第64話 カフェで将君の本心を尋ねる
俺がコンビニに着くと、将君は言われた通り、雑誌コーナーで大人しく待っていた。
俺が入ってきたのに気づくと、不安そうな顔をこちらに向けた。
そっと近づき、声をかける。
「大村さんには許可もらった。近くのカフェでいいか?」
俺がそう尋ねると、彼はゆっくりと頷いた。
すぐにスマホを取り出し、大村さんに電話をかける。将君と無事に会えたことを伝えると、電話口の向こうから、安堵した声が聞こえた。
数言言葉を交わし、通話を終える。
将君の肩を軽く叩き、一緒にコンビニを出て、駅前のカフェへ向かった。
この時間の駅前は、まだ帰宅ラッシュで賑わっていたが、運良く空いている席を見つけることができた。
将君に何を飲みたいか尋ね、席で待つように言う。
その間にレジで注文を済ませ、温かいココアを持ってテーブルへ戻った。
向かい合って座ると、俺たちはしばらく黙って飲み物を口にした。
将君が話し始めるのを、俺は静かに待っていた。
彼なりに心の準備が必要なのだろうと思ったからだ。
やがて、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
「……実は今日、父さんが児童館の前まで迎えに来ていたんです。それで、車の中で少し話をしていて、遅くなりました。母さんに電話をしようと思ったんですが、父さんに会っていることを知られたくなかったので、つい電源を切ってしまいました」
その話を聞きながら、俺は何度か相槌を打った。
再び静寂が訪れる。
将君が少し落ち着いた様子を見て、俺から口を開いた。
「お母さんは、君がお父さんと会っていることを知らないのか?」
彼は小さく頷いた。
やはり、と俺は心の中で呟いた。
「お父さんとは何を話したかは教えてくれるか? 大村さんには言えないことなんだろう?」
その言葉に、彼ははっと顔を上げ、俺の瞳をじっと見つめた。
そして、再び視線をテーブルに戻す。
「……以前から父さんには、一緒に暮らさないかと提案されていました。どうするべきか僕には分からなくて、ずっと保留にしてきたんですが、最近、母さんが本当に忙しそうで、僕の世話なんて焼いている暇がないぐらい大変で、僕は父さんの家に行った方がいいんじゃないかと思い始めたんです」
なるほど、と俺は頷いた。
以前、彼の父親である大鳥さんと会った時も、親権の話が出ていたのを思い出した。
あまりにも身勝手な主張で腹が立ったが、将君は今、それを真剣に受け止めようと悩んでいるのだ。
「将君は、お父さんのことは好きか?」
俺は優しく問いかけた。
彼は少し考えた後、ゆっくりと顔を上げた。
「わかりません。父さんとはあまり関わってきませんでしたから。口は悪いところはありますが、僕のことを思っていることは伝わってきます」
それには俺も同意した。
大鳥という男は、他人には冷酷に見えるかもしれないが、血を分けた息子には確かな愛情を持っているのだろう。
「君はなぜ両親が離婚したのかは知っているのかな?」
俺は再び将君に尋ねた。
彼は複雑そうな表情を浮かべ、ゆっくりと答えた。
「……はい。離婚を切り出したのは父さんからだと聞いています。母のあまりにも要領の悪さに激怒して、家から追い出したそうです。父の母、つまり僕の祖母からも母さんは嫌われていたみたいで、大鳥家の嫁として相応しくないと日々、怒られていたとも聞いています」
なかなか悲惨な状況だったのだな、と俺は思った。
確かに、大村さんは料理上手とは言えないし、要領が良いとも思わない。
しかし、家事をきちんとこなし、将君にとって良い母親であることは間違いない。
何よりも彼女は優しく、責任感の強い立派な女性だ。
それを、夫だけでなく姑からも嫁としての価値がないような扱いを受けていたとは、大村さんもさぞ辛かっただろう。
「だから、二人が離婚してよかったと思っているんです。その方がお互いに幸せでしょうし、父さんは昔から仕事で忙しい人ですから、僕もいないのが当たり前だったので、特に淋しいとか思いませんでした。養育費は貰っているとはいえ、生活が楽なわけではありませんでした。僕に苦労を掛けさせないようにと、母さんは僕に対する教育費も惜しみませんでしたし、離婚前と同じぐらい習い事もさせてもらいました。日常生活で不憫に思ったことはない。けど、母さんはそう思っていないのか、僕にも父親が必要だと、新しいパートナーを探すようになったんです」
ここまでの話を聞いて、なぜ大村さんが離婚後、あれほど必死に再婚相手を探していたのか、ようやく理解できた。
時には信じられないほど大胆な行動に出る彼女だったが、それほどまでに彼女にとって切実な問題だったのだろう。
「母さんは僕に父親は必要だって言うけど、僕はそう思いません。父親がいなくてもこうして生きていけるし、欲しいなんて思ったことはないんです。だからって、今更いらないなんて言えなくて……」
将君は優しい子供だと思った。
彼はいつだって母親のことを考えている。
自分の気持ちを押し殺して、常に母親にとって最善の道を選ぼうとしているのだ。
それはきっと大村さんも同じだろう。
同じように相手を思いやっているのに、この親子はどうしてもすれ違ってしまうように見えた。
「そうか……。それで将君はお母さんのためにお父さんと暮らそうとしているんだな。お母さんの負担を減らすために、自らお父さんのもとに行こうとしているんだろう?」
その言葉に、将君はしばらくの間、何も答えなかった。
そして、悔しそうに唇を噛み締め、拳を握りしめて震えている。
「仕方ないじゃないですか。母さんがどう思おうと、今、家は大変なことになっているんです。祖母のこともあるし、借金だってある。母さんはもう、それで手一杯なんです。僕の世話なんてしている余裕なんてないんです。そんなこと、子供の僕にだってわかります」
彼はそうはっきりと答え、俺を睨みつけていた。
そこには悔しさや悲しみ、様々な感情が入り混じっていた。
俺も彼のことを思うと、胸が締め付けられるような気持ちになった。
そして、ずっと心の奥底に溜め込んでいた感情を吐き出すように、将君は強い口調で俺に言った。
「僕、土方さんが母さんの告白を断ったの、知ってるんですよ。どうして……、どうして土方さんは断ったんですか? 母さんのことが不満なんですか? 僕にはあなたも母さんのことを好いているように見えました」
すごい勢いで問い詰められ、俺は言葉に詰まってしまう。
子供にこんな話をするのはどうかと思ったが、今の彼には誤魔化しは通用しないだろう。
俺は一つ息を吐き、冷静に答えた。
「大村さんに不満なんてないよ」
「なら、どうして!? 土方さんが母さんと結婚してくれたら、何もかも解決するのに。母さんは本気で土方さんのことが好きなんですよ。僕だって、それを願ってんるです!!」
その言葉に、俺は一瞬息を呑み、何も言い返せなかった。