第24話 玄関前で女子高生と口論する
俺は一瞬、里奈が何を言っているのか理解できなかった。
今晩、俺の家に泊めてくれ?
何かの聞き間違いだと思いたかった。
俺が何も答えないのをいいことに、里奈は俺の体と扉の隙間に体をねじ込んで、室内に侵入しようとしていた。
俺はそんな里奈の鼻を、思い切り抓り上げた。
「痛い! 痛いよ、敏郎!」
少し鼻声の里奈が必死に訴えてくる。
里奈を部屋の外に追いやってから、手を放してやった。
鼻を真っ赤にした里奈が俺を睨みつけている。
「なんで! 敏郎はうちのボディーガードでしょ!?」
俺はあからさまに大きなため息をついた。
「あのなぁ、確かに俺が守ってやるって言ったけど、家に泊めてやるとは言ってない!」
「同じ事でしょ? 今、うちは安心して寝泊まりするところがないって言ってんの! こんな夜中にうちを外に放り出して、心配じゃないの?」
里奈も必死だった。
どうやら、ただのいたずらで家を訪れたわけではなさそうだ。
「なんで自分の家に帰んないんだよ。弟だっているだろう?」
「永久は、知り合いの家に預けた。けど、うちまで厄介になるわけにいかなかったし。母さんが間違えて、うちの合鍵まで職場に持って行っちゃったんだよ。うちが気づいたのも帰宅した後だったし、母さんの職場は治安も悪いし、行きたくない……」
さっきまでの勢いはなく、どこか自信がなさそうに答えた。
俺も少しだけ話は聞いていたが、里奈の母親は水商売をしている。
仕事も翌朝までかかり、家にいないことも多いらしい。
母親の職場に行きたくないという理由も頷ける。
だからと言って、俺の家に泊まらせるわけにはいかない。
「だったら、小野にでも――」
頼めと言おうとしたが、すぐにやめた。
あいつが里奈を物騒な実家に泊めるとも思わないし、俺でも行きたいとは思わない。
そうは言っても、里奈の言う通り、このまま外に放り投げておくわけにはいかないし、どうしたものやらと、頭を悩ませていた。
そんな時、里奈は恥ずかしそうに小声で言った。
「うちだって、無自覚でこんなところに来たわけじゃないもん……」
「は?」
その俺の素っ頓狂な顔に痺れを切らしたのか、里奈は上目遣いで俺に顔を近づけてきた。
自然と俺の体はのけぞる。
「だから、うちは敏郎となら、一緒でいいって言ってんの! 女子高生が敏郎みたいなおっさんと、一晩過ごしてもいいって言ってんだよ。そこは万歳三唱で喜ぶところじゃないの!?」
俺はその言葉を聞いて、硬直した。
里奈も顔を真っ赤にして、震えながら下を向いている。
自分が口にしたというのに、かなり恥ずかしかったらしい。
こんなことを女子高校生に言わせるのも不憫だったが、俺は一度深く深呼吸して、はっきりと答えた。
「俺が嫌なんだよ!」
それを聞いた里奈が目を丸くして、俺の顔を凝視した。
「はぁ!? なんで? うちのこと嫌いなの? うちに女の魅力がないっていうの?」
里奈は興奮しているのか、赤面したまま泣きそうだった。
嫌いなわけがないだろう。
しかし、大人の俺は、このなめ腐ったガキに、はっきりと言ってやらなきゃならん。
ってか、万歳三唱ってなんだよ。
今どきの女子高生の言葉のチョイスが分かんねぇわ。
「そんなこと言ってねぇよ。俺はそんな投げやりな態度の女、トム・クルーズ級のイケメンが絶賛したケイト・ウィンスレット似の超絶美女だったとしても、泊めねぇって言ってんの!」
里奈は目が点になって、固まっていた。
「お前なぁ、おっさんなめすぎ。女子高生が自ら家に泊まりに来たからって、ひょいひょい家に入れるような男、ろくなやつじゃねぇぞ。どんな事情があるにせよ、俺は無闇に女を家に上げたりしねぇよ。大事に思ってる奴なら、なおさらだ」
