第120話 伊東さんに提案する
俺は藤堂に時間をかけて拳銃の使い方や手入れの仕方を教わった。
拳銃は案外繊細なもので、管理が難しかった。
定期的なメンテナンスも必要で、俺たちが想像するよりもずっと手軽に持てるようなものでもなかった。
海外の一部では一般人の所有が許されていると聞いていたので、もっと使いやすいものだと思っていた。
しかし、実際は反動が大きく、音や光も激しいため、まともにコントロールできない。
俺は狙いを定めることすらできず、撃つたびに心臓が激しく脈打った。
拳銃の指導を終えたタイミングで、伊東さんが個室から出て来た。
不慣れな俺の様子を見て、彼は鼻で豪快に笑った。
「チャカ持ってもな、撃てない奴がほとんどなんだよ。訓練もされてなきゃ、撃ったことすらねぇ奴もいる。俺らの世界でもそんなもん、ただの脅し道具だ。けどな、俺たちはそうじゃいけねぇんだよ。いざという時に撃てなきゃ、ものになんねぇ。だから、お前もちゃんと撃てるようになれ。それが組織の幹部の役割の一つだ」
伊東さんはそう語り、部屋を出ようとしていた。
藤堂は俺から拳銃を受け取り、片づけの準備を始める。
俺は慌てて伊東さんを追いかけ、部屋を出る前に声をかけた。
「伊東さん、お願いがあります!」
伊東さんの背中に向かって、俺は深々と頭を下げた。
彼はゆっくりと振り返る。
「俺に数日間、部下を貸してください!」
俺には部下がいない。
協力してくれそうな人間も、小林くらいしかいない。
しかし、小林には市子を守るという役目がある。
俺一人では、どんなに努力したところで金を回収できるはずもなかった。
今の店の奴らに頼んだところで、協力する者はいないだろう。
俺は無力だ。
だから、今はこうすることしかできない。
「それで?俺にどんなメリットがある。俺がお前に部下を貸して、なんになるんだ?」
伊東さんの質問は当然だった。
今の俺は伊東さんの勢力争いの敵であり、手を貸していいような相手ではない。
それでも、俺は彼を説得する必要があった。
「あなたは山南さんを組長にはしたくない。そして、今あなたにとって最大の敵も山南さんのはずです。俺のことはいつでも潰せる。けど、山南さんを潰すなら今がチャンスなんです。俺と一時的に手を組んでくれませんか?この借りは貸しで構いません。伊東さんの助力があれば、俺は必ず山南を跡目候補の座から引きずりおろします!」
「ほう」
俺の言葉を聞いて、伊東さんは嬉しそうに唸った。
大きなことを言ってしまった。
必ずと言いながらも、この勝負に絶対はない。
確証もない中で、それでも伊東さんに直談判するしかなかった。
後ろでは相変わらず藤堂がこちらに目を光らせている。
「なるほど、一時的に同盟を組みたいと。しかし、何か策はあるのか?部下を数名貸したところで、あの山南を潰せるとは思えんがな」
「まだ、策というほどの策はありません。しかし、今、山南の俺への警戒が一番薄れている時期です。もう俺には挽回する余地はない。自滅するのも時間の問題だと高をくくっているはずです。しかも、俺は今、山南の掌中にいます。それはかえって山南の懐に入る機会があるということです。街金の仕事をこなしながら、山南の弱点を探り、必ず伊東さんにとって有益な情報を持ち帰ります。だから今は、俺をうまく使っていただけませんか?」
それを聞いた伊東さんが、一拍置いて大笑いした。
そして、俺の目をじっと見つめる。
「お前、大きく出たなぁ」
その威圧的な目は、あまりにも恐ろしく、体が一瞬にして硬直した。
まるで今から俺が獲物として食われる瞬間のようだった。
体中から冷や汗が湧いた。
「お前の低姿勢は気に入った。しかし、まだまだ説得材料が足りねぇ。それじゃぁ、同盟を組むまではいかねぇが、部下を2人、貸してやる。それで少しでも成果を出せ。まずは今の自分の窮地を脱してみろ。話はそれからだ」
伊東さんはそう答え、にんまりと笑って見せた。
俺にとってはそれだけでもありがたかった。
俺たちの後ろで睨みを利かせていた藤堂が大きく息をつくのが聞こえた。
「桂さん、お届け物でぇす」
チャイムを押した後、玄関先で宅配業者が声を上げる。
中にいた男は頭をボリボリ掻きながら、大あくびで出て来た。
「はぁい?」
男は情けない声を上げながら、宅配業者の前に立った。
