第31話 先輩と都内の銭湯に入りに行く
いつも通り仕事を終え、退社しようと席を立った直後に近藤さんに捕まった。
そして、約束通り、近藤さんおすすめの銭湯へと連れていかれることになり、なぜか、沖田まで一緒についてきていた。
銭湯に向かう間にも散々近藤さんには涼子について質問されるが、元カノという情報以外は適当にあしらっておく。
目的の銭湯は思いのほか、都市部の真ん中にあった。
銭湯というより建物はおしゃれなオフィスビル風で、入り口もロビーもリゾートホテルのようだ。
靴を脱ぎ、靴箱にしまって入館料を買う。
しかし、その入館料に驚いてしまった。
3千円だぞ、3千円。
いくら立地がいいからって、高すぎる気がする。
俺の感覚では銭湯代は500円ぐらいだし、温泉でもそんなに高くはないはずだ。
これ一回で、紙煙草が5箱は買える。
俺は平然とチケットをもってフロントに向かう近藤さんを追って、声をかけた。
「近藤さん、いつもこんな場所に来てるんですか?金持ちっすね」
すると、近藤さんはあっさりと答えた。
「そんなわけねぇだろう。たまぁにご褒美がてらに来てんだよ。ここは風呂やサウナだけじゃなく、岩盤浴まで入れるんだぜ。それにタオルや館内用のウェアは料金に含まれてるしな、来たい時に来られる。それに、俺は回数券買ってるからよ、一般より若干安いわけよ」
そう笑って、近藤さんはさっさと風呂場に向かって行った。
せめて、近藤さんから誘ったのなら、奢ってくれてもいいのにと閑寂な俺の財布の中身を覗き込みながら思った。
しかし、風呂場に入った瞬間、高いなんて言ったことを訂正したくなるほど充実した銭湯だった。
風呂の数は多く、岩盤浴も三種類以上あって、露天風呂付。
近藤さんおすすめのサウナも広さが十分にある満足できる設備だった。
まさにここは都会のオアシスだ。
サウナ室で俺と近藤さんは横並びになって座る。
サウナの入り方のレクチャーは近藤さんからしっかり受けていたのだが、いざサウナ室に入るとこのうだるような暑さにすぐにでも退室したくなった。
背中を丸めて暑さに耐えている俺の隣では、いつもなら見られないどしんと構えた腕組姿の近藤さんがいる。
そんな近藤さんを横目で見ながら、俺は小声で質問してみた。
「近藤さんはそのぉ、昔の女に未練を感じたこととかないんですか?」
すると近藤さんは微動だにせず、はっきり答える。
「ないな!」
この瞬間、近藤さんを少しかっこいいと思ってしまった。
もしかしたら、サウナは人すらも変えてしまうのかもしれない。
「母ちゃん以外の女なんざ、大学生時代にたった一瞬付き合った女一人だぞ。付き合ってくれと言われた20時間後には、別れてくれって言われたよ」
「……それはまた災難で」
「せめて、24時間経ってからにしてほしいよな。一日付き合ったとも言えないんだぜ。俺的には履歴抹消しようかとも思ったけどな、結婚する前に付き合った女がいないってのも寂しいだろう?」
沖田さんの気持ちはわからなくはないが、それはもう付き合ったとは言えないのではないだろうか。
今度は、近藤さんと同じように腕を組み、力強く頷く沖田が答える。
「わかります、近藤さん! 俺も廊下でいきなり好きだって告白されたと思ったら、俺の後ろにいる杉田っていう名前の奴を呼んでいただけでした。ほんと、俺の青春、返してほしいっすよ!!」
「お前のそれは全然違うだろう? そもそも、杉田と好きだを間違える奴がいるか? どんなシチュエーションになったら、廊下で突然告白されんだよ。状況考えたらわかるだろう」
俺はそんな沖田に突っ込む。
すると今度はさらに真横から声がした。
「私ニも、ワカリマスヨ、ソノ気持ち! 私も甘酸っぱい青春、イッパイ経験シテ来マシタ。学生の時、女の子カラ、『ヘンリーの髪の生え際、ちょっとベッカムに似てるかもぉ』と言ワレタリ、同僚の女の子カラハ、『髭の生え方がブラットピットっぽい』ナドト言ワレ、私ハ完全ニ、ソノ気になってシマイマシタ! 私ヲ弄ぶノハ、もうヤメテ欲シイです!」
