第42話 晴香の悩みを知る
その日は半休をもらい、晴香の学校まで様子を見に行くことにした。
里奈の時と同様に、校門前で晴香が出てくるのを待った。
どうやら、ここでも俺は待ち伏せする不審者として扱われているらしい。
校門前には赤いジャージ姿の女子教員と、用務員らしき作業着の男が怪しんで俺を睨んでいた。
このままでは、本当に通報されかねない。
学校の前で出待ちなんて不審がられるだけだし、柄にもないのだが、こうでもしなければ晴香の事情を掴めないと思った。
結局、あの日、帰る前に晴香の部屋に寄ったのだが、晴香は俺の質問をはぐらかすばかりで、学校のこと、友達のこと、家以外のことは何も話そうとしなかった。
やはり、最近の晴香の言動の変化はそこにあるのだと感じた。
下校する学生たちを眺めていると、何人かのグループになって歩いていることが多い。
ふざけて駆け回る男子生徒もいれば、一つのスマホを数人で囲んで騒いでいる女子生徒もいた。
中には一人で下校する子もいたが、何か用事があるのか足早に去っていく学生が多かった。
「今日の広瀬、マジやばくなかった?あいつ絶対、筑紫野に惚れてるよ!」
一人の気の強そうな女子学生が大声で騒いでいるのが見えた。
「わかるぅ。目がやばいもん、目が!」
同じように隣の女子二人もその子に合わせて騒いでいた。
確かに、その二人は見覚えがあった。
晴香のクラスメイトの月菜ちゃんと秋穂ちゃんだ。
しかし、彼女たちのグループの中に晴香はいなかった。
俺に気づいたのだろうか、二人は一瞬驚いて口をつぐんだものの、すぐに気まずそうに頭を下げて足早に去っていった。
どうやら、二人とも俺の顔を覚えていたらしい。
すると、最初に騒いでいた別の女子学生が、月菜ちゃんたちに興味津々で俺のことを尋ね始めた。
どちらかが晴香の叔父だと答えると、その女子学生は興奮したように「やっばっ!」と声を上げた。
中学生たちの騒がしい声は、あたりに大きく響き渡っていた。
それから数分後、ようやく晴香が校門を一人で出てきた。
その表情は、いつもの明るさとはかけ離れた、深く沈んだものだった。
声をかけようと手を上げると、晴香は気づいて立ち止まった。
しかし、その顔は俺が慣れ親しんだ安心した笑顔ではなく、明らかに何かを恐れているような、狼狽した様子をしていた。
これまで一度も見たことのない晴香の表情に、俺は胸騒ぎを覚えた。
学校の正門前という人目のある場所だったから、声をかけるべきではなかったのだろうか。
そう思いながら周囲を窺っていると、背後から突然、晴香に向かって叫ぶ声が聞こえた。
晴香の後ろに立っていた男子生徒二人が、晴香に何かを叫んでいるのが見えた。
「おおっ!佐藤が援助交際してっぞ!今、あのおっさん、佐藤に向かって合図したぜ」
男子生徒はゲラゲラ笑いながら、俺に向かって指をさした。
佐藤とは晴香の苗字である。
その言葉で晴香の顔はみるみる赤くなり、その場で固まってしまった。
「内藤を誑し込んだ挙句、今度はおっさんかよぉ!まじビッチじゃん」
『ビッチ』の意味もわからずに!と怒鳴りつけたい衝動を抑え、晴香が泣きながら走り出すのを見て、追いかけることを優先した。
その様子を目撃した女性教員が、慌ててスマホを取り出し、警察へ連絡しようとしたので、俺は走りながら自分が彼女の叔父であることと、晴香の母親に電話するように伝えた。
女性教員はあっけにとられていたが、こうなったら仕方がない。
晴香を迎えに行くことは姉貴には話しているし、教員から電話があれば姉貴が事情を話してくれるだろうと思った。
やはり晴香の足は速い。
俺は完全に中学生女子の俊敏さを嘗めていた。
晴香は途中にある公園で足を止め、追いついた俺に向かって勢いよく振り返って叫ぶ。
その目は既に涙で濡れていた。
「なんで、としちゃんが学校に来るの!? 意味わかんない!!」
