第34話 女神様のむちゃぶりに消沈する
涼子とはあの場で別れ、後日、旦那と話し合ったという連絡があった。
あれだけ騒がせておきながら、報告はあっさりとしたものだった。
俺は夢を見ていた。
淡い光に包まれた空間。
重力から解放されたような浮遊感。
まさにここは……、と思った瞬間、顔面に何か固いものが押し付けられ、息が苦しくなった。
もがきながらも瞼を開けると、鬼の形相をした女神様が、ぶっとい栞のようなものを俺の顔に押し付けていた。
必死にそれを押しのけ、勢いよく身を起こした。
なぜか、押し付けていた張本人まで息切れしている。
「なんなんですか、いきなり!俺を殺す気ですか!?」
俺はあまりの驚きに、女神様に向かって怒鳴りつけていた。
ってか、神様が窒息死させるとかやばいでしょ?
しかも、夢の中で死んだら、現実の俺はどうなってしまうのか、すごく不安だ。
何か言いたそうにしたため、俺は女神様の顔を見る。
「この、浮気者!!」
まさかそのセリフを女神様から受けるとは思わなかった。
身に覚えがない上に、立場の全く違う神様から言われる理由がわからない。
「言っている意味が――」
「あんたの運命の人は小野市子だと神託が下ったっていうのに、どうして、どこの馬の骨ともわからん女とイチャイチャする余裕があるのよ。あんた、やる気あるの?」
女神様はああ?と凄みを利かせる表情をしてきた。
どこの馬の骨って、神様がそれを言ったら職務怠慢に当たるのではないかと思ってしまうのは俺だけだろうか?
しかもイチャイチャした覚えはないのだが、女神様の怒りは相当なものらしい。
「だいたいね、あんたら人間はオスとメスが出会ったら、すぐに【自主規制】して、【自主規制】して、【自主規制】したりするのよ。もう信じられない。外道よ、外道。そもそもね、何かイベントがあるたびに〇〇デートとか名前つけちゃって、すぐイチャイチャする口実を作るの!お前ら、ほんとに【自主規制】ってか!マジ、【自主規制】しろ!!」
もう女神様の罵倒は止まらない。
自主規制がかかりすぎて、一般公開できないし、女神様とは思えない発言だった。
しかも、この苦情、もう俺には関係ないような気がする。
「で、今回は何なんですか?また、新たな神託でも降りたんですか?」
俺は興奮気味の女神様に改めて質問した。
すると女神様もやっと本来の目的を思い出したのか、咳払いをして再び俺の前に座る。
「神託じゃなくて、定期面談です」
「定期面談?」
そんなものが天界にあるとは初めて知った。
女神様は神様らしい凛々しい顔を一瞬で崩して、返答する。
「ほんと、意味わかんないって感じよぉ。上はさぁ、指示すりゃ満足するのかもしれないけどぉ、実際やるのはうちらだからさぁ。その辺は、上に立つ神として理解してほしいところよねぇ。定期面談とか言ってたらさ、なんかやってまぁす感?出るからさぁ、上としては積極的に取り入れたいんだろうけど、うちら的にはぶっちゃけ迷惑っていうか?上が思うほどうちら、暇じゃないんだよねぇ」
けだるそうに話している最中、半分寝っ転がりながら爪やすりで爪を削っている姿を見ると、他の神様は知らないが、目の前の女神様だけは暇だと思った。
つまり、その意味のない定期面談のために俺は呼び出されたらしい。
「まぁ、わかりましたから、その定期面談ってのを始めてください。俺も暇じゃないんで」
俺の言葉に、女神様はぷっつんと切れて、再び文句を言い始めた。
「なんで私がそんなこと言われなきゃならんのよ!こっちは神様よ? 立場をわきまえて話せっての!」
「……すいません」
この場を穏便に済ませるためにも俺はひとまず謝った。
もうこれ、何ハラだよ。神ハラか?
