第26話 元カノとの再会に衝撃を受ける
出先から直帰させてもらい、俺は最寄り駅から歩いて帰宅するところだった。
今日はいつもより早く帰宅できそうなので、コンビニ弁当ではなく、スーパーでも寄って帰ろうといつもとは違う道を歩いていると、後ろから突然、声をかけられた。
「敏郎じゃん!」
それはあまりにも懐かしい声で、驚きのあまり固まってしまった。
「涼子……」
彼女は、俺が気付いたと同時に、嬉しそうに手を振って近づいてきた。
そして、笑顔を向けてくる。
「ほんと、久しぶりだねぇ。元気してた?」
戸惑う俺を差し置いて、涼子はべらべらと話しかけてきた。
俺はひとまず、「おう」と小さな声で返事をする。
「別れてから、何年だっけ……。ああ、7年かぁ。もうそんなになるのかぁ。時間が経つのってほんと早いねぇ」
こいつは何言ってんだろうと思った。
だって、こいつは7年前に俺をこっぴどく振った元カノだぞ。
俺の一大決心のプロポーズをあっさり断り、さっさと他の男に乗り換えた奴が、どの面下げて俺の前に立ってんだよと叫びたい。
そう叫びたい気持ちはあるのだが、そこで強気に出られないのが、また俺という男だ。
なんとも情けない……。
俺は愛想笑いを浮かべた。
「お前こそ、元気そうだな。旦那とはうまくやってんのか?」
俺はほんの少しだけ嫌味というスパイスを加えて、言ってやったつもりだったが、涼子は一瞬気の抜けた顔をした後、へらへらした笑顔を見せて、答えた。
「うまくやれてんのかなぁ。6年も夫婦生活してると、だんだんわかんなくなっちゃうんだよねぇ」
涼子からすれば、他愛のない会話なのだろうけど、いまだに独身、彼女なしの俺にとっては、その言葉が胸に刺さった。
嫌味で言ったつもりが、倍にして戻ってきた気がする。
古傷が痛んで、ふるふるしていた。
幸せそうですね、涼子さん……。
「そうか、仲良くやってんならいいんだ。お前、まだ広告代理店の事務、やってんの?」
涼子のオフィスカジュアルの服装やタブレットが入っていそうな大きな鞄を見て、なんとなくそんな気がした。
俺と別れるまでずっと、涼子は派遣社員としてそこで働いていた。
たしか、今の旦那はそこの社員だと聞いている。
「もう長いからね、正式に雇われたんだよ。それからはずぅっとそこで働いてる。敏郎は?」
「俺もずっと同じ会社で働いてるよ。ついでにポジションも、全く変わってないけどな!」
俺が胸を張って答えると、涼子は笑いながら、俺の腕を何度も叩いてきた。
「それ、全然自慢じゃないから!」
こうして話していると、付き合っていた頃を思い出す。
涼子と付き合い出したきっかけは、友人の紹介だった。
紹介というより、たまたま誘われた飲み会に涼子がいて、彼女は全く人見知りがなく、交友的な性格で、俺ともすぐに仲良くなった。
自然と連絡先を交換して、何度か会ううちに、俺たちは付き合い始めた。
告白とか、そんな気恥しいものはなく、気が付けばお互いに一緒にいるのが当たり前になっていた。
付き合い出した半年後には、半同棲のような形で、涼子が俺の家に頻繁に出入りしていて、結婚するのが当然だと思っていたけれど、甲斐性のない俺は、なかなかプロポーズできず、気が付けば8年も経っていた。
出世したらちゃんと言おうと思っていた。
しかし、そんな機会は訪れず、友人の結婚報告に後押しされるように、あの日、プロポーズした。
でも、その時はもう遅かったのだ。
あの時、涼子がどんな思いで俺を振ったかはわからない。
けれど、あの時にはもう、俺と別れると決心していたのだと思う。
「仕事続けてるってことは、子供はまだなのか? お前もいい年だから、焦ってんじゃねぇの?」
いつもの悪乗りのつもりだった。
けれど、涼子の憂いを含んだ瞳を見た瞬間、しまったと思った。
こんなデリケートな質問を、気の知れた相手だからといって安易にしていいわけがない。
今なら、セクハラとかモラハラとか、とにかくなんかのハラスメントで訴えられるような質問だった。
俺は慌てて頭を下げる。
「ごめん! デリカシーに欠けた質問だった。こんなこと、他人の俺に聞かれたくないよな……」
