第4話 デートのお誘いに奮闘する
昼飯を食い終えるころには、もうすっかり昼休憩の時間は終わっていた。
席に着いて午後からの仕事に取り掛かる。
沖田は戻った早々、担当顧客から電話があったらしく、ジャケットを持って外出した。
近藤さんは取引先との電話交渉があるらしく、早速会社の電話から顧客先へ電話している。
そして俺は先日まとまった案件を報告するため、報告書作りにとりかかっていた。
俺は出先の交渉より、この事務仕事の方が苦手だ。
だいたい途中で集中力が途切れて、最後はてきとうな報告書になるから、毎度課長から再提出を求められる。
俺はその集中を保つためにも、食後のコーヒーを注ぎに給湯室に向かった。
そこには給湯室で掃除をしている大村さんがいた。
俺はつい驚き、声を上げてしまった。
そんな俺を見て、大村さんはくすっと笑う。
「どうしたんですか、土方さん。コーヒーなら出来ていますよ」
彼女はそう言って、コーヒーメーカーを指さした。
俺はどうもと言って、マグカップにコーヒーを注ぐ。
その間に大村さんは黙々と室内の掃除をしていた。
そんな姿を見ていたら、なんだか家で家事をしている大村さんのイメージが湧いてきた。
元妻で、一人息子のいる母親なのだから家の家事もちゃんとやっているんだろうとは思うけど、それが絵になって魅力的に見えてしまう。
もし、大村さんが俺の奥さんになったらこういう光景をいつも見られるかと思うと、なんだかむず痒くなってきた。
その瞬間、俺の指に熱湯がかかる。
「あちちっ」
俺は慌てて注いでいたポットを上げて、満タンになったマグカップを近くの棚に置いた。
床はコーヒーが零れ、染みになっていた。
「あ、すいません!」
俺が慌てて床を拭こうとしたら、大村さんが俺の手を掴んでシンクの前まで連れてきた。
そして、お湯のかかった指に水を流す。
「コーヒーの染みより自分の手の方を心配してください。火傷していたら大変ですよ?」
大村さんは少し困った顔で注意する。
なんて優しい人なんだ。
「これぐらい大丈夫ですよ! そんなに熱くなかったし」
俺は誤魔化すように笑った。
しかし、大村さんは上目遣いで口をとがらせている。
「嘘つき。あちちって言ってましたよ」
バレたか。
けど、これぐらいでは火傷はしない。
ちょっとひりひりするぐらいだ。
それでも大村さんは心配してくれた。
そして、その後に俺と彼女の二人で給湯室の掃除をした。
給湯室を汚したのは俺なのだから、俺が片付けるのは当然だが。
掃除が終わって、給湯室を出ようとした時、俺は大村さんに呼び止められる。
「土方さん、ジャケットのボタン」
俺はそう言われて、ジャケットの裾のボタンに目を向ける。
今にもとれかかったボタンが1つ見えた。
「ジャケット貸してください。付け直しますから」
彼女はそう言って腕を伸ばし、笑いかけた。
俺は申し訳ないと思いながらも、彼女にジャケットを渡す。
彼女は自分の机からソーイングセットを取り出して、近くの作業机の椅子に座った。
そして、俺のジャケットのボタンを付け直してくれる。
俺は大村さんのこういう家庭的なところが好きだった。
人の細かいところを見て、いつも気を遣ってくれる。
理想的な日本女性像である大和撫子のようだ。
そんなことを思いながら大村さんの作業を見ていたら、自分のくたくたなジャケットが目についた。
このスーツも新調してからずいぶん経つ。
クリーニングには何回か出しているが、もう前裾なんてヨレヨレになって波打っていた。
よく見たら、ズボンもくたくたで所々色がまだらになっているし、靴なんてもう、随分磨いていない気がした。
こんな状態でよく営業が務まるなと自分でも思う。
確かに新規開拓も仕事の内だが、半分以上はルート営業。
あまり格好など気にしてはいなかったし、お得意先も馴染み過ぎて気が付かなかっただろう。
しかし、こんなくたくたなスーツを着ている男性を、女性は魅力的には思ってくれない。
第一印象は清潔感からっていうからな。
「土方さん、できましたよ」
彼女はそう言って俺にジャケットを返してくれた。
俺はひとまずお礼を言って、ジャケットを受け取る。
ではといって大村さんはソーイングセットを仕舞うと、自分の席に戻ろうとしていた。
これはチャンスなのではないのかと一瞬思った。
お礼に食事を誘うなら、割と自然に声をかけられるはずだ。
もう、こんなチャンスはないかもしれないと思って、俺は思い切って声をかけてみた。
「あ、大村さん。もし良かったら、ジャケットとコーヒーのお礼に、その、食事とかどうですか?」
俺的には、精一杯頑張ったつもりだった。
大村さん自身も驚いて、立ち上がったまま硬直していた。
少しの間、沈黙が続いて俺の緊張は更に高まる。
すると、大村さんが丁寧に頭を下げてきた。
「ごめんなさい」
フラれた!
