいいじゃないか、日本の焼きそばで。
一番意味わからないのが、小林の頼んだ『おっきりこみ』だ。
「兄貴、知らないんですか、おっきりこみ」
小林は不思議そうな顔をして俺の顔を見たが、そういうことじゃない。
「知ってるよ。秩父の郷土料理だろう? 俺が理解できんのは、なんで秩父の郷土料理がプールサイドで売ってるかってことだよ。多国籍料理かと思ったら、今度は郷土料理かよ! どんだけグローバルなんだよ、ここの売店は!!」
奇妙に思うのは俺なのだけだろうか。
近年、いろんな国の料理を食べられるようになってきたのは事実だが、それをさも当たり前のように語られても困る。
俺は全く知らないのだ。
「兄貴、おっきりこみと煮ほうとうを同じもんだと思ってるんでしょう? 似てるけど違うんだなぁ」
小林はそう嬉しそうに語るけど、今の俺にはどうでもいい。
どの料理もプールに来て食べるものには思えないだけだ。
俺の想像だと焼きそばとかラーメンとかうどんあたりだと思っていた。
百歩譲って、ライム風味の爽やかなスープや焼きそば風料理はまだいい。
美味しいといえども、真夏におっきりこみはないだろう……。
俺はそれ以上、考えるのを辞めて、適当な売店の列に並んで焼きそばを頼んだ。
そして、俺がテーブルに着いた頃にはみんな食べ終えていた。
もう少し待ってやろうという気は、こいつらにはないのか。
俺は深いため息をつきながら、一人焼きそばを食べるのであった。
しばらくの間、プールには入らずゆったりとしていると、市子がお手洗いに行くと立ち上がった。
同時に小林も立ちあがり、自分も行くと言い出した。
そして、この瞬間、俺と里奈が二人きりになった。
女子高生と二人きりになるのはだいぶ慣れた方だと思うが、さすがに水着姿だと緊張する。
俺はあまり里奈を見すぎないようにして、目の前で流れていく人の群れに目を向けていた。
すると、里奈が再び俺の腕を引っ張って、話しかける。
「ねぇ、あっちのプールに行こうよ。敏郎、あんまり遊んでないでしょ?」
確かに里奈の言う通り、俺はプールに来てもあまり中には入っていない。
「いいよ、俺は。泳ぐほどの体力ねぇし」
「何言ってんの。そんなんだから、どんどん老け込むんだよ」
遠慮する俺に容赦ない一言で誘い出そうとする里奈。
俺は仕方なく里奈の誘いを受けることにした。
プールに入るのはいいのだが、問題は市子たちだ。
ひとまず市子たちを待とうと提案したが、里奈の足は止まらなかった。
「いいの、いいの」と言って、俺の腕を引っ張りながらプールに向かう。
俺も施設内にいれば問題はないかと思い、止めるのは諦めてそのまま里奈についていくことにした。
そして、俺たちは少し深いプールへと入る。
ここにはさすがに小さな子供はいないようだ。
「敏郎、カナヅチとか言わないよね?」
里奈はからかうように俺に言った。
俺もむきになって言い返す。
「なわけねぇだろう。俺は学生の頃、水泳部より早かったんだぞ」
すると里奈はプールの中でいつものようにケラケラ笑い出した。
「絶対、嘘! 敏郎、運動神経いいイメージないもん」
本当に失礼な奴だと俺は里奈を睨みつけた。
このまま言われっぱなしなのも癪なので、証明してやろうとプールの端に立つ。
「今から俺の泳ぎを見せてやる。ちゃんと見てろよ」
俺は里奈に向かって指を差し、そう宣言して、クロールを泳ぎ始めた。
最初は良かったものの、久しぶりの水泳はさすがにきつい。
泳ぐのがここまで体力を使うものだったと改めて実感した。
そして、25メートル先につく前に足がついてしまい、俺は顔についた水滴を拭いながら立ち上がった。
しかし、立ち上がった先に里奈が見えない。
「やっぱり見ていなかったじゃないか」と落胆していると、下から突然、何かに引っ張られる感覚がして、俺は再びプールの中に沈み込んだ。
最初は驚いて、水の中で藻掻いていたが、目を開けて水中を覗いてみると、目の前に里奈の顔があった。
里奈のいたずらだと知って、呆れていると、ゆっくり里奈の顔が近づいてくる。
彼女は俺の顔を掴み、そのまま自分の唇と俺の唇を重ねた。
一瞬、俺たちの周りの世界が止まった。
水の中はとても静かで、木漏れ日のような光がプール底で揺らめいているのが見えた。
目の前で里奈の髪がゆっくりと揺れている。
この時初めて、俺は今、里奈とキスをしているのだと自覚した。
水の中という誰も見ていないであろう場所で、彼女が俺にキスをしたのだ。
気が付いた瞬間、口から息が漏れて、急いで立ち上がった。
同時に里奈の体も水面から上がる。
俺たちは息を切らしながら、お互いに見つめ合った。
「……お前、何を……」
俺はそれ以上の言葉が出なかった。
信じられなかったのだ。
まさか、里奈からこんな場所でキスをされるなんて思わなかったのだ。
「敏郎は鈍いんだから、こうでもしないとわからないと思って」
里奈のその言葉は力強かった。
俺に自分の気持ちに気づかせようとしていたことに今、気が付いた。
確かに俺は鈍いかもしれない。
しかし、そういうことではないのだ。
里奈が俺のことを好きなことに問題がある。
「うちは本気だよ。敏郎はうちらのことなんて子供だって、すぐにあしらうけど、うちはもう子供なんかじゃない。一人の大人の女として、敏郎が好きなの」
その真っ直ぐな言葉に俺は再び言葉を失った。
少し前に大村さんに告白されて、そう経たないうちに里奈からも告白される。
「今頃、モテ期なんて来てんじゃねぇよ」と心の中で叫びたかった。
「敏郎も真剣に考えてよ。うちをちゃんと女として見て。来年になれば、うちも成人する。受験はするけど、大学には行かない。自立するの。だから、問題ないでしょ? うちは敏郎の彼女になりたいんだよ。敏郎の側にいるのはうちでありたいの」
彼女の話に聞き入ってしまったが、こんな人の多い場所で話す話ではない。
俺はひとまず里奈の腕を引いて、少し人の少ない場所へと急いで移動した。