すると、少し沈んでいるようだったが、涼子は手を小さく横に振る。
「いいの。焦ってるのは、本当だから……。ああ、ほんと、敏郎はそういうところだよ。配慮に欠けるっていうか、調子乗ると何も考えずに口からぽんぽん出るんだから」
最後の方の涼子の呆れた発言に、俺はむしろ救われた。
もっと怒っていいところなのに、涼子はこういう時、空気を読んでか、気遣ってくれる。
そういう優しいところも、俺は好きだった。
「面目ない……」
俺は再び深々と頭を下げた。
それを見た涼子が噴き出して、また大笑いする。
「敏郎って昔から変なところ、律儀だよねぇ。でも、私はそういう馬鹿正直なところが好きだったんだけどね」
彼女の言葉に喜んでいいのかわからなくて、ひとまず笑って見せた。
こうして向かい合って話していると、今はもう、涼子が他人の奥さんであることが信じられなくなる。
あんな別れ方をした所為か、俺の中にもまだ、涼子への未練が残っているのかもしれない。
「あ、そうだ!」
涼子は何かを思い出したように顔を上げた。
そして、俺の腕に思い切り抱き着いてくる。
突然の過ぎて、俺は悲鳴のような大声を上げた。
「久々に二人で飲みに行かない? 昔よく行った居酒屋とか久しぶりに行きたいじゃん!」
涼子はノリノリだったが、俺には懸念することがある。
「何言ってんだよ。お前は既婚者なんだぞ。旦那に怒られるぞ」
俺のその言葉に涼子は不満に思ったのか、怒り顔で睨みつけてきた。
「ほんと、真面目だなぁ、敏郎は。大丈夫だよ。旦那様にはちゃんと連絡しておくから」
「連絡するって、一応、俺、元カレなんですけど?」
「だから、大丈夫だって。私の旦那様はそんなことでいちいち目くじら立てないから」
疑わしい答えだったが、久々の再会に喜ぶ涼子を見ると、腕を振り払ってまで抵抗する気が起きなかった。
いくら未練があるといっても、人様の女房に手を出す気はない。
そこだけは俺の硬い意志がある。
「っていうか、お前、旦那のこと旦那様って呼んでるの?」
俺は涼子と歩きながら、何気ない質問をしてみる。
すると、涼子はまたおかしそうに笑って答えた。
「そんなわけないじゃん。家では、のり君って呼んでるよ」
「なんだ、ラブラブじゃねえか」
羨ましい限りだ……。
飲み屋に行く途中で、俺たちはとんでもないものを目にした。
目の前の女子高生が、柄の悪い男に絡んでいる光景だ。
柄の悪い男が女子高生に絡んでいるのは、どこかで見たことがあるような気がするが、逆はないだろう。
というより、それが見覚えのある奴らに見えるのだが、今は勘違いだと思いたい。
「ほら、とっととお金出して。あんたが出さないと、たこ焼き買えないでしょ?」
柄の悪い男に女子高生が金をせびっている光景を見て、涼子は真っ青な顔で呟いた。
「何あれ……。あんな光景初めて見た」
涼子の言葉に、心の底から同意した。
すると、柄の悪い男の方が俺の存在に気が付き、笑顔で手を振ってくる。
笑顔と言ってもサングラス姿だから、表情はよく見えないが、架空の尾っぽを振っているような感覚だけは得ていた。
いつものように派手なアロハシャツに短パン姿。
ブリーチをかけた金髪の頭は、根元の方が色戻りしてプリンのようだ。
彼は目の前の女子高生から離れ、手を振って俺に近づいてくる。
デジャヴだ。
「兄貴!」
男の発言に涼子はぎょっとする。
「だから、その呼び方やめろって言ってんだろう!」
俺が答えると、涼子の顔はますます不安な表情になった。
「ちょっと、敏郎どういうこと? 敏郎の知り合いなわけ?」
彼女の指さし質問に、俺は答えたくない。
知り合いだなんて、俺の口から言いたくなかったからだ。
こうなるともう厄介だ。
この男と一緒にいた女子高生二人も俺に気が付き、そのうちのギャルが指を差しながら大声を上げた。
「ああ、敏郎!」
「あの女子高生も知り合い!?」
ついに涼子の顔は血の気も引いて、今にも倒れそうだった。
誰か、俺のこの不運続きに歯止めをかけてくれないかと願った。
なんとなくあの女神様の顔が頭に浮かんだが、絶対無理だろうと確信した。