俺は走りすぎて痛くなった横っ腹を手で押さえながら、少しずつ晴香に近づいていく。
その間も晴香は息を跳ね上げながら、俺をずっと睨んでいた。
事情を話さなければいけない。
けれど、こんな状態の晴香に、一体何と声をかければいいのか、俺は言葉を探した。
「悪かった。お前を困らせたくて来たんじゃないんだ。ただ、晴香が学校のことを全然話したがらないから、心配になって……。やっぱり、何かあったんだよな?」
晴香は目を逸らしただけで、すぐには返事を返さなかった。
きっと晴香の頭もこの状態に整理ができていないのだろう。
晴香の友達、月菜ちゃんや秋穂ちゃんの様子、それにあの男子生徒たちの言葉から、晴香に何があったのか、だいたいのことは察しがついていた。
しかし、それを晴香の口からちゃんと聞きたかった。
俺は、まだ晴香にとって頼れる兄さんでありたかった。
しかし、晴香の態度は俺の予測とは違った。
「……見てたらわかったでしょ?こんな姿、としちゃんには見られたくなかった。なんでわかってくれないのよ!」
「晴香……」
「ボッチで悪い?もう、私は何やったって、クラスの嫌われ者なの。今日だって、としちゃんのこと男子に見られたから、また変な噂ながされちゃう。もう、嫌なの!うんざりなの!みんなどうして私のこと、ほっといてくれないの!?」
晴香は前のめりになって叫んだ。
詳しい事情まではわからない。
けれど、今晴香がクラスで孤立しているのは明白だった。
仲の良かった二人にも避けられ、クラスメイトからは好き放題に言われる。
普段家では強気な晴香も、家族以外の人に対しては遠慮がちになる。
それは、彼女が外面を気にする一方で、内弁慶な性格だからだろう。
そして、学校などで溜め込んだストレスが、家での彼女の反抗的な態度として現れているのだと俺は考えていた。
「私、何も悪いことしてないじゃん! 我儘なんて一度も言ってない。みんなに合わせようと、ちゃんと話もしてた。心の中ではそう思ってなくても、『可愛いね』って言ったし、全然興味ないアイドルだって、みんなが好きだって言うから、私も好きだって言ったんだよ! なのに、どうしてこんな酷い目に遭うの? どうして私だけがこんな思いをしなきゃいけないの? 私、内藤君のことなんて好きじゃないもん! キリちゃんの好きな人を奪ったりするような真似、絶対しないのに!」
きっかけはおそらく、晴香がきりちゃんの好きな内藤君に好かれたことだろう。
それがきりちゃんの逆鱗に触れ、いじめが始まった。
クラスメイトはその流れに乗り、月菜や秋穂もまた、きりちゃんに同調するように晴香を避け、晴香は一人、孤立を深めていった。
帰り道、月菜たちと一緒だった、あの気の強そうな子が、きっときりちゃんだろう。
あの時、晴香が泊まりに来た日に里奈が言った言葉は、今、晴香の心を深く抉っているに違いない。
里奈の言葉が、唯一甘えられる家族である俺たちの前でさえ、晴香を素直になれないようにしているのだとしたら、彼女は今ももどかしい気持ちでいっぱいなのだろう。
そう考えると、俺は晴香のことを何も理解していなかったと、今更ながら思い知らされた。
「ごめん、晴香。お前がそんなに苦しんでいることに、全然気づいてやれなくて……。それどころか、突き放すような言い方までしてた。でも、今日からはちゃんと晴香の話を聞く。だから、許してくれないか?」
俺の言葉に晴香はゆっくりと顔を上げる。
目が合った瞬間、俺の心も若干緩んだ気がした。
「心配するな。どんな時でも俺は晴香の味方だからな。だから、安心して俺に頼ってくれていい。俺たちは、家族なんだから。」
その瞬間、晴香の瞳が曇ったように見えた。
そして、再び涙が溢れ、顔をくしゃくしゃにさせる。
「敏ちゃんのわからずやっ!大っ嫌いっ!!」
晴香はそう叫んで再び走り去ってしまった。
俺はなぜ、晴香を怒らせてしまったのかわからず、呆然と立ち尽くした。