第32話 元カノからあの時の事実を聞かされる
数日後、涼子からまた会わないかというメッセージが届いた。
正直、会うべきかどうか悩んだけれど、あの日のラブホで言った涼子の真意がどうしても知りたくて、俺は再び涼子と会うことにした。
待ち合わせの場所は、二人でよく行ったファミレスにした。
女性と二人で会うにはあまりにもムードがない場所にも思えたが、今の俺たちの距離を考えたらちょうどいい気がして、その場所を選んだ。
仕事を終えて、ファミレスに向かうと既に涼子が到着していた。
俺たちはそれぞれの夕飯を選んで、忘れずにドリンクバーも追加した。
そして、涼子が俺の分のドリンクも一緒に取りに行くのがお決まりだった。
彼女が俺にドリンクの種類を尋ねることはない。
取ってきてもらう以上、文句を言わないのがルールだ。
涼子はニコニコしながら、俺の前にドリンクの入ったコップを突き出した。
俺はそれを受け取り、尋ねる。
「なぁ、これ、何の飲み物?」
「さぁ、それは飲んでのお楽しみ!飲んで飲んで!」
涼子は嬉しそうにドリンクを俺に勧めてくる。
俺はひとまず一口飲んでみた。
案の定、まずい……。
「何が入ってるか、わかった?」
ワクワクした目で質問する涼子に、俺は苦笑しながら答える。
「メロンソーダとカルピスとコーヒーのミックスだな」
「わぁ、すごい! 大正解!!」
俺が組み合わせを当てたことで、涼子は楽しそうに声を上げた。
付き合っていた八年間、始終こんなことをやっていたので味も覚えてしまった。
まぁ、だいたいコーヒー混ぜるとまずいんだけど。
それから俺たちは食事中、取り留めのない会話を楽しんだ。
「ああ、楽しかったぁ。たまにはファミレスもいいね」
レストランを出た俺たちは時間が余ったので、近くの川沿いを歩いていた。
涼子は背伸びをしながら、俺に話しかけてくる。
「そうだ。今度はあの水族館に行かない? 会社帰りに待ち合わせて、よく二人で行ったでしょ? 久々にクラゲ、見に行きたいよね」
涼子はいつも明るいけれど、今日は更に陽気に見えた。
こういう時の涼子は大半、隠し事をしている。
「あ、映画もいいなぁ。私、ちょうど見たい映画があったの。映画館で見るのも久しぶりだし、やっぱりポップコーンは欠かせないよね! 敏郎が塩で私がキャラメル。二人で分け合いっこなんかしてさぁ――」
「涼子」
楽しそうに話す涼子の横で、俺は彼女の名前を呼ぶ。
彼女の体が微かに動いた。
「何かあったのか?」
俺の質問にしばらく黙っていたが、再び笑顔を向けて答えた。
「何言ってんの、敏郎。何にもないよ。ほら、旦那さんがさ、最近仕事で忙しいから、代わりに敏郎に相手してもらおうかなぁと思って。心配しないで。ちゃんと彼には許可もらっておくから」
「そうじゃなくて!!」
俺は少し強めの口調で言った。
驚きのあまり、涼子の顔が強張っている。
「何かあったから俺を呼んだんだろう。あの時、お前言ってたよなぁ。今は旦那と距離置きたくなってるって。夫婦生活、本当はうまくいってないんだろう? 旦那に本音、言えてねぇんじゃねぇの?」
俺の言葉に、更に涼子の表情が暗くなった。
きつい言い方ではあったが、もうこれ以上、涼子のやせ我慢は見たくなかった。
すると今度は、「ははは」と情けない声で笑い始めた。
「さすが、敏郎。私のこと、なんでもわかっちゃうよねぇ。きっとうまくいっていないとか、そういうことじゃないんだろうな。気持ちがね、一緒にいないっていうか、一緒にいてもいないというか、表現するのは難しいんだけど、心が遠く離れちゃった感じなの」
それを言った後に、俺が驚いた顔をするとすぐに察したのか、涼子が先に訂正を入れた。
「違うよ。彼が浮気してるとかそういうことじゃないの。前も話したけど、彼は敏郎と同じぐらい、真面目で誠実だから、浮気なんてしない。しないんだけど、心がどこか遠いの。敏郎といた時はそんな気持ちになったことなんてなかったのに、どうしてだろう。だから、偶然敏郎の姿を見つけた時は、居ても立ってもいられなくなって、声をかけちゃった。迷惑かけて、ごめんね……」
