第74話 永倉君の壮大な抗議が始まる
俺はこの時、永倉君へのアドバイスが間違っていたのではないかという疑念に囚われた。
彼が出社したのは、ファミレスで話してから三日目のこと。
始業時刻から、数分後のことだった。
会社の扉が勢いよく開いたと思った瞬間、現れたのは金髪を逆立て、異様なメイクを施したパンクファッションに身を包んだ永倉君だった。
俺のイメージでいうと、1980年代に流行したヘヴィメタルバンドのようだ。
なぜ、その恰好で出社したのかは謎だし、世代的に彼がこの世界を知っていたのも意外だった。
彼は周囲に睨みを飛ばしながら、大股で松平課長の席に近づいてくる。
松平課長もあまりにも予測不能な状況に、あっけにとられて声も出ない様子だ。
「僕はあんたに言いたい! あんたの働き方やビジネス精神は間違っている!!」
どこから取り出したのか不明だったが、電源の入っていないマイクを握りしめ、課長の前で叫び始めた。
これが彼なりの直談判なのかもしれないが、異例の主張に協力すると言った俺自身も、驚きのあまり思考が停止していた。
「僕たちは生活のために働いているんだ! あんたたち上司を喜ばすために働いているわけじゃない! 僕たちに勝手な期待をして、勝手な常識を突き付け、勝手な固定観念で押し付けるのはやめてくれないか。それは立派なパワハラだぜ!」
なんだか、段々と口調までがラップ調のようにビートを刻み始めた。
ヘヴィメタルスタイルでラップとは、斬新すぎやしないだろうか。
「同世代がどうかだなんて僕には関係ない。どうして個人を見やしない。物事を一括りにして、偉そうに語るのは何か違うと思わない? サービス残業、プライベート接客、仕事の備品自己負担。全てが間違ってるって考えたことないのかい? あんたの業績、あんたのやり方、今の世代には通用しない。僕たち、会社の家畜じゃない。古い風習見直して、新しい働き方改革を入れないと、新入社員なんて入りゃしない」
ビートに囚われすぎて、内容が頭に入ってこないのだが、どうも今の会社の働き方に問題があると言いたいらしい。
中小企業だろうと働き方改革は必要だと訴えているようだ。
松平課長も言葉を失っているのか、開いた口が塞がらなかった。
「僕は営業なんてしたくなかった。でも、ここしか入るところがなかった。そして、入ってわかったことは、この会社の働き方は効率が悪かった。なのに、部下の意見を聞く気がなかった。無力感しか感じなかった。それもこれも僕だけの所為といいたいのか?」
やっとのことで松平課長も落ち着いたのか、小さく息をついて、ずり落ちた眼鏡を指で押し当てると、静かに永倉君に答えた。
「永倉。年上に『あんた』は失礼だろう」
いや、他に言うことたくさんありますよね?
心の中で俺は松平課長に尋ねた。
「それで、永倉君はこの会社辞めるの? 辞めないの?」
その言葉に永倉君も唾を飲み込み、姿勢を正して答えた。
「辞めません! 僕は自分をロストで終わらせたくないんです。僕だけでもウィンで終わらせてから辞めたいんです」
その意見を聞いて、松平課長は目をまんまるに見開いた。
「そういうところが自分勝手だとは思わないのか?」
「思いません。僕は僕のために生きているんです。課長だって自分のために働いているのでしょう? 僕は長い付き合いだからって浮島食品加工会社に媚びを売りたくありません。最近の浮島の業績は悪く、うちとの取引も滞っている。あっちは完全にこっちを嘗め切っていますよ。このまま、古い付き合いなんて言い分で付き合っていたら、請求未払いなんてことだって起こりうるんです。倒産して逃げられるのが落ちですよ」
意外な答えに俺は驚いていた。
案外、彼は会社のことを見ている。
「そんなことはない。うちと浮島さんのところは深い信頼で結ばれているんだ」