「……うちのこと、大事に思ってるってこと?」
里奈は少し考えて、俯きながら小さな声で質問した。
俺は頷く。
「まぁ、そうだな」
「うちがその……、特別ってこと?」
「特別っちゃ、特別かもなぁ。いろいろあったし」
俺のその言葉に満足したのか、急に不安そうな顔から嬉しそうな表情に変わった。
女って理解できん……。
「なら、諦める。けど、ケイト・ウィンスレットって誰?」
その言葉を聞いて、俺は今日一番、驚愕した。
「はぁ? お前、傑作映画『タイタニック』見てねぇのかよ! 世界を揺るがした大ヒット映画だぞ!!」
「だってうち、生まれてないもん! 再放送も見てないし!」
その言葉を聞いて改めて考えると、あれは20年以上前の作品だ。
確かに、映画に関心のない女子高生なら知らなくても不思議ではない。
俺にとって20年前なんて、つい最近のことなのになぁと心の奥で一人浸っていた。
そして、そのタイミングで何かを思い出したのか、目の色を変えて、里奈が俺の顔に指さしてきた。
「ああっ! 思い出した!! うち、知ってんだからね。敏郎の家の中に、女子のお泊りグッズ隠してんの!!」
俺は何のことかわからず、仰天する。
お泊りグッズ?
そんなものうちにあったかなと、記憶をたどってみる。
元カノと別れたのも8年前だし、そんなものは残っていないと思ったけれど、気づかないうちにどこかにしまっていたのかなと思った。
しかし、あいつがそんなものを忘れていくとは思えない。
「絶対あれは若い女の子のだった。だって、今はやりの『ちいぽちゃ』のポシェットだったもん。中には化粧水とか入ってたし、敏郎が使うわけないもん」
『ちいぽちゃ』という言葉を聞いて思い出した。
あの夜中のコンビニで見たくまみたいな、今若い子に大人気のキャラクターだ。
あんなものを元カノのあいつが持っているはずはない。
ということは……、晴香かぁ。
余計なことをしてくれたと、一気に体の力が抜けた。
晴香なら何度も家に遊びに来ていたし、泊めたことも何度かある。
しかし、お泊りグッズを隠しおいていたのは初耳だ。
今度会ったら、拳骨をくらわしてやろう。
「それは姪っ子のだ。持って帰るのが面倒だから、置いていったんだろう」
俺はめんどくさそうに首を掻いて返事をする。
「嘘、嘘! 絶対若い女だ! 四十のおっさんの家に、姪っ子が泊まるわけないもん。嘘つき!」
里奈は興奮し、俺の話など聞ける状態ではなかった。
しかし、四十過ぎたって姪っ子に好かれててもいいだろう。
「俺と姪の晴香は仲がいいんだよ。今どきの中学生なら、そのぐらいのものは持ち歩いてるんだろう、俺はよく知らないけど……」
俺は里奈がなぜそこまで怒っているのか理解できなかった。
しかし、俺の口から中学生という単語を聞くと、違う意味で軽蔑した眼差しを向けてくる。
こいつは一体、俺を何だと思ってんだと言いたい。
俺はその場を落ち着かせるように、改まって話し始める。
「ひとまず、今日一晩、泊まるところが必要なんだろう?」
里奈はうんと小さく頷いた。
とはいっても、俺にも知り合いは少ない。
姉貴の家はここから遠いし、里奈と変わらない年の男子である甥っ子の勇志もいる。
実家暮らしの沖田は論外として、近藤さんにもさすがに頼みづらい。
となると、今、俺が声をかけられそうな相手は一人だけだった。
こんなことを頼むのは心苦しいが、今は彼女に相談するほかない。
「お前、絶対、他人様の家で迷惑かけるなよ。後、文句言ったら、お前の頭にアイアンクロー食らわせるからな。覚えとけっ!」
俺は指を差し、そう里奈に言い放つと、携帯から電話をかけた。
里奈は理解できなかったのか、不安そうな顔で俺を見ていた。