第56話 花見で新入社員たちが大暴れする
芹沢課長に続いて、続々と会社の仲間たちが集まってきた。
ほどなくして、買い物係が飲み物を中央に並べ、好きなものを選ぶようにと他の社員に声をかけていた。
俺は目の前にある缶ビールを選ぶ。
今回の主賓は入社してきた二人と退社する二人だ。
芹沢課長と並木が隣同士に腰を下ろし、その並木の隣に斎藤さん、そして大村さんと座った。
永倉君も周囲に倣い、芹沢課長の隣に座るかと思いきや、課長たちとは離れた場所に一人で座っている。
近くには同じ営業部もおらず、彼は一人ぽつんとしていた。
空気が読めないというより読む気がないのだろう。
俺は永倉君に声をかけ、芹沢課長の隣に座るように勧めた。
すると彼は渋々といった様子で立ち上がり、不満そうな表情で課長の隣に腰を下ろした。
その彼の露骨な態度を注意したい気持ちもあったが、宴の雰囲気を台無しにしたくなかった俺は、黙って置くことにした。
大村さんのように、指導係として永倉君の隣に座ろうとしたその時、近藤さんと沖田さんが現れ、私の両隣にそれぞれ腰を下ろした。
残念ながら俺は永倉君の横にはいけないようだ。
まさに今の関係性を描いているような縮図に見える。
「いやぁ、会社で飲み会なんて、久々だな。お前、何選んだ?」
近藤さんは腰を下ろすなり、俺に尋ねる。
俺は「ビールです」と缶を持ち上げて答えた。
「なら、俺もビールかな」
近藤さんはそう言ってビール缶を持ち、俺の隣にいる沖田にも尋ねた。
「沖田は何飲む?」
「ザハスがいいっす。俺、いつもザハス飲んでますから!」
沖田は元気よく答えるが、ザハスはミルクプロテインで缶ではなく、紙パックの飲料だ。
せめて缶入りの飲み物を答えろと言いたい。
「そんなもんねぇよ。お前はオレンジジュースで十分だ」
そう言って、近藤さんは沖田さんにオレンジジュース缶を投げ渡した。
沖田さんは見事に缶を取り損ね、それは彼の後方へ転がっていった。
彼は慌ててそれを追いかけ、靴も履かずに走り出す。
本当に何をやってんのか……。
すると近藤さんは気を遣ったのか、今度は隣にいた永倉君にも尋ねた。
「永倉、何飲む? ビールでいいか?」
すると、永倉君は愛想笑い一つ浮かべることなく、はっきりと答えた。
「僕、会社の人の前ではお酒は飲まないって決めているんです。手持ちでお茶買ってきてるんで、それで十分です」
なんていう可愛い気のない返答だと思いながらも、この不愛想な永倉君に対して、先輩である近藤さんがどのように対応するのか、注意深く見守ることにした。
もしかすると、社歴の長い近藤さんなら、こういった後輩社員の扱いに慣れているのかもしれないと思ったのだ。
「なんだよ。本当は飲めねぇの、隠してんじゃねぇだろうな? 気にすることねぇよ。お前よりずっと年上の沖田だって下戸なんだからよ。恥ずかしがることじゃねぇ」
その瞬間、永倉君は眉間に深い皺を刻んだ。
全然ダメじゃないか。
また、永倉君の爆弾発言が飛んでくるぞと俺は警戒する。
「違いますよ! そういう、今の若者はお酒も飲めないっていう偏見は良くないと思います。そもそも下戸で何が悪いんですか? 酒飲めたら偉いんですか? 自分は酒の味がわかるっていうマウント取ってるつもりですか? むしろそれ、ダサいと思います」
やっぱり出た、問題発言!