「そんなものは時代と共に変わります。それに今の浮島社長は二代目です。信頼関係を築けていたのは初代の頃だったんじゃないですか? 浮島課長は僕に言いました。『平松さんとはいい関係を築けている。自分が言えば、平松さんがどうにかしてくれる』と。そう言って、僕の考えを頭ごなしに否定し、都合のいい条件を付けてきました。そんなことも知らないあなたは、僕の話を聞くどころか一方的に決めつけて説教し、『新人だからわかってない』とか、『君は社会の何も理解していない』とか言って、考えようともしませんでした。僕はあなたのような上司とは働きたくない。だから、辞めようと思ったんです」
松平課長は永倉君の意見に鼻で笑って見せた。
俺はそれを見て、不快な感情が込み上げてくる。
「そんなたった一回のことで辞めようとするなんて、君に根性がなかっただけだろう。そうやって嫌なことがあればすぐに辞める。リセットする。それで人生生きていけるなんて思える君のような若者の考えなんて、俺にはわからんね」
俺はぐっと下唇を噛んだ。
俺たちだって、黙って理不尽を受け止めてきたわけではないのに、今まで問題視されなかったことをいいことに、松平課長が妙な自信をつけているのが不愉快だった。
「若者だからこうだとか、自分とは違う考え方だからわからないという言葉で片付けるのも違うんじゃないんですか?」
俺は席から立ち上がり、松平課長に意見した。
彼は不服そうな顔で俺を睨みつけてくる。
「お前まで何を言い出すんだ。指導係が新人に触発されてどうする。新入社員に道を示すのが先輩の仕事だろう?」
「そうでしょうか? 確かに永倉君の考えが世間では通用しないこともあります。どんなに主張したところで認められない現実もある。だからって、頭ごなしに『お前は間違っている』というのは違うと思います。うちの働き方が古いのは本当じゃないですか。世間で騒がれているサービス残業の有無も厳しくなっている。ちょっとしたことがパワハラだと認められてきている時代なんです。松平課長の言うことは一見、正しいですけど、それは俺たち平成の時代だったからこそ認められたこと。今は違うんです。俺たちの頭の中もアップデートしなければいけない時期が来たんですよ」
その言葉に松平課長は吐き捨てた。
「ばかばかしい。何がアップデートだ。少子化が進んで、今の若者に俺たち世代の大人が頭が上がらなくなっただけだろう。若者に媚びを売るのが俺たちの仕事か? そうじゃないだろう。こういう世間の分からん奴に正しい道を示してやることが、年長者の使命だと俺は思うけどな」
「さぁ、それはどうでしょうかね」
そう答えたのは意外にも近藤さんだった。
「俺たち営業だって、松平課長のやり方が正しいなんて思って模範にしたことはありませんよ。課長の実績は確かに素晴らしいです。けど、それは課長だから出来たことだし、時代がそうさせたのもあります。昔のやり方が今の営業に通用するとも限らない。俺らは昔と今を見て微調整しながら営業やってんですよ。でも、そんなの上司に言えるわけもないでしょ?」
近藤さんはそう言って笑った。
ここぞとばかりに本音を言っているように見える。
「それに、今のままじゃだめだと思っているのは、永倉だけじゃないですよ。俺も土方も沖田だって思ってる。古い付き合いとか、信頼関係とか、そういうのが通じなくなって、社員の負担ばっかり増えれば、きっとそのうち立ち行かなくなります。最近営業に来たばっかりの課長にはわかりづらかったかもしれませんが」
ちょっとしたスパイスのように近藤さんは嫌味を付け加える。
この人は本当に部下が攻撃されるとつい庇ってしまう人だと思う。
たとえそれが自分に不利になるとしても見過ごせないのだ。
「お前、そんなこと言って評価につながるとは思わないのか」
松平課長の厳しい目が近藤さんに向けられる。
近藤さんは平然とした顔で答えた。
「いいえ、思ってますよ。それでも俺はあなたがそこにいるかぎり、昇進は出来ないんです。それに営業部の評価の大半は売上実績ですからね。それさえマスターしていれば、大した問題ではありませんよ」
近藤さんの強気な姿勢に松平課長は「ふん」と鼻を鳴らして、数秒間黙った後、永倉君の方を見つめて言った。
「永倉、その服装、着替えてこい。それとメイクも落とすように。明日までには髪も黒に戻せ」
そして、それ以上は何も言わなかった。