いつの間にかヘンリーも合流していた。
なんでこいつは体毛ネタしかないんだよ。
もう青春関係ない気がするし、何より気になるのは女子が話した部分の日本語が流暢なことだ。
どうしてヘンリーはかたくなに片言で話そうとするのかわからない。
「そもそも、なんでヘンリーがここにいるんだ?」
俺は二人に疑問を投げかけた。
どう考えたって、沖田がヘンリーを勝手に呼んだとしか思えない。
それを聞いてヘンリーは、人差し指を立てて横に振った。
「ノンノン! 怒ラナイヨ、土方サン! 怒ルと眉間にシワ増えるヨ! 怒るノ良くないネ!」
「うるせぇよ! そもそも誰のせいで怒ってると思ってんだよ」
日本人の癖に全然話が通じない沖田ヘンリーコンビニには飽き飽きさせられていた。
なんだか、沖田がもう一人増えた気がする。
そもそも、ヘンリーは沖田と違ってわざとやっているんだろうけど。
そんな俺たちとのやり取りを見て、今度は沖田が答えた。
「俺たち、マッスル推奨団なんすよ。だから、マッスル活動になりそうなときは、必ずヘンリーを呼ぶんす」
「マッスル推奨団って何なんだよ、聞いた事ねぇぞ」
俺が答えると沖田は自信満々に返す。
「俺たち二人だけの団員ですからね!」
二人だけかよっと突っ込みたかったが、それ以上に突っ込みたい場所がある。
マッスル推奨団とか言いながら、そのムキムキな沖田の横にいるヘンリーは筋肉というものが見当たらない、真っ白で棒のような体をしていた。
腹なんてあばら骨が出ているし、むしろ断食とヨガをやりすぎた人のようにも見える。
ヘンリーをじっと見ている俺の考えに気が付いたのか、にっこりと笑いかけ、腕を90度に曲げると、二の腕の後ろから無理やり皮膚を引き延ばして筋肉に見せようとする。
今どき、小学生でもそんなことしねぇぞ。
「まぁ、いいじゃねぇか。それより、その元カノがどうしたんだよ。この間再会して、もう会ってないんだろう? じゃぁ、何も心配する必要ねぇじゃねぇか」
近藤さんは俺たちを諫め、改めて俺の話題に戻した。
「それはそうなんですけど……」
俺の歯切れの悪い返事に、近藤さんはにやりと笑う。
「どぉした、土方。もしかして、元カノに再熱したか? しかし、不倫はいかんだろう、不倫は!」
「いやいやいや。そのつもりはないんですけど」
俺は慌てて首を振る。
「ただ、あの日のあいつの様子がちょっとおかしくて気になったんですよ。なんか、悩んでるっつぅか、あいつらしくないつぅか。昔のあいつは人前で弱音なんて吐く奴じゃなかったし、誤解を招くような言い方をするような奴じゃなかった……」
自分で言いながら、あの時、ラブホで見つめ合った涼子の顔が浮かんだ。
あれは真剣だった。
何か俺に言いたいことがある時の顔だ。
「年とりゃぁ、そんなこともあるだろうよ。俺たちもいつまでも若いわけじゃねぇんだ。昔の男にあったら、弱音の一つや二つ言いたくなる時もあるって。お前はたださ、男としてどぉんと構えときゃいいのよ。そいでさ、おこぼれなんかもらったりして」
「おこぼれ?」
近藤さんの言葉の意味が分からず聞き返す。
再び近藤さんは口の端を上げ、不適に笑った。
「離婚だよ、離婚。女がなぁ、昔の男に会いたくなる時ってのは、たいてい旦那と別れたくなった時なんだよ。結婚生活続けてりゃぁ、旦那に嫌気がさすことぐらい、何度もあんだろう? そういう時は他の男に甘えたくなるってもんさ。チャンスじゃねぇか、土方。不倫は勧めねぇが、離婚した後はお互い自由だからよ。そこでおめぇがものにしちまうのも手なんじゃねぇのか?」
さすがにそれは近藤さんの早とちりだと思ったが、俺には涼子の本心はわからない。
近藤さんの言う通り、涼子にも何か家庭に不満があるのかもしれないと思った。
そろそろ出ようかと近藤さんが立ちあがったタイミングで、サウナ内でどしんと何か大きなものが落ちる音がした。
音がした方へ目を向けると、のぼせ上ったヘンリーが倒れていた。
サウナ内には沖田の雄叫びのような、「ヘンリー!」と呼ぶ声だけが響いていた。