第71話 斎藤さんから相談を受ける
無事に熱海旅行から戻り、家族へのお土産を買って帰った。
姉の家には熱海名物温泉まんじゅうを買い、勇志と晴香にはそれぞれ富士山の形をした色違いのマグカップをプレゼントした。
勇志はそれなりに喜んでくれたようだが、晴香は微妙な顔をしていたらしい。
せっかくだから女子高生二人組にもお土産を買って帰ってやろうと思ったのだが、何を買っていいのかさっぱりわからなかった。
隣で斎藤さんが「かわいい!」と絶賛し、爆買いしていたキャラクターのストラップを買った。
浴衣姿のゆるキャラおじさんのストラップだったからか、二人は全く喜ばなかった。
里奈はそれを見て爆笑した後、更に「センスない!」と貶し、市子は無言で小林に渡していた。
なぜだか小林だけはそれを喜んでいて、今どき珍しいガラケーにつけていた。
人があげたものを速攻で人にやるなんて、人としてありえない行為だ。
まぁ、結局、俺には土産のセンスがないということだけがわかった。
それからは平和な日々が続いた。
大村さんとの関係は、何もなかった頃に戻ったような絶妙な距離感だ。
今はあくまで良い同僚として接してくれている。
それを見て、近藤さんはすっかり俺が振られたと思ったのか、その日は昼のかけうどんを奢ってくれた。
奢ってくれるのは大変ありがたいが、せめて肉うどんぐらい注文させてほしかったと思う。
そんな日々が過ぎ、元の日常に戻りかけたころ、俺のもとに険しい表情をした斎藤さんが現れた。
そして、俺の前に仁王立ちし、話しかけてくる。
まさか、俺と大村さんのことを勘づいて、俺に文句を言いに来たのかと思った。
斎藤さんが指導係の大村さんのことを心から尊敬していることは、花見の時にもよくわかった。
常日頃から大村さんの近くにいる斎藤さんなら、もしかしたら俺たちの関係に気づいているのかもしれないと思ったのだが、それはあまりにも杞憂だったようだ。
「営業部の敏腕社員の土方さんに、ぜひともご相談したい話があります」
俺はその言葉を聞いて度肝を抜かれた。
どこで聞いたんだよ、そんな話。
「俺は別に敏腕社員じゃないから。近藤さんの方が社歴は長いし、実際、営業実績で一番だったのは芹沢課長だからね。それ、誰から聞いた情報?」
俺に聞かれて、斎藤さんは懸命に思い出そうとしていた。
「確か……、新庄さんです。数分悩んだ末に教えてくれました」
その話を聞いた瞬間、なんだか新庄さんには悪いことをしたような気がする。
今の営業部に敏腕と言える社員はいない。
何とかひねり出して、俺という選択になったのだろう。
きっとみんな知らないだろうが、うちの会社には元営業部のエースがいる。
それが今回、営業部の課長になった松平課長だ。
芹沢課長と松平課長が仲が悪かったために、松平課長が広報部に異動させられたらしい。
なぜ仲が悪かったのか今では謎だが、そう考えると営業部の課長が近藤さんでなく松平課長になった理由に納得できた。
別に近藤さんがダメ社員というわけではないのだ。
それでも、課長になれなかった近藤さんの評価は落ちているのだろう。
近藤さんには同情してしまう。
「敏腕社員ではないけど、俺で良ければ相談は乗るぞ」
「本当ですか!」
俺の返事で斎藤さんは急に嬉しそうな顔になった。
しかし、事務員の斎藤さんが営業部の俺に何の相談だろうか。
もしかして、日頃の営業部の仕事態度の悪さに苦情を言いに来たのではないかと思い、少し身構える。
斎藤さんは辺りをきょろきょろ見渡したあと、できれば人の少ない会議室で話がしたいというので移動することになった。
そんなに言いにくい話なのだろうかと、さらに不安になる。
改めて隣同士に座り、斎藤さんは緊張しながらも話し始めた。
「どうしたら、私のような人間でも昇進できるでしょうか」
勢いよく言ったその言葉に俺は唖然とする。
突然、何を言い出すんだ?
