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第47話 沖田が壮大な勘違いをする

翌日の早朝、俺の家のチャイムが鳴った。

こんな朝早くに何事かと扉を開けてみると、そこに立っていたのは里奈だった。

走ってきたのか息を切らしていて、顔を真っ赤にしていた。

「なんだよ、こんな朝早くから。今から学校か?」

制服姿の里奈を見て、欠伸をしながら聞く。

すると、里奈は後ろに隠していた何かを俺に突き出してきた。

それはラッピングされた箱だ。

「こ、これはみんなの分を作ろうとして余ったから届けに来ただけだから!別に、敏郎のためにわざわざ作ったとかじゃないから、勘違いしないでよね!」

俺はそれを素直に受け取り、お礼を言った。

そして、今日がバレンタインだったと改めて実感した。

里奈はいろいろ理由をつけているようだが、純粋にチョコをもらえるのは嬉しいことだ。

しかも、余ったからと言いながら、こんな朝早くご丁寧に俺の家まで届けに来るなんて、本当に不器用な奴だと思う。

里奈はそれだけ言うと、俺が呼び止める間もなく、急いで廊下を駆け、階段を下りて行った。

階段を降り切ったところで一度俺の方を見上げたが、やはり何も言わず、顔を隠すように走り去っていった。

何がやりたいんだかと、俺は呆れながらも最初にもらったそのチョコの箱を開けた。

そこには、ハート形のブラウニーらしきものが入っていた。

しかし、見事に真ん中で真っ二つに割かれていて、これはもはや別のメッセージなのではないかと思った。


そして、会社に着くといつもは始業ぎりぎりの沖田が既に出勤し、大人しく椅子に座っていた。

直立不動で鼻息だけが荒い。

毎年恒例なのでこれを見るたびに今日が何の日だったか思い出す。

そんな沖田を無視して、いつも通り一階の自動販売機に向かうとそこには大村さんが立っていた。

彼女は飲み物を買うわけでもなく、当然、煙草を吸うわけでもなく、何かを待っているように佇んでいた。

俺はそんな大村さんに声をかけると、驚いたのか彼女の肩が大きく揺らした。

そして、ゆっくりと振り返る。

俺も何が起きたのかと驚き、首を傾げた。

すると大村さんは俺を見るなり、いきなり腕を引っ張って人気のない場所へと連れ込んだ。

側に誰もいないことを確認すると、俺の目の前に小さな紙袋を差し出してきた。

これは、もしや!と心の中で叫び声を上げそうになった。

「ば、バレンタインチョコです。今年は社員用の義理チョコが廃止されたので、日頃お世話になっている土方さんに、その、お礼もかねて個人的にお渡ししようかと……」

彼女はそう照れくさそうに言った。

なるほどと俺は納得する。

芹沢課長命令の義理チョコ配布制度廃止のために、義理チョコが渡せなくなったので、わざわざ大村さんが俺のために別に用意してくれたのだ。

大村さんも律儀な人だと思う。

「ありがとうございます」

俺は快くそれを受け取った。

すると、大村さんは恥ずかしそうに笑顔を見せた後、駆けるように2階のオフィスへと戻っていった。

そして、改めて中のチョコの箱を見る。

手作りではなく、市販品と言うことはすぐに分かったが、俺でも知っている超有名人気ブランドの期間限定チョコレートだった。

噂で聞いた話だと、一粒なんと800円。

8個入りだから、単純計算して一箱6,400円。

一体お返しはいくらになるのかとぞっとした。

なぜだかバレンタインというものは、喜びと同時に漠然とした不安までがやってくるものだ。

そして、昼休みになると、ついに並木さんによる義理チョコ配布が始まった。

あくまでも個人的に渡す分には構わないようなので、今年はこれでなんとか沖田が寂しい夜を過ごさなくてもよくなりそうだった。

ついに俺のところにも来たかと思えば、渡されたのはグラニュー糖1kgの袋だった。

これをどうすればいいのだろうか。

「チョコレートケーキを作ろうかと思ったんですけど、実際作るとなると面倒になったので、材料を配ることにしました」

全く意味が分からない。

よく周りを見渡してみると、俺の他には薄力粉の紙袋や生卵ワンパックを贈られている社員もいた。

板チョコならまだいい。

材料をもらった俺たちに並木は何をしろと言うのだろうか。

そんなグラニュー糖を見つめていた俺に、近藤さんはそっと肩を叩いた。

「グラニュー糖で良かったじゃねぇか、土方。俺なんてベーキングパウダーだぞ。どうやって使えばいいのかさえ、俺にはわかんねぇよ」

近藤さんは影を落としながらそう言って、ベーキングパウダーの入った箱を俺に翳した。

俺も優しく近藤さんの肩を掴み答える。

「安心してください。ベーキングパウダー、お焼きにも使えますよ」

俺はそう言って近藤さんに優しく微笑んだ。

「それで、沖田は何をもらったんですか?」

そう聞きながら、俺は沖田の姿を覗き見ようとした。

すると、すっと近藤さんは沖田さんを庇うように俺との間に体を滑り込ませる。

「見てやるな。今、あいつは必死で生クリームを一気に飲み干している。泣きながらな……」

悲壮感漂う口調で語る近藤さんの寂し気な表情を見つめながら、生クリームってそのまま飲んでもいいのだろうかと本気で考えた。

まぁ、腹が痛くなっても、いい思い出になるだろう。


定時になり、少しずつ社員が退社する中、いつもならジムに通うための沖田が珍しく退社の準備もせずに座っていた。

ただ、ぶつぶつ何か言いながら、机の上で何かを折りたたんでいる。

そして、それを何とか折り込んだのち、親指と人差し指で挟み込んで、弱々しい笑みを浮かべ、俺に話しかけてきた。

「土方さん、見てください。こんなに小さく折りたためましたよ」

彼が指で挟み込んできたのは、昨日張り切って持ってきた『Coostco』のロゴの入った手提げバッグだった。

まさかそんなにも小さく折りたためるなんて、俺もビックリだ。

それよりも何よりも、そんなところで自慢の筋力を発揮するなよとも言いたい。

お前のそれは何のためにあるんだと悲しくなった。

「沖田、もういい。帰ろうぜ」

俺はそう言って、沖田を退社するように促した。

沖田は背中を丸めながら頷き、とぼとぼと荷物をまとめる。

そして、一緒に退社すると、沖田を励まそうと背中を摩りながら話しかけた。

「そう、落ち込むな、沖田。今日は俺が――」

奢ってやると飲みに誘ってやろうとすると、沖田はむくっと顔を上げて真剣な顔で俺に言った。

「俺、今日、並木に生クリームもらったんすよ」

急にしゃべり出すので俺は何事かと驚く。

「ああ、そうだな」

「生クリームって材料の中でも大事なアイテムですよね?」

「まぁ……そうだな?」

無理に刺激しないようにとひとまず頷く。

「もしかして、並木って、俺のこと好きなんじゃないっすかね」

「いや、それは壮大な勘違いだ」

俺はふざけた沖田のセリフに即座に突っ込んだが、沖田は全く聞いていないようだった。

「たぶん、そうっすよ。じゃなきゃ、生クリームは選ばないっすよ!」

「いや、もし選んで渡すとしても板チョコだろう。生クリーム選択しねぇよ」

「濃厚だったんすよ」

「生クリームだからな」

「あいつ同期だからないって思ってましたけど、こんな可愛いところがあったんすね。俺、見直しました。明日から、並木にアプローチかけます!!」

俺はそれを聞いて、並木さんに心の中で合掌し、慰めるために飲みに誘ってやろうとも思ったが、今日は辞めておいた。

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