第40話 姪っ子が家を飛び出す
気まずい状況は続いていたが、俺たちはひとまず着替えて、市子たちが持ってきた手土産をいただくことにした。
「一人暮らしだとさ、こういうのもあんまり食べてないと思って」
彼女はそういって差し入れしたのはおせちだった。
確かに最近ではおせちを食べる家庭は減っている。
ましてや一人暮らしだとわざわざ買って食べることもない。
俺の場合は実家がもうないから、正月寄る場所は姉家族の家だけだが、それも三が日は義兄の実家に帰ってしまうので、一緒におせちを食べるという機会はなかった。
しかも手作り。
貴重すぎる。
「もしかしてこれ、全部市子が作ったのか?」
俺の感激の言葉に、市子は照れくさそうに答える。
「そうだけど。毎年、みんなの分作るから、こんな量ならあっという間よ。それに時期は大分すぎちゃったけどね」
「いや、本当にすげぇよ。感動した。今どき、おせち作れる女子高生なんてそういないぞ」
俺の言葉を聞くと更に市子は真っ赤な顔をして、俯いてしまった。
その間を埋めるように小林が首を突っ込んでくる。
「いやぁ、お嬢の料理はなんだってうまいっすよ。お雑煮もうまいし、七草がゆもうまい、恵方巻もうまいし、ちらし寿司もうまい。とにかくなんだってうまいんすよ」
さっきからうまいしか言っていない気もするが、とにかく市子は料理がうまいらしい。
しかも、かなりの量を作り慣れている。
「そっかぁ、それはいいなぁ。それだけ料理が出来れば、いくらでも嫁の貰い手があるな」
俺が何気なく言った言葉に、市子ははっと声を上げて、再び赤面した。
俺はなにかまた余計なことを言ってしまったのだろうか。
料理がうまい女子を褒めるのは、セクハラに値するのかもしれない。
すると、それを横で聞いていた里奈が少し不満そうな顔で呟いた。
「うちだって料理ぐらいできるもん。スーパーで安い食材探して、いつも永久に食べさせてるんだから」
もしかしてでもなく、料理自慢が始まった?
俺は里奈に合わせて、それはすごいなと褒めておいた。
安い食材で料理を作るのも立派なことだ。
さらに今度は晴香まで突っかかってくる。
「私だって料理ぐらいできるもん。家庭科はいつも5だし。バレンタインデーのチョコ、おいしかったでしょ?」
急に晴香は去年のバレンタインチョコの話を持ち出してきた。
そこまで二人に対抗する必要はないのに、なぜだか必死だ。
その話を聞いて、里奈は晴香に向かってふふふぅんと鼻を鳴らした。
「それって調理実習ぐらいしか普段料理作らないってことじゃん?うちらはほぼ毎日作ってるんですけどぉ」
里奈のその言葉に晴香はぐぐぐっと悔しそうな顔をした。
中学生に高校生がマウントをとるのもどうかと思うが、確かに晴香は普段から料理をしない。
母親の手伝いすらしないのだから、今日ぐらいははっきり言われた方がいいのかもしれないと思った。
「俺は全く作れないからな。料理作れるだけでも尊敬するよ」
俺は純粋な気持ちでそう述べたつもりだったが、女子三人はそんな俺を見て妙な顔をしている。
その雰囲気をぶち壊すように小林も発言し始めた。
「俺も料理得意っすよ!」
かなり自信満々に答える小林。
小林にも意外な一面があるんだなと感心した。
人は見た目で判断できないようだ。
「そうか。得意料理は何なんだ?」
「カップラーメンっす!」
ああ、よくあるパターンねとその時感じた。
いるんだよね、たまに、お湯注ぐだけのカップラーメンを料理に入れる奴。
「せめて、おにぎりぐらいは言えよ。カップラーメン作れても料理が出来るとは言えないぞ」
「あ、じゃぁ、インスタント味噌汁作れやす!」
もう、お前の料理、基本お湯入れるだけなんだよな……。
せめて、インスタントラーメンぐらいは作れるようになれと叫びたかった。
しかし、そんなことより目の前のおせち料理に集中したい。
こんな貴重なものはそうそう食べれまい。
俺はひとまず昆布巻きと伊達巻を皿にとる。
そして、食べようとすると横で躊躇する晴香に気が付いた。