「ちょっと待って。急に何?」
「私、出世したいんです!」
若者が向上心を持っているのは素晴らしいが、そのセリフはむしろ永倉君から聞きたい発言だった。
斎藤さんは事務部の社員だ。
昇給は不可能ではないが、それを営業部の俺に相談に来る理由がわからない。
「いや、それは事務部担当の課長に話したほうがいいんじゃ……」
「だから、事務部じゃダメなんです! 出世しても事務長止まりじゃないですか。事務長なんて名前だけで、実際には係長にも匹敵しないんですよ。私はこれからバリバリ働いて、出世したいんです」
確かにうちの事務で事務長以上になるのは不可能と言ってもいい。
今の課長も他の部署との兼任だ。
現在の事務のトップは平社員の大村さんだし、経理は新庄さんがメインで仕事をしてくれている。
実際、今は事務長すらいない状態だ。
しかし、斎藤さんが言っているのは、おそらく課長クラスにまで昇進したいという話だろう。
やる気があるのはいいが、それはあまり現実味がないような気がした。
「とは言っても、事務部から課長になった人を俺も知らないしな。そもそも、俺も社歴が長いだけで平社員だからね。そんな俺に昇進の話をされても、アドバイスできることは何もないと思うぞ」
と言うより、むしろそのアドバイス、俺の方が欲しいくらいだ。
俺だって出世欲ぐらいはあるんだぞ。
40歳にもなって、万年平社員が辛くないわけがない。
しかし、今の時代、年功序列という社風も失いつつあるし、ひとまず近藤さんが出世するまでは、その望みは薄そうだ。
「わかってます! だから私、いずれは営業部に異動願を出そうと考えているんです!」
「斎藤さんが営業部!?」
俺はつい大声を上げてしまった。
今までの彼女の仕事ぶりを見る限り、彼女が営業に向いているようには思えない。
それに今の営業部には沖田という大きな爆弾を抱えている状況なのだ。
これ以上、営業部に問題ごとを持ち込んでもらうのは困る。
「いやいや、営業部って。斎藤さんは事務職としてうちを受けたんでしょ?」
俺は慌てて聞き返した。
なぜ、今になって異動願を出そうと思うのか。
そんなに事務の仕事が嫌なのだろうか。
彼女は事務が向いていないというより、もっと根本的な理由があるとは思う。
「違います! 人事の人が勝手に書き間違いだと判断して、事務員として雇ったんです。私の希望は最初から営業でした。営業部に入って、バリバリ稼ぐのが夢だったんです」
さすがうちの人事は仕事がいい加減だ。
それにしても、斎藤さんに入社当初からそこまでの意気込みがあったとは驚きだった。
もしかしたら、内定が決まった時点で事務に行くと知って、がっかりした上でのあの妙なネガティブ自己紹介だったのかもしれない。
「土方さん、どうしたら私、営業部に行けますか?」
斎藤さんは食い気味に聞いてくる。
そんなことを俺にわざわざ聞いてくる時点で、真面目な社員なのだろう。
しかし、そう尋ねられても、俺は答えを持っていない。
「とりあえず、事務員として仕事ができるようになってからじゃないのか? 斎藤さんはまだ若いし、焦らなくても大丈夫だから」
「でも……」
彼女は不安そうな表情を見せた。
焦る気持ちもわからなくはないし、何より彼女が事務で実績を残せるかも不安だろう。
「松平課長なんて、新人の頃から営業で実績を重ねて、一気に出世したって聞くしな。斎藤さんだって、今の場所で認められて、営業部に異動が認められたら、そこから挽回することもできるから」
とは言うものの、新卒から営業部の俺はたいして実績が残せず、出世なんて雲の上だ。
そんな夢みたいなことを語れる立場ではないのだが、今の彼女にはそう答えるしかない。
彼女の表情もぱぁと明るくなって、最後は笑顔まで見せてくれた。
「そうですね! 私、頑張ります! 土方さん、今日は相談に乗っていただき、本当にありがとうございました」
彼女は深々と頭を下げた。
失敗はよくするものの、永倉君と違って素直でまっすぐなところが羨ましかった。
逆に永倉君は基本的な仕事はできるのだから、もう少しやる気を見せてほしい。
やる気さえあれば、その夢のような出世も不可能じゃないし、エースになるだけの実力はあるはずだ。
しかし、実際、永倉君が俺と近藤さんを差し置いて出世するのはものすごく不快だった。
俺は絶対、永倉君の下で働くのはごめんだ。
俺は斎藤さんを自分の席に戻して、俺も仕事に戻った。
気持ちだけでも新入社員に負けないように、俺も少しは仕事に気持ちを入れようと気合を入れて仕事をすることにした。