これに対しどう反応するのか、俺は恐る恐る近藤さんの表情を窺った。
近藤さんは口が悪いところはあるが、基本的に怒るような人じゃない。
こんな不躾な永倉君の対応にも穏便に対応してくれることを期待したが、明らかに近藤さんの表情は苛ついていた。
「そこまで言うなら、お前も酒飲めよ。こういう場で、持参したペットボトルで済ませようとするやつの方がダサいんじゃないのか?」
近藤さんの言いたいこともものすごくわかる。
周りの雰囲気を見て、せめてジュースの缶を手に取ってほしいと思うのは当然だと思う。
しかし、そういうお酒の強要は、アルコールハラスメントと言われて、逆に訴えられる可能性があるのだ。
俺は慌てて近藤さんを止めようとする直前、永倉はその場から立ち上がり、中央に集められた缶の方へ向かった。
そして、そこから度数の高いチューハイ『東スポ驚嘆レモンサワー』を手に取り戻って来た。
まさか、こんな挑発に永倉君が乗るとは思わなかった。
そもそも、誰が一体こんな度数の高いチューハイ持ってきたんだか。
「無理はすんなよ、永倉君」
俺は念のため永倉君に忠告したが、永倉君は睨みつけるばかりだ。
「無理なんてしてません! 僕は《《飲め》》ないんじゃなくて《《飲ま》》ないんです!!」
完全に近藤さんの挑発に乗っている。
こうなっては誰も止められそうになかった。
そうこうしているうちに主要なメンバーはそろい、花見が始まる。
進行役は広報部の社員が務め、最初の挨拶は平松課長が行った。
平松課長の堅苦しい形式的な挨拶が終わった後、それぞれの挨拶が始まる。
新入社員の挨拶もほどほどに、皆の注目は退社する二人に集まっていた。
課長は今月末まで在籍し、その後は有給休暇を消化して退社する予定とのことだ。
一方、並木は既に有給休暇に入っており、職場には姿を見せていなかった。
おそらく、今日が顔を合わせる最後の日になるだろう。
二人の挨拶が終わると、そのタイミングを見計らい、女子社員からそれぞれに花束が贈られた。
芹沢課長にはピンクを基調とした可愛らしい花束を。
そして、並木には斬新なデザインのジャングルのような花束だった。
どちらも本人たちのリクエストらしい。
そしていよいよ、平松課長の乾杯の音頭が始まった。
「それでは僭越ながら乾杯の音頭を取らせていただきます。 皆さま、お飲み物の準備はよろしいでしょうか。 新入社員の今後の活躍と並木君の会社の発展、芹沢課長の穏やかな新婚生活を祈念しまして、乾杯!」
社員一同の「乾杯!」の声が響き渡り、宴が始まった。
芹沢課長は手作りのおかずを重箱に詰めて持参したようで、女子社員たちの前に広げていた。
重箱の中には、ローストビーフやポテトサラダ、コロッケ、ミートボールなど、女性陣が喜びそうな彩り豊かな料理が並んでいた。
市子の弁当とはまた趣が違うが、どれも美味しそうだ。
周囲の女子社員たちも感嘆の声を上げ、口々に芹沢課長を褒め称えていた。
芹沢課長がこんなに女子社員と仲が良かったことに、俺は驚きを隠せなかった。
彼の喜びようは、女子の好感度を上げた優越感ではなく、どこか照れた少女のような表情だった。
これまで、野球以外の話題には寡黙で、何を考えているのか掴みかねる人物だと思っていたが、今日、課長の意外な一面を垣間見た気がする。
すると突然、俺のすぐ隣から大きな声が響いた。
「よっ! いい飲みっぷり!!」
私はその近藤さんの声に振り返った。
すると、永倉君がものすごい勢いでチューハイを一気に飲み干しているのが目に入った。
すっかり忘れていたが、この一件はまだ決着していなかったのだ。
「おいおい、永倉君、大丈夫か? 近藤さんも煽らないでください!」
