表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
57/122

第57話 大村さんから二度目の告白を受ける

久しぶりの宴は、予想以上の盛り上がりだった。

朝早くからこの場所にいたせいか、身体にはかなりの疲労が溜まっている。

俺は立ち上がり、騒がしい会場を抜け出し、一人で厠へ向かった。

用を済ませた後、すぐにあの喧騒に戻る気にならず、ほんの少しだけ外の空気を吸うことにした。

春の風は、ほんのわずかに肌を掠める冷たさを含んでいるものの、冬の刺すような寒さとは違い、心地いい。

ぼんやりと視界の端に映る街並みの向こうには、夕日がその輪郭を滲ませている。

夕焼けに淡く染められた桜の花を眺めながら、ゆっくりと歩を進めていた。

昼間の桜も美しいけれど、夕暮れ時の桜もまた、目に留まる特別な美しさがあった。

すると、ふと視界の端に、一人ベンチに座って桜を見ている大村さんの姿を見つけた。

俺はゆっくりと彼女に近づき、声をかけようとした。

けれど、どこか物憂げな彼女の横顔を見た瞬間、かけるべき言葉が見つからなくなる。

一人の時間を邪魔するのは気が引けて、そっとその場を離れようとした時、大村さんがこちらに気づき、逆に声をかけてきた。

俺はぎこちなく笑って振り返った。


「お疲れ様です。大村さんは、休憩中ですか?」


仕事中じゃないのに、そんな問いが自然と口をついて出た。

彼女は小さく笑い、穏やかな笑顔で答えてくれた。


「桜がとても綺麗で、見入ってしまったんです。毎年、家族で花見はするんですけど、こうしてゆっくりと桜を眺めるのは、本当に久しぶりな気がします」


その言葉を聞いた瞬間、ああ、やっぱりこの人も小さな子供を持つ母親なんだと改めて感じた。

母親には、なかなか一人だけの時間というものがないのだろう。

花見に来ても、その視線の先にあるのは、花ではなく、子供なのだ。

俺自身も、こうして落ち着いて桜を見るのは久しぶりだ。

通勤の途中や買い物のついでに、ちらりと眺めることはあっても、立ち止まってじっくりとはいかない。

なぜか一人で花見をするのは、気恥ずかしくて躊躇してしまうのだ。


「今年の花見は大盛り上がりですね。土方さんが素敵な場所を教えてくださったおかげです」


彼女はそう言って微笑んだ。

無理やりやらされた場所取り当番だったけれど、大村さんのこの一言で、少し救われた気がした。


「俺はただ、近所の桜の名所を課長に教えただけですよ。まさか、会社のメンバーで花見をするとは思いませんでしたが」

「私は結果的に良かったと思います。閉鎖的な空間で飲むお酒より、開けた場所できれいな桜並木を眺めながら飲むお酒の方が美味しいですし、きっと新入社員の子たちにもいい思い出になると思います」


彼女の言葉を聞いて、俺の脳裏にちらりと新入社員の二人の姿が浮かんだ。

あの二人がそんなことを微塵も感じていないのはわかる。

永倉君は相変わらずドライで意地っ張りだし、斎藤さんは数分で泥酔してしまっている。

先輩方はそれも面白いと盛り上がっているようだったが、その間に挟まれる平社員の俺たちのことも、少しは気遣ってほしいと思った。

それでも、大村さんの言葉は本当に優しいと感じる。

いつも彼女は、自分よりも他人を中心に考えている人だと感じていた。

でも、それが時折、切なく感じてしまう。


「土方さん」


突然、大村さんに名前を呼ばれて、俺は驚いた。

彼女は目線を桜に向けたまま、静かに話しかけてきた。


「もし、あの時、夜景ではなくて、こんな桜並木だったら、あなたは私の告白を受けてくれたでしょうか?」


その言葉を聞いて、心臓がどきりと跳ねた。

それは、数か月前、大村さんに付き合おうと告白された日のことだ。

俺はそれを断った。

大村さんが好きじゃなかったからじゃない。

これは受けてはいけない告白だと、あの時、直感的に思ったからだ。

そのまま大村さんと付き合ってしまえば、きっとお互いに後悔する。

そんな未来が、あの時、俺には見えてしまったのだ。

大村さんはそう言った後、照れくさそうに小さく笑って、こちらに顔を向けた。


「ごめんなさい。未練がましいこと言っちゃって。でも、今でもあの日のことが忘れられないんです。どうしてあの時、私ははっきりと答えられなかったのでしょうか。ただ、純粋に好きだって言えば良かったのに、言い訳するように口実を並べて……」


寂しそうに答える大村さんに、耐えられなくなって、俺も自然と口から言葉が出ていた。


「俺だって同じです。もっと単純に大村さんのことを好きだと思えたら、こんなに複雑な気持ちにならずに済んだのに。けど、俺たちはきっともう、そんな単純に世界を見られないのかもしれません。背負ってきたものが、多すぎるから」