俺だって、早く話を終わらせてもらわなければ、よくわからない睡眠不足になるのだ。
確実に睡眠の質は低下させられている気がする。
「とりあえず、どんな感じ?」
女神様は、多分貴重な資料の隙間にメモをしながら、俺に質問してきた。
メモというより、落書きをしているようにしか見えなかった。
また、ざっくりしすぎて何を話していいかもわからない。
「とりあえずも何も、今のところは何にも変わっていません」
「なんで?」
女神様は驚きの表情を隠せない様子って、そこは驚くところじゃないだろうと言いたい。
「なんでじゃないですよ。言いましたよね。中年の恋愛は難しいって」
「言ったかもしれないけど、忘れたわよ」
って、忘れんなよ。
俺は突っ込みたい気持ちを押し殺して話を続けた。
「しかも、相手は女子高生ですよ。そんな簡単にはいきませんよ。何かきっかけでもない限り、ほぼ無理だと思います!」
俺はそう、はっきり答えた。
もう、これ以上、世界の崩壊の責任を俺に擦り付けないでほしい。
運命の相手が分かったところで、極道の娘で名門女子校に通うお嬢様って設定がもう無茶難題なんだよ。
それが神様レベルになると理解されないらしい。
「そんなのぉ、きっかけなんて自分で見つけるものでしょ?帰り道に偶然を装って待ち伏せするとか、彼女のお気に入りの物を探ってわざと同じものを持ち歩くとか、頻繁に目を合わせて恋愛を意識させるとか!!」
「いや、なんか全部俺がやるとやばいやつにしか思われないんですけど? ってかもう、ストーカー扱いされますよね?」
むしろ、恋愛は遠のく気がするのだが。
困ったわねと女神様は懸命に考え始めた。
今まで女神様のアドバイスが役に立った試しがない。
俺としては、適当なところで切り上げて、早く深い眠りにつきたかった。
「とにかく、思いをぶつけて、強引にことを成し遂げちゃいなさいよ。そっちではなんていうんだっけ?そうそう、既成事実!」
「いやいやいやいや、神様が一番言っちゃいけない言葉だから、それ!」
「そう? 世の中なんてやったもん勝ちって気がするけど」
神様からこの言葉を聞くと、もう俺には世の中に失望しか感じなかった。
しかし、実際に神託と言われて、神様に市子との恋愛を勧められてはいたが、最近では市子に限らず、恋愛の難しさを痛感させられていた。
会社の同僚の大村さんとの関係、元カノの涼子との再会。
俺にとってはそれだけで手一杯なのに、世界の平和のためとか、運命だとか言われて、一番ハードルの高そうな市子との恋愛なんて、より一層考えられなかった。
それに、あいつのことを考えれば、俺みたいなおっさんより年相応のイケメン男子と付き合った方が幸せだと思う。
若い時ぐらい夢は見るべきだ。
夢を見すぎて、婚期を逃した俺が言うのも、説得力がない気もするけど。
「とは言っても、運命の時までそう時間はないみたいだから、のんびりもできないみたいなのよ」
「運命の時?」
「私も詳しくは知らないんだけどさ、神託が下ってから、危機が回避できるのは長くて3年、短くて半年なの。だから、うかうかしていると世界が崩壊するわよ」
それを聞いて、俺は全身で疲れを感じた。
どうしてこの神様たちは俺にその重責を担わそうとするのだろうか。
「とにかく結果を出してくれたらいいから! 私、結果主義なの!」
自信たっぷりで答える神様だけれど、神様が結果主義ってハード過ぎない?
「もう敏郎の命をも辞さない構えよ」
「いやいや、そこは辞してください。俺が死んだら、運命とやらも全て意味をなさなくなりますよ?」
女神様はやっと俺の言っていることを理解したのか、ぽんと拳を叩いた。
「それは困るわ! 敏郎、死なない程度で無理しなさい!!」
女神様のむちゃぶりに俺は大きく肩を落とした。
運命以上に、女神様の期待が俺には重かった。