俺は二人を止めに入る。
しかし、永倉君の勢いは止まらず、次の缶へと手を伸ばす。
「僕は証明してやるんです! 酒が飲めないんじゃない! 飲まないんだと!!」
彼はそう言って缶ビールを開けると、再びぐびぐびと飲み始めた。
このまま倒れてしまうんじゃないかと不安になる。
すると、近藤さんは笑みを浮かべながら、俺に話しかけた。
「これでいいんだよ。酒が入れば、少しは永倉の尖った角も丸くなるだろう。こうでもしねぇと、こいつはこの会社に馴染めねぇよ」
近藤さんの言いたいことも分かるが、俺は単純に永倉君の体が心配だった。
もし何か異変があれば、すぐに救急車を呼べるよう携帯電話を用意し、彼の近くにあった缶を、さりげなくノンアルコールに替えておいた。
しかし、意外にも彼らは大いに盛り上がっているようだった。
これまで全く接点のなかった他部署の社員たちも、面白がって永倉君の周りに集まってきた。
彼はそんなことには気づかず、ただひたすら近藤さんとの飲み比べに熱中しているようだった。
そうしていると、別の場所からまた、騒がしい声が聞こえ、それは甲高い女性の声だった。
「おめぇら、耳かっぽじってよぉく聞けよ! 飲みの席でなぁ、女がお酌するのが当たり前なんて言ってんのは、時代遅れの証拠だ。酌だけじゃねぇ。料理を準備や皿を片付け、細々とした作業をやって当然と思ってる男が多すぎる! それ、当たり前じゃねぇからな! なんなら、お前らが率先してやってもいいんだからな」
こっちでは何やら、女性社員による説教が始まっている。
飲み始めてからまだ数分しかたっていないのに、こんな荒れ方をしているのは誰かと目線を向ける。
斎藤さんだ。
キャラ、違いすぎるだろう……。
「後、飲みの席に女子いねぇと盛り上がれねぇとか言って、無理やり誘ってくる男! それも立派なセクハラだからな! なんで女子を横にはべらせねぇと楽しくねぇんだよ。私らはホステスじゃねぇんだよ!!」
いやいや、その愚痴の意味は分かるけれども、それを社会人になったばかりの新入社員の斎藤さんがなぜ叫ぶのかと言いたい。
周りの社員も斎藤さんの態度の変化に驚いて、圧倒され、何も言えないようだ。
斎藤さんは見かけによらず、とんでもない酔い方をする。
そんな斎藤さんを隣にいた大村さんが必死になって止めていた。
そうしている間に、斎藤さんの持っていた飲み物が揺れ、大村さんの胸元にかかった。
それに気づき、正気を戻した斎藤さんが真っ青な顔をしている。
彼女はガクッと膝をつき、床に手をついていた。
「も、申し訳ございませぬ……」
なぜ、謝罪モードになると武士口調になるのかが謎だが、斎藤さんは土下座するように頭を下げて大村さんに謝っていた。
大村さんも膝をついて、彼女に頭を上げさせる。
「だ、大丈夫だから、斎藤さん頭を上げて。ひとまず落ち着きましょう」
お酒をかけられてもこの対応は、もはや神だ。
斎藤さんはぽろぽろと涙をこぼしながら、大村さんの顔を見上げ、彼女の腕を掴む。
「畏れながら、大村様の大切な御衣に酒を掛けるなど、万死に値する所業。この命に代えて、深くお詫び申し上げます」
彼女はそう呟き、自分の鞄から太い縄を取り出して、桜の木に括り付けようとしていた。
今度は首吊りでも図ろうとしているのか。
そんなことしたら桜の木も痛むし、ただの迷惑だろうと呆れてしまう。
大村さんはいつものようにそんな斎藤さんを必死で止めていたが、やはり、大村さんに斎藤さんの指導係は重荷な気がする。
しかし、それでもみんな楽しそうだった。
俺も手に持っていたビールを飲みながら、楽しそうに騒いでいる社員たちを眺め、花見を楽しんだ。