「土方さん……」

「でも、大村さんのこと、素敵な人だなって思う気持ちは変わりません。今でも大村さんは理想の女性ですし、人として尊敬もしています。だからこそ、安易な気持ちでお付き合いしたくなかったんです。それに、将君のことを抜きにしてなんて、考えられないでしょ?」


その言葉を聞いて、大村さんの言葉は途切れた。

責めるつもりはない。

将君は大村さんの一部で、彼なしに、彼女を語ることはできないのだ。


「それでも、私は……」


彼女の声は、微かに震えていた。

しかし、それ以上、言葉は出てこなかった。

しばらく黙って佇んでいた二人だが、川上の方から冷たい風が吹いてきて、彼女がぶるっと身体を震わせたのに気づいた。

俺はそっと自分の着ていたジャケットを彼女の肩にかけ、立ち上がった。


「そろそろ行きましょう。会場も、お開きになる頃でしょうし」


元来た場所に戻ろうとした瞬間、彼女は俺の裾を静かに掴んだ。

俺の足は、自然と止まった。


彼女は片手でジャケットの襟をつかみながら、俯いていた。

どうしたのだろうかと顔を覗き込もうとする。

すると彼女は静かに顔を上げ、その潤んだ瞳で俺を見つめてきた。


「あなたに好きだって言われた時は、嬉しかった。でも同時に、私が将のためにあなたと付き合おうとしていると言われ、頭が真っ白になって、何も答えられませんでした。あの日から、そのことがずっと頭から離れず、あなたのことを前よりもっと意識するようになっていました」


それはまるで二度目の告白のようで、俺の胸はどきどきと高鳴り始めた。

再び大村さんの本心を聞いて、あの日の思いが、鮮やかに蘇ってきたようだった。


「すぐにじゃなくていい。少しずつでいいから、私のことを女として見てもらえませんか? もう一度、土方さんと新しい関係を築いていきたいんです。その可能性は、もうないのでしょうか……」


そんなこと、すぐに答えられるわけがない。

あの瞬間から、俺の思考は停止してしまっている。

大村さんが嫌いになったわけじゃない。

女性として見られなくなったわけでも、恋心がゼロになったわけでもない。

ただ、胸を張って「愛している」と言えない自分がいるのだ。

曖昧な気持ちで付き合いたくない。

真剣に向き合いたい。

でも、俺は……。


「私はもう、打算で恋はしたくないんです。将の気持ちも大事。でも、私自身の気持ちも、同じくらい大事なんです。そう気づかせてくれたのは土方さんだから、私、諦めたくないんです」


彼女の真っ直ぐな瞳を、俺は避けることができなかった。

ただただ、俺たちは見つめ合った。


「……俺は」


言葉が出かけた瞬間、後ろから声が飛んできた。

振り返ると、そこには近藤さんと沖田が立っていた。


「土方ぁ。そろそろお開きにするってよ。お前もサボってないで、片付け手伝え」


近藤さんはそう声をかけた後、大村さんもいることに気づき、一瞬言葉を詰まらせた。

しかし、沖田の方は全く気づいていない様子で、どんどんとこちらに笑顔で近づいてきた。


「最後に俺、一発芸をみんなの前で披露しようと思ってんすよ。誰も手伝ってくれないんで、土方さんお願いしますよぉ」


本当に空気を読めないやつだな、と俺は思った。

そもそもお前の一発芸は、中山筋肉君の『プワァ』か、小島としおの『そんなの問題ねぇ!』じゃないか。

みんな見飽きているんだよ。

そして、やっと気が付いたのか、沖田は大村さんと目が合った。


「わぁ、大村さんもいたんすね!! もしかして二人、こんなところでちゃっかりデートですかぁ? なんかいやらしぃ」


沖田は冗談のつもりで言ったのだろう。

しかし、少しも冗談になっていなかったので、近藤さんが後ろから沖田の襟をつかんで引っ張った。

そして、会場に戻りながら俺に話しかけてくる。


「片付けなんて沖田に全部やらせるから、お前はちゃんとけじめつけてから戻ってこい」


近藤さんはそう言って、沖田を引きずりながら戻っていった。

沖田はまだ状況を理解できていないようで、「なんなんすかぁ」とぼやきながら消えていった。

近藤さんはこの様子を見て、どこまで理解したのだろうか。

再び、俺たちの間に重い沈黙が落ちた。


「俺はその……、別に大村さんが嫌になったわけじゃないし、全く女性として見ていないわけでもないので。ただ、答えが出ていないというか、俺自身、まだよくわかってないんです」


俺がそう答えると、彼女はゆっくりと立ち上がり、俺の前に立った。


「わかりました。なら、その答えが出るまで私、待ちます。私の気持ちが変わることはありませんから、いつまでも、待ちます」


彼女の目は、真剣そのものだった。

俺はその後、何も言えないまま、黙って彼女と向き合っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