その時の俺はそう思った。
こんなに丁寧にフラれるというのも、それなりに傷つくものだ。
「あの、私、息子がいて、まだ小学生だから、一旦家に帰らないと行けなくて。その、変な話なんですが、子供同伴で良ければ喜んで」
ん?
子供同伴?
これはふられたわけではない?
つまり、まだ幼い子供が家にいるので、子供と一緒になら食事に行きますよって話だよな。
それは遠回しに断られているのか、それとも本気で言っているのかわからない。
俺は答えが見つからず、黙ってしまっていた。
すると、大村さんが慌てて訂正する。
「ご、ごめんなさい。私すごく失礼な事言っていますよね。食事を誘っていただいているのに、子供も一緒だなんて普通は嫌ですよね。だから、忘れてください!」
これは別に断られているわけではないのだと確信した。
本気で子供を連れてこようとしているのだ。
確かにデートに誘って子供が一緒に来たらがっかりするが、彼女には彼女なりの事情があるのだろう。
ここで簡単に子供を家に一人残して、自分だけ男とデートを楽しむ女性もどうかと思うし、彼女の真摯さを感じた気がした。
「そ、その、大村さんがそれでいいなら。息子さん、俺みたいなおじさんが一緒だと嫌がりません?」
俺は苦笑いを浮かべて、答えた。
大村さんは目を輝かせて、首を大きく振った。
「それは大丈夫だと思います。どちらかというと、私の我儘ですから。こちらがご迷惑をお掛けすることになるので、申し訳ないのですが……」
息子同伴を承諾する男というのも、少ないのかもしれない。
けど、俺は大村さんに息子がいるのも知っていたし、シングルマザーで頑張っている彼女を見ている。
だから、そう言うのも兼ねて彼女を受け入れたいと思っていた。
「なら、息子さんのためにもランチがいいですかね? 今度の日曜日なんてどうですか?」
俺は軽く提案してみる。
俺もその方が楽だ。
彼女も嬉しそうな顔で頷いた。
「大丈夫です。私も息子も特に用はなかったと思いますし、問題ありません」
「良かった。息子さんには好き嫌いはありますか? 苦手なものはなるべく避けようと思うのですが」
「ありません。なんでも食べられます!」
どうやらなかなか躾けのなっている息子らしい。
母親の苦労を知っている子だ。
きっと聞き分けもいいのだろう。
そうであれば俺も安心して会えそうな気がした。
「わかりました。ではこちらで適当なお店を見繕っておきますね。もし、要望があれば、メールでもいいので、後で連絡ください」
俺がそう言うと、大村さんははいと笑顔で答えた。
やっぱり大村さんは癒し系で間違いない。
そんな話をしていると、大村さんと同じ事務員の社員、並木がやって来た。
並木はうちの社の唯一の20代女子だが、全く魅力を感じない図々しい女子社員だった。
化粧も厚いし、格好も好き勝手だし、何よりもその長い爪でキーボードをカタカタいわせるのが一番気に入らなかった。
「なんですかぁ、2人して。何話してるんですかぁ?」
並木が絶妙なタイミングで話に入ってくる。
俺は何でもないといって、その場から離れた。
その後からも大村さんがしつこく聞かれているようだったが、うまくかわしているようだった。