「晴香?食べないのか?せっかく市子が作ってきてくれたんだ。遠慮なく食べたらいいんだぞ?」
俺がそう言っても、晴香は取ろうとしない。
俺はどうしたのだろうかと首を傾げる。
すると晴香は箸を机に置いて、はっきりと答えた。
「だっておせち料理っておいしくないもん。黒豆も昆布巻きも、この妙な味がする卵焼きも嫌い。煮物だって野菜ばっかりだし、数の子は生臭いし、かまぼこなんて味しないじゃん。この色の悪い小魚もなんか気持ち悪くて食べたくない。ローストビーフとかいくらとかないの?」
その発言に、里奈は驚きのあまり口が塞がらないようだった。
親族としてもなんと申し上げていいのかわからなくなった。
「すげぇ生意気な子。そんな好き嫌いばっかりしてるから頭も体も成長しないんだよ!」
里奈の言葉に晴香は言い返そうとしたが、里奈や市子の体形を見て、諦めたようだ。
二人は明らかに晴香より発育のいい体をしている。
里奈はそこそこの巨乳だし、市子は細くてスタイルがいい。
こんなことを言えば、変態と非難されそうだが。
俺は目の前にいる市子にすまないと頭を下げた。
俺のために手間暇かけて作ってくれた料理を晴香がこんな風に貶すなんて、親族として申し訳なかった。
しかし、市子の方は全く不快には思っていなかったらしく、笑って首を振った。
「気にしないで。今の若い子はあまりおせち料理を好まないって知っていたから。うちの組員でも若いやつらはほとんど手を付けないの。だから、作る量も年々減らしてるの」
彼女はそう言って、皿の上に一つ一つの食材を少しずつ乗せて晴香に見せた。
「晴香ちゃん、おせちにはね、年の初めの験担ぎとして食べるものだったの。だから、一つ一つに由来があるのよ。黒豆はまめまめしく働けるように。数の子は子孫繁栄。田作りは豊作祈願。紅白なますは祝いの水引。海老は出世や健康長寿。昆布巻きは不老長寿。栗きんとんは金運上昇など。だから、今年もいい年になりますようにと願いながらおせちを食べるものなの。今の時代は新鮮でおいしいものがたくさんあるから、おせちなんて不必要なものに感じるけど、これでも昔はかなりのご馳走だったのよ。後、腐りにくいってのも大事ね」
俺は市子の博識さに驚いていた。
さすが伊達に名家のお嬢様をやっているわけではないらしい。
すると、晴香は机に置いていた箸を手に取り、恐る恐るおせちに手を伸ばす。
そして、その中から伊達巻を取り、市子に尋ねる。
「これはどういう意味?」
市子は優しく教えてくれた。
「学業成就ね」
それを横で聞いた俺はつい笑ってしまった。
「晴香にぴったりじゃねぇか」
俺の言葉に晴香は反応して、箸を持ったまま俺を叩いてきた。
どうやらお気に召されなかったらしい。
するとそんな俺たちを見て、里奈は晴香に告げた。
「あんた、友達いないでしょ?」
その言葉に晴香の手が止まる。
「は?」
そして、晴香は里奈の方を見た。
「だって、あんたみたいな我儘な子、他の子が相手にするとは思えないもん」
「ちょっと、里奈!」
里奈の言動を真っ先に止めたのは市子だった。
俺もつい呆然と二人のやり取りを見てしまう。
「市子が優しいからね、そんな発言も許されるんだよ。人が作ってくれた料理にケチをつけるなんて、最低な行為だよ。そんなことも分からない子が人の気持ちなんてわかりっこない」
「里奈、言い過ぎ!」
「止めないで市子。こういう子はね、誰かが言ってやらないといけないの。敏郎も女の子には甘いから、何も言わないんだろうけど、こんなの絶対に間違ってる。失礼なことはちゃんと失礼って教えなきゃ、一生この子は他人の好意に甘えて生きるよ。そしたら、孤独になるのはこの子なんだから!」
晴香の顔は無表情だった。
ショックだったのか、何も言わずに立ち上がって、部屋を飛び出していった。
俺は晴香を必死に呼んだが戻ってはこない。
「ごめん。俺、晴香を連れ戻してくる!」
俺はそう言って立ち上がった。
すると、後ろから市子の声が響く。
「小林、あんたも行きな」
小林は今までにないぐらい俊敏に立ち上がり、俺の後ろをついてきた。