その瞬間、男は腕をつかまれ、目の前の宅配業者の男にハンマーロックを掛けられた。
男は痛みを訴えながら、膝を落とす。
「いきなり何すんだよ!?」
男が叫んだタイミングで、宅配業者の恰好をした楠が帽子を取って顔を見せる。
そして、不敵に笑って見せた。
「毎度おなじみのDPGパートナーの者でぇす。桂さんの返済が滞っていましたので、回収に参りました」
「はぁ!?いきなり予告もなく来んなよ!金なんてねぇよ」
男は必死に藻掻きながら叫んだが、楠の手が緩まることはない。
「それはおかしいですねぇ。あなた、ちゃんと返済日までに金が用意できるってんでお金を借りたんでしょ?それなのにないってのはおかしいでしょ」
楠の言葉に男はぐっと言葉を詰まらせた。
言い返す言葉が無くなったようだ。
その後ろで待ち構えていた俺が二人の横を通り過ぎ、男の部屋へと入る。
そのタイミングで、楠は俺に向かって不満たっぷりの声で叫んだ。
「ってか、なんでこっちの役が俺なんだよ。おめぇの回収なんだから、おめぇがやれよ!」
「俺は客の所有物から金目の物を探して差し押さえる仕事があんだよ。そっちの方が楽だろう」
俺はそう答えて、ずかずかと土足で男の部屋へと入った。
想像通り、男の部屋は狭く、汚い。
ぱっと見る限り、金になりそうなものは何もなかった。
「ふざけんなよ。人の家に勝手に入ってんじゃねぇよ!」
男は楠に取り押さえられながらも、必死に抵抗する。
俺は部屋の中を探しながら、大きなため息をついた。
「やっぱりねぇよなぁ。あった方が、こっちも助かるんだが……」
俺は諦めて、男の部屋から財布らしきものを探した。
財布は案外、わかりやすい場所に投げてあった。
そして、その中から身分証明になりそうなものを取り出す。
それ以外は手を付けず、元の場所に返し、それを男に見せ、男の目の前にしゃがんで目を合わせた。
「桂さん、本当に金ないの?こっちも返済してもらわないと困るんだけど。お金のことはやっぱりお金で解決するのが平和だと思うんだ」
すると、男は俺に向かって唾を吐き、睨みつける。
「何が平和だ!てめぇらみたいな犯罪集団、違法な倍率で利子取ってるくせに偉そうに言うんじゃねぇ。そんな悪党どもの金を使って何が悪い!」
さすがにその返事には俺も腹が立った。
ポケットに入れておいた年季物のハンカチを取り出して、顔についた唾をぬぐいながら、俺は静かに男に告げる。
「そうは言っても、あんた、実際に借りた分も返してないじゃん。都合のいい言い逃れして踏み倒そうとするのはいかがなものかなぁ。これじゃ、悪党がどっちかわかんないよ」
こうして直接客と話してみると、山南たちが見下して話すのもわかる気がした。
彼らは借りる時は必死でも、こうして返さなければならない時は自分の正当化を主張する。
実際、金の使い道はみんなくだらないことばかりに使い、借金にまた借金を重ねる行為を続けていた。
そんな奴らから搾り取れる金なんてもう一円もなかった。
「ないもんはないんだよ!わかったらとっとと帰りな」
男はそれでも強気な態度を示した。
せめてここで下手に出て、平謝りでもしてくれたらかわいいものなのにと思えた。
「そっか、それは残念。なら、選択は三つだ。一つはこれ」
俺はそう言ってカバンから目安料金の一覧表を取り出して、男の目の前に翳した。
「金がないならあるもので金を作るしかない。これは身体各部の基本料金の一覧だ。さぁ、どれを売る?桂さんの返済価格は350万。そこから考えると売れる部位はぁ」
「ちょ、ちょっと待て!体を売るのは勘弁してくれ。他の事なら何でもするから、臓器を持っていくのは辞めてくれ!!」
男は急に低姿勢になり、頭を下げ始めた。
金がないで通そうとしたみたいだが、実際に体を削り取られそうになると態度を一変し始めた。
「なら二つ目。桂さんには日本を出て、海外で働いてもらう。もう二度と国には帰れないし、あっちでは人間扱いしてもらえないかもしれないけど、楽しいセカンドライフが待っているよ」
「か、海外?日本を出るのはダメだ。俺は生きてけねぇ。頼む。助けてくれ!!」
次第に男は涙を流し始め、許しを請うように頭を深々と下げてきた。
俺は男に向かって大きくため息をついて、三つ目の提案を口にする。
「三つ目は――」
男は結局、その条件をのむことにした。
こうなるぐらいなら、ヤクザになんて金を借りなければいいのにと思った。