「迷惑なんて、そんなこと思ってねぇよ」
俺は慌てて訂正する。
すると、涼子はじっと俺の顔を伺うように見てくる。
「だって敏郎、今は女子高校生、狙ってるんでしょ?」
「誤解を招く言い方するなよ! 偶然知り合っただけで、俺はなんとも思ってねぇよ。だいたい、あいつらと何歳、年が離れてると思ってんだよ。25歳だぞ? もう、娘みたいなもんじゃねぇか」
涼子までそんなことを言い出すのかと思い、呆れてしまった。
やっぱり、女子高生と仲良くするおっさんなんて、下心以外考えられないのだろうか。
「私は歳なんて関係ないと思うけどな。それに敏郎が興味なくても、あの子たちが敏郎を男性として見てるかもしれないでしょ? あの頃って年上の男性に憧れる時期だしさ」
俺はつい、鼻で笑ってしまった。
「あいつらに限ってそれはねぇよ。それに年上って言っても限度があるだろう。大学生や20代の男に憧れるのはわからなくもないが、俺はもう四十を越えたおっさんだぞ。そんなおっさんに恋心抱く女子高生なんて、ないないない!それこそ、ファンタジーだ」
俺はそう言って、手を頭の上で何度も振った。
そんな内容の漫画やアニメが存在するのは知っているが、ありえないからこそ、ああいうものが流行るのであって、現実の四十のおっさんに女子高生が惚れるなんて、あるはずがないのだ。
涼子は小声で何か不満を言っているようだったが、よく聞こえなかった。
「敏郎はさ、そういうところが鈍いんだよ。私がプロポーズを断った時もあっさり諦めちゃってさ」
涼子が急にプロポーズのことを持ち出してきたので、さすがにこれには俺も反抗する。
「それはお前が、『もう遅い』なんて言うからだろう。俺はあの時、きっぱりと断られたと思って……、思ったから、何も言えなくなって、それからお前の顔も見られなくなった。俺はあの言葉がものすごくショックだったんだぞ!」
すると、涼子は更に不満そうな表情を向けてきた。
「本当に好きなら、一回振られたぐらいで諦めないでしょ? なんであの時、『それでも側にいたい』って、強引にでも一緒にいてくれって言ってくれなかったの。そしたら、私は……」
涼子は口ごもり、それ以上何も言えなくなった。
俺はその続きが知りたくて、更に突っ込んだ。
「私は、何だよ。俺がお前にそれでも結婚してくれって言ったら、結婚したのかよ!」
「したわよ!」
涼子の叫び声のようなその言葉に俺は言葉を失った。
そんな可能性があるとは、今まで一度も考えてはいなかったからだ。
俺の胸には一気に後悔の念が浮かび上がってくる。
涼子も居たたまれなくなったのか、俺から顔をそむけた。
「あの時はああ言ったけど、敏郎のことが嫌いで言ったわけじゃない。好きだったから、ずっと八年間も一緒にいたんでしょ? 私にだって結婚適齢期があるの。敏郎のために何年も待てないよ。だからせめて、あの時、強引にでも手を引っ張ってくれたら、私、断れなかった。自分の中の迷いも吹っ切れていたと思う」
「いまさら言われても……」
俺はどう答えていいかも、どう考えていいのかすらわからなくなった。
「ずっと敏郎が結婚に踏み切れないでいたの、知ってた。そんな時に今の夫にプロポーズされて、正直、迷ってたの。彼の方が、高収入で頭も良かったし、将来設計もしっかりしてて、何よりも決断力があった。こういう人と結婚した方が幸せなんだろうなって思っちゃって、ずっと返事出来なくて、そんな時に前触れなく敏郎からのプロポーズでしょ? 私、納得いかなくて、正直な気持ちが口から出ちゃった。そしたら、敏郎、真っ青な顔して喋らなくなって、それからは私も何も言えなくなって、彼のプロポーズを受けたの。私だって好きで敏郎と別れたわけじゃないよ!」
その言葉に俺は何も言えない。
七年前の失敗の意味を今頃知って、俺にどうすればいいっていうんだ。
すると、涼子はそっと俺に手を差し伸べてきた。
「敏郎にまだ私を思う気持ちが少しでも残っているなら、お願い」
涼子の力強い眼差しに、俺は目が離せなかった。
「この手を取って、このまま攫ってよ」
この瞬間、俺たちの周りの時間が